【三田寛子 "GOLDEN J-POP/THE BEST"】
沈んだりもぐったり。もとい。浮き沈みの激しい芸能界。今回は、
華やかなA級女性アイドルを。と思ったが、この分野は開拓されつく
している。というわけでニッチな分野を取り上げることにしよう。
1980年代には、業界を支えていた数多くのタレントがきら星の如く
存在していた。今回は女性タレント編。あなたはどれだけ覚えておら
れるだろうか。
1.黒木真由美
日本テレビ『スター誕生!』でグランプリを獲得し、「好奇心」で
デビュー。しかし売れなかった。そのため、『スタ誕』出身の目黒ひ
とみ、石江理世と「GAL」を結成「させられた」。それでも、売れ
なかった。
2.桑江知子
『私のハートはストップモーション』でデビュー。レコード大賞最
優秀新人賞を獲得。音楽的には高い評価を受けていた。その後の曲に
恵まれていれば「一発屋」で終わらなかったはずだ。
3.斉藤ともこ
女優、レポーターとして活躍。最も有名なのは、NHK『若い広場』
のとあるコーナであろうか。その後、芦屋小雁と結婚。
4.シェリー
歌手デビュー後、数多くの「バラエティ番組」に出演。アイドル系
で売り出したものの「カベ」にブチ当る。そこでポスト・マギー・ミ
ネンコとして『うわさのチャンネル』に出演。お笑いに活路を見出し
た。
5.村地弘美
「ゴホンといえば龍■散」のCMで有名になった。「・・・と日記
には書いておこう」というあれである。
6.能瀬慶子
『アテンションプリーズ』でデビュー。後に『赤い嵐』に出演し、
お茶の間は騒然となった。「ここはどこ? 私はだれ?」等の迷セリ
フに世の中は「爆笑」となった。
7.畑中葉子
平尾昌晃とのデュエット『カナダからの手紙』でデビュー。アイド
ルでデビュー後、結婚、離婚、ロマンポルノ出演はよくあるコースだ
が、これをわずか2年間でやり遂げてしまった。
8.吉川桂子
クイズ番組のアシスタント等で活躍していたバイリンガル。そんな
インテリの彼女が結婚相手に選んだのは、あの山田隆夫(ずうとるび)
であった。
9.岩崎良美
『赤と黒』でデビュー。姉・宏美と同様に、歌唱力は抜群。しかし
いかんせん、ヒット曲に恵まれなかった。余談だが、らば~そうるが
深川のボウリング場でアルバイトをしていた頃、お忍びでボウリング
をしているところをよく目撃した。
10.伊藤つかさ
学園ドラマ『3年B組金八先生』で人気者に。『少女人形』で歌手
デビュー。しかしその後、映画の中国ロケで長期間不在のうちに忘れ
去られてしまった。
11.三田寛子
井上陽水作、『駈けてきた処女(おとめ)』でデビュー。京都弁の
トークに人気が集まったが、いかんせん二の矢が無かった。歌手とし
は大成しなかったものの、女優やバラエティとして活躍。結婚を経て
現在、多方面で活躍していることは周知の通りである。
12.パンジー
少女モデル出身の北原佐和子、真鍋ちえみ、三井比佐子で結成され
たトリオ。しかし三人揃って歌わず、単独で活動していた。いわば、
女性版「たのきん」である。強烈な個性に乏しくやはり自然消滅。
青春がよみがえります。
桑江知子の「私のハートはストップモーション」はいい曲でした。たしか「エテルナの朝」っていう曲もあったと思いましたが、なかったかなぁ。
岩崎良美は歌唱力抜群でしたが、売れませんでしたねぇ。どちらかと言えばお姉さんの方のファンでした。
伊藤つかさ、これまた懐かしい。今どうしてるんでしょうねぇ。(分かる訳ないですね)
そうるさんのこのシリーズ、若き日々が思い出されて結構気に入っています。次は何が出るのかとっても楽しみにしています。
取り上げられたのは、「あの人は今」の常連ばかりですが、村地弘美だけはやられました。
このボクが20年間忘れていたのですから、この忘れられ度は相当です。
岩崎良美。
デビュー曲は「涼風」だとずっと思っていました。その前に1曲あったんですね。
能勢慶子は家庭科の先生になった後、結婚したとか。
パンジー。
三井比佐子の「月曜日はシックシック」は傑作です。
死ぬ前にもう一度聞きたいです。
>青春がよみがえります。
表題のようでありたいものですね♪
この記事を書いているうちに
1970年代に登場した「支えた」タレントを
思い出してしまいました。
名前は・・・
たぶん皆様のご想像通りです。
近々取り上げてみますね。
そうなんです。
結果的に「あの人は今」になっていますね♪
くまみちゃんのように
この分野に詳しい方々や
あるいは、興味のない方々でも
この記事と出会ったことによって
記憶が蘇ったり、何か調べ物をする
ようなきっかけになれば
と考えます。