<2006年に初めて乗った時と比べると>
・乗客数が倍なので下船時(寄港地で)や入国審査に時間がかかる場合があります。
・中国人、韓国人が多いので雰囲気は変わりました。マナーが気になります。
・若者が少なく老人が多いです。(若者が目立たない)
・ピースボートらしい魅力あるオプショナル・ツアーが少なくかつ参加費が高価です。
<食事について>
・ビュッフェスタイルの食堂は時間に縛られず、それほどバラエティーはありませんが
和洋中の料理が食べられます。並んで料理を取らなければならないのが面倒です。
また、混雑する時間帯は席を探すのが一苦労です。お盆を持っての席探しが悲しい
です。混雑を避けるために早めか遅めに行くこと、席を確保してから料理を取ること
をお勧めします。
・ビュフェの他にレストランは2カ所、朝と昼に和食を出すレストランと洋食だけのレス
トランがあります。時間と料理の献立が決まっています。入口でボーイが席に案内して
くれます、基本的には相席になります。和食はおかずの一部とデザート、飲み物を選べ
ます。洋食は前菜、メイン、デザートを選べます、1週間同じメニューです。事前にメ
ニューを見てどこで食べるか決めます。
・食事は工夫されていますが美味しいとは言えないです。あまり期待しないほうが良い
です。私は米と麺が合わなかったです。
・相席はいろいろな方との出会いがあるのでお勧めです。若い人とも交流できます。
<寄港地の観光について>
・有名な観光地は観光客で溢れ、ゆっくり観光できません。
・体力に自信がない人は添乗員付きのバスツアーを利用することをお勧めします。
乗船後に申し込むこともできますが基本キャンセル待ちです。
・観光地の情報は事前に収集すること、地図は不可欠です。
・携帯WiFiは忘れずに申し込んで下さい。観光地の地図、交通、レストランなどの情報
収集に不可欠です。
<ピースボートの船旅で出会い記憶に残った人々>
・日本人と結婚した韓国人の大阪、長野在住の女性2人(二人とも夫を亡くした)とにか
く元気、楽しむことが上手だった。
・シンガポールの夫婦(60才代か?)、奥さんが元気(ヘリコプターで夜のニューヨー
クを遊覧飛行したとのこと)
・部屋が隣だった埼玉県川口市在住のご夫婦(夫は奥さんを名前で呼ぶ、必ず奥さんの意
見を聴く愛妻家)
・アウシュビッツのツアーで一緒だった方々(会社を辞めて参加した独身青年など)
・アウシュビッツのツアーでアシスタント(通訳)として参加した混血の青年。面倒見が
素晴らしかった。(観光地の有料トイレでは入口で待機し小銭まで用意していた。)
また、混雑する街中では参加者がはぐれないように常に最後尾にいて全員を見守ってい
た。(長身なのでうってつけだった)シンドラー博物館で参加者が倒れた時には通訳と
して病院へ付き添い必要な手続きをして合流していた。寡黙でしっかり仕事をこなす青
年に感心させられた。(日本は大丈夫と思ってしまった。)
・レストランで一緒だった数十組のご夫婦(どこから参加しましたか?から始まり出身
地、参加回数、体験など何故かピースボートではざっくばらんに話ができる)
・一人で参加していた80代の女性リピーター(8回参加)寄港地では一人で港周辺を散策
し地元の人と交流する、自分流の旅を楽しんでいた。
・洗剤をいただいた台湾の同年代の女性(スペイン語が堪能だった。夫の仕事で南米に滞
在経験がある。)
・書道を披露していた早稲田大学卒の男性
・十数億の財産を持つ中年投資家、謙虚で金持ちぶってはいなかった。若者に投
<結論として>
・若ければ若いほど感動は大きいです。思いついたら早く決断することをお勧め
・年齢、体力に合わせた旅が可能です。高齢者の夫婦、車椅子の方、杖を使って
・有名観光地を巡るだけではなく、現地の人との交流、庶民の暮らしを体験する
・船旅のほとんどは船内生活です、船内でしか得られない楽しみを発見し徹底的
・設備、食事、対応、ツアーなどで不満や不十分な部分がありますがそれもピー
・一人旅の方は同年代の友達をつくって下さい。食事、セミナー、ツアーなど友
・動画、写真、日記、パンフレットなど駆使して記録を残し整理することを進め
<今回の旅の成果>
・先進国の経済格差の実態を垣間見ることができました。表通りと裏通りの格
・アウシュビッツを訪ね、ユダヤ人大量虐殺の現場を見たことでユダヤ人問題や
・ヨーロッパでカトリック教会の衰退を中南米ではカトリックが元気だったこと
・円安を実感させられました。日本だけが経済発展から取り残されていると感じ
・観光地は人で溢れていました。中国人などヨーロッパ、アメリカ以外の人々が
・日本の良さを再認識させられました、残りの人生は国内を見ることにします。
・自分の観光を目指す若者や意欲的な高齢者に出会えたことがよかったです。
12月5日(火) 神戸港着岸・出港
日の出 6:51 日の入 16:51
7時、神戸港着岸予定
15時30分、10階、預け荷物の運び出し
7時30分、カミさんに起こされる。熱は少し下がった感じ。
8時、4階で和食の朝食、食べられた。
8時30分、帰室、入国手続きのため下船、すぐ近くに地下鉄ポートライナー 「ポートターミナル駅」があったのでとりあえず一番賑やかと思われる「三宮」(2つ目、運賃210円)へ出る。
駅を出ると小雨が降り始め、一番近い「生田神社」へ行くことにする。おおよその検討をつけて地下道を通り地上へ、そこからはGoogleマップを使う、すぐ側だった。明治神宮や靖国神社をイメージしたが意外と小振りだった。
鳥居前で参拝を終えたと思われる男性が頭を下げて去った姿を見る、信心深いのか礼儀正しいのか感動させられた。地元では「いくたさん」と呼ばれて親しまれているとの事(生田神社略記)納得できました。科学万能の今、神様が生きにくい時代になっているが科学を超えるものがあることも確か、人間はもっと謙虚になるべきだと思った。
屋根も柱もピカピカ、メンテナンスを終えたばかりの印象、社殿の奥には御神体(稚目女尊(ワカヒルメノミコト)?)らしきものが金ピカに光っていました。お賽銭を入れて説明書通り参拝しました。神社にはPBの乗客もいました、時間がないので行く場所が決まってしまうからでしょうか。
鳥居の側にあった交番でポートターミナルまでの道順を聞く、女性警察官が地図で丁寧に説明してくれた、教えてもらった道は「三宮駅」まで最短だった。
ポートライナー「三宮駅」前にある上島珈琲店に入り、一休み、鹿児島産(ストレートティ610円税別)紅茶とモンブラン(510円税別)を1個づつ注文、半分づつ分けて食べる。ピースボートの乗客もいる。
11時、ポートターミナルで下車、ターミナルに入ると入船待ちで一杯、50分ほど待って入船手続きが開始される。その間、不思議な神戸人形(カラクリ人形)の展示ブースを眺める、なぜか体全体が黒に丸い大きな目から黒人をもしているのかも知れない、そうであれば問題だ。
11時50分、入船、そのまま4階レストランで和食の昼食。
12時30分、帰室、休んで荷物の点検、何とか発送分3個(1個はピースボートに依頼、2個は宅配便用)
15時、ピースボートのスタッフが荷物の確認に来る、部屋の外に出すのが大変と思われた大きな荷物を部屋から出してくれたので助かった。(若いクルーが一人で持ち運んで行ったのにはびくり)
手荷物の整理、カミさんの荷物が意外と多い、もう一つ段ボールで送ればよかった。
17時、5階で最後の夕食、牛のヒレ肉の前菜、豆のスープ、さわらの唐揚げ。隣の部屋のKさんが入ってきて前の席に座る。サーモグラフィの体温検査にひっかるのではと心配してくれていた。その時は全く、気づかずに通り過ぎていた。
18時、アトリウムで休息、ついでにレセプションで忘れ物の確認をしたら届いていないとの事。しばらくピアノ演奏を聴く。
19時、私一人帰室、記録など
生田神社
本殿で
12月6日(水) 横浜港着岸 下船
日の出:6:36 日の入:16:28
宿泊予定:東横イン新横浜駅前本店
昨夜は不眠症?+咳と痰で寝られなかった。少しうとうとしただけ、朝方は少し寝たかも。
9時、カミさんから富士山が見えると言われ窓の外を見ると雪をいただいた富士山が見えた。カミさんいわく「やっぱり、富士山が一番」私も同感した。
9時30分、体がだるいのでカミさんに朝食を持ってきてもらう。パン、卵、野菜、チキン、葡萄、オレンジ、何とか完食できた。
部屋の片付け、忘れ物チェックをする、105日間お世話になった部屋とお別れ、寂しい気持ちと早く我が家へ帰りたいと言う気持ちが交錯する。
12時、昼食、パシフィックワールド号での最後の食事だ。5階のレストランで食事したと記憶しているが何を食べたか忘れてしまった。食後は部屋で待機、カミさんは最後の掃除をする。
伊豆半島の海岸が見え、海は貨物船、漁船が行き交っていた。船は横須賀を過ぎ、浦賀水道から東京湾に入る、やがて横浜ベイブリッジが見えてきた、そしてベイブリッジを通過、横浜港、ビル群、大桟橋、氷川丸が迎えてくれた、帰って来た!
14時横浜港大桟橋に着岸、14時30分から12階と11階の乗客から下船開始、私たち(10階)は15時下船開始となる。ターミナルに入ると色別(階別に色別シールが貼られている)に並べられている荷物から自分の荷物を探しカートに載せなければならない、荷物が多く、探すのが大変。何とか大きな荷物は見つかったが小さな荷物(デッキチェアー)が見つからずピースボートの職員にも手伝ってもらい何とか探し出す。
全部の荷物が揃ったので税関検査を受ける、申告するものはないので直ぐに通過できた。次は宅配便の手配が待っている、手荷物発送カウンターで事前に契約した荷物1個を預け、残りの2個は別途宅配便の手続きをする。これで全て完了!近場の人は自家用車が迎えに来ていた、羨ましい。我々は新横浜のホテルに1泊市、翌日盛岡まで帰らなければならない、まだ、旅は完結していない。
私たちは大きなスーツケース1個、機内持ち込み用の小さなスーツケース、リュック、デッキチェアを手持ちすることになった。宿泊予定のホテル、新横浜まで向かう。地下鉄駅まで歩いたのでカミさんがタクシーで行くべきと怒り出す、何とか宥めながら新横浜のホテルに17時頃、やっとたどり着いた。結局、スーツケースはホテルから宅配便で発送することになった、カミさんのことを考えてターミナルで発送すべきだったと反省している。チェックイン後、カミさんはベットへ、私も風呂に入って休む。
19時、近くの居酒屋「すし酒場さんじ」で夕食、生ビールと寿司で乾杯、久しぶりの和食が美味しい、やはり日本が良い!
20時30分、コンビニでビールとつまみを買う。ホテルでも無事帰国を祝い乾杯して就寝。
12月7日 新横浜〜亀戸〜上野〜盛岡
8時、ホテルのビュッフェスタイルの朝食(無料)、野菜サラダ、おにぎり、味噌汁、卵焼き、焼き魚、コーヒー。
9時30分、ホテルをチェックアウトし、新横浜駅から横浜線で東神奈川駅へ出て京浜東北線で秋葉原駅乗り換え、総武線で亀戸駅へ。カミさんは疲れているので駅の「スタバ」で待つことになる。私は実家の新築現場で工務店と今後の予定、色の指定など打ち合わせを行う、続いて不動産屋さんと賃貸条件や家賃などの打ち合わせをする。
打ち合わせが終わったので亀戸駅に戻り、カミさんと合流、東京駅に向かう、ホームでサンドイッチとビールを買って新幹線に乗る。
盛岡駅に息子に車で迎えに来てもらい懐かしの我が家へ帰る。宅配便で送った荷物も着いていた。
年齢(夫婦共78歳)とコロナ感染の心配があったが何とか無事に旅を終えることができた。二人とも風邪をひき咳がでたり微熱に悩まされてきたがそれも含めてのピースボートの船旅だった。
富士山が見えてきた
望遠で撮影
三浦半島の海岸風景(どこかわかりません)
横浜ベイブリッジ
橋をくぐると大桟橋が見えてくる
横浜大桟橋に着岸
氷川丸と横浜マリンタワー
新横浜のホテルの朝食、カミさんは明らかに疲れているが食欲はある。
亀戸天神社とスカイツリー
新築現場
お土産 (コーヒー、紅茶、メイプルシロップ、陶器、CD、Tシャツ、バックなど)
お土産、たくさん買ったつもりだったが足らなかった。
12月2日(土) 香港出港(2日目)
日の出 6:36 日の入 17:12
7時、起床 曇り、青空は見えない、波高く揺れ激しい。
8時、朝食は5階のレストランで和食
9時、アトリウムで休憩
9時30分、帰室
12時、5階で昼食、ミニカツ丼、きつねそば、サラダ、メロン。カツ丼はまあまあ、そばは麺が美味しくない、代わりに薄切りのメロンが甘く美味しかった。
13時〜14時 「私たちが見たカンボジアの今」参加者発表会
参加者9名による報告会、分担して内容や感想を述べる。
冒頭でポルポト政権下の出来事について説明、どんな人が殺されたか参加者に問う、次に当てはまる人は手をあげてください。 1、メガネをかけている人 2、中学卒業者 3、留学経験者、手をあげさせ次の様に言う、「全員虐殺されました!」現実感が沸いた、うまい方法だと思った。
また、地雷について1平米当たり、最大どの位の地雷があったか考えてください。実際の大きさを紙で示して回答させる。1、1個 2、6個 3、12個 なお、正解は2番 いかに多いか理解してもらう工夫だと思う、だったら1個、3個、6個がよかったのでは。
この導入は良かった、聴く姿勢が変わったのではと想像した。
子供たちのこと、学校のこと、被害者のこと、地雷除去作業の現場、地雷の爆発体験、支援のあり方、ピースボートの関わり(ピースボートはコロナもあって4年ぶりの訪問とのこと、これからは支援を継続したい)など、一人2分程度の発表は具体的でわかりやすかった。
終了後、募金の呼びかけがあった、カミさんは1000円寄付すると言ったがIDカードで募金額を申告する時、前の人が1万円と言ったので1,000円と言えなかったから1万円にしたとの事、人に影響されて自分がない、いつもの事だが、、。
14時、帰室、休息
15時15分〜17時15分 映画上映&トーク「原発をとめた裁判長、そして原発をとめる農家たち」
2014年、関西電力大飯原発の運転停止命令を下した樋口英明福井地裁元裁判長と福島で営農型太陽光発電に取り組む農家の姿を追った映画。
・樋口氏の指摘、見込まれる地震より脆弱な原発(住宅より脆弱)
・運転停止理由 *事故が起きた際の避難対策が不十分
*事故が起これば被害は莫大、電力コストの削減に見合わない
・科学的な根拠を理解するのは困難(裁判官は文系)、別の切り口(人格権)で判断する、人格権は何より(利便性、コスト、経済など)優先する
・農業と太陽光発電を組み合わせた新しい農業の試みが広がる
17時20分、5階で夕食、カミさんは食欲が無くメインの鶏の唐揚げとデザートは残す。私は完食+残したデザート半分を食べる。
18時、帰室、隣の部屋のKさんとの飲み会の準備、テーブルの上のものを片付ける、きれいになった。カミさんは14階から果物を持って来る。売店で買ったつまみ、コップ、椅子の準備など、
20時、Kさんご夫婦が来訪、タイガービールと青島ビールで乾杯。アウシュビッツのこと、ユダヤ人のこと、プラス思考のこと、両親のこと、次から次と話題が続く、このままいつまでも続くような雰囲気だった。
21時30分、お開きとする。
12月3日(日) 香港出港(3日目)
日の出:7:20 日の入:17:37
曇り、波穏やか揺れ少ない
予定
14:00〜15:00 アウシュビッツOT参加者の集い
16:00〜17:00 スタッフエンターテイメントショー
8時、 起床
8時20分、 5階レストランで和食の朝食
9時、 アトリウムで休息
10時30分 帰室、荷造り おおよそ見込みが立った。
荷造り,見通し立つ
・段ボール大1個
・スーツケース
・段ボール小1個
手荷物
・スーツケース小1個
・リュック 大1個
・リュック 小1個
12時30分、14階で昼食、カミさんは食欲がないとケーキとお茶。
13時、帰室
14時、アウシュヴィッツ・ツアー参加者の集い、Nさんが私たちが見たカンボジアの”今”での体験を分かち合ってくれた。
・地雷の種類(人間用から戦車用まで、安いものは100円から)
・地雷の設置(地雷を何重にも重ねる方法、分からないように欺く方法、湿地帯でザビない工夫など)
・除去方法(犬、ネズミを使う方法など)
・除去の裏をかく設置方法など
貴重な話が聞けた。ピースボートの支援で学校ができ、子供たちの笑顔を良かったとの事。18年前のベトナム、フェのストリートチルドレン施設訪問を思い出した。子供たちのはち切れんばかり笑顔は日本人の心に刺さった。「お金持ちになったけど君たちは幸せですか?」と問われているようだった。子供たちの笑顔が印象に残ったと言う、Nさん達も、若者が置かれている日本の状況と比較して、もしかしたら同じ思いがあったかも知れない。子供達のあんな笑顔日本で見たことが無いと。
皆さん、一通りアウシュビッツの感想を改めて発表していた。
15時20分、打ち上げ
16時、帰室後、スタッフ・エンターテイメント・ショーを見に行く、1時間の持ち時間を各々しっかり分担してこなしていた。
17時、夕食、5階レストラン、メインは魚にした。
18時20分、アトリウムで休息後帰室
20時、14階へ、アウシュヴィッツ・オプショナルツアーの会に参加、若いNさんが欠席、ビールで懇談、楽しい一時だった。Oさんと熊本の女性は神戸で下船とのこと、Oさんにはアウシュビッツのスケッチを渡す。
参加者全員と14階にいた韓国チーム、盛岡のOさんとも記念写真を撮る。
22時、帰室
12月4日(月) 香港出港(4日目)
日の出 7:02 日の入 17:03
7時30分、カミさんに起こされる、体がだるく咳と痰が出る、頭痛もある、食欲もない。
8時、14階で軽く食べる、食パン、野菜、マンゴ、オレンジ
8時40分、帰室、部屋で休む。
13時30分、14階で昼食、お粥、サラダ
14時、帰室
15時20分、パスポートの受け取りビスタラウジ
17時30分、夕食14階、ご飯、果物
18時15分、そのままカミさんはシアターへ私は部屋に帰る。
今日は一日中寝ていた、咳と痰が出て熱もある、日本に入国する際にサーモグラフィーで体温を測るとのこと、ひっかる可能性がある?
2023年ピースボート航海記 その20 香港
11月30日(木) 香港港
日の出 6:41 日の入 5:58
15:00 オーシャンターミナル、南バース着岸予定
(香港海運埠頭/Ocean Terminal,South Berth)
7時50分 カミさんに起こされる、カミさんは体操とのこと、洗顔して待つ。
8時20分 カミさん帰室、5階で朝食
9時 レセプションで問い合わせをする
・精算について 下船前に精算した書類を配布する
・乗客に関すること
乗客数 国別の割合 年齢構成
回答
<国別>
欧米 1%
アジア 17%
日本 82%
<年齢別>
10〜50歳 26%
60〜70歳 64%
80〜90歳 10%
<乗客数>
1800名 *ありえない数字、半端な数字になると思われる
10時 帰室
12時30分 5階で昼食、カレーうどん、お汁粉 *期待したがダメだった
13時30分 アトリウムで休息、読書
14時 帰室、天気は回復しているが波は依然として高い
15時 10階デッキで見物する。
いくつか島が見える、遠くには高層ビル群が見える、想像以上に多い。*香港の高層ビル100メートル以上2000棟,ニューヨーク700棟
手前の島では造成工事(山が崩されていた)、建設中の高層ビルも多いが一体誰が住んでいるのか?こんなに高層ビルが必要なのか?不動産投資か?
17時30分 ようやく着岸、2時間30分遅れ
18時30分 下船準備、カミさんは具合が悪いので一人で行くように言われる、夕食に何か買ってくると言って出かける。
自由行動の客はシアターで待機させられる、30分ほど待って下船、入国手続きはなし、係官のIDカードをかざすだけ、あっけない香港入国だった。
ターミナルは大きなショッピングセンターの中にあり、地上への出口がわからない、案内図を見ながら探す、何とか外に出られた、外は人で一杯、人混みをかき分けて尖沙咀(繁華街)を目指して歩く、海辺の道は記念写真を撮る人で一杯、パシフィック・ワールド号も良く見え絶好の背景だ。湾が奥まで続いていた。近代的なビルが続く、昔の香港のイメージは全く無い、蛋民と屋台はいなくなってしまった。香港(中国)の猛烈な経済発展の状況が分かる。
かっての広告の主役だったネオンサインが香港でもLEDビジョンに変わっている、ニューヨークのブロードウェイのように大型、湾曲型LEDビジョンを使った広告ではないがその内、登場するだろう。
道路標識を手がかりに尖沙咀に入る、ここも高級志向の店舗が多く、庶民的な雰囲気は無い。両替屋(小さな小屋で細々と営業している雰囲気だ、店員はインド系女性、店主はインスタントラーメンを啜っていた)を見つけたので50米ドルと50ユーロを両替する、良かった、これで夕食を買える。
食べ物屋さんを探しながら繁華街を通って船に帰ることにする。中華料理屋さん、できれば屋台のような庶民的な店を探したがなかなか見つからない、スターバックスがあったのでネットをするためにコーヒーを飲むことにした。なぜか、LINEが繋がらなかったがYahooメール(息子に盛岡に帰る日程を知らせた)がつながったので良しとする。
スタバを出て船を目指す、人だかりのある小さな店(料理して売るだけ)を発見、小籠包か肉まんが欲しかったが売っていない、焼き鳥、丼物、揚げ物などの中に餃子があることを発見(餃子の看板があった)、餃子6個入り2セット(60ドル)と小さなたこ焼きの形をした菓子20ドルを購入、ようやく約束が果たせた。
ターミナルを探すのに手間取る、ピースボートの乗客と思われる人に聞きながら出国手続きを経てパシフィック・ワールド号に戻ることができた。遅くなったがカミさんとビールを飲みながら焼餃子と小麦粉に砂糖を入れ揚げただけのシンプルな菓子を食べる。焼餃子は味が濃く、日本の餃子のように醤油を不要だ。ボリュウムもあって6個で良かったと反省。
23時、記録をつけて寝る、カミさんは先に寝た。
12月1日(金) 香港港(2日目)
日の出 6: 46 日の入 17:38
15時45分、香港出港セレモニー 12階中央
7時、起床
8時30分、カミさんは具合が悪く食欲がないとのことで船の周辺(九龍公園)を散策することにする。昨日買った菓子とほうじ茶で朝食代わりにする。
9時、下船、九龍公園を目指し、廣東道を北に向か。途中、世界のブランドショップが軒を並べていた。それだけの購買層がいると言うことだ、向かい側にはガラス張りのアップルのショールームがあった。どこにも引けを取らない店舗だった。
ブランドショップ街を抜けると石垣と樹木が見えて来た、入り口がわからず道沿に歩くと九龍公園入口の小さなサインを発見、バトミントンコート(市民がバトミントンをしていた)を抜け、中学校の裏口を抜け、階段を上がると大きな鳥のケージが見えた、大きな嘴が3本あるかのように見えた鳥?、トサカだけではなく声も不思議だった、大きなケージは鳥の種類毎に分けてあった。隣は何種類かのオウムがいた。場違いな可哀想な気がした。
トイレの表示があったのでカミさんは嫌な顔をしていたが香港を知る手がかりでもあるので入って見た、入口に掲示板があり、温湿度、大便器数、近くのトイレまでの時間まで表示されていた。中は明るく、掃除が行き届き綺麗だった。大便器は洋式と座るタイプが、小便器は一人用と多人数用が用意されていた。トイレットペーパー・ホルダーは1台あり事前に取ってから個室に入る仕組みになっている。トイレットペーパーも残っていたので市民のマナーも良いと思われる。手洗いも故障している台はなかったし、温風乾燥機も問題なく機能していた。香港の文化度、市民意識の高さに敬服した。カミさんに報告すると「私も入ってみる!」と挑戦、帰ってきて「綺麗だった!」と報告してくれた。
ケージの奥に藻で緑色になった池があって何とフラミンゴの群れがいる、色がピンクをしたのもいるがほとんどピンクが抜けている。本来の餌を食べていないからではないか、フラミンゴも場違いではないか、今の時代、動物園の役割を見直すべきではと思った。ただ、この公園はトイレと同様に掃除(男女の老人が熊手で落ち葉を掃いていた)が行き届いていた。鳥のケージとフラミンゴの池は何とかして欲しいが、。
数種類の蓮の花が咲く池があり慰められた、動物の展示をやめて植物園にしたらと思った。この公園には他に運動用の器具があり市民(老人)が利用していた、出入口には案内地図があり、分別ゴミ箱も設置されていた。香港の代表的な公園と言うほこりがあるのかも知れない。
九龍公園から尖沙阻(Tsim Sha Tsui)を通り南下、昨日通った道に出る、カミさんが休みたいと言うので地下にあったマクドナルドに入る、コーヒーとパンのセットを購入、カミさんは食欲がないと、コーヒーはほとんど、パンは3分の1ほど残す。私は無料Wi-Fiが使えたのでメールと、LINEをする。
香港太空間(HK Space Museum)、香港藝術館(HKMuseum of Art)ミュージアムショップで孫のお土産(絵の具、塗り絵、筆のセット)を買う、香港文化中心(HK Cultural Centre)を通り、フェリー埠頭に出る、湾をバックに香港訪問の記念写真を撮る。
フェリ乗り場の近くで釣りをやっている人を見つける、見ている内に1匹釣り上げた、鯵のような小さな魚、その奥で釣っていた人も釣れた、鯛のような形の小さな魚だった、写真を撮ろうとしたら「こんな小さいの撮られたくない」と言ったジェスチャーをして照れていた。
ショップでカミさんがソフトクリーム屋を発見、早速、二人で食べる。ソフト屋を出たら隣は「おにぎり屋」さんだった。カミさんは「もっと早く見つけていれば!」と残念がる。セブンイレブンがあったので青島ビール6缶、ポテトチップスを買って海運大廈(Ocean Terminal)からパシフィック・ワールド号に帰船。
12時、帰船
13時、カミさんは14階でお粥の昼食を摂る。私は部屋で記録。
15時45分、香港出港セレモニー
15分前に会場入り、少し遅れて開会、映像を流しながら参加者の挨拶、そして演奏が始まり若者から高齢者までダンスになる。
我々は船首に移動して出港風景を眺める、かっての香港は蛋民と呼ばれた海で生活する人々と過密住宅で暮らす人々が織りなす風景が特徴だった、現在はそんな面影は全くない、海はフェリーや観光船が走り、ヨットハーバーにはヨット、モーターボートが係留されている。当時の名残は時折小さな漁船を見る程度でしかない。陸地は高層住宅やビルでぎっしり埋め尽くされている感じだ、離れた場所も高層住宅が林立している。それでも足りないのか新たに山を崩している。いつまで続けられるのか想像がつかない。でも成長の終わりは必ず来る、その時、香港はどうなるか、、。
17時、5階で夕食、タコ、カニ、レタス等を使った前菜は美味しかった。スープも具がたくさん入っていてよかった、鶏の唐揚げ(ガーリック掛け)は熱々で良かったがポテトが冷めていたし味がなかった。(ポテト自体がダメだったのでは)
食後、アトリウムで休んでいるとKさんご夫婦に会う、奥さんが描いたスケッチをピアノ演奏している方に差しあげるとのこと。ピアノとヴァイオリン演奏をしているスケッチを見せていただく、よく描けている。ピアノ演奏が終わり二人で本人(白人の高齢者)に差し上げて記念写真を撮っていた。
ウクライナから来ていた女性ヴァイオニストの方にも同じ絵(2枚描いて)を差し上げた、とても喜んでくれたとのこと、ウクライナ支援と言っても何もできないがこんなことであればできるのでやった、自分ができることをするのも支援になると思う、とおっしゃっていた。
7時30分、帰室、窓の外は真っ暗、遠くに灯りが見える。船は少し揺れている。
場違いな高層ビルが見える。
着岸する埠頭のオーシャンターミナルが近づいてくる。
小さな漁船が漁をしていた。
漁船?
異次元の高層ビル群が現れた。
歓迎の放水
オーシャンターミナル、南バース着岸風景
オーシャンターミナル、南バースの風景、屋上の駐車場が見える。
生活感溢れるマンション風景
バス停
ビルの裏通り
中華惣菜屋さん、露店は見つけられず、中華料理屋さんも少なかった。
メニュー看板
DIORの店舗
九龍公園のフラミンゴ
フラミンゴ
インコ
蓮の花
公園のトイレ、サインが大きく目立つ
トイレの入口、上に表示板が設置されていた。
トイレの表示板
トイレは洋式と和式?
ゴミの分別回収箱
ミュージアムショップの商品
屋外彫刻
おにぎり屋さん 10香港ドル 約200円
おじさんが売店横の桟橋で釣りをしていた。釣果を見せてもらう。
11月27日(月) シンガポール港出航 2日目
日の出;6:50 日の入:18:45
7時30分、小雨、波あり、船は小刻みに揺れる、ガスがかかり視界は悪い。夜中、一度も起きずに就寝できた。
8時、朝食、5階で今日も二人席で和食をいただく。
9時、アトリウムで読書、私は「我が闘争」、中国人が数人来て話をしている。自分のことしか考えていない?しばらくすると席を移動した、考えていた?
10時、帰室、船6隻発見、遠方の白い点のような船を撮影、上部だけで下部は映っていない。地球は丸いことを実感した。帆船時代に確認したと言うことはかなり性能の良い望遠鏡を持っていたと言うことだろう。ポルトガルの海洋博物館を思い出した。
12時30分、一人で14階で昼食、ご飯、肉料理2種類、野菜、スープ
13時30分、帰室、ケーキ3種類、とゼリー1種類を持ち帰る。カミさんは喜んでくれた。
14時45分、わくわく寄港地〜香港〜
今回は九龍(カオルン)に着岸するとのことで周辺を散策することにする。Tsim Sha Tsui 尖沙咀、Yau Ma Tei 油麻地、Harbour City 海港城、九龍公園
11月28日(火) シンガポール出航 3日目
日の出:6:45 日の入:18:16
曇り、波高し揺れ激しい 「南シナ海は波高し」行き交う船も見られず
8時、カミさんに起こされる
8時20分、朝食は5階レストランで和食(サンマ、トロロ、スイカ(黄色い))
9時、帰室
「船内で配信されたニュース」
・11月28日付けニュースにタンカー乗っ取りは海賊、ソマリア武装集団と米
・「ワシントン共同」
ライダー報道官は27日、イエメン南部アデン沖でイスラエルが関係する石油タンカーを一時乗っ取った武装集団はアフリカ東部ソマリアの海賊と見られると明らかにした。
米軍が武装集団の5人を拘束しており、ライダー氏はソマリア人だと述べた。ライダー氏によると、イエメン内陸部のフーシー派支配地域から弾道ミサイル2発が発射され、海上で対応していた米軍艦から約1.8km離れた場所に着弾した。
タンカーは無事に解放された。アデン湾で海賊対策に当たる海上自衛隊の護衛艦「あけぼの」とP3C哨戒機で現地で情報を収集し米軍を支援した。
・関連
19日、イエメン近くの紅海でフーシー派が日本郵船運航の貨物船を拿捕
1時、14階で昼食、オレンジと野菜、お粥。宮本さんに出会う。小林さんは風邪で発熱したが今は下がったとのこと。スケッチとCDを渡す。カナダの楓の落ち葉(持ってないとのことで)を届けることにした。
2時、帰室
2時30分、カミさんはセミナーへ
5時、夕食のため5階レストランへ、着飾った若者、老人が沢山集まっていた。聞いたらフェアウエルパーティーとのこと。夕食のメインはサーモンの唐揚げ、全体にちょうど良い量だった。
6時30分、夕食を終え、アトリウムで休む、しばらくすると着飾った人たちが集まって来た、乗客が多いので前半と後半に分けて開催するようだ、そのまま座っていることにする、やがてシャンパン、ワイン、ジュースを持ったボーイが現れ、私たちもシャンパンをいただく。
7時、フェアウエルパーティーの後半の部が始まった、船長はじめクルー、スタッフの紹介があり、踊りが始まり、主役が若者に変わった。若い女性の服装がすごいことになっていた。露出部が多かったり、スケスケだったり、自らの肉体を誇るかのようだ、体格も良いので似合う。欧米人と対抗できるのでは、、。
7時30分、シャンパン2杯、シロワイン2杯飲んで気持ち良く帰室。
8時、Wi-Fi100分を購入していたのでメールをすることに、なぜか、メールが送れないしLINEが出来ない。色々試したがダメだった。
12時、読書「我が闘争」をして就寝。
11月29日(水) シンガポール出航 4日目
日の出:6:41 日の入:17:58
曇り、昨日ほどでは無いが依然と波が高く揺れる、船内放送でクルーの訓練は悪天候のため中止と言っていた。
予定 13時05分〜13時50分
過去の戦争をみつめ、未来の平和をつくる 私が日中の架け橋になる
14時〜15時40分
映画「日本人の忘れもの』
7時30分、起床、カミさんは体操に
8時、 カミさん帰室
8時10分、5階で和食の朝食、今日も二人席をお願いする。
9時、帰室
12時、Kさんに電話をしてカナダのカエデ、アイスランドの溶岩、スケッチを届ける。元気そう。
14階で昼食、お腹が空いていないのでパン(食パン1枚)、野菜、果物(葡萄、オレンジ)を軽く食べる。食事中、アウシュビッツに同行した方に出会う、ポーランドのレストランでお酒をご馳走になった方だ、挨拶してスケッチ(海の絵)を渡す。
13時05分、過去の戦争をみつめ、未来の平和をつくる 私が日中の架け橋になる 家田博美
(28歳アメリカ留学経験)中国語のボランティア通訳、父は日本人、母は中国人。日本と中国を行ったり来たりの生活だった。2歳まで中国、小2まで日本、小2〜中2まで中国、15歳〜18歳まで日本で暮らした。
その体験談を語る、
・日本では日本語ができなかったので中国人と言われ、中国では言葉が出来ても名前から中国人ではないことが分かるので日本人と言われてきた。どちらからも受け入れてもらえなかった。
・小学生の時(日本語が十分出来なかった)、年長の男の子に中国人と言われ自転車を壊されたことがあった。母親に伝えると母親は父の母(母は日本語が十分喋れなかったから)と3人で男の子の家に行って自転車を壊されたことを伝えた。その男の子の家は父親が家庭内暴力を振るう荒れた家庭だったことから母親は自転車のことはしっかり伝え、一方で男の子にもっと優しくしてあげて欲しいともお願いした。母親の自分への愛の深さが伝わった。
・中国にいた頃(小学生)、英語の塾に通っていた、塾には中学生の尊敬できる先輩がいた。金曜日、週末のウキウキする気持ちで塾に行くといつもと空気が違っていた。そしてその先輩(歴史の授業で日本軍の残虐行為を学んだ)から「日本人は戦争で中国人に酷いことをした。」といきなり言われ何も言い返せずにいたら、教室にいた先生の「戦争がそうさせたのでこの子ではない、今大事なことはそのようなことが起こらないように仲良くすることだと思う」の言葉で救われた。
半分日本人、半分中国人の自分が嫌になったこともあるが今はそう言う私にしか出来ない役割があると思っている。小さなことでも日中の架け橋として活動していきたい。PBで中国人と日本人が漢字で意思の疎通を試みている姿を見るのは嬉しい。
彼女のプラス思考は素晴らしい、ハーフであることをマイナスに考えるかプラスに考えるかで人生が変わる、自分の役割を発見した彼女の発展を期待したい。
14時〜15時40分 映画「日本人の忘れもの」フィリピンと中国の残留邦人
マニラ麻景気で多くの日本人がフィリピンで働いていた、日本人と結婚したフィリピン人女性も多かった。戦争で夫は召集され残された家族はフィリピン人の襲撃から逃れるために山の中に逃げた、捕まって殺された人、栄養失調で亡くなった人など多くの犠牲者を出した。戦後、夫は帰国を許させず日本に留まった。残された妻や子供たちは日本人でもなく無国籍者でもない立場に置かれ、日本人であることを隠し、教育も受けられず、農業で慎ましく生きてきた。日本政府はこのような人々を見捨てていた。政府の考えは時間が経てば関係者は亡くなり自然に解決するという何とも残酷で無責任な話である。このような残留邦人を支援し、国籍を回復する活動をNPO法人と弁護士が頑張っている様子を描いている。フィリピン政府を動かし、まず無国籍者として認定してもらう(認定されないと罰金刑を課せられるなどの不利益を被る恐れがある、日本国籍を回復するまでとの条件付きで)その後は日本政府の役割ですと釘を刺される、情けない。河野太郎さんあなたは何をした?(映像で頑張ります!と言っていた。)
中国残留邦人について日本政府は全く誠意に欠けていた。担当した弁護士が日本政府は中国残留邦人を3度棄民したと言う。
1度目は兵隊が先に撤退して日本人開拓民を戦場に置いてきぼりにした。
2度目は日中の国交が回復したにも関わらず孤児の救済をしなかった。
3度目は帰国した孤児の生活支援をしてこなかった。
国の考えは明快、兵隊は日本国民を守らない(軍は軍隊を守るためにある)、国や国家公務員は国民を守らない(自分が所属する省庁を守るために存在する)このように考えればわかりやすい。
地裁では「国は無罪、戦争だったので置き去りは止むを得ない、開拓民は勝手に満州にやってきた」との判決理由とこと、裁判官はおかしいと弁護士たちは憤る。裁判所は国民の権利を守るためではなく自分達を守るためにある。
それでも孤児たちが団結して国民や議員に働きかけ当然の権利を獲得する、(こう言う連中は圧力に弱い、国民を味方につけてアピールすること(しなければ何も始まらない)が必要と言うことだろう)今は施設等で食べるものにも困らず幸せと言う。でも、私たちは教育も受けられず大変な目にもあっている、もっと違った人生だったら良かったのにとも聞こえる。
17時、5階で夕食、前菜、スープ、メインは鶏肉
18時、アトリウムで休む、私は先に帰り、まとめをする。
22時、タイガービールをカミさんと飲む(残り3本)
2023年ピースボート航海記 その19 シンガポール
11月26日(日) シンガポール港
日の出;7:13 日の入:19:02
天気は曇り、デッキに出るとかなり暑い
7時、シンガポール・クルーズ・センターCC01埠頭着岸予定
昨日からほとんど揺れない穏やかな航海だった。まだ暗い時刻に岸の明かりが遠くに見えた。
6時、起床
6時30分、14階で軽い朝食(パン、茹で卵、野菜、コーヒー牛乳)
7時過ぎ帰室、カミさんが「具合が悪い、昨日の整体が効いたのだろう、今日はここに残る」と言う。止むを得ず、様子を見ることにした。
休んで元気が出てきたのだろうか10時頃になって外に出ても良いと言う、近場を散策しようと下船することにした。
7階左舷から下船し、入国審査のために並ぶ、審査に時間がかかるので自由行動の客はオプショナルツアー参加者の審査(8時30分から12時)と重ならない様にと船内新聞に書いてあったがその通りだった。どこまでなのか分からない長い行列が続いている、行列はほんの少しづつしか進まない、外国人用の入国審査は4カ所ほどしか無く、しかも審査(パスポートチェック、写真撮影、親指の指紋撮影)に時間がかかる。職員が見かねたのか私たちは別の部屋に誘導され審査を受けることができた。
他の人より少し早く済ますことができたがそれでも2時間近い時間が過ぎていた。カミさんはかなり辛そう。入国するとカミさんがターミナル・ビルで待っているから自分だけ行ってと言う、そんなことはできないのでが隣接されていたショッピングセンターに入り中のベンチでカミさんは休むことにした。私はコーヒーショップに入ろうと勧めたがお腹を壊しているので何も飲めないとのこと、そして「せっかくだからショッピングセンターの中を見てきて!」と言う。
ショッピングセンターの中を散策する、盛岡のイオンモールの様だ、3階建てで中央に吹き抜けがありレストランや物販の店舗が並ぶ、「牛丼」、「海鮮丼」「回転しない鮨屋」、ユニクロ、ダイソーなど日本の店も目だっていた。
カミさんはベンチで読書していたが熱がある様なので船に戻ることを提案、使っていないシンガポールドル(100ドル)を両替(約10,000円)、スリランカの紙幣も両替(約1000円)し、セブンイレブン(商品構成が全く違う、小さな食品販売店)で残ったシンガポールドルとカードでタイガービール6本を買い、出国手続きをする、パスポートチェックと手荷物チェックがあった。
帰船し部屋に着いたら3時だった。14階から持ってきたパンとりんご、紅茶、買ってきたビールで遅い昼食をとった。3時間のシンガポール滞在であった。
15時過ぎ、私も寝不足なのでカミと一緒に寝る。
18時、目が覚める、カミさんは熱があるので5階で体温計を借りる、ついでにパスポートを預けた。体温は36.9度だった。
20時、私は14階で夕食を取ることにした、エレベーターでピースボートスタッフの冨岡さんに会う、アウシュビッツ・ツアー参加者の集まり(船内新聞に投稿済み)をやるとのこと、ご飯、味噌汁、牛肉、豚肉、野菜を食べる。カミさんと食べるために葡萄とオレンジを持ち帰る。
21時、カミさんと持参した葡萄とオレンジを食べる。
21時45分、体温37.8度、少し上がった、食事したせいか?
23時、いつの間にか出航していた。遠くに船の灯りが点々と見える。ラム酒を飲む、カミさんの熱は下がったようだ、36.5度。
24時、カミさんの寝る前の咳は激しかった。
シンガポール港風景
シンガポールのヨットハーバーとビル群
ショッピングセンターから港内を望む
ショッピングセンター内部
日本食レストラン HOKKAIDO-YA と SUSHI TEI
HOKKAIDO-YA(北海道屋)のメニュー
ユニクロ
ショッピングセンター内部
2023年ピースボート航海記 その18 ランカウイ島 マレーシア
11月24日(金)
日の出;7:13 日の入:19:02
7時 入港 ランカウイ・クルーズターミナル1番埠頭着岸
21時 帰船リミット
9時、 ビスタラウンジ集合
9時30分、 バスで出発(45分)
スカイキャブ・ケーブルカー
オリエンタルビレッジ
テラガ・ハーバー・パーク
バスで港へ(45分)
13時 港着
7時30分、14階でパン、茹で卵、野菜の朝食
8時、帰室
9時前、集合場所へ、時間通り5階玄門から下船、ターミナルまで桟橋(屋根付きの歩道)と更に土産屋やテストランなどが並ぶ商店街を合計900メートルほど歩き、駐車場に着く、バスは乗客が揃い直ぐに出発、今回は順調だった。
英語ガイドの案内を聞きながら(ほとんど分からないが単語で内容を判断する)45分ほどのドライブ、途中に小さなリゾートホテルや地元資本の小さなレストランや店が見える、小さな店のほとんどは店を閉めている、使われていないゴーカート場もあった、観光客を当て込んでつくったのだろう。リゾートホテルもうまく行っているのかどうか分からない。
大きな原っぱがあったガイドは飛行場だと言っていたが飛行機も舗装された滑走路も見えなかった。ガイドブックには「ランカウイ・インターナショナル・エアポート」となっていた。
海岸沿いにコンクリートの建物が続いていた、洋式(軍隊か警察の制服か)とインドネシア(腰に紺色の布を巻き、肩から胸にかけて槐色の胸当て)の制服を着た若者の集団が整列していた、警察学校の訓練施設の様に見えた。
牛は見た(1頭だけ)が畑らしいものは見られなかった。この辺の住民はなんで暮らしているのか?
やがて数十棟並ぶ施設(オリエンタル・ビレッジ)が見える、ここが目的地のようだ。施設の中は小川が流れ、小さな吊り橋がかかり、ドーム型の建物、何か分からない近代的な建物、デズニーランド風の建物などごちゃごちゃに並んでいた。
広場の前がスカイキャブ・ケーブルカーの乗場、チケットに記載されているバーコードを読み込むとゲートが開く、小さな6人乗りのケーブルカーがどんどんやってくる。5〜6人で一と組になり乗り込む、向かい側に下段に三人、私たちは上段に二人(三人用)がけ、(左に私、右にカミさん)、乗降の手際が良い(効率も良いように思えた)、VIP用(特別料金で二人掛け?確認できなかった)もあった。
ケーブルカーはぐいぐい急勾配を登って行く、遠くに海に浮かぶ小さな島が見える、下は鬱蒼たる森林、左、遠方に滝も見えた、左右は見えるが、下は客がいて邪魔、上は後に向かなければ見えない。上を見上げるとケーブルカーの終点が見えた、かなりの角度だ。
左側から頂上付近に大きな鉄塔で吊るされた橋が見える、床はガラス張りの様だ、人が歩いているのが見える。カミさんは「無理」と言っている。
到着と思ったら、頂上はもう一段上だった。ケーブルカーを降り売店が並ぶ通路を通り展望台に登る、展望が素晴らしい、海に囲まれた森と海に囲まれている岬の景色を楽しむ、この施設「オリエンタル・ビレッジ」の施設と海岸にあるホテル、レストランがわずかに人工的なもので後は自然そのままだ。
目の前にトイレがあったので入る(何でも見てやろう精神?)、綺麗だった。入口でティシュペーパーを売っていた。
「スカイブリッジ」?は別料金とのこと、カミさんも「あなただけ行って、ここで待っている」と言う、チケットを買うのに行列も出来ており、それほどして渡る好奇心もないので止め、降りることにする。ケーブルカーは待たずにすぐ乗れた、下りの景色も楽しめたがあっという間に到着。
ケーブルカーの土産品売場でココナツの実のボール(1個20RM ポテトチップ1、クッキー1計10RM)を購入する。
集合場所で少し待ってバス乗り場へ向かう、小川にかかっていた吊り橋を渡る、小さいが横揺れが激しくスリルがあった。バスはもと来た道を戻り、何も無いヨットハーバーで休憩(ツアーの予定に入っていたテラガ・ハーバー・パークの様だ)、1時過ぎに出発した駐車場に到着、これでツアーは終了。
土産屋の前を歩く、ここの土産屋さんで残ったマレーシア・リンキッドを使うことにする。
・臈纈染のポーチ1個(30RM)、小物入れ2個(1個15RM)、計60RM.。若い主婦が自分で作ったと言う。約1800円。
・店の前で美味しそうにビールを飲んでいる夫婦がいたので声をかけると「タイガービール、美味しい!」と言っていたのでビールを注文、1杯14RM で28RM
・お腹が空いたのでサンドイッチと揚げパンをカミさんが注文(二人前50RM)、これがなかなか出てこない、隣の夫婦もかなり待たされて焼きそばのような料理が届いた、奥さんが多いのでとお裾分けしてくれた、一人前のような量だった、麺は短く柔らかめ、味は濃く辛い、私は良かったがカミさんは辛いとあまり食べない、結局私が平らげる。サンドイッチが出てこないので何回も催促(店員には通じない?心もとない対応)し、1時間ほど待ってようやく出てきた、既にほぼ満腹状態、ビールは空なので、水を飲みながらポテトチップスを食べ、サンドイッチは持ち帰ることにした。最悪な店だった。
・ネットを使うためフリーWiFiが使えるホテルの売店でビールを注文、14RM
ここの店が大変だった!WiFiを使ってネットを処理していたが、ビールがなかなか来ないので若い女店員に伝えるとようやくビールを持ってきた、そして何とビール代を支払えと言う、シートを見せて「頼んだビールがきていない、この分は既に払っている」と言っても通じない、やはり「はらえ」と言う、中年の男の店員がいたので説明すると「OK!」と言ってくれた。最初に担当した若いボーイ(店にはいなかった)が忘れたとした思えない。二度の体験はマレーシアへの悪い印象を残した。
カミさんは疲れているので先に帰る。シンガポール入国の手続きをしたが、かなり面倒、サイトを探すのも一苦労、手続きをするとピースボートがくれた案内には無い事項がある。まず、国番号でつまずく、選択がたくさんあって選ぶのが大変、操作を間違うと最初からやり直し、結局、諦める。メール処理(不要メールが100件以上溜まっていた。)
ホテルを出て、船に戻る、途中から雨が降り始め風も吹いて傘もお猪口になるほど、桟橋に屋根があるが横風でまともに雨に当たる。何とか船に戻ったがかなり濡れていた。部屋に戻り、シャワーを浴びる、カミさんは寝ていた、昨日は咳で寝られなかったのだろう。今日は大変な日だった、これからはレシートをもらい、遅かったら店員に確認することが必要、日本の様に信頼してはいけない。
持ち帰ったサンドイッチを夕食代わりに食べる、50RMはかなり高かったが結構美味しかった。
11月25日(土) ランカウイ島 マレーシア 出航2日目
日の出;7:10 日の入:17:02
7時30分、起床
8時、 朝食、6階レストランで洋食(初めて)
食パン、(オムレツ、ベーコン、サラダ、枝豆)、スープ、チョコレートフレーク、
牛乳、パイナップルジュース、デザート(葡萄、オレンジ)、コーヒー
ボリュームがあり美味しかった。カミさんは多かったと言う。
なぜか客が少なかった。
9時30分 WiFi100分を買って帰室、シンガポールの入国手続きをする、面倒、国番号はレセプションで聞いて書き込んで行く、都市・港など選択項目が多いので選ぶのが大変、何とか、やり終え、無事返事のメールも届いた。カミさんが帰ってきたので咳の申告について相談、咳ありで再申告することにした。
12時、カミさんが朝ご飯が多かったのでお腹が減っていないと言う、部屋で昨日のパンとりんごを食べる。
行き交う船が増えてきた。貨物船に混じって漁船(定地綱か2グループ計5隻)も通過する。
14時30分、カミさんは指圧へ
15時、パスポートの受け取り7階ビスタラウンジへ、ついでにシンガポール入国手続きに「咳、熱など」について質問があったが「無し」で回答した。若干咳をするので修正したほうが良いか聞いたところ大丈夫とのこと。
16時、カミさん帰って来る、パスポートを受け取りに5階レセプションへ。
17時20分、夕食、5階レストランへ。前菜(野菜、鶏肉、パン)スープ(玉ねぎ、チーズのトッピング)、メイン(牛肉とご飯)、デザート(ケーキ)、コーヒー
18時過ぎ、帰室。
ランカウイ・クルーズターミナル1番埠頭着岸
遠方の景色
Sky Cab乗り場周辺
蓮の花が咲いていた
Sky Cab乗り場、結構混んでいます。
ケーブルカー(小さく見えます)が山の頂上まで運んでくれます。
頂上の風景(左、スカイブリッジに向かうケーブルカー)
ケーブルカーとスカイブリッジ
展望台で
紫陽花が咲いていました。
ビールと焼きそば(隣のご夫婦からお裾分け)