40歳の春にツインソウル?にであいました☺️

ツインソウル ? かもしれないある男性にであったころからをふりかえっていく予定です

2016年8月15日 感謝と静謐な時間と

2021-03-18 07:22:00 | 日記

2015年に出会った不思議な縁のある男性とのことを思い出しつつかいております




2016年 終戦記念の日付近


この辺りから、占いというものに興味がわいてきていて、これまで雑誌の裏の占いすら読まないような人でしたが、なぜか星占い、手相など気になるものは取り入れていて、石井ゆかりさんの占いにはよくお世話になっていました


その時の星回りは扉が閉まる前の時間という表現があったように思います


出張から戻ってすぐ荷物の整理と実家への荷物の発送を同時にスタートしていました


この半年ほど前から、母には自分の現実を話していました

もちろん離婚には反対され、どんな状況でもあわせて行く道はある、それが結婚というものだと諭されても、もう聞く耳はありません


決定的自信などなく、経済的恐れも不安も渦巻きながら、ここを出るのだという意識だけが力をくれていたようにかんじます


ものをおくり、整理し、手配し、様々な手続き、真夏。それが手伝って気づくとワタシは15キロ痩せていました


8月15日


意図したわけではありませんが、その日が夫と話した最後の日でした

じつに1年以上ぶり、話しかけることも、話し合うことも何もかもが久しぶりすぎて、そして顔をまともにみたのも久々でした

この人はこんなに老けた感じだったかなと思いつつ淡々と離婚について話しました

協議離婚という形をとり、慰謝料の額も冷静に話します


あれ? なんでワタシはこの人と別れるのかなというほど、アッサリとシンプルにことは進み、決断し準備していたもののどうしようもないままに、その話し合いは終わりました


気に入っていたテーブルともその日がお別れでした


午後からは仕事の関係で出社予定だったため、ふらふらとしながらたどり着いた職場で

Sさんへ連絡しなくてはならないことがおこりました

彼は、その場で何をおいてもという風に駆けつけてくれました。それはいつもそうで、もちろん営業さんとしての親しみがそうさせるのでしょうが、度を越しているな、と常日頃感じていましたし、その時にはワタシもとても好きな人になっていましたから、動きこそなくてもつながり合いを感じていたように思います


そのときの社内はシンとして誰もいなく、さっきまで離婚話をしていたワタシにとってとてつもなく穏やかな場でした


彼とポツポツと話す中、(ワタシのいる)会社がどこかへ移転してしまうんじゃないかと思ってしまう、と言いました

意図を掴みあぐねて何も答えられなかったのですがたしかに業績はあがり移転話が出てもおかしくはなかったのです

彼がいうのはもっともで、自分のお客さんが減るのがイヤなのかな?  と考えたりしました


静かな静謐な時間

良い空気で、永遠にこんな時間が続くといいのにと感じた景色は、薄れつつある記憶の中でもとても綺麗な時間だったのが思い出せます


おだやかな時間は途中から現れた上司によって遮られるのですが、その空気や時間はいまも大切な大切なときだったように感じています

この頃はいつでもSさんが辛いときを救ってくれていました

ワタシの事情をしることもなく、本人の意図などないでしょうけれど、この人は救いだと思っていたのです

それが好きだからなのかなんなのかはわからないままに感謝の気持ちが強くありました



そこから数日後、ワタシは実家へもどることとなります





ある鮮明な夢と2016年8月 動き始めた時間のこと

2021-03-17 13:33:00 | 日記

2015年春にとても縁のある男性(Sさんと表記します)と知り合ったことを振り返って書いております


今回は少しだけ横にそれて。

好きになったのかどうかわからない頃にみた夢のことを書いてみます


この頃はよく奇妙な夢を見ていました


例の営業さんSさんが年老いた女性(に見える方、表情に深く苦労のあとのある方)を背負って、何か大きな壁の手前を歩いている。シーンは変わって、何故か彼がワタシの出産に立ち会ってくれている、というもの


あるいは青いスーツを着た彼が運転する車内で、足元には見たことのない黒いリュック。隣には美しい妙齢の女性(何故か彼の叔母さまだとしっている)そして親族の会合の中にいる。たどり着いた会席の場ではご一同から◯◯さんと呼ばれている


ワタシには子供はいませんし、先方のお母様あるいはおばあさまのこともしりません

なぜかそんな夢を見ていました


ただ、数ヶ月後、彼のおばあさまが亡くなって忌引きだと人づてにきいたとき、ふとその夢をおもいだしたことがあります


あまりにもハッキリしていて今でも思い出されるものですがそういえば、夢は小さい頃から、予知夢のようなものをよくみていました。この2つの夢は今(2021年)でもそのリンクになるような経験はしていませんが、何かを示していると思っています


夢についてのお話は2018年頃、あまりにも奇妙な形でハッキリわかったことがあるため、またその記事で書いていきます



ここからは2016年8月頃のこと


夏越しの祓いの後1ヶ月もなく、ある出来事によりいよいよ夫とは共に食事を取ることすらなくなりました

まるで「祓われた」かのようにサッパリとそんな時が来た時、家庭のことだけでなく、これまで好きだったもの、ことが様々な事情で徐々に強制的に無くなっていたのです


長年の趣味だったこと、音楽や時折いっていた舞台作品など


そんな中、お仕事だけは留まることなく続いていまして、夏冬の寒暖差が大変大きい街に出張しておりました

とんでもない暑さと、快適なホテルという落差。


帰宅して会話もなく淡々と過ごす生活、針の筵のような状況。そんな日々のなかでただ自分だけの時間をもてるエアーポケットのような瞬間でした。

ふんわりと思い出すSさんのこと。そして穏やかな夜に、いつ以来かわからないほど眠ることが気楽でした


出張から戻った我が街もまたとんでもない暑さ。いつも通り現れた彼とそんな出張先の話をし、何気ない日々が戻るかに見えましたが、じつはワタシの中では強い決意と行動が開始されていました


そんな終戦記念の日、ある出来事がありました


2016年春から初夏 夏越の祓いのおはなし

2021-03-16 20:55:00 | 日記
2015年春にとても縁のある男性と出会ったことを振り返りつつ書いております

さて2016年の年が明け、節分を過ぎたあたり、私生活は暗さの一途を辿っていましたが、仕事の上では様々なプロジェクトめいたものを任され、自分の力で考えなくてはどうしようもないことばかりが降ってきていました

それまでワタシが経験してきたことは、基本的に上司から指示が降りてきてこなすことばかり

何もかもゼロのところからスタートするようなことなど経験したことがありません

しかも長年主婦でしたし、内情はどうあれ家庭のことと両立してできる内容ではなくなっていた、とは以前も書きましたが、どんどん形や求められるものは変わってきていました

そこでできる範疇を決めてもよかったのですが、これからを考えた時に経済的な自立のためにもこの仕事を受けなくてはならない、というようなことを潜在的に知っていたように思います

そして同時に昨年(2015年)夏頃から、左側の腕のしびれ、そして動悸や不整脈も続いていたのですが、気にしないまま過ごしていました。体重があったので、何かの症状かもしれないという怯えくらいはありましたが。
この不整脈の症状はじつはもっと年齢が若い頃経験をしていましたし、長年母を苦しめていたものであったことを後に知るのです

仕事はバタバタと過ごしていたので、プロジェクトのこと含め記憶は鮮明ですが、プライベートとなると記憶はほぼありません。が、この当時の夫とのメールを振り返ると『なぜこんなことを自分はしていたのか』と思えるような、冷徹なやりとりがありました

そんな中でも、例の営業のSさん(仮)とは、いつも他愛無く楽しく話していました。
とにかくそんな時間の中の唯一の潤いだったことを否定できなくなってきたのは、やはり春を迎えたあたり

2016年4月、あるいは5月。
ふと営業車に乗る姿をみかけた時の喜びが、日増しに増えていることを、もはや受け入れざるを得ませんでした

そうか、ワタシはこの人のことが好きなんだ、と気づくのに、そして腑に落とすのに時間はかかりませんでした

全国的に5月の終わりから6月にかけて、神社さんでは夏越の大祓という行事があります
自分の身の穢れを祓い、夏を迎えるというそれをワタシも同僚の女の子とともに、なんの気なしに行いました

その時より明確になったワタシの意識は、正直に言えば仕事で触れる以外のことを何一つ知らないSさんが大好きであるという自覚に溢れていました

ただただ大好きだということだけ
それでも心では、夫とうまくいかないからその青年が好きなのかもしれないと思いつつも、好きである気持ちはゆるぎませんでした

その夜(今なら決して夜の神社には訪れませんが)同僚とひいたおみくじは『大吉』でした

『純情を保って愛を語るなんて、今時ほんとに難しいことです』

そう書かれていました

2016年夏越の祓いのあと、人生は怒涛のように動いていきました





2015年冬のこと 人生の冬

2021-03-15 23:23:00 | 日記
2015年春にであったふしぎな縁の男性とのことをおもいだしつつかいております

その冬のことです

それまではどんなことがあっても、夫の実家には盆暮と顔を出していたワタシでしたがさすがに会話のないままの年末をすごすことになって半年以上が経ったころには、夫の実家でだけ会話するなんて考えられるはずもありません

ついに行かないときめました

これはもう事実上、離婚をいつにするか、と言うだけのことで、それでも経済的なこと、精神的なことを含め、そんな決断をしたものの、まだまだ迷いに迷っていました

どこかでまたうまくやれるのではないか、まだなんとかするすべはあるのじゃないかと考えながらも、事態が好転することはなかったのです

心ここにあらずのままその年は暮れ、明けました

記憶が飛んでいるくらい、日々重く苦しく、仕事のこともよく覚えていないなかでの2016年
じつはこのときはそんな精神状態のため、例の営業さん(縁ある男性)ことはすっかり忘れていたのです

当時住んでいた地域には神社があまりなく、相当遠くまで行かねばならなかったのですが、ぼろぼろの心でひいたおみくじは「大吉」でした

なんでこんな人生の一番の暗闇の中で、大吉がでるのが不思議であることと、状況のギャップが酷すぎて参道を下を向いて歩いていた景色は今もおもいだせます

おもえば結婚してから大吉が出たことなどなく、そうとは気づかない内に運気がかわっていったことを考えていました

ずっと何かと何かの間に挟まれて生きていたなと思える余裕もないほど、ありとあらゆるものの渦中にいつも置かれていたのかもしれません

そしてそのことから心を逃すために、いろんなものを好きになったり、外側に外側に楽しさを求めていました

なのでその年の2月から状況は変わらない中で、仕事の方向性がかわってきたときあそんでいる場合じゃないなとかんじてきていたのです

心の変化はやがて春を迎える頃にやってきました

2015年夏頃 これはなんなのだろう? その1

2021-03-14 22:11:00 | 日記
2015年の春に知り合った男性との不思議な縁についてを振り返るブログです

本日2回目の更新は、2015年夏あたりのこと

7月のある日、突然腰を痛めました。特に重いものを持ったのでもなく、ただただ起き上がれないのです

あまりに突然のことで仕事を休ませてもらい、病院へ通う日々
その間もすでに会話のない夫からは心配の声もなく

この頃、ワタシの中である変化が起きていることに気づいていました
その腰痛により動けない中なのに、ふと何故なのか性的な欲求のようなものがあることを自覚しました。そのことに当惑しつつもなんとかやり過ごし、ジタバタとしていたように思います
その時にきづいたというよりは後から考えるとそうだったという感じですが

なんだかおかしいな、しかも体の左側もなんとなく痺れがあるような気もする。全身がなんだかおかしいとは思いながら、何度目かの通院のとき、先生からじゃあ前屈してみてと言われ、その通りに動きます

その様子をみて「たぶんね、原因は心のことだよ」とおっしゃった先生の口ぶりは、今でもハッキリおもいだせます
家庭のことを伝えたわけでもないのに、お見通しとでもいうように言われました

実際数日で仕事へ復帰
先生の言葉がきっかけだったのでもないでしょうが、痛みもなくなりほっとしたころ、あることにきづきました

そういえば最近以前はよくきていたあの営業の人きてないな、ということ

春以来何度となく来ては、話をして帰っていくその人
職場も近いせいで見かけてははなしをするくらいには親しくなっていましたが、好きや嫌いなど自覚もありませんでした

だからふと、あれ? みかけないなときづいたこと
そして数週間ぶりに現れたその人をみたとき「嬉しい」という感情がわいたこと、それそのものに驚きを感じるしかありませんでした

比較的長い結婚生活にあって、素敵な男性との出会いもいくつかはありましたが、ただそれだけのことでもありましたし「気になる人」などいた試しがありませんでした

だからこそ、なんで? という感情でいっぱいになったのです。
ただそれはいっときのことで、そんな想いをしたことは秋から冬にかけキレイさっぱり忘れてしまいました

その間もその方はいつも通り丁寧に話しかけてくれ、とても優しい、何かあればきちんと接してくれる方でした
社内に誰がいても、ワタシをみつけて話しかけてくれる
わざわざ何かを届けるにも必ずワタシのところへ来る
見かけると走り寄ってきてくれる
この人はなぜ? という気持ちはありながらも、なんて心地よい人なのだろう、家ではあんなに辛いのに、こんな人もいるのかとおもうばかりでした

そんな2015年の年末、いよいよの時がきます