【写真:東京都江東区北砂(昔の砂町) 撮影日時・2000年前後】
「想い出の場所」第6回目になります。わたしは幼少の頃から学生
時代に至るまで、住居がいくつか変わりました。今回からはその時に
住んでいた各地の記憶をたどっていこうかと思います。
幼少時代 ~東京都江東区~
生まれてすぐ過ごした場所です。東京都の下町。江東区でその頃は
「砂町」と呼ばれていました。冒頭の写真の左側に映っているのは、
JR亀戸駅から分岐している「貨物線」です。アパートの4畳半で、
親子三人が暮らしていました。風呂なんて無し。共同トイレに共同の
台所。冷蔵庫や洗濯機なんて、そんな便利なものなんて無い時代です。
それでも、東京の空は広かったのですね・・・。
東京都江東区海辺町(2000年前後)
3歳になってあたりで同区内の石島町を経由し、海辺町へ転居しま
した。父が勤めていた「運送会社」の社宅ビルで暮らしていました。
写真では、赤い自動販売機が設置されている一角に運送会社とビルが
あったのですが、今ではもう跡形もありません。
場所はちょうど、錦糸町と東陽町を結ぶ「四つ目通り」付近。当時
は「都電」が走っていました。「JR両国駅からは房総方面に汽車が
発着し、白黒テレビでは『踊って歌って大合戦』をやっていた」かと
記憶しています。
この後、横浜市鶴見区へ転居します。
つづく
当時、錦糸町の近くに住んでいたのですが
夕暮れどき。
錦糸町のガードの下には都電の28系統と
36系統が・・・
ガードの上にはC57の姿が・・・
傍らのビルには
ザ・タイガースの主演映画
「世界はボクらを待っている」
の看板が・・・
遠い昔の記憶です♪
確かに両国駅から出ていました。昭和42or43年までは
蒸気機関車が牽引する千葉以遠へ行く列車がありましたね。
今も両国国技館へ行く折に両国駅へ行きますと、
行き止まり式のホームが残っています。