河北新報電子版 朝刊
令和5年7月3日
五所川原市金木町出身の太宰治(本名津島修二)は五所川原でもっとも裕福な津島家に生まれ育った。
太宰治と言うペンネームを使用したのは津島家からの脱却と言う意味合いが強かったからかもしれない。
五所川原市は私の子供の頃に近所にいた兄のような存在だった人が住んでいて、子供の頃にあった私の武勇伝にも絡んでくるので、私には鬼門に近いので、よもや逢うはずは無いのだが、訪れるのは遠慮する地域でもある。
もっとも私より7歳以上上だったハズ。
亡くなられていることも予想の範囲で、彼の友人や同級生などの多くは鬼籍に入っている。
10年ほど前に、思い立って、高村光太郎智恵子を調べたいことがあって、花巻市の宮澤賢治記念館を訪れた。
賢治との交流などもなにかで読んだ記憶があり、また賢治と太宰治の交流などもあって、訪れたのだった。
しかし、行けどもいけども、気配さえない。
まさに、注文の多い料理店状態で、既に腰痛で杖使用で、運転は好きだが歩くのはギブアップな上、田舎道が延々と続いて閉口したものだった。
案の定、駐車場まで到着しても広大な敷地を歩く気力は既に無く、知人に頼んで写真をお願いしてお茶を濁してしまった。
自分的には青森県から神奈川県や千葉県までの範囲で、条件が合うなら、喜んで訪問しているので、余程の条件外なのだと思って頂きたい。
またネットで津島家にご縁のある女性と知り合って、私とは相性が良くないので、興味が半減どころか、失せてしまったことも五所川原市訪問を躊躇う理由になってしまった。
太宰治が津島家には文学や芸術などの分野の才能などは無いように書いているのだが、ご存知の方も多いと思うが、太宰治の娘である津島佑子も優れた作家であり、必ずしもそうではあるまいと太宰治の言に異を唱えておきたい。
宮澤賢治と太宰治は互いに影響しあっていたと認識しているのだけれど、だから詳しく調べていないので、ほどほどに思うと言わせていただいておこう。
津軽鉄道は太宰治の「津軽」という小説を中心に、アテンダントとか言うボランティア?たちが案内してくれるという。
同好の士が乗り合わせて、あーだこーだと楽しく語らうことなどは、現代の大きな冒険とも思える。
もちろん予習をせずとも、旅情に浸れるだろう。
だが、太宰治の作品を改めて読んだ上で、このような列車で再確認出来れば、思いがけない発見などに出会えることもある。
この機会に楽しい旅を計画なさってみても、如何だろうか?
大病した時に、思いがけず生命を長らえることが出来て、年に500冊の読書で、20年過ごしたいと、悲愴な決意で始まり、6000冊を過ぎた頃から、飽きてしまって、ダレた読書習慣になってしまっている。
あれから既に20年は生きられた。
元々、読書習慣はあったので、若い時期から考えてみれば、万巻の書は読んだと思っているが、おりに触れて思い出すように、紙の本を購入する。
ちっとも頭が良くなったとも思えず、このところは時代小説専門の読者で、読み飛ばしてもいる。
太宰治と宮澤賢治の合本をKindleで購入した。
気が向いたら、私も太宰治を読み直して見よう。
令和5年7月3日
五所川原市金木町出身の太宰治(本名津島修二)は五所川原でもっとも裕福な津島家に生まれ育った。
太宰治と言うペンネームを使用したのは津島家からの脱却と言う意味合いが強かったからかもしれない。
五所川原市は私の子供の頃に近所にいた兄のような存在だった人が住んでいて、子供の頃にあった私の武勇伝にも絡んでくるので、私には鬼門に近いので、よもや逢うはずは無いのだが、訪れるのは遠慮する地域でもある。
もっとも私より7歳以上上だったハズ。
亡くなられていることも予想の範囲で、彼の友人や同級生などの多くは鬼籍に入っている。
10年ほど前に、思い立って、高村光太郎智恵子を調べたいことがあって、花巻市の宮澤賢治記念館を訪れた。
賢治との交流などもなにかで読んだ記憶があり、また賢治と太宰治の交流などもあって、訪れたのだった。
しかし、行けどもいけども、気配さえない。
まさに、注文の多い料理店状態で、既に腰痛で杖使用で、運転は好きだが歩くのはギブアップな上、田舎道が延々と続いて閉口したものだった。
案の定、駐車場まで到着しても広大な敷地を歩く気力は既に無く、知人に頼んで写真をお願いしてお茶を濁してしまった。
自分的には青森県から神奈川県や千葉県までの範囲で、条件が合うなら、喜んで訪問しているので、余程の条件外なのだと思って頂きたい。
またネットで津島家にご縁のある女性と知り合って、私とは相性が良くないので、興味が半減どころか、失せてしまったことも五所川原市訪問を躊躇う理由になってしまった。
太宰治が津島家には文学や芸術などの分野の才能などは無いように書いているのだが、ご存知の方も多いと思うが、太宰治の娘である津島佑子も優れた作家であり、必ずしもそうではあるまいと太宰治の言に異を唱えておきたい。
宮澤賢治と太宰治は互いに影響しあっていたと認識しているのだけれど、だから詳しく調べていないので、ほどほどに思うと言わせていただいておこう。
津軽鉄道は太宰治の「津軽」という小説を中心に、アテンダントとか言うボランティア?たちが案内してくれるという。
同好の士が乗り合わせて、あーだこーだと楽しく語らうことなどは、現代の大きな冒険とも思える。
もちろん予習をせずとも、旅情に浸れるだろう。
だが、太宰治の作品を改めて読んだ上で、このような列車で再確認出来れば、思いがけない発見などに出会えることもある。
この機会に楽しい旅を計画なさってみても、如何だろうか?
大病した時に、思いがけず生命を長らえることが出来て、年に500冊の読書で、20年過ごしたいと、悲愴な決意で始まり、6000冊を過ぎた頃から、飽きてしまって、ダレた読書習慣になってしまっている。
あれから既に20年は生きられた。
元々、読書習慣はあったので、若い時期から考えてみれば、万巻の書は読んだと思っているが、おりに触れて思い出すように、紙の本を購入する。
ちっとも頭が良くなったとも思えず、このところは時代小説専門の読者で、読み飛ばしてもいる。
太宰治と宮澤賢治の合本をKindleで購入した。
気が向いたら、私も太宰治を読み直して見よう。
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