【「皇居」前に出没したポール】
41年前の今日、ビートルズは東京にいました。4人は日本公演の
2日目、昼の部と夜の部の2回のコンサートを日本のファンに披露し
たのです。
7月1日の昼の部の模様は当時収録され、同日の夜に日本テレビ系
列で放映されました。当初は、6月30日の模様が放映される予定だ
ったそうなのですが、いろいろな事情(あえてボカして書いています)
があり、最終的に7月1日昼の部のヴァージョンが採用されました。
このあたりの経緯は複雑で、いろいろな説があるようです。
さて、7月1日はメンバーが宿泊先であるヒルトン東京から脱出を
試みたエピソードが残されています。午前11時過ぎにポールがまず
脱出し、次にジョンがカメラマンに変装して脱出したとのことです。
ポールの行き先は「皇居」周辺で、写真も残されています。いっぽう
ジョンは・・・。どうやら青山・原宿方面とのことです。こちらは、
脱出時の写真が確認されていません。もしかするとそのうち出てくる
のかも・・・。期待しましょう。
『ビートルズの社会学』(朝日新聞社編)を読むと、大佛次郎氏、
三島由紀夫氏のコメントが掲載されています。総じて「歓声のため、
演奏を聴き取ることができなかった」とあるのですが、この点は舞台
にいた4人と「温度差」があるようです。それまでのコンサートでは
観客の声援で、自分たちの演奏する音を聞き取ることができなかった
4人ですが、日本公演では他の国のコンサートと異なり、観客が静か
なのでかなり焦ったとのことです。
ニール・アスピノール(当時のロード・マネージャー)が、「6月
30日は音が変なのもはっきりと確認できたのでメンバーは焦ってい
た。しかし7月1日以降は持ち直してとてもよい演奏だった」と述懐
しています。このあたり、どのヴァージョンをテレビ放映すべきか、
冒頭に述べた件と関連があるのかもしれません。
大佛次郎氏、三島由紀夫氏らが「聴こえなかった」とコメントして
いますが、とにかく4人は自分達の演奏が他に比べてよく聴き取れた
ことが重要です。この公演では、会場となった日本武道館のアリーナ
から客席に向って巨大なPA用のスピーカーが設置されていました。
ビートルズは1965年から収容能力を増強するために「野球場」をコン
サート会場として採用していました。しかし、日本武道館では野球場
のようなアナウンス用スピーカーが設置されていなかったため、PA
用のスピーカーが急遽手配され設置されたのです。
自分達の「音」を聴いた4人はどのように思ったことでしょうか。
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たしかこんな選考過程があったと記憶しています。
でも台風が過ぎたなの後で、雨天はなかった気もしますしどうだったのかな?
ファンの歓声については私もTVで初見(1978年秋)の時に「あれ?静かに聴いているなぁ日本のファンは。」と感じました。前年にリリースされた“ハリウッド・ボウル”の強い印象がライヴについては有りましたので意外だったですね。
後楽園球場!
天然芝の時代ですね。懐かしいです。
他にも会場候補があったのでしょうか?
ファンの歓声もさることながら
1965年の絶頂期と比較すると「たそがれて」
聴こえるのは曲想もありますが
やはりスロー・テンポだからでしょうか。
ヘビィであればよいのですが
どうしてもノリが悪く聴こえてしまいますね。