飛鉄(HITETSU)

飛行機、鉄道などの撮影のあれこれを綴っています。

【追加】ゆうづる物語 その38 

2021-04-29 18:52:25 | アーカイブ ゆうづる
一旦終了したゆうづる物語ですが、ブログ未UPのネガを発見。
データ記録があるのにも関わらず、ネガが見当たらないなどの理由で
掲載を断念したものもあったりする。その逆も。
この場所、実はロケハンをしていて田んぼのあぜ道から車を
脱輪させてしまった場所。
見ての通りうっすらと雪もあるので、普通乗用車でくるような場所では
なかったが、そこは若気の至りどんどん進んでいった次第。
しかも正月2日目の朝のこと。
偶然近くの農家の人がトラクタを出してくれてひっぱって
くれた。本当に親切極まりなかった。作業中にも拘わらず、事情を説明
して撮影もさせてもらった。まだ冬だったので、いいわけではないがよかった。
田植えの時期とかは、作業に大きな影響もでるし、田んぼは農家にとって
糧の元、他人にその畑を壊されるなど、もっての他、、、
そんなこんなの想いでの場所だった。一回きりしか訪れてないが
カシオペアでも行ってもいいような場所だ。
今はもう線間に草が生い茂っていて無理かもしれない。
正月の朝、0730ぐらいだろうか、カラーなどまったく望めない
天気でモノクロしか撮影していない。
152は苦し紛れのカットだろう見たらわかるアングル。
715は重連とわかっていたのだろう、152のようなアングルでは
情けなさすぎるので、場所を選んだのだろう。背景の鉄橋が煩いこと
以外は、苫米地風で個人的には好みのアングルだ。

ED75152 6003レ
ED75715+? 5レ
1988年1月2日 三戸~諏訪ノ平

ゆうづる物語 その37 最終ページ

2017-01-17 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
この4レ列車をもってゆうづるは廃止になり、海を越えて北海道へ
運転される北斗星へ置き換わることなる。
下り最終も715で、本当の最終も151と、なんとも
味気ない最後だった。
最後は青森でバルブをしている。
実はこの日に翌日の下りに使う北斗星の送り込み回送が
1039で実施された。1039が牽引する最初で最後の
北斗星編成だった。もちろんマークはない。
回送列車なので。
そしてゆうづる、何故か下り方にもHMが取り付けられていた。
もう下りがないのに。お陰でこういうカットが撮影できたのだが。
カニ側なので間違いなく下り方だと思う。
多分この頃にはにわかが沢山でていたせいもあって
ホームはすごいことになっていたのかもしれない。
これでもうゆうづるのHMを見ることはなくなるという
思いで闇に消えてゆく最終ゆうづるを見送った。
87年の夏から撮影を開始してわずか8ヶ月、一心不乱に
撮影にこれ程までに没頭した思い入れのある被写体は
もう出ることはないだろう。
最後は6X7で撮影している。
オレンジ色のヘッドマークに付く水滴の1粒までが美しい。

最終4レ ED75151 青森 1988年3月12日


ゆうづる物語 その36

2017-01-16 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
最後の下りゆうづる5号は土屋で撮影している。
道なき道を進んで撮影した記憶がある。
多分天気の関係で少しでも明るい時間に撮影したかった
のであろうか。715だからか、最初で最後の訪問だった。
先日のカシオペアではもう場所さえ思い出せないぐらい
だった。この場所を次に訪問したのは、オリエントEXPが
日本を駆け巡った時で、ゆうづる廃止の年の初冬だったと記憶している。
小繋で撮影した最初のゆうづるも715で最後も715という
因縁めいたものを感じた。

5レ ED75715 西平内~浅虫温泉 1988年3月12日

ゆうづる物語 その35

2017-01-15 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
重連自体のラストこの列車になった。
残念ながら次位が1039だった。
まあこれは水戸で順序が入れかわらない限り
逆にはならので仕方ないことだった。
この頃は3号がほとんどなかった。
恐らく時期北斗星の再編成に優先されて
2本を仕立てる余裕がないのとお客も
2本分はいなかったのだろう。
ほぼ1日1本という日ばかりだった。
なので、その1本に賭ける想いはとてつもなく
熱かった。
最終の重連はSカーブでの撮影になった。
編成が10両なのであまりS感がないが
これはこれでよかった。
先頭の151番と次位の1039での色褪せ具合が
このカットでもはっきりわかる。

5レ ED75151+1039 1988年3月11日 苫米地~北高岩

ゆうづる物語 その34

2017-01-14 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
この日は八戸で4レを撮影しているが編成写真でない。
恐らく撮影できなかったからだろうか、
またはハイビームを懸念してわざと編成写真でないカットに
したのかもしれない。
今のようにハイテク通信機器がない時代、カマ番号は来てからの
お楽しみ?だった。この日の4レが下り最終ゆうづる5レに
充当されるカマになる列車だった。
きたのは715。恐らく個人的にはかなりの落胆があったと思う。
最後ぐらいは1000か一般カマであって欲しかった。
頭をよぎるのは、最終くだりはどこで撮影しようか、
でもどうせ715だし、、、こんなことだったと思う。
まだ新幹線が盛岡から先が開通前のことであった。

4レ ED75715 八戸 1988年3月10日

ゆうづる物語 その33

2017-01-13 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
この日の返し4レは二戸でバルブしている。 しかながら先日の花巻以上の結果でまったく 光以外がみえないというポジだった。 なのでUPしてもなんだかわからないので、割愛し 翌日の下りからUPする。 この日は苫米地を訪れているが、3月に入ると 機材もペンタから憧れのキヤノンNewF1に更新している。 しかしながらお金がないので中古で買ったものだ。 必需品のモードラとセットで。 覚えていないが当時でボディだけで8万弱したと思う。 レンズは80-200と念願の300mmF2.8Lを ローンで購入した記憶がある。 328も当時で50万ぐらいの定価の時代で、 実売価で30万台でなんとか購入できる金額だった。 ペンタから乗り換えで一気に機材更新をして 満を持してのゆうづるの終焉に臨んだ。 この日は質のいい328に2倍のテレコンを装着しての 撮影。いままでにない未知の世界がそこにはあった。 まだ超超望レンズの使い方も知らない、駆け出しの 頃だった。1000番台が先頭の重連はこの日が最後 になった。 5レ ED751033+159 1988年3月10日 苫米地~北高岩

ゆうづる物語 その32

2017-01-12 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
翌日は盛岡側での撮影に興じている。
3月になると日の出も早くなってくることから
盛岡側での撮影も可能になる。
雪もほとんどないが、絶好の快晴の中
ゆうづるは走り抜けていった。
重連でないこと、3号がこの日は運転がなく
この1本で終えているが、十分な結果だろう。
先日のカシオペアもこの場所で撮影されている
カットが掲示されていた。

5レ ED751034 好摩~岩手川口 1988年3月9日

ゆうづる物語 その31

2017-01-11 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
その30が欠番です。またポジが見当たりません。 カット内容は覚えていますが、、、、 この日はやはり初心に戻り盛岡バルブ。 しかし、このざま。こんな手前で停車なんてびっくりでした。 下がりに下がって長玉で狙うも顔半分しか出ず。 NGカットです。例により中線には当時の品川の サロンエクスプレス東京が出張のマルヨ中。 これも記念といえば記念ですが。。。 だめでしょ。やっぱり。 記録ではなんと、後ろのカマは132号機で貨物の カマだった。152の間違いかもしれない。 もはやどうでもいいことです。 4レ ED751033+132 盛岡 1988年3月8日

ゆうづる物語 その30

2017-01-10 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
3月に入ると機材もペンタから憧れのキヤノンNewF1に更新している。
しかしながらお金がないので中古で買ったものだ。
必需品のモードラとセットで。
覚えていないが当時でボディだけで8万弱したと思う。
レンズは80-200と念願の300mmF2.8Lを
ローンで購入した記憶がある。
328も当時で50万ぐらいの定価の時代で、
実売課で30万台でなんとか購入できる金額だった。
ペンタから乗り換えで一気に機材更新をして
満を持してのゆうづるの終焉に臨んだ。
この日は質のいい328に2倍のテレコンを装着しての
撮影。いままでにない未知の世界がそこにはあった。
まだ超超望レンズの使い方も知らない、駆け出しの
頃だった。この場所、先日のカシオペアでも行ってみたいと
思っていたが、もう叶わなくなってしまった。
300mmに2倍のテレコンをつけての撮影で
今までにない未知の世界に圧倒されていた頃だった。
600mmの世界としてはまあまあいい感じの
場所ではないかと思う。
雪晴れでお約束の雪の舞が客車を隠している。
幸い前面への着雪はない。
1037はこの1カットのみしか記録にない。

5レ ED751037 1988年3月8日

ゆうづる物語 その29

2017-01-09 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
2月は一回も撮影していなかった。
来る3月改正の為の資金調達があったのだろう。
また、重連になる日が少なく、臨時の3号も少なかった
のだろう。時間と金をかけて1本しか撮影できませんでした
ではコスパが悪すぎたためだろう。
今思えば、75の貨物はあるわ南部縦貫はあるわ、
日本海側にいけばまだあけぼの、日本海もあった。
やはりメインはゆうづるなので、いくら余興はあっても
メインが乏しいのでは足は向かなかっただろう。
少しでも撮影しておくべきだったと後悔。
さて、明けて3月。もう廃止が目の前に迫っていた。
ゆうづるが廃止になるは100歩譲ってしょうがないが、
北斗星は、上野から青森まで81になることが決まっており
75牽引がなくなってしまうことが一番残念でたまらなかった。
あけぼのは残っていたが700番台しかないし、日本海はすでに
81になっていた。東北地区の75牽引のブルトレの構図が
大きく変貌を遂げることに間違いはなかった。
3月は改正までの1週間連続撮影という強行に出た。
最初は花巻でのバルブ。
見てのとおりハイビームにやられて撃沈。
いつもの盛岡で撮影しなかった理由は定かでないが
いい加減盛岡バルブもワンパすぎるのでという意図が
あったのかもしれないが、盛岡のような駅より
いろんな条件がいいはずもなし、こういう落ちに
なってもしかたない感じだ。
先頭は1039だった、もったいないことをした。
これじゃ宇宙戦艦ヤマトの波動砲みたいだ。

4レ ED751039+1034 花巻 1988年3月7日