でこのブログ☆私好みの宿日記

娘の妊活 1

私には、成人した3人の子どもがいます。

長男も、次男も

結婚1年目には、普通に子供が授かり

何事もなく十月十日が過ぎ、無事出産。

それが当たり前だと思っていました。

私自身も、3人の子どもに恵まれ

妊活に関して苦労した事は一度もありません。

昔は「妊活」なんて言葉・・・なかったけどね)

なので当然、一昨年結婚した娘も

同じ道を辿るものだと思っていました。

 

ところが自然に任せて1年、赤ちゃんができません。

冷え性だから?

看護師の仕事がハードだから?

確かに夜勤があると

基礎体温も正確に測れません。

最初は色々と理由を考えていましたが

さすがに少し心配になり

近くの産婦人科に行き

先生の指導のもと

一般的なタイミング療法を

試してみたようです。

が・・・妊娠しません。

 

今では、ネットで色々情報を

得る事が容易にできる時代なので

娘なりに調べ

名古屋では有名な不妊治療の専門病院に

通い始めました。

 

私も2度一緒についていきましたが

広い待合室に、座る席がないほどの患者さん。

こんなに自然に赤ちゃんを授かる事の

出来ない人がいるんだ・・・と

驚かされました。

さすがに20代と思われる若い人はほとんど見かけず

30歳を過ぎた落ち着いた年代の女性がほとんど。

30歳になったばかりの娘は

まだ若い方だと思いました。

壁には、成績表ならぬ

めでたく妊娠した方のイニシャルと年齢

初診から妊娠までの年数

体外受精の回数などが

書かれた表が張り出されていました。

 

それまで私自身

不妊治療に関して

いかに知識がなかったか

逆に言えば

今の不妊治療がいかに進んでいるか

それと、こんなにお金が掛かるものかを

思い知りました。

 

1枚目の「妊娠おめでとうございます」の写真。

体外受精1回目でした。

喜んだも束の間

次の診察の時に

「胎嚢が見えません」と言われ

結果、流産。

涙涙でした。

 

タイミング治療

人工受精

体外受精

・・・と進み

途中、ホルモンのバランスが崩れ

体調不良で仕事に支障をしたすようになり

2か月休職。

 

確かに卵胞ホルモンを増やすために

飲む薬の量がハンパなく

血液検査の数字が

最初は二桁だったのが

最後には1000をはるか超えるまで

飲み続けるのですから

体調がおかしくなるのも頷けます。

 

あと毎日自己注射をしなければならない期間があり

娘は看護師なので、注射には慣れているものの

自分で自分に打つのは

やはり抵抗があったようです。

 

他にも

体外受精で胚移植を行う前に

受精卵の着床をよくするために

お腹にエストラーナテープを貼るのですが

最初1枚だったシールが

2枚3枚4枚とどんどん増え

最後は8枚まで増えました。

それをずっと貼りっぱなしなので

お腹の皮膚がかぶれ真っ赤になり

とうとう先生から

これ以上テープは無理だと言われ

飲み薬に替えてもらった事も。。

「どうして女ばかりこんなに苦労しなければいけないの」と

泣き言を言う娘を

なだめる事しかできない無力さを感じました。

 

毎日毎日「ネット検索魔」に陥り

一喜一憂している娘と

フォーシーズンズ京都に行ったのは

ちょうどそんな時でした。

かなり精神的に落ちていたので

少しでも気分転換になれば・・・という親心でした。

 

身体以上に

心が疲れてしまう・・・そんな状態。

 

親の私はというと

京都の「鈴虫寺」で、娘の妊娠を願い

出雲大社では「赤ちゃんとの縁」を結び

名古屋近辺で子授け祈願に

有名な神社を調べては

あちこちに出掛け

困った時の神頼みとはよく言ったものです。

 

その後、顕微授精に進み・・・

 

2回目の移植で、陽性反応が出ました。

しかし、前回のように

陽性になっても

ダメな場合もあるので

手放しでは喜べず

次の診察日で「胎嚢」の確認が

出来るまでドキドキでした。

 

診察日の当日、娘からの知らせを

今か今かと待っていました。

 

「胎嚢確認できたよ!」

 

そう届いた娘のLINEに

心底安堵したものです。

 

卵胞も確認され、無事

正式に「妊娠」する事ができました。

夢にまで見た「母子手帳」が交付されました。

予定日は9月下旬です。

やっと5か月の安定期に入りました。

19日は戌の日だったので

神社へ安産祈願に行ってきました。

 

2回目の顕微授精で妊娠できた事は

早い方なのかもしれませんが

この2年近く

まじかで治療を見てきた私にとっては

長かった気がします。

正直・・・

産むが産むまで、心配は尽きませんが

今は、無事に産まれてくれる事を祈るだけです。

 

「子どもを授かる」という言葉の重みを

これほど感じた事はありませんでした。

 

「まだ赤ちゃんできないの?」

「2人目、まだ?」

「お孫さんは?」などなど・・・

今まで、私は知らない間に

友人や知人に

無神経な言葉を

投げかけていたんじゃないか・・・と

とても反省しました。

 

母の車椅子もそうですし

今回の不妊治療もそうですが

自分がそちら側になって

初めて分かる事

気付く事って

こんなにあるんですね。

今は・・・

9月に「無事産まれました~」と

皆さんに、ブログで嬉しい報告ができることを

心待ちにしています。

 

娘の妊活2」はこちら

コメント一覧

でこ
REIさんへ
REIさんも同じ経験をなさったんですね~
「流産」ってよく耳にしますし
よくある事のように思っていましたが
やはり娘の事になると
気持ちが全然違うものですね。。

来月ご出産!
「令和元年」ベイビーですね~~
楽しみですね~~~☆☆
出産前後は、2歳のお孫ちゃんの
お世話係りはREIさんでしょうか?
頑張って下さいね!笑

私は
長男のお嫁さんも
次男のお嫁さんも
産んですぐに病院に行った以降は
1か月経ってからしか
ご対面していないので
その1か月間、向こうのお母さんの
大変さを全く知らずで・・・

今回、私は初体験になります。
自分の時の記憶はとうに忘れてるし
陣痛が起きたらどうしよう??
お風呂にミルクにやれるかしら??
とかとか・・
今からとても不安ですが・・・
頑張ります!?

REIさんも、まもなくですが
頑張って下さいね~~笑


REI
でこさんこんにちは
今回のブログを読ませていただいて、でこさんの楽しい宿ブログの裏で このような ご心配があったのですね。
とにかく 無事安定期になり良かったですね。おめでとうございます。

でこさんのところと 子供の人数と男女の構成が全く同じで、うちも娘がかつて 妊活をしており2年目でやっと妊娠して喜んだのも束の間 心音が確認出来ず やむおえず流産という結果になり、母子で悲しい思いをし、娘を心配した日々のことを思い出しました。

その後無事妊娠して 今は2歳になる孫と、来月に出産予定の2人目がお腹におります
娘が30歳ということも同じですので 勝手にとても親近感が沸いて思わずコメントしてしまいました

娘の出産、育児のお手伝いは予想以上に大変です
お互いに頑張りましょう!
でこ
アリスさん
ありがと〜!
そうそう「卵管造影」一番最初にやる検査よね。
あれ娘も痛かった〜!と言ってた。
その検査の時は自分で車を運転して来ないように
言われ、私が送り迎えしたのよ。
アリスさんもそんな事があったんだねー

産婦人科系はどうしても女側ばかりが
辛かったり痛かったたり大変なのよね。
すごく不公平な気がするけど
映画やドラマ観てると、ほとんどの子供が
何かアクシデントとかがあると
「お父さん〜!」ではなく
「お母さん〜!」と叫ぶじゃない?
だから、ま、しょうがないか…と思う事にする(笑笑)

娘さんも1年半出来なかったんだね。
でもあんな可愛い女の子2人が産まれてきて
くれて、良かったね〜お幸せね〜〜
なつみも女の子を欲しがってる。
女の子は、お揃い着せたりして可愛いもんねー

私は無事産まれてきてくれれば
どちらでもいい!

また産まれた報告しますね〜
アリス
でこさん、なつみちゃん本当におめでとうございます。安産心から祈ってます。

私も結婚して妊娠遅くて、当時の不妊治療で
有名な医院に通ったよ。まあ昔だしタイミング
療法だけだったけど。でも卵管造影の検査
めちゃ痛かった。検査後座り込んでいたら、
他の不妊治療しているご夫婦が自家用車で
送ってくれました。「うちは、もう8年もできなっからあきらめてるんだけどね~しんどいけど
がんばってね。」と励ましてもらったの今でも
覚えてます。

娘も皐月妊娠したのは、結婚1年半くらいしてからだった。娘も避妊しなかったらすぐ妊娠して
しまうものだと思ってたけど、妊娠することって
奇跡なんだね~と言ってました。

自分より子供がつらくて親として支えるのは
でこさん、しんどかったよね。がんばったね~
うちは娘がメンタルな病気だから15年以上
支えてるから、そういうことはよくわかる。

本当におめでとうございます。
育児の手伝いはまた大変だけど、赤ちゃんは
可愛いからね~
でこ
なおよへ
心のこもった長いメッセージありがとう。
この記事を読んだら、なおよは
きっと反応してくれるだろうなぁ〜と思ってた。
私も若い頃、なおよが赤ちゃんがなかなか出来ないという噂は聞いてた。
あんな頃は今ほど医学が進歩していないから
冷凍保存とか、顕微受精とかなかっただろうね。
なおよはあの栄の有名な病院だったのかな?
なつみも最初あそこの一宮にある分院?に
通ってたんだけど、どうも先生との相性が悪く
名古屋駅前の別の病院に転院したの。
病院によって色々考え方があり
タイミングから順番に進めていくところと
その時間がもったいないからと
すぐ体外→顕微と進ませる病院とあるみたいで
名駅は後者の方だったみたいで
結果なつみにとっては良かったのかもしれない。

今回なつみの事があってから
なおよの事をすぐ思い出したんだよ。
なおよもこんな想いをしてきたんだなぁ〜とか。
息子さんを授かった時は飛び上がるほど
嬉しかったろうなぁ〜とか。
なおよのお母さんはどんな気持ちだったんだろう〜とか。

色々話したかったし聞きたかったけど
なかなかその機会がなくて…
昔とは技術的な事は参考にならなくても
精神的な面での私のフォローは
なおよに相談すれば良かったと
あとから思った。

なおよのメッセージ
なつみに転送しました。
とても喜んでました!

5月1日会えるの楽しみにしてます。
Naoyo
なっちゃんが不妊治療で悩んでるのはチラ聞きしてたけど、
随分大変な思いしたんだね、、、
辛かったね
読んでで涙が出てきたよ
何度心折れる思いをしたのか
でも、比較的短期で妊娠に至れたのは本当に良かった!!!
おめでとうございます(*^-^*)

「比較的短期」なんて言葉が許されると思ったのは
自分が苦節10年の不妊だったからかな
まぁ、10年ずっとそればかり考えてたら身がもたなかったけどネ(;^ω^)

「お子さんまだ?」の質問に傷つく期間もとうに越え
「う~~ん、作ってるけど、ヤリ方ちゃうかな?」
と、ジョークで返せるようにもなったりして、
でも、それもまた悲しくて

みんながいとも簡単に妊娠するのに自分はできない
クラス全員が飛べる一段跳び箱を自分だけが跳べない、、、、そんな感じ

母も遠巻きにイロイロお参りしてくれてたみたい

不妊治療の待合廊下でのなっちゃんの気持ち思うと
胸が痛くなるよ

あれをやってもダメ、これを試してもダメ
え~?そんなんするの?ってことも、、、
旦那には申し訳ないし
旦那が嫌な顔しなかったのは救いだったけどね

そうそう、その廊下にたまたま子守りで姪っ子連れってったのが大失敗
こちとら忙しい商売家、私用外出する者には漏れなく子供付けられる(;^ω^)
待合で2歳の姪っ子の世話をしつつフト目を上げると
そこには沢山の刺すような視線があったのが忘れられない

不妊に悩む人には「一人いるくせに(-_-メ)」だった
「違う、違う!私の子じゃないよ」と心で泣いたりして
しかもその帰り道の栄で「おしっこ!」という姪とトイレ捜すうちに駐禁貼られてた(^▽^;)
悲しい越えて笑うっきゃないわ

育児期間を経て、やがて看護師さんに復職した時
なっちゃん自身のこの辛い経験が、きっと活かしてもらえると思います

痛い痛い検査の時、ぎゅっと手を握っててくれた
オバちゃん看護師さんの心強さ
遂に息子を妊娠した時、夢見心地で診察室を出た私を
廊下まで追いかけてきて、
「本当に本当に大事にしてね!」と腕を掴んだ
婦長さんの笑顔、、、、

忘れられないよ

なっちゃんの妊娠に、心からの祝意と
自分の若かった頃が重なって、イロイロ書いちゃった

ツワリとか、大丈夫?
私はツワリがほとんど無くて、周りにチヤホヤされて
とても楽しい妊娠期間だったけど、
なっちゃんもそうであって欲しいな~~
デコも初めての娘の子
あれこれ世話する楽しみもあるね

安産を心より祈念してます
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「番外編」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事