今日は若くして旅立った姪の月命日です。一人娘を亡くした弟夫婦は万松寺に娘のお骨を納め、亡くなって以来毎月夫婦で娘を偲んでいます。私も万松寺で店をしているので、姪の月命日は店に出ている時は一緒に姪を偲んでいます。子供に先立たれることは親としてとても辛いことだと思います、どれだけ悔やんでも帰らない子供を思うとそばにいてとても辛く思います。生と死この言葉はどちらも自分で選べるものではありません、その中で何かを悟って生きていくことは誰も大変なことだと、この頃思います。弟夫婦も仲良く支えあって生きていってくれることを願ってやみません。今日も大須の店に出ています。良い出会いをお待ちしています。
この頃よく感じるのですが心で決めたことを実行するときに本能的に全く違う行動をすることに気づきました。右に行こうと思っているとき、心の奥ではまっすぐの方が良いのではと小さく心がささやくようです、その結果まっすぐに行ってしまいます、自分の中ではまたと思いながらこの状況は優柔不断なのか我ながら考えさせられます。人は考えて行動するのか感じて行動するのか分からなくなりそうです。この状況はほとんど言葉で現れます、私は心と本能ができるだけ一致しなくてはと思います、そうすることで心の平穏が保てるのではと感じます。年を経てもいまだに悟りに近ずけない自分の心に何だか焦りを感じます、そして自分の心を閉ざしたくなることがあります。日々穏やかに過ごしたい思いは毎日の生活の中の心の在り方のようです、昔の人はどうしてこの煩悩を振り払うことができたでしょうか教えてほしいと思うこの頃です。今日も大須の店に出ています。良い出会いをお待ちしています。
今日も良い天気のようです、朝の支度をしているとき、おはようございますと元気な声が聞こえて次女夫婦が近所の畑の野菜を買いに来たようです。たちまち我が家の朝は賑やかになりました、いつもはいっぱい朝採れの野菜が並んでいる近所の八百屋さんがまだ何も置いていないようで我が家に寄ったようです。それから孫を駅まで送ったり家の4匹の犬達と散歩に行ってくれたり、いつもの朝と違って長女も楽しそうでした。私も朝の仕事の猫のトイレ掃除をしていると次女の婿殿が私にお年玉をくれました,うれしくて言葉になりませんでした。最近は渡すだけのお年玉がもらえてビックリなんだか良い事がありそうです。今日も大須の店に出ています。良い出会いをお待ちしています。
私は子供のころから本が大好きでした、家の中にはあまり本が無かったので友達で親が先生の人の所に入り浸ってその書斎の本を読んでいました。時にはあまり熱心になって友人の親に家に帰るように言われたこともありました。大人になって本を自由に購入できるようになってからは気に入った作者の本は出来るだけ購入して読み続けました。しかし最近になってテレビを見るようになって、ビデオに撮ってみることができるようになると次から次から撮り続けて本を読む時間が無くなってきました。本棚には一杯素晴らしい本が並んでいます、かっては読み終えた本も何度も繰り返して楽しんでいました。今朝車で店に向かっている途中、何時もの本屋さんから注文の本が届いていると連絡がありました。最近ほとんど本を読む時間がありません、テレビのビデオで撮ったドラマを消化するのに忙しいです。考えると少し反省です、今年はもう一度じっくりと本に向かってみようと思いました。今日も大須の店に出ています。良い出会いをお待ちしています。
我が家では年末に大掃除をしてあまりにもたくさんのものを整理したせいで新年になって必要なものが見当たらなくて大変でした。一番最初に困ったのが孫のすみれの母子手帳でした。大学で講義を受けるのに必要なため、新年になってから娘も孫も一生懸命探していました。とうとう私も参加して探しました、娘は母子手帳を捨てることはないと懸命に探していました。3人で家の中の書類を探してとうとうあきらめかけた時、孫のすみれが見つけました。娘は私が見つけたかったと訳の分からないことを言いながらほっとした様子でした。捜した母子手帳の中に風疹やマシンの予防注射がしてあることを見て納得していました。学校で受ける授業に必要とゆうことに驚きました、しっかりと教職を受けてほしいと思いました。今日も大須の店に出ています。良い出会いをお待ちしています。