1967年 2月にリリースされた‘Penny Lane’は、実在の場所である
「ペニー・レイン」をポールが郷愁の地として、そのまま取り上げて
います。この構想をポールはずっと温めていたようで、1965年11月の
インタビューで彼はこのようにコメントしています。
『ビートルズ・ファン・クラブ』(1965年11月号)
ポールは、ビートルズが温めていたアイディアのうち、まだ曲
や脚本として完成していないものがあると、プレスに語ってい
る。「イエス・キリストが普通の人間として地球上に復活する
というストーリーを考えているんだ。でも、この案をミュージ
カルとして完成させるだけの時間は、今のところ取れそうもな
いな。ビートルズの解散後じゃないと無理かなって、諦めてい
るんだ」。「それから、ボクらの故郷リヴァプールについての
曲も書きたいと前から思っているんだよ。ペニー・レインや、
ドッカーズ・アンブレラなんて、いい響きだろう。でも、そう
いう地名を全部入れて曲を書いてみたら、すごくわざとらしい
感じになってね。それで諦めたんだよ!」。
この作りかけて諦めた断片・・・って、いったいどんな曲だったの
でしょうか。聴いてみたいですね。
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「ペニー・レイン」をポールが郷愁の地として、そのまま取り上げて
います。この構想をポールはずっと温めていたようで、1965年11月の
インタビューで彼はこのようにコメントしています。
『ビートルズ・ファン・クラブ』(1965年11月号)
ポールは、ビートルズが温めていたアイディアのうち、まだ曲
や脚本として完成していないものがあると、プレスに語ってい
る。「イエス・キリストが普通の人間として地球上に復活する
というストーリーを考えているんだ。でも、この案をミュージ
カルとして完成させるだけの時間は、今のところ取れそうもな
いな。ビートルズの解散後じゃないと無理かなって、諦めてい
るんだ」。「それから、ボクらの故郷リヴァプールについての
曲も書きたいと前から思っているんだよ。ペニー・レインや、
ドッカーズ・アンブレラなんて、いい響きだろう。でも、そう
いう地名を全部入れて曲を書いてみたら、すごくわざとらしい
感じになってね。それで諦めたんだよ!」。
この作りかけて諦めた断片・・・って、いったいどんな曲だったの
でしょうか。聴いてみたいですね。
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ポールのコメントとジョンの舌禍事件。
数字的には1年の隔たりなのですが
両者が各々1965年11月と1966年 3月のことなので
関連性については微妙なところですね。
新鮮です。
これはイエス・キリストについてはジョンの舌禍事件よりも
1年ほど早い段階での話なのですね。
これをアルバムの形で発表するのか、映画の形で発表するのか、
果たしてどんなイメージだったのか…。
ところでボツになった企画で今でも個人的に興味があるのは、
ビートルズ3作目の映画が西部劇調の内容で企画中である旨を
シングル「エリナーリグビー/イエロー・サブマリン」のライナーで
読んだことです。
あれは単なる飛ばし記事だったのかな~(悩)