「読まなかったことにしてくれ!!」

タイダイ染め,絞り染めで浮かび上がるマンダラ模様に今日も必死(-v-)

値段と価値

2025-02-26 18:58:00 | Weblog


















染めを教えてくれ。

染めの弟子にしてくれ。手伝うから。

というような問い合わせが10年以上、途切れる事なく舞い込んできます。

バンドでフジロックに出てください!とか、わたくしレッドホットチリペッパーズと申しますが、良かったら今度対バンお願い出来ませんか?とかいう問い合わせでも来れば考えないでもないんですが、残念ながら染めの弟子云々のお問い合わせはいつもお話になりません。

弟子いらないんです。

すみません。

自分の染めを1ミリでも向上させるのに情熱を注ぐので精一杯ですし、無限に湧くアイデアを試すのに時間と労力が物凄くかかりますので、人に教えてる時間なんてありません。

もし教えるのならば、お金をいただきます。

弟子レベルって事でしたら、本気の本気で私と全く同じレベルになるまで教える事になります。

それはですね。結構なことですよ?

まず。

染めのやり方を全て教える。

それは今まで試してきた膨大な20年以上のトライアンドエラーを全て、現在考えうる最高の状態で手渡す事になります。

その上で、私の場合は染める生地にもこだわりがありまして、タイ国のとあるハンドメイド生地を基本的に使っています。

それが1番私の染めに適していると思っています。

その生地に辿り着くまでに、これも何十回も渡航を繰り返し、試し、相談して、訪ねて、尋ねて、頭を下げて、ようやく巡り合ったわけです。

これにどれくらいの価値があると判断してもらえるでしょうか。

また、今現在もわたしの染めは年間に250枚以上は必ず販売出来ております。

染めるだけでは売れませんし、販売が出来ないと続ける事は難しいのです。
それなりに長期間、一定数を販売出来るようになるには、やはり膨大な努力が必要でした。このブログもその1つです。

以前、私の染めに好意的なお客様に、やはり染めを教えてくれと言われた事があります。

私は、私の染めに好意的なお客様でしたので、本当に私も善意と好意で確か1000万円で全て教えますとか言ったと思います。

値段はよく覚えてなくて定かでないけど、多分そのくらいを言った気がします。

私的には、物凄い出血大サービスの値段だったのです。

結果的には、そういう事ではなかったみたいです。
もしかしたら気分を害されてしまったかもしれません。

私もちょっと残念でした。

全部を渡して、自分は全く違う人生を送るチャンスだなって気持ちがありましたので。

これは値段と価値の話ですが、音楽にもそんなことは沢山あります。

家で、スタジオで。

これも膨大な時間をかけて音楽を自分のものにする。指の形が変わる程に練習して創り上げる。  

義理と人情、あとアレやコレや総動員で訴えかけて、なんとかお客さんに来てもらう。

そして会場で、その日のイベントの空気感を読み取り、慎重に、大胆に音を選び音量と音色で物語を創る。

積み重ねた音の最高潮の。クライマックスの。その一瞬のための音を出すあらゆる努力からの。
音を切る。
静寂。
その一瞬の静寂のために膨大な努力が演者には必ずあるんです。

染めも究極に大切なところは「染めない」部分です。

音楽も究極には無音の部分をどれだけ音楽に出来るかだと思っています。

ところが物事にある背景を想像する事が出来ない阿呆はそれが分からんので、その大切なやっと手が届いた静寂をぶち壊しちゃうヤツっているんよねえ。もう台無し笑 

デリカシーがなくて超嫌いそんなヤツ。

幸い自分のお客さんでは本当に1人も居ないんですけどね。

だから余計に腹が立つんですけどね。わかんねーならどっか行ってろよ、分からねー自分を主張すんなよ阿呆だな本当に。

おっと、なんか普通に愚痴ってるだけになってしまいましたが、物事の背景を少しでも想像出来ると、色々と考え方も変わってくると記しておきたかったのです。それがないと、こちらとしては厚意でも悪意に受け取られる事になってしまうかもしれません。

値段ってのは欲しい人の人数や世の中の状況なんかで変わるものですが、
価値ってのはこの背景がどれだけ分厚く広く、そして熱かったか、それを自分がどれだけ誇りとして愛せるかで決まると思っています。

なので、そこは余程の事情がない限りは安売りは出来ません。

譲れないものがあるんです。

値段は作品を商品として換算するのに付けますが、価値は人の生き様に相当する事もあるんです。

そして染め教えれって人達が欲しがってるのは実は価値の方だと思うんです。


ついでに、ここ数年で一番のヤツを。

ある日、朝メールを開くと。

「染めを教えてもらいたくてメールしましたー!

◯月◯日の何時に富山駅に着くので迎えに来てください。

もちろんちゃんと染めのお手伝いはしますが、なるべく簡潔にポイントを教えていただけると嬉しいです!」

↑↑信じられるかい?本当にこんなんが届くんだぜ?

これを読んで、「おお!見どころのある若者が来るな!よし!なるべく簡潔にポイントだけをしっかり教えてやるか!おっと、その前に迎えに行ってやらねばな。目印は胸のポケットに薔薇でも刺していくか!」ってなる人がこの世にどれだけ居るんでしょうか?

てか、まずお前は誰なんだ?っていう。

まあ、要するにそのくらい安く思われてしまってるんですね。

まだまだです。

自分でも分かっています。まだまだです。

そのまだまだっぷりをメールで知らない人から突き付けられるようで、結構いちいち傷付くんですが、私は馬鹿には絶対に負けないです。

またきっと凄いの染めますよ。


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夜と冬から

2025-02-23 11:57:00 | Weblog















人間は何をするにせよ、人を確実に選んでいます。

誰でも良かったとか言う通り魔が、ちゃっかり弱そうな女性や子供を選んでるのもそれです。

君が優しい人だと大抵の場合は同じ優しさでは返して貰えません。

冷たく我儘に、気分次第に酷い扱いを受ける事が多いと思います。

子供の頃に、親からさえもそのように扱われてしまってたんじゃないでしょうか。

君はきっと傷付き、狼狽しつつ、自分が何か悪かったんだろうと考えてしまうはずです。

でも大抵は違うと思います。

明確に君が何かやらかしたのなら話は違いますが、そうでないならば理由は君が優しいからです。

優しいから酷い扱いを受けるなんて世の中酷いもんです。

多分、言葉や感情や思考、倫理や道徳なんかはまだ混ざり合ってなく、知識として感情の上を水面の油のように浮いているだけで、人間の中でしっかりと同一されるにはまだまだ成熟が歴史が足りないのだと思います。


ちなみにこれは弱者だけがそんな目に合うわけではなく、強者さえもカタチをかえて優しさを不意の矢で突かれる事は多くあります。利用しようとする人間ばかり集まってきますからね。
利用出来ないと分かると、もしくは利用後は酷いもんです。


では、その優しさをどう活かしていくべきか考えてみました。

人間関係については分かりません。ケースバイケース過ぎて何も言えません。J-POPみたいに無責任に「大丈夫〜」とか「そのままでいいよー」とか絶対に言えません。

そんな耳障りが良いだけの言葉は大抵は商売です。詐欺です。ビーケアフル!!

大丈夫じゃないかも知れないし、そのままじゃダメな事の方が人生には多いと思いますからね。

そうではなく、特性として、優しさはどう活かすべきでしょう。

優しい人は繊細なはずです。

繊細だから気付ける事があります。

今は雪が降っていますが、雪の質が少し変わったなとかから。

夜は静謐の中に圧倒的な空気と匂い、風の流れ、植物たちの息遣い、土の湿る感触、アスファルトから靴へとしんしんと伝わる冬の感触。星座の傾き。金星の輝きや月のカタチ。冷たい空気の陰に本当にひそかに静かに、しかししっかりと息付く次世代の生命力。

晴れた日は川の水面に反射する陽の美しさや、風に揺れる葉や花の匂い。

そういうのに誰よりも気付ける繊細さがあると思います。

川と同じで、そんな感覚の、そんな一滴一滴が集まって岩を削り、谷を開いてやがて大きな流れになる。そして海になる。

大きな力になる。

いや、なれば良いなあって感じですが笑

だからなんていうか、、表現を止めないで欲しいと思います。

自分が思う、自分の好きをばら撒きましょう。

そのうち、出会える人が必ずいます。
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このクソ寒い時に、冷めた事言うヤツはクールじゃないぜ!

2025-02-22 12:42:00 | Weblog













バンドをやってると、ライブのオファーをいただく事があります。

いやもう、それは本当にありがたい事でして、人前で演奏出来る機会なんてのは、チャンスそのものです。

自分たちの音楽を密閉されたスタジオ以外の空間で解き放てるのですから、その矢は上手くすればどこまでも飛んでいって、思わぬ道を拓いてくれる事もあります。

実際に何度もありました。

ライブと書いてチャンスと読んでも良いかと思っております。

まあ、たまーーーに完全に穴埋め、ノルマ払えば誰でも良い、適当に声かけちゃえっていう1ミリも愛を感じないオファーもありますけどね。

ちなみに今までで最も愛を感じなかったのは、行ったこともない都内某ライブハウスからの突然のNDNQへのオファーでビートルズ コピバンイベントに出演しませんか?でしたね。
さすがにどうなってんだ?と思いましたね笑

さて、ともあれライブのオファーをいただくというのは、こんなちっぽけな我々なんかを、それだけの事が出来ると信頼信用されて任されるということですので、それなら地の果てまで行ってでも、全身全霊で応えるべきです。じゃないと何しに生きてんだ?って感じです。人生での数少ない自分の出番なんですよ。その時に命くらいかけれねーなら、人生何回あったって仕方ねーだろって思ってるんです。
スーパースター剣崎順だってそう言ってましたし。






しかし、最近では世の中はコスパ、タイパが求められる時代です。

その波がひっそりと、じわじわと、メンバーの足並みにも変化を及ぼしていきます。


無駄を恐れるようになる。


実際、そりゃそうなんですよね。

上手く何かを変えていかないと、同じところをグルグルグルグル廻っているような感覚になります。

どこを見ても、それはいつか通った道だったりします。

精神がバターになりかねません。

幸いうちのバンドなんかは丁度良いタイミングで海外LIVEの道が拓けたりして、そんなにグルグルしなくて済んでると思うんですが、それでもやっぱり同じように時間も手間もかかってしまいますからね。

同じように熱くなれなくなってしまう人も居ます。

そんな人はきっと、

それが何になるんだろう?

無駄かもしれない。

どうせまた同じだ。

きっと無駄だ。

人間なので、そんな考えに囚われてしまうのは仕方ない事だと思います。
人それぞれ事情もありますしね。
本当に仕方ないんです。


うーん、しかし。

しかしですね。

無駄の何が悪いんだって事も思うんです。

また同じかもしれないけど、同じじゃないかもしれない。

あの角を曲がった景色は、角を曲がってみないと見れないんです。

あの坂を登った向こうの景色は、坂を登りきらないと見れないんです。

うん?あ!Google mapで見れる?なるほど、こりゃ便利!!ってバカヤロウっ!!そういう事じゃないんだぜ!!

昨年末より、もしかして自分が悪かったかと立ち止まって、自分の内面をなめくじみたいに這い回ってましたが、私はもうそれには飽きました。

無駄を恐れて上手く回避出来る奴なんて、実は何もしない奴なんじゃないか。

もし同じところをグルグルと廻ることになってしまったとしても、2周目は、3周目は、4周目は?やっぱり少し変わってるんじゃないでしょうか?

全く変わらないならば、それは絶対こちらの問題な気がします。


これからも、最後まで燃えていられる方向へ、私は向かいたいと思います。
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精神も肥るんじゃないかなって話です。

2025-02-19 20:02:00 | Weblog

















今日も雪が降ってますね。

物凄く寒いし、本当におっぺけペーですね。

文学的に表現するのすらもう面倒くさいので、雪なんておっぺけペーです。マダファカでも良いです。

こうなると、どうしても家にいる事が増えてしまいます。

そういえば、昨年末で一旦活動休止するって発表したうちのバンドNDNQも、何故が発表後に、何故か2月の、何故か県外のLIVEにばかり沢山お誘いいただきました笑 本当にありがたいんです。けど今回はすみませんでした。

2月は富山からの移動は特に危険で、どっちの方向へ向けても県を跨ぐ場合は雪山を越えなきゃいけません。

今まで何回かやりましたが、高速道路でホワイトアウトする中を爆走するのは危険でクレイジーです。「天は我々を見放した!」って言いたくなります。
たとえライブハウスに無事着いてもマジでヘロヘロで良いライブが出来るわけない弊害もあります。

困難な道は選んでも良いけど、危険な道は選んじゃダメです。だって危ないから。

そんなこんなで冬は家にいる事が多いのですが、こんな時は本を沢山読みます。

思うのですが、人は外に出ないと、部屋にずっと居ると、身体は分かりやすく肥ったりするのですが、ひそかに精神も肥ると思うんです。

精神の脂肪が付く。

自分しか見えなくなる。

僕が、俺が、私が。

そしてせいぜいアイツが、アイツが、アイツが。

自分と誰か数人しか登場しない、風通しの悪い物語が自己愛ばかり肥大させると思うんですよね。

この自己愛ってのは、多少は必要だと思いますが、現代においては過剰な気がします。

その過剰は大抵、「あらゆる事にやらない理由を必死に探し続ける」となります。

それは殆どの場合は気付かない内に。

人間は変化を嫌う性質もあるらしいので、きっと自然に何とか理由を作り出して「やらない」を選ぶ。

でも誰が何を言おうと、どんな状況だろうと、やらないと決めてしまったのは自分なのです。

自分を大切にするあまり冒険が出来ない。安心を求め過ぎて、そこから出られなくなる。動かないから、風が吹かない。

風が吹かないので、ジメジメとブヨブヨに肥えてしまった青白い顔をした精神は、自分の体重さえ何処にも運べなくなってしまう。

しかし、先述したように、冬は動くのが実際危険だったりします雪国は笑 やめときましょう笑
ダメ!絶対!


そこで、私の場合は本を読みます。

なるべく本です。映画でもYouTubeでも漫画でもなく本です。

本ならば、想像力が入る隙間があるからです。

景色は、匂いは、色は、表情は、温度は、距離は、自分の感覚で無限に想像することが出来ます。

想像力はきっと好奇心に育ちます。

それは小さな心の旅が出来ているに他なりませんので、僅かですが爽やかな風が吹きます。

臆病風とは違う、爽やかな風です。

その爽やかな風はきっと、動ける季節になった時に、君をまだ見ぬ風景を見る力になってくれます。

風を止めない方法は、自分が動き続ける事です。

精神はいつだって、旅を絶対に止めてはいけないと思います。

次はどこ行く?何をやらかす?


男は度胸。女も度胸。人生は1回きりなんだから、あんまり考えるなって白州次郎も言ってたんじゃなかったかな。

見る前に飛べ!ってヤツですね。



さて。

そういうのを私は今まで何度も繰り返してきました。

得たものは、期待したものより随分と地味で輝きもあまりなく、ガッカリする事も多かったです。

でも考えると、偽物ってのは大抵ピカピカしています。

だから、その地味なあんまり輝いてもない何かこそ、その積み重ねこそ、最高に大切で面白いんじゃないかと思えるようになりました。


オリオン座は夜半。かなり西に傾くようになってきましたね。


もうすぐ春です。







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Still a punk

2025-02-17 20:58:00 | Weblog












音楽の話。

私は実はバンドマンなんです。

ずっっっっと何かしらバンドやってるんでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

でも、染めのイメージと違う音楽をやってる事が殆どですので、染めの界隈から観に来てくれた方はガッカリされる事が多かったと思います。

すみません。

というか、実はバンドに自分の音楽性はそんなに入れてません。

自分はあくまでバンドの1ピースに過ぎないので、メンバーそれぞれの力量や特性、好み、それから周りも見渡して、なるべく他アーティストと被らない独自の音で、各々が楽しく演れる音楽を模索して提案して纏めてるだけです。


ところで自分だけの好みだと、もう殆どロックやパンクなどのバンド音楽は聴かなくなってしまいました。

今でも好きですけどね。



あれは20歳くらいでしたか、その頃好きなパンクバンドがありまして、そのバンドがニューアルバムを作ったんです。

私は勿論楽しみにしていたんですが、その発売から始まるツアーについて、そのメンバーがこんな風に発言していました。

「ニューアルバム買って、ちゃんと予習して来いよ!」

それを聞いた時に、何かが私の中で崩れていく音がハッキリ聞こえました。

パンクなのに予習?勉強?

客側が予習して盛り上げてやんなきゃいけないのか?

てことは、初めて聴く人相手だとどうにも出来ねーって事かい?

それは、、、カッコいいのか?

いや、個人的には正直カッコ悪いと思う。。。

結構若さ故の葛藤はあったんですが、とにかくそこからです。

そこから自分はどんどん離れていきました。

より凄い音楽を求めて求めて、金もないのにCDを買い漁る為に県外まで毎週のように出向き(Amazonがない時代です)、海外放浪しながら路上でパブでベニューで貪るように音楽を探求しました。

こう書いてて今更気付いたんですが、本当にどうしようもなく好きだったんだなぁ。音楽。


結果的にはそれは自分にとってとても良かったと思います。

ファンクもブルースもジャズもポップも、辺境音楽だろうとノイズだろうと実験音楽だろうと電子音楽だろうと一聴して震えるほどカッコいい音楽は沢山ある。

というか。

一聴で、一瞬で震えさせる。そのために鎬を削り、努力してる音楽家が沢山います。

こんな私でも時折、そんな凄い方々と同じステージに立てる機会があります。

そんな方達と、一緒にライブ出来る日は本当に最高なんですよ。

どこかの誰かを真似た同じような服着た同じような連中が同じような音楽をやる、同世代おっさん連中の身内のパーティ的なのもカラオケ的に凄い楽しいのは全然理解出来るし、なんなら時々混ぜて貰って一緒にOiOi言いたい気持ちもなくはないんですが、

やっぱり、

まだまだ、

そこではなくて。

誰も想像した事もないような、見たことも聞いたこともないような、

新しい自分だけの音楽を突き詰めて、孤独でボロボロでも立ち続けて歩き続けて吠え続けてる、そんな凄い人達と一緒に作るステージは最高で、私にとってのパンクはここに生きてると実感出来るんです。

そういう方達はジャンルにおさまらない事が殆どなので、世間的には奇形なのかもしれませんけれども。

他のことは結構出鱈目で適当な私ですが、どうもここら辺だけは純粋、ピュアピュアハートのまんまなんです。

もう鋲ジャンは重たくて着ないですが、まだあの頃のまんまパンクなんです。

still a punk

よし。まだまだやるぜ!!

音楽に感謝するより、音楽に感謝されてぇと思って、ほんの少しでも音楽を進化させるべく今夜もギターを弾いて新しい音を探求してますよ。

画像は最近染めたTシャツです!


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火星の北極と南極にはドライアイスがあるって知ってた?内容関係ないけど。

2025-02-13 19:48:00 | Weblog













とかく現代に蔓延る最も軽く、しかし最もヤバい病の一つに自己憐憫ってのがあると思います。

自分を可哀想と思うことですね。
これは意外とヤベー事なんですよね。

自分を自分が憐れんでしまう。
生い立ちや育ちに事情があったりすると陥りやすいです。

もちろん自分の事なので、自分が1番分かってやんなきゃいけません。

分かってやんなきゃいけないんですが、分かってるけど分かるわけにはいかん!って時もあります。

自分がどんだけ可哀想に思えても、憐れに思えても、それに対するケアは最小限にする必要があります。

じゃないと自分の頭ばっかり撫でる日々が無限に続きます。

この日々は自分に優しいようでいて、自分の可能性やポテンシャル、やってきた過去すら否定しかねません。

そうなってる時は、きっと周りに溢れてる優しさや微笑みに唾を吐いちゃってる事になるかもしれません。

特に芸術を志す人間には大敵であると思います。

The greatest enemy against an artist
is self-skepticism.

芸術家の最大の敵は自己懐疑だ。

モーム先生が言ってました。

自分を疑うって事は、自分を憐れみ始めてる事だと思うんですよね。

結果や評価を気にし始めている。

私達は自分が思う、求めるそれぞれの美しさをただ求めて表現に命をかければそれで良いんです。

が、油断するとうっかり他人の評価や評判や、周囲の対応、地位や状況、常識や他人の幸せなんかに足を取られてしまいます。
羨んでしまう。

努力した事があれば、当然の感情だとは思います。

天才の名を自分の中では欲しいままにしている私でさえ、油断するとやられてしまいます。

本当はたった1人にでも伝われば、それで最高なんですよね。

だから、これは良くないです。

対処する方法は、、、「調子に乗る」しかねえ。
粋がって粋がって調子に乗りまくる。

映画のビーバップの城東のテル並みに気合い入れるしかないです。

「関係ねえぜ!このシャバ僧共がぁ!!俺様は超超超天才だ!この表現の深海から138億年の遥かな光、そして人間の感情と思考とが全てとんでもない美しさで繋がってる事を描ききってやる!音や染め色や生き様でだ!!
わかるかなあ?わっかんね〜だろうなぁお前にゃ〜!ああぁ〜〜〜ん!!」

って感じで笑


今回のは、結構自分に対して書いています。

でももしかすると、いつも自分に対して書いているのかもしれません。

ここで我らがパンクヒーロー、シドヴィシャス先生の名言を1つ。

「俺は自分のやりたいことをしたいんだ。
世界中がそれを好きじゃなくても全然構わない。もし一枚も売れなくったって、それが何だっていうんだ?」



しかし実は私は多分ですね、1人は理解してくれる人に伝わってるんです。

出会っています。

それはこの世界で、もう1人の自分と出会えたことになると思うんです。

あとは自分が思う最高を生み出し続けるのみなんですよ。

なんて幸せなんでしょうか。


※画像は過去作です。




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人の間と書いて人間。

2025-02-09 20:07:00 | Weblog









お笑い芸人さんが、いじめについて語ってるのをチラ見しました。

いじめてる方が絶対悪と言ってらっしゃいました。

もちろんそういう事もあるかと思いますし、いじめた方を庇うつもりも全然ありません。

でも少し気になったんですが、その考えだと、絶対悪と断定してしまうと、今度はそのいじめっ子に向けてのいじめが始まるだけなのではないでしょうか?

絶対悪なんだから、とことん叩いて良いってなるのが現在の日本の習性な気がします。

人と人の関係性での事なので、実際はとことん話し合うしか解決方法なんてないと思うんですが、正と邪、正義と悪の二元論で考えると、結局そのいじめが起こった構造に帰結するだけな気がします。

大体、戦争なんかもどっちの国も自分達が正しいと思ってるって、未来の知識を持ってるヤツが言ってましたし。ドラえもんですが。

正しさは侍の刀のように腰に差しといて、自分を律するだけに使うべきではないでしょうか。
それを抜いて振りかざした瞬間に凶器となってしまいます。

正と悪の、勝ちと負けの、その間に沢山の物語があるはずなので、その間にこそ目を向けてケースバイケースで語れるようになるべきかなと思っています。


そういえば最近では、よく「合わない人とはすぐ離れろ」なんて説がSNSで流れてきます。

実際ごもっともなんですが、個人的には離れる前に、もう一度しっかり目を見て向き合って、話し合った方が良いと思うんです。

もしかすると、相手はそんなつもりではなかったかもしれませんし、単に上手く伝えれないだけなのかもしれません。何かの誤解があったのかもしれませんし、何かがその相手に起こってて、尋常な状態ではなかったのかもしれません。自分にも同じ事が言えるはずです。

向き合って話すと言うのは、こちらも少し痛いですし、向こうも良く思わないかもしれませんし、やり方が古いのかもしれません。

でも人と人との事なので、最低限は分かろうとする努力と分かって貰おうとする努力は礼儀として必要かと思うんですよね。

宇宙開闢から138億年の果てに出会ったのですから、ちょっとくらい痛くても良いから、出来れば分かり合えたら良いなと思います。


もちろんそれでダメならさっさとやんわり離れた方が良いです笑

でも何も言わないで、何もしないで、そっと距離を置く方が優しいって場合もありますので、難しいですね。

縁があれば、また違うタイミングと距離で話が出来る事もあるはずですし。

人間って書くくらいですので、その「間」がとても難しく、そして大切なんだと思います。

その「間」にある、あやふやでハッキリはしてなくて、やっぱり名前の付いてないそれぞれの物語に目を向け耳を傾けてみると、少し時代が変わってくるかもしれないですね。

そこに触れない事が優しい事だったりもするので本当に難しいですけどね。


あ、こんな文章を書くと誤解されやすいので先に言っときますが、私は悪の方です。ロッケンローラーなので悪くてなんぼです。
普段は口を開けばファックとシットとサナバビッチとマダファカしか喋りません。よろしくお願いします。







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雪が沢山降ってくるんだけど、これ何とかして金に出来ないかなあ。

2025-02-08 14:52:00 | Weblog




相変わらず雪やら人それぞれの事情やらに翻弄されて漂ってはいますが、全く沈んではいません。

音楽活動も染めや仕事も、次の段階に移行してる最中って感じがしています。

遠くに青空や光がちょい見えてきてます。

大体、数ある人生の選択肢をその度に熟考に熟考を重ね、慎重に、かつ大胆に、そして絶対の確信を持ってしっかり選び抜いて、結果全部完璧に間違えてきたような生き方でしたが、それでもなかなか毎日楽しいです。

ところで。

時々、たまになんですが私なんかの生き方を真似するってとこまでじゃなくて、なんていうか、活動の仕方をちょいとつまみ食いしようとする方がいらっしゃいます。

多分、外から見てると、ハンサムだし、24から雇われずに自力で立ってるし、ハンサムだし、やたらとモテるし、バンドは富山のバンドにしたら珍しく主戦場が東京だったり、たまに海外からも声がかかったりするし、あとハンサムだったりするからでしょう。


凄く良くなって見えるのかもしれません。

実際良いでしょう。ふはははは。


でも、多分、その道の先には私はいなくて。

あなたが「やっぱやめとこう」って思った色んな瞬間の道の先に私はいると思います。

でも割とすぐそこ。すぐ近くです。全然です。

そのずっとずっと遥かに先まで行ってる凄い人達が本当に大勢いらっしゃいます。


私もへこたれず、まだまだ模索し続けていこうと思っています。


やっぱりですね、


「本物はなるものじゃなくて、探し続けるもの」なんですよ。


某ヤンキー漫画にそう描いてあったので間違いないです笑


なろうと思って模倣ばかりしてると一生なれない。近づけは近づく程、他人に似るだけです。

自分であることを、途上にあることを最高に楽しみましょう。

不正解ばかりのポンコツ人間であっても、完璧にあなたであれば最高じゃないですか。



個人的にはパンクってのはそういう事だと思っています。


画像はさっきまでROLLOVERの周りを一緒に除雪してくれてたmiharu-chanです。



ネットショップはこちらから↑



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雪降ってますね。

2025-02-05 12:14:00 | Weblog

























雪が降ってますね。

雪が積もってますね。

雪、嫌ですね。

雪が降って、こんなんお客さん絶対来るわけないって時でも、お店のテナント料は平時と全く変わらないので、普通に損なんですよね。

おまけに光熱費もバカになんないし、その割に税金は、いつも晴れてて平常に経済活動が出来てる地域と同じなんですよ。

納得いかないです。

なんていうか、大雪給付金とか積雪減税とか日照時間短過ぎ特別控除とかないと納得いかないですね。

全く田中角栄も新潟生まれなんだから、列島改造論にそこら辺も盛り込んどいて欲しかったところです。

なので雪、超嫌いです。

アイヘイトスノー!!

年々。歳を取るにつれて雪に対する憎悪が増していきますが、
これでもヤングの頃は2月になると渓流釣りが解禁になるので、まだまだ雪深い山へ突撃していました。

寒過ぎて魚の活性も低いので殆ど釣れないんですけど、雪の季節の中、部屋に閉じ込められた釣り師ってのは大変な酸素不足になっていますから、無理してでも山の中へ潜って行ってました。

そこで思い出したのですが、風倒木の存在です。

この場合は雪倒木と言うべきかもしれません。

読んで字の如く。
雪の重さや風で折れて倒れてしまった木の事です。

時折、渓の近くの森で見かけていました。

恐らくは古くなった木が、雪や風に耐えきれず、ついに力尽きてしまったのでしょう。

思いっきり大地に倒れて横になっていました。

これを外国ではナースログと言うらしいです。

看護婦の木。

倒れた木はそのままにしておくと、苔が茂り、そこに微生物やバクテリアが繁殖する。すると土に栄養が行き渡り、そこに小虫が集まってくる。その小虫を狙ってネズミやらの小動物がやってくる。その小動物を狙ってワシなんかの鳥もやってくる。森に生命が溢れて豊かになる。森が乾かないから河も豊かになる。そして魚も増える。

風倒木は倒れても、森を活かす、森を守る看護婦の役目を果たすって話です。

だから看護婦の木と呼ばれる。

全然無駄じゃあない。

カタチを変えても生命は全て繋がっている。

昔、開高健さんの著書でそう読みました。

おっと、今は看護師と呼ぶんでしたかね。

でも個人的にはこの場合はより優しく誇り高い響きな気がする看護婦の木の方が個人的に好みです。

生命が繋がるって話ですから、やはりより女性的なイメージです。


さて、我々人間と言えば、相変わらず罵り合ったり愛し合ったりと忙しいですが、何が言いたいかというと、どんな生き方しようと、どんだけ間違えようと、最後に堂々と倒れてやれ!って思ったので書き記してみました。

それがカッコ悪かろうと、一人ぼっちだろうと、惨めだろうと、やるだけやって、堂々と倒れてやれば、生命は巡って大きな森になり、綺麗な水になり、もっと大きな海になって、また沢山の生命になったりして、まあそれで良いんじゃないかと思うんです。

自然は初めから我々を祝福していて、決して無駄ではないと示してくれているんですから。


で、、


そんな話とは一切関係なく、雪はとにかく嫌いですけどね笑

早く春にならないかなぁ。  



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4/6にタイダイの個展やります。

2025-02-03 15:30:00 | Weblog




























そうなんです。

4/6に富山市ゴーストコートという所の2階をお借りしてタイダイの個展をやろうと思っています。

自分だけでは丸っ切り自信がないので、相棒のmiharu-chanにお願いして彼女の絵も展示させてもらいます。


そうなると、やはり音楽もやりたいので月光と激昂、PURE RAWの演奏もあります。元気だったら私のソロのArt of Distortionもやろうと思っております。

お前ばっかりやないか!!

とツッコミを入れる方もいらっしゃると思いますが、だきゃらっ!!個展だっつってんだろ?と先にお返ししておきます。

イギリスからゲストも来るけどね。

自分で言うのもなんですが、私の染めは画像より実物の方が綺麗です。

ぐっと細部まで観察出来るチャンスかと思います。

実は細部の色彩の工夫が凄いんですよ、誰も気付いてないかもですけれども。
ほんの2センチ四方に五色使ってあったりします。

皆様、タダで無料でそんな素敵染め作品や絵や音楽まで堪能出来るなんて、いくらなんでも心苦しいかと思いますので、皆様のメンタルケアの為に入場料千円貰おうかなぁ、どうしようかなぁって今はそんな事を考えてる段階です。

私にとって、これは新しい挑戦なわけです。

昨年までの音楽活動を続ける中で、少しづつ、でも無視出来ない気持ちがわたしの中でありまして。

多分、それは仕事にも繋がる無視出来ない気持ち。

「私はもっと、ガチでやりたい。」

「私はもっともっともっともっと心底熱くなりたい。」

「ふざけるんじゃねぇよ、動物じゃねえんだぜぇ。」


等等。

いや、おっさんが暑苦しいのは重々理解しておりますし、私ごときが!ってのも本当に理解しているんです。

でもやっぱり。

遠慮なく、真っ直ぐ、思った通りに進んでみたいんですよね。

そのための、初めの一歩です。

芸術家なので、生き方に自分なりの美しさが絶対に必要なのです。

売れてようが売れてなかろうが、芸術家はそこに命をかけるもんなんです。

そんなわけで、これを読んだ皆様は絶対観に来てね!いやマジで。

なかなか実物の染めは見れないので県外からも是非是非来てください。4月なので雪の心配もないです。良かった!!皆んなで行こう!


画像の染めは過去作ですけど、美しいでしょう。こういうのを沢山展示します。








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