【"THE DECCA TAPES"】
「オーディションに受かればいいけどね。」
ジョン・レノンが、1969年 1月30日のルーフトップ・コンサートで
'GET BACK'を演奏した後に発した「名言」である。このセリフの背景
をずっとたどっていくと、1962年 1月 1日につながっていくのだろう。
ビートルズは名声を得た。確かに得た。しかし、もちろん最初から
成功したわけではない。長い下積み経験があった。パーロフォンで、
ジョージ・マーティンに見出される前、彼ら4人(この時のドラマー
は、ピート・ベストだった)は、1962年最初の日にプロになるため、
ロンドンのレコード会社のスタジオで初めて本格的なオーディション
を受けたのである。あの「デッカ・オーディション」だ。
1961年12月31日に、彼らはリヴァプールから200マイルの距離を
1台の車に機材を詰め込み、ロンドンへ移動した。早い話が「上京」
である。
失望と挫折から栄光の第一歩へ
「元旦」の午前に、オーディションは始まった。しかし日ごろ使い
慣れていた彼らの機材が「あまりに使い物にならない」と、デッカ・
レコードのプロデューサー、マイク・スミスに「スタジオ備え付けの
ものを使用するように」と指示される。そのせいであろうか、長旅の
疲れのせいであろうか、それとも、やはり初めてのことで「あがって」
いたのであろうか、演奏は「標準」のレベルに達しなかった・・・。
ポールは、'TILL THERE WAS YOU''SEPTEMBER IN THE RAIN''BESAME
MUCHO''LIKE DREAMERS DO 'を、ジョージは'THE SHEIK OF ARABY 'を
披露する。しかし自ら固くなっていたり、観客からの反応のない中で
歌っているので、この上なくテンションが低い。そんな二人に比べる
と、ジョンはさすがだ。この日もよい演奏を披露したという。4人の
中で、いちばんリラックスしていたからだ。
「元旦」の午前中にオーディションは終了。4人は当然その「出来」
に納得するはずもなく「もう一度やり直したい」とプロデューサーに
依頼するが、にべもなく断られる。4人は「歌や演奏がまずかったの
は自分たちの責任だ」と思っていたが、一方でこのオーディションの
演奏曲目をエプスタインが決定したことに対する不満も感じていたと
いう。
デッカ・オーディションの結果は「不合格」。1962年 2月の第1週
デッカ本社で行われた昼食会の席で、デッカ社のディック・ロウから
エプスタインに通知された。
「デッカ・ショック」はその後数ヶ月、4人+エプスタインの「心」
に影響を与えた。売り込もうと他のレコード会社に働きかけるのだが
ことごとく「門前払い」されたのであった。彼らは後日「そのことが
いちばん辛かった」と述懐している。しかし、当時彼らは知らなかっ
たことなのであるが、エプスタインは「デッカ・オーディション」の
演奏テープ(複製)を各レコード会社に持参し、演奏を聴かせていた
のであった。
そうである。「演奏を聴く前に拒否されたのではなく、演奏を聴い
て(それは最悪のデッカ・オーディションの演奏であるが)拒否され
た」のである。エプスタインは、断られた本当の理由を4人に伝えな
いようにした。
そして・・・、「デッカ・ショック」の年の秋、彼らは、ジョン・
レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・ス
ターの4人の"THE BEATLES "としてジョージ・マーティンにより、パ
ーロフォンと契約を結ぶことになるのである。
◆"THE DECCA TAPES" ~ DECCA AUDITION (1962.01.01)
01.LIKE DREAMERS DO
02.MONEY (THAT'S WHAT I WANT)
03.TO KNOW HER IS TO LOVE HER
04.MEMPHIS,TENNESSEE
05.TILL THERE WAS YOU
06.SURE TO FALL
07.BESAME MUCHO
08.LOVE OF LOVED
09.HELLO LITTLE GIRL
10.THREE COOL CATS
11.SEPTEMBER IN THE RAIN
12.TAKE GOOD CARE OF MY BABY
13.CRYING,WAITING,HOPING
14.THE SHEIK OF ARABY
15.SERCHIN'
実は自分は40を過ぎてクラシック音楽も聴くように
なりました。(もちろんロックも愛聴しています)
CDを購入orレンタルするケースも少なくないのですが、
その際にレーベル「DECCA」に出くわすことが
多々あります。
全く関連性のない予見(偏見?)ではありますが、
デッカのCDは出来が悪いのではとつい思ってしまい
未だに自室にストックがありません…(苦笑)。
そういえば、マッシュルーム・カットと
いえないことも・・・ない・・・ですね。
・・・ん?
この話題とは全然関係ないんだけど
さっき東海道線で鶴見を通過したあたりで
車窓から「ラバーソウル」ってのが見えたんですわ。
で、帰って検索してみたらみつかりました。
http://www.beatle-japan.com/livehouse/
ご存知でしたでしょうか?
らば氏の「心のふるさと?」鶴見にこんなスポットがあったのを。。。
ここですね、通勤(京浜東北線)の途中
見ようとしていなくても
目に入ってきちゃうんですよ♪
>らば氏の「心のふるさと?」鶴見
わはは、意味し~ん♪
追伸:
下総中山と西船橋の間の北側のアパート(?)の
「壁面のアート」も気になっていました。
わかりやすそうな場所ですね。
しかしネーミングが「ズバリ」ですね。
近日中に来訪されるのでしょうか??
いや~、あくまでも私の意見としてお聞きください。
どうも、「ビートルズ」を4人以外の人間が
演奏するのを積極的に聴く気になれないのですよ。
そのくせ、私も演奏したりします♪
>近日中に来訪されるのでしょうか??
お酒を飲む目的で行くことはあるかもしれませんが
ライブを聴きに行く目的で訪れることはないでしょう。
>演奏するのを積極的に聴く気になれないのですよ。
なるほどなるほど。
小生もその点は同じかも知れませんね。
かつて昭和50年代にNTVでビートルズのベスト10
(ベスト15だったかな?)を視聴したことがあります。
映画やライブ映像を駆使して曲を順々に紹介して
いったのですが、「While My Guiter ~」の場面のみ
ソースが無かったらしく代役のライブバンドによる
演奏シーンとなり、当時は強い違和感を感じたものです。
どうもどうも。
いつもいつもフォローありがとうございます♪
この件について
かつてのジョンのインタビューでの発言を
思い出しました。
インタビューワ:
ビートルズの曲をいちばんうまく演じるのは
誰ですか?
ジョン:
僕たち。ボクたちさ~。