飛鉄(HITETSU)

飛行機、鉄道などの撮影のあれこれを綴っています。

DF50秘境号 その1

2016-09-09 07:00:00 | アーカイブDF50
他典の記録によれば、DF50の定期運用の最終は昭和58年9月1日である旨 の記録になっている。つまりそれまでは徐々に運用が減っていったものの DF50は僅かながらにも稼動していた。 私の撮影行は3月でありまさに風前の灯の状態の真っ只中で全廃まで あと半年という時期であった。 多分3月の時点でいつが最終の運用になるかは全くわからずじまいのまま 四国を去ったと思われる。学生故に豊富な資金もなく四国という距離は そう簡単に行けるものではなかった。そして来年に大学受験を控えていたことで 遠出はもう叶わぬ夢状態でもあった。 しかしながら、全廃直前の8月にDF501+65の組み合わせの イベント列車が走る情報を得た。すでに客車運用はすべてDE10に置き換わって いたはずでDF50が牽引する客車はもう二度と見ることはないだろうし、 半分、さようならイベント列車の様相を呈していた。これはどうしても記録して おかねばなるまいということで、親に頼んで資金を出してもらい、もう二度と来ることは ないだろうと心に刻んだ四国への再上陸を果たした。昭和58年8月のことであった。 そして下り列車は迷わずここ大歩危で撮影すべくこの場所にやってきた。 免許もなく車に乗れるわけもなく、上下1回ずつの撮影しか許されなかった。 直前まで日が差していたが、残念ながら本番の列車では曇ってしまった。 二台のカメラで夢中で撮影した。レンズも今のような精度もなくなんか シャープさに欠ける写りになってしまったが、無事下り列車を撮影することが できた。もう二度とDF50は撮影できることはないだろうという思いを いい意味で裏切られた日であった。 9203レ DF501+65 1983年8月21日 小歩危~大歩危

撮影行最後の場所は

2016-09-07 06:47:40 | アーカイブDF50
TOPナンバーの運用入りで多分このまま高松へ向かいながら 撮影できる列車をくまなく撮影して帰るつもりだったのであろうが 全く狂ってしまった。 そうTOPナンバーの形式を撮影したく、そのまま高知へ 舞い戻ってきた。 そして高知機関区を訪問している。 多分2回目?ではないかと思う。 お目当てのTOPナンバーは運用を終えて留置されていた。 高知の所属ではないので、ターンテーブルにのって 扇線にはいなく通常の留置線にいたが。 周囲には他の車両もいたりして以外にいいカットは 撮影できなかった。 とは言え最初で最後のチャンス、撮影できるカットはすべて 撮影した。 そして9日間に渡るDF50撮影行は終りを迎えた。 このあと高知から新大阪に出て、新大阪から銀河52号 で帰路についている記録となっている。 またこの年の6月23日には、東北上越新幹線が 部分開業している。 扇線で休む 50,43,56号機 61号機、周囲に写る車が時代を証明している。 あえて障害物がありますが、1エンド側でTOPナンバー すべて1983年3月20日 高知機関区にて

お初場所で最後のTOPナンバー

2016-09-03 07:00:00 | アーカイブDF50
知ってかしらずか、下り281レを何故か撮影地でもないような
場所で捕らえている。その理由は恐らく2つで、時間的に有名
撮影地まで移動が間に合わないから。もうひとつは、TOPナンバー
牽引だっかたから。覚えてないが恐らく前者だと思う。
その証拠は次の章でほぼ明らかになります。
なかなかTOPナンバーの走行記録はなく、このカットは私には
貴重な1コマである。少なくとも客車列車との組み合わせは一回
しかない。高松のカマゆえ、重連運用に入らなかったことが
非常に残念でもあった。私は知る限り重連運用での写真は
見たことがない。
天気も悪くなく帰りの駅までの道のりも軽やかだっただろう。
そして次なる目的地に急いだはずだ。

DF501 281レ 新改~土佐山田 1983年3月20日

空返と本列車の最後は

2016-09-02 07:00:00 | アーカイブDF50
斗賀野の発車後、吾桑に移動している。 日も高くなって撮影場所にも日が当たるからだろう。 車なら多ノ郷に行ってからでも撮影できたかもしれないが 免許をもたない学生のあがきだった。それでもうまいこと 朝は列車移動できたもんだ。 上りを本来のお立ち台の反対側の山から撮影している。 空返とは言え、多ノ郷からは上り勾配区間ゆえ 力行している様子が排煙からわかる。 正規のお立ち台は今年4月に訪問したが、もう木々が伸びて 撮影地は完全に死んでしまった。 この反対側など確認するまでもないだろう。 そして正規の下り石灰列車はフル編成だった。 前回は確か半分ぐらいしかなく残念だったような。 これでようやく念願も果たして私にとってのDF50 石灰列車は最後を迎え、もうこの場所も30年以上足を 踏み入れることはなかった。 上り 5794レ 空返 DF5047+48 下り 5795レ DF5048+47 ともに 吾桑~多ノ郷 1983年3月20日

最後の石灰重連

2016-09-01 07:00:00 | アーカイブDF50
この撮影行も最後の1日を迎えた。 最後はお決まりの中村行き快速に乗って 石灰重連を撮影すべく斗賀野駅に降り立ったようだ。 一発目は時間がなかったのだろう、駅近くで なんと流し撮りをしていた。 今で言えばもったいない極まりないが、こういう カットはそうそう撮影できるものではなく、 数すくない列車1本を犠牲にする覚悟で望んだのだろう。 なんとか、絵になってるコマがあった。 3月とは言え、雪は降っていないものの、畑は 真っ白になるほどの気温だったことが伺える。 カマは昨日高知駅でみた47+48が予定通りその任に ついていた。 重連総括制御のはずだが、次機にも乗務員が乗っている。 多分予備人員だろう。今なら確実にいないだろう。 その後、駅の発車を撮影している。 夜明け間際で空の明るさをしょって真っ暗だが、 この写真から、専用線への分岐は土讃線本線から直接分離 していたことが証明される。 奥に見える分岐が斗賀野駅の分岐だ。 音録などなら格好の発車模様だっただろう。 駅発車後20パーミル以上の勾配が待ち受けている。 5793レ 斗賀野石灰専用線 斗賀野駅 DF5047+48  1983年3月20日

いつものバルブ

2016-08-31 07:00:00 | アーカイブDF50
その後、高知に行き、高知着の貨物を3連発バルブ している。 みな同じようにみえるが、それぞれカマ番号も列車番号も違う。 3機とも切り離された後は、手前の6番線に転線して庫に帰っていく のが日常だった。 62号機は比較的綺麗だったせいか、カマだけのカットを残していた。 同じく、他のカマもそうすればよかたのだろうが、いかんせん フィルム時代の話、無尽蔵に何カットも撮影できない時だった。 またあまり細かいことには興味ないが、29号機と他の2両では 手すりの長さが違っているのがわかる。 192レ DF5059 176レ DF5029 270レ DF5062 すべて 1983年3月19日 高松駅

坂出で

2016-08-30 07:00:00 | アーカイブDF50
高知の後は一気に高松方面へ戻った。明日の石灰重連の為の準備で中村行きの 夜行に乗るためだ。 夕方、坂出で重連の3669レを撮影している。 石灰以外には数少ないほぼほぼ定期重連の列車だった。 西に向かう筋のため晴れの日はほぼ真正面に日があたる スジだ。今日は56と51のコンビだった。 坂出もそうだが、今の高架駅からは想像もできないくらいの 駅だった。 3669レ DF5056+51 1983年3月19日 坂出

最高の絵の後は

2016-08-29 07:00:00 | アーカイブDF50
2月の大歩危の俯瞰カットからなんだかんだで半年空いてしまったが カシオペアも一段落したので、また再開することに。 前回は、快晴の中の大歩危俯瞰を満足のうちに終えた。 この撮影行もほぼあと1日を残すまでになっていた。 大歩危のあとは高知に向かっている。 恐らく明日の石灰重連のカマが気になっていたのだろうか。 運用がないといっても意味がないわけでそのチェックも あっただろうと思われます。 今日は、47+48の連番コンビだった。 いつものように?須崎までの貨物はほぼ荷がなく 単に回送にちかかった。 これで明日の石灰運用はほぼ保障されたわけである。 余談だが、今の高知駅はこの写真のワムが停車している 北側に建設されてDF50がいるこのホーム側は 南口のローターリーに生まれ変わっている。 いうまでもなく、まったく当時の面影はない。 DF5048+47 781レ 1983年3月19日 高知駅

もっとも撮影したかったカット

2016-02-29 07:00:00 | アーカイブDF50
1981年(昭和56年)の訪問時には叶わなかった撮影があった。 大歩危、小歩危間にある俯瞰撮影だ。 吉野川を左手に山あいの崖っぷちを走るカットで晴れると この上なく四国らしさが醸し出て、本当に美しい場所で ある雑誌で掲載されているのを見て、絶対に一回はここで 撮影しようと心に決めていた場所だった。 問題はどこにあるかだった。今のような情報が簡単に入手できない 時代で、国土地理院の地図をにらめっこして、目星をつけて 言ってみた場所だった。確か、大歩危駅からタクシーで 山道を登ってもらってそこからは、山道をテクテクと半分 登山のような道を歩いていった。行き着くとそこには、 展望台のような小さな場所があり、眼下に吉野川を見下ろす 場所だった。そして目指した場所そのものだった。 まるで模型のレイアウトを見るような場所だった。 さて、問題はどの列車を撮影するかだ。何故なら山あいの 場所ゆえ、晴れてもTOPライトの時間に通過する下り 列車しか絵にならない。もう客車列車が無くなってしまっているので 午前中に下る271レに焦点を絞った。その1時間後にも281レが あったが、これはどうも違う場所で撮影していたようだ。 そして快晴の中、271レは定時に通過していった。 見てとおり太陽がまだTOPになっておらず、側面に回っていない。 次の281レなら回っていたかもしれない。 しかしながら、ようやく念願が叶った一瞬でもあった。 オレンジ色の正面だけがDFを主張している。 でも残念なのは、一番いい場所で切ったコマが無くなっており その前のコマをスキャンしたが、ベストな位置でない。 多分焼いた時に抜いたと思うが、管理がおろそかになっていたようだ。 また、見てのとおり左には木々が写りこんでいるので、 おそらく今はこの木々が生い茂っていて撮影できないのでは ないかと思うがまったくわからない。 そしてここで撮影した近年の作をみたことがない。 271レ DF5041 小歩危~大歩危 1983年3月19日

今日の192レ

2016-02-28 07:00:00 | アーカイブDF50
高松についていつもの192レを撮影したが今日は入れ替えが 完全に終わってしまっている時間だった。先頭にはDE10が見える。 すでに置き換え間近であるとわかる。 またこの29号機も34号機同様、四国特有の前面補強がないオリジナル のDFタイプだ。殆どが四国補強タイプである中、数少ないタイプだった。 192レ DF5029 高松 1983年3月18日