らば~そうる “IN MY LIFE”

旅、音楽、そしてスポーツのこと。過去、現在、そして未来のこと・・・「考えるブログ」。

176.懐かしの'70年代(キャンディーズとピンクレディー)

2006-04-30 | 52.The Past
【『ザ・ベストテン』】

 1970年代の後半、芸能界に2大アイドルが君臨した。キャンディー
ピンクレディーである。ピンクレディーは、キャンディーズより
後発であった。より正確に言えば、キャンディーズは1970年前半から
活躍したのに対して、ピンクレディーは1970年代後半から活躍した。
確か1976年だったであろうか、『カックラキン大放送』の番組最後の
コーナーで、デビュー曲の「ペッパー警部」を毎週歌っていた。その
「変な振り付け」に思わず釘付けになってしまった。

 キャンディーズは、それまでアイドルに共通的にあったイメージを
払拭する「キャラクター・アイドル」の元祖となった。彼女達以降、
榊原郁恵、石野真子のように独自のキャラクターをもったアイドルが
次から次へと登場した。しかし、信じられないギャグをかましても
それを可愛らしさに還元できた点でキャンディーズを越えるアイドル
は出現していない。「モーニング娘。」さえも・・・である。

 ピンクレディーがブレイクしたのを感じたのは1977年の「渚のシン
ドバッド」のあたりである。当時クラスの女の子達が競って「渚の~」
のあて振りに一生懸命になっていたものである。あて振りは物真似に
つながっていくのであるが、某社の「牛乳石鹸のシャンプー」のCM。
そう、「髪いきいき」(ミー)、「つやつや」(ケイ)のあれである。
ただし、このケイのセリフはどちらかというと「つあつあ」に近く、
ケイ役の女の子に低音・ハスキーの娘(こ)を起用し、ボケて笑いを
取るというパターンが流行した。

 1977年の夏にピンクレディーがブレイクした頃、キャンディーズは
日比谷野音のコンサートで突然「普通の女の子に戻りたい」と解散宣
言しファンのみならず日本全国を驚愕させる。そして1978年 4月 4日
後楽園球場で『ファイナル・カーニバル』を開催し、解散した。この
時期、同級生で私の隣に座っていたI君はアデランスのCMを「ミキ
ラァン、ス~♪」と周囲を凍らせてまでボケるほどのキャンディーズ
ファンであったのだが、「集中できない」と迷言を残し、突然傷心の
旅へと出かけていってしまったのである。

 一方、ピンクレディーにとって1978年は記録的な活躍の年となった。
「UFO」が大ヒットし、TVのレギュラーは『ピンク百発百中!』
『走れ!ピンクレディー』『ピンクレディー物語』『ハロー ピンク
レディー』『飛べ!孫悟空』『UFOセブン大冒険』・・・と主演の
番組だけでも週に6本。他に、『レッツゴーヤング』『ヤンヤン歌う
スタジオ』や『ザ・ベストテン』にも毎週のように出演していたのだ
から、信じられない仕事量である。

 そんな絶頂期を迎えたピンクレディーも、1979年の春にリリースし
た11枚目のシングル「ジパング」がヒットチャート4位に留まった
あたりから徐々に下降線をたどる。そして1981年 3月31日に、やはり
後楽園球場で『解散コンサート』を開催するに至るのである。当日の
低温でそぼ降る雨という状況が、彼女達の下降線の「行き着く先」を
演出していたのは、なんとも皮肉なことである。

 2大アイドルのTVからの去り方は極めて対照的であった。

Comments (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 175.AND YOUR BIRD CAN SING | TOP | 177.プロ野球ペナントレース... »
最新の画像もっと見る

6 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
どちらも好きでした。 (レノン&マッカートニー)
2006-04-30 21:30:37
こんばんは。

キャンディーズは、ミキちゃんのファンでした。解散コンサートは、札幌に来た時観に行きました。4月4日のコンサートは確かラジオで聴いてました。懐かしいなあ。



ピンクレディーはケイちゃんのファンでした。

色んな楽しい曲がありました。いい青春の思い出ででした。
返信する
Unknown (まきりん)
2006-04-30 23:02:45
ども!



なつかしっくって~ なみだがでそう~

キャンディーズはベストテンに出たのかしら?
返信する
当時のエピソード (らば~そうる)
2006-05-01 01:46:03
to:レノマックさん



まいどです。



キャンディーズは解散後に出したシングル

「つばさ/あこがれ」(非売品)も

話題になりました。

私にとっては「年下の男の子」が印象に残っています。



ピンクレディーでは、当時タモリが

『TAMORI2』というアルバムを出しました。

その中でピンカラ・レディーとして

「サンスター」というパロディソングを

歌っていました。

内容は確か

「ライオンなんか怖くないサンスターの話」

だったかと記憶しています。



この調子で「USO」を出したら

さすがにピンクサイドからクレームが来たそうです。
返信する
微笑がえし (さらぽわ)
2006-05-01 01:59:43
to:まきりんさん



へい、らっしゃい♪



出てまっせ。

『ザ・ベストテン』は1978.01.19放送開始。

(前夜祭が01.12に放送された)

1回目の放送にキャンディーズは出演しています。

この時のランキングは以下の通り。

 1.UFO(ピンクレディー)

 2.わな(キャンディーズ)

 3.しあわせ芝居(桜田淳子)

 4.わかれうた(中島みゆき)

 5.禁猟区(郷ひろみ)

 6.憎みきれないろくでなし(沢田研二)

 7.ブーツをぬいで朝食を(西城秀樹)

 8.若き旅人(狩人)

 9.泣き虫(清水健太郎)

10.風の駅(野口五郎)



ちなみに、ラストシングル「微笑がえし」は

1978.02.25に初のチャート№1になっています。



返信する
「ありがとう…私たちは幸せでした」 (mensurazoirri)
2006-05-06 20:30:41
「~明日からは普通の女の子に戻ります。」



当時の名文句でした。

その後どうなったかは…まぁいいでしょう。

返信する
Lions (らば~そうる)
2006-05-07 23:26:51
to:mensurazoirriさん



まいどです。

あの時代は

太平洋→クラウンライターの時代でしたね♪
返信する

post a comment

Recent Entries | 52.The Past