【初代カローラ(2ドア・セダン)】
先週末クルマの点検が完了したので、ディーラーへ受け取りに行き
ました。通常の法定12ヶ月点検だと、空きがあれば即日に完了する
のですが、今回は「無償修理」のインシデント対応も兼ねていたので
部品在庫状況や当該期間内の修理要求発生量の兼ね合いもあり、ほぼ
1週間を要したのです。
車出しに小一時間必要とのことでしたので、その間「商談ルーム」
で時間をつぶすことにしました。あたりを見回すと「カローラ関連の
小冊子」があったので、手に取り読み始めたのですが、「カローラの
歴史」というコラムがあり、思わず目をとめました。
カローラの誕生は1966年。東海道新幹線の開業や、東名高速道路の
開通に伴い、交通網の整備が飛躍的に進行していた時代です。いわば
「モータリゼーションの黎明期」の中で、カローラは誕生したのです
が、この誕生は「パブリカの失敗」の反省から生まれたそうです。当
時、高級的なイメージのあるトヨタ車のライン・アップの中で、発売
当初のパブリカは、機能性とコストダウンを重視し徹底した簡素化を
図りました。その過度のシンプルさの結果、発売当初から大衆層には
支持されず、販売台数は低迷しました。当時の大衆のニーズは自家用
車を所有することへの「夢」が反映されていました。だからこそ自家
用車には単なる実用性以上に、「高級感の演出」が要求されていたの
です。
カローラの初代主査長谷川龍雄氏は、この反省を踏まえ、「80点+
α 」をコンセプトとしました。当時のマスコミは、このコンセプトを
誤解し、「トヨタは可もなく不可もないクルマを出すことで満足して
いる」と酷評しました。この「80点+α 」に込められた思いは、その
ようなものではありません。長谷川氏によれば、市場に評価される条
件として「1項目でも落第点があったらだめであるが、かといって、
何か特定の項目で特筆すべきものが必要であること」と考えました。
カローラの場合、この特筆すべきものというのは、「スポーツ性」で
あったのです。
この長谷川龍雄氏のこの熱い思いは、その後の「カローラ」の企画
設計・製造・販売、そしてアフターフォローに、脈々と受け継がれて
いるのです。
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