【『ザ・ベストテン』】
1970年代の後半、芸能界に2大アイドルが君臨した。キャンディー
ズとピンクレディーである。ピンクレディーは、キャンディーズより
後発であった。より正確に言えば、キャンディーズは1970年前半から
活躍したのに対して、ピンクレディーは1970年代後半から活躍した。
確か1976年だったであろうか、『カックラキン大放送』の番組最後の
コーナーで、デビュー曲の「ペッパー警部」を毎週歌っていた。その
「変な振り付け」に思わず釘付けになってしまった。
キャンディーズは、それまでアイドルに共通的にあったイメージを
払拭する「キャラクター・アイドル」の元祖となった。彼女達以降、
榊原郁恵、石野真子のように独自のキャラクターをもったアイドルが
次から次へと登場した。しかし、信じられないギャグをかましても、
それを可愛らしさに還元できた点でキャンディーズを越えるアイドル
は出現していない。「モーニング娘。」さえも・・・である。
ピンクレディーがブレイクしたのを感じたのは1977年の「渚のシン
ドバッド」のあたりである。当時クラスの女の子達が競って「渚の~」
のあて振りに一生懸命になっていたものである。あて振りは物真似に
つながっていくのであるが、某社の「牛乳石鹸のシャンプー」のCM。
そう、「髪いきいき」(ミー)、「つやつや」(ケイ)のあれである。
ただし、このケイのセリフはどちらかというと「つあつあ」に近く、
ケイ役の女の子に低音・ハスキーの娘(こ)を起用し、ボケて笑いを
取るというパターンが流行した。
1977年の夏にピンクレディーがブレイクした頃、キャンディーズは
日比谷野音のコンサートで突然「普通の女の子に戻りたい」と解散宣
言しファンのみならず日本全国を驚愕させる。そして1978年 4月 4日
後楽園球場で『ファイナル・カーニバル』を開催し、解散した。この
時期、同級生で私の隣に座っていたI君はアデランスのCMを「ミキ
ラァン、ス~♪」と周囲を凍らせてまでボケるほどのキャンディーズ
ファンであったのだが、「集中できない」と迷言を残し、突然傷心の
旅へと出かけていってしまったのである。
一方、ピンクレディーにとって1978年は記録的な活躍の年となった。
「UFO」が大ヒットし、TVのレギュラーは『ピンク百発百中!』
『走れ!ピンクレディー』『ピンクレディー物語』『ハロー ピンク
レディー』『飛べ!孫悟空』『UFOセブン大冒険』・・・と主演の
番組だけでも週に6本。他に、『レッツゴーヤング』『ヤンヤン歌う
スタジオ』や『ザ・ベストテン』にも毎週のように出演していたのだ
から、信じられない仕事量である。
そんな絶頂期を迎えたピンクレディーも、1979年の春にリリースし
た11枚目のシングル「ジパング」がヒットチャート4位に留まった
あたりから徐々に下降線をたどる。そして1981年 3月31日に、やはり
後楽園球場で『解散コンサート』を開催するに至るのである。当日の
低温でそぼ降る雨という状況が、彼女達の下降線の「行き着く先」を
演出していたのは、なんとも皮肉なことである。
2大アイドルのTVからの去り方は極めて対照的であった。
キャンディーズは、ミキちゃんのファンでした。解散コンサートは、札幌に来た時観に行きました。4月4日のコンサートは確かラジオで聴いてました。懐かしいなあ。
ピンクレディーはケイちゃんのファンでした。
色んな楽しい曲がありました。いい青春の思い出ででした。
なつかしっくって~ なみだがでそう~
キャンディーズはベストテンに出たのかしら?
まいどです。
キャンディーズは解散後に出したシングル
「つばさ/あこがれ」(非売品)も
話題になりました。
私にとっては「年下の男の子」が印象に残っています。
ピンクレディーでは、当時タモリが
『TAMORI2』というアルバムを出しました。
その中でピンカラ・レディーとして
「サンスター」というパロディソングを
歌っていました。
内容は確か
「ライオンなんか怖くないサンスターの話」
だったかと記憶しています。
この調子で「USO」を出したら
さすがにピンクサイドからクレームが来たそうです。
へい、らっしゃい♪
出てまっせ。
『ザ・ベストテン』は1978.01.19放送開始。
(前夜祭が01.12に放送された)
1回目の放送にキャンディーズは出演しています。
この時のランキングは以下の通り。
1.UFO(ピンクレディー)
2.わな(キャンディーズ)
3.しあわせ芝居(桜田淳子)
4.わかれうた(中島みゆき)
5.禁猟区(郷ひろみ)
6.憎みきれないろくでなし(沢田研二)
7.ブーツをぬいで朝食を(西城秀樹)
8.若き旅人(狩人)
9.泣き虫(清水健太郎)
10.風の駅(野口五郎)
ちなみに、ラストシングル「微笑がえし」は
1978.02.25に初のチャート№1になっています。
当時の名文句でした。
その後どうなったかは…まぁいいでしょう。
まいどです。
あの時代は
太平洋→クラウンライターの時代でしたね♪