【クレージー・キャッツ】
' 60年代の「お笑い」といえば、大宮敏光(デン助)、大村崑を初
め、茶川一郎、藤田まこと、白木みのる、財津一郎、渥美清、牧伸二
等を思い出す。しかし、私の記憶に鮮明に残っているのは、「クレイ
ジー・キャッツ」である。クレージーはよく「ドリフターズ」と比較
されるが、ドリフはいわゆる '70年代のお笑いをリードしたと言える
だろう。
クレージーで最も印象に残るTV番組は、『シャボン玉ホリデー』
である。今でこそ日曜日の18時30分の定番は『サザエさん』であるが
その土台を築いたのがこの『シャボン玉』である。
クレージーはギャグも冴えていた。谷啓の「ガチョ~ン」、植木等
の「お呼びでない」は、後になって伝え聞き、実際に使ったことがあ
る。その他、パジャマ姿の谷啓がウガイをしながら「夜明けのうた」
を歌ったり、背の高い犬塚弘が桜井センリを見下ろすギャグも秀逸で
あった。
しかし、一番強烈なのは「貧乏シリーズ」である。ボロ屋の四畳半
で寝たきりのハナ肇に対し、ザ・ピーナッツ(だったかな)が「おと
っつぁん、おかゆができましたよ。」というやつ。これに対し、ハナ
肇が「いつもすまないね~」とポツリ。そこへ植木等が乱入し、息子
役のなべおさみ、取り巻きの小松政夫も混じり、もうわや状態。あの
うらさびしいバイオリンの音色とともに、よく覚えている。ハナ肇は
後に『ゲバゲバ90分』で「あっと驚くタメゴロ~」とかまし、『新
春スターかくし芸大会』では「銅像」という新天地を開拓する。一方
小松政夫もその当時、既に「知らない、知らないっ、もぉ~!」を披
露していたが、後にてんぷくトリオ出身の伊東四朗とともに、「コマ
ツゥの親分サン」のシリーズで「ニンドスハッカッカァ~、ヒギリキ
ホッキョッキョォ~」とやらかし、「シラケ鳥」や「電線音頭」など
を開拓したのは語るまでも無いであろう。
質が高いなーと思います。
テンポも「ゆったり」していて
「おおらかさ」がありましたね。
時間をじっくりかけて考えているから
とっさの「ひらめき」も
出てくるのだと思います。