蝦夷犬(エゾイヌ)

奥羽越列藩同盟の東北北海道さらに新潟県をテーマとして、地域の新聞から記事を選び、勝手なことを書きたいと思う。

「発達障害」言葉独り歩き

2023-11-28 15:10:00 | 日記
河北新報 電子版 朝刊
令和5年11月28日 20/26

小児科医の成田奈緒子さんによれば、文科省などで「発達障害」とされる子供の数が06-19年の13年間で10倍に増えたとされると言う。
「発達障害」という診断名は無い。
そして、数字は、教員が主観的に、可能性があると判断した数字だという。

実は、私の孫も「発達障害」の恐れがあると言われたと、長男から聞いて、手ヅルを使って、何かの折にと、薬を用意した。
発達障害から精神疾患と診断され、葛藤の末に亡くなった事例を数回見ていて、その怖さを身に染みて知ったからに他ならない。
しかし、どう判断しても、私自身から孫を見て、有り得ないと思うに至った。
そして、どこからそのような話が出たのかと長男を問い詰めたら、学校の三面(三者面談)の後に言われたと言うのである。

長男夫婦の子育て方法に、大いに異論はあるのだが、彼ら夫婦は「超」の付くスーパーエリートである。
下手なことを言って、孫に会わせて貰えなくなったら、私が寂しすぎる。
薬は用意したから、何らかの事態には対応出来ると伝えて、お茶を濁すことにした。
彼ら夫婦は、薬もあまり信じてはいない。
余程の場合のみ、医師や薬を頼ると言う。
私は、薬が好きと言うわけではないが、知識はあるので、他の方々よりは通常使用など特殊な方法でも服用することもある。
私の場合は、何度となく死線を越えて来たために、予防的に使う場合もあって、褒められる使用法では無い。
また、一般には、彼らのように、必要な場合の使用にとどめるのは、悪い判断とも思わない。

しかし、本題の「発達障害」の宣言はなんなのだろう?
どうも教師たちの自己防衛のために、何か起きた場合の逃げ道を確保する手段に使われているのではなかろうか?
お子さんは「発達障害」の可能性がありそうだから、と逃げを打って置こうと言うもののように感じてしまう。
孫から見れば、父親は大学教授で、母親は裁判所の調査官。
高校教師から見れば、異質な職業人で、敵に回してしまうと厄介な連中に思うだろう。
まして、双方とも田舎育ちの純朴そうな、甘さいっぱいのように見えているに違いない。
外面は柔和な容貌である。
舐めてしまうのも仕方がない。
実際の彼らの仕事などの向き合い方を知ったら、腰を抜かすほどに恐怖を覚えるに違いない。

それにしても、「発達障害」と言う言葉の独り歩きは、成田奈緒子氏が専門家としての立場から警鐘を鳴らすように、軽く考えられる問題では無い。
私が思い至ったようなこととすると、子供たちのある一定数は、大きな被害を受けていることを想定するべきかもしれない。

父から性虐待 賠償認めず

2023-11-23 09:44:00 | 日記
河北新報 電子版 朝刊
令和5年11月23日 23/24

アメリカで「汝、娘を犯す無かれ」と言う本がベストセラーになったと言う記事を読んだのは、40年ほど前だろうか?
その時の書評に、日本でも問題になる日が来ると書かれていた記憶がある。
それから20年後には、正しく危惧が具現化し始めていた。
池田由子著「汝わが子を犯すなかれ」が1991年である。
副題に、 日本の近親姦と性的虐待とある。
日本の民俗、風習と言って良いのかは疑問だが、子殺しや虐待は、度々記録で目にするところ。
多いかどうかは統計を見ていない。
しかし、少なからず、繰り返されてきた問題だろう。

河北新報の記事に拠れば、40代女性が70代の父親に損害賠償を求めたが、いわゆる時効成立で、父親の行為は残虐で悪質だが、「除斥期間」(じょせききかん)、不法行為から20年で賠償請求権が消滅するとして、控訴を棄却した。
もっと前に訴えなさい、時効ですよと言うのである。
家族だから、表面化させたくはなかっただろう。
女性はPTSDを発症して、病むに病まれず控訴したことは容易に推測できる。

だいぶ以前になるが、祖父に近親姦を受け、精神的な病を発症して、性依存症になっていた女性と知り合ったことがある。
両親共に祖父の行為は知っていたものの、対策を立てられず、海外へ留学した。
それなりの優秀な成績で海外の学校は卒業できたが、ドラッグとセックスの依存性で、帰国してからは精神病院へ入院。
祖父や両親への暴力など、激烈な状態が続いたが、幾分緩和されている時に、私と出会った。
社会的に芸は身を助けると海外で得た技能で、認められ始めていた。
しかし、私も追いかけられて、相手にさせられるのでは、いささか辛すぎるので、逃げ回って事なきを得た。
しばらく、ラジオなどで名前を聞くことがあったが、ついぞそれすら途絶えてしまった。
おそらくだが、強制措置入院で社会復帰は無理になったのではないかと思っている。
彼女の狂乱状態の時に、母親に熱湯のヤカンをぶつけたとか、突然車から飛び降りなど、病気が進行していたので、それなりの設備がある閉鎖病棟でなければ、対処出来なくなったのだろう。

近親姦は様々なことを引き起こす。
いくつかの事例は、偶然にも知る立場になったが、いずれも悲惨なことも知った。
近親姦では無いが、中学校で教師が生徒に手を出し、相談を受けた時がある。
教師は私の同級生だった。
親はその事実を知ったが、学校に相談もできず、たまたま知人に聞いて、知っていた担当の警察官にそれとなく捜査をお願いした。
教師は移動したが、表沙汰にはならなかった。
被害者生徒は数人存在していた。
一般民間人で、PTAの役員と言う立場だけでは、動くことにも限界がある。
近年には、ボランティアなどで相談所などもできているが、いわゆる公金チューチューの輩も多く、また知り得た情報で女性を縛り、二次被害、三次被害を起こすこともあって、せめて法の整備くらいはちゃんとして欲しいが、抜け穴のある運営では、被害者は絶望するだけではないだろうか?

第三者委 年内設置へ 宝塚俳優急死 再調査は消極的

2023-11-21 10:50:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
令和5年11月21日 23/24

できるだけ東北の話題を選びたいと思うものの、我慢ならない。
これだけ話題になっていながら、なぜ自殺した女性を悼む心を持たないのだろうか?
ネットでちょっと調べただけで、亡くなられた方と、叱責を繰り返し、退団して、結婚をし、のうのうと生活しているだろう加害者は特定され、加害者が宙組の上位に着いてから、あまりにも苛烈な叱責を繰り返していた状況は共通認識として、劇団員に共有されている事実も明らかになっている。
部外者であるネット民の我々さえ容易に、被害者と加害者の双方が顔写真までわかる状況なのに、宝塚歌劇団の体質と言うのは、共同正犯とさえ思えてしまう。

宝塚歌劇団は、女性だけの世界ではあるが、一部の熱狂的ファンには夢の世界を具現化する、素晴らしい理想社会では無いのか?
幼い頃から、宝塚歌劇団に入団したいがためだけで、レッスンを繰り返し、家族一丸になって、その舞台を目指し続けて、それですら到達できるのは極一部の恵まれた才能だけと言う、特別の場所ではないのか?
社会責任として、その世界を、清廉潔白な清浄な場所として維持運営するべき責任が主宰者側にあるはずではないか?
これでは歌劇団そのものが自らの責任をかなぐり捨てて、加害者側だけを守ろうとしているとしか思えない。
おそらく、このような姿勢では、これからも、同様の事件が繰り返されるに違いない。

宝塚市出身の女性に、宝塚歌劇団の公演の様子を教えてもらったのは半世紀も前になる。
その方が宝塚市から来たと言うだけで、関係者では無いのだが、それでさえも、大変に詳しく教えていただいた。
宝塚市そのものが宝塚歌劇団の一部とさえ思えてしまうような、大きな存在であると聞いた。
既に異質な怪物に変貌してしまったのだろう。

被害者は実に可愛い女性で、恋愛対象年代の男性の多くは、好意を抱くだろうし、親の年代なら清楚で明るい彼女のようなお嫁さんが来たら、自慢の娘分となる。
本当に惜しい女性だった。
彼女のような女性に母となって欲しかった。
過去形でしか書け無くなったことが辛い。

それに引き換え、加害者は、バイアスが掛かって見るせいかも知らぬが、顔にヒステリックなイメージは見受けられる。
とてもとても、彼女のような女性が知り合いなら、ご遠慮させて貰うだろう。
何を言いがかりをつけられるかわかったものじゃない。

逃げ場の無い空間で、被害者が常に加害者から叱責を受け続けるなら、我慢できなくなるのは容易に想像出来る。
宝塚歌劇団は、過去にも事件と呼べるような退団事例もあるやに聞く。
回避策も示されているハズだと思っていたが、このような宝塚歌劇団の姿勢なら、絵に描いた餅。
存在してはならない団体と思ってしまう。

すべての条件は明らかになっている。
あなたがたは、宝塚歌劇団と言う名を見た時に、如何お考えになるのだろう?

アワビ漁受難 生活者苦悩

2023-11-16 16:26:00 | 日記
河北新報 電子版 朝刊
令和5年11月16日 25/26

宮城県沿岸のアワビ漁に異変が起きているという。
今夏の異常な高温と豊漁のマダコによる食害で、身痩せが起きていると言う。
どこかで聞いた記憶がある。
なんだっただろうと考えて、思いついた。
キャベツウニだ。
ウニが何かの原因で、海藻が少なくなった年に、対策として生まれたのが廃棄するキャベツがウニのエサにならないか?
そうしてできた、海藻の代わりにキャベツとか柑橘類を与えることで、時として出てくる苦味のあるウニがまったくなく、甘さのあるウニ。
それから研究が加えられ、柑橘類まで与えてみれば、爽やかな香りのあるキャベツウニ。
災い転じて福となすのは、日本人の専売特許(笑)
多分、何か生まれそうな予感がある。

そうそう、ついでにナマコも考えたい。
これまで、お得意先だった中国の、日本の原発処理水に言い掛かりをつけ輸入禁止にしている。
ナマコも、抗がん剤のような作用があるとか?
この機会に新たな改良型も考えたらどうだろう?
言うならば、ナマコやヒトデなどは棘皮動物。
キャベツウニから改良は生まれやすいのではないだろうか?

近大マグロなどのように、大学も生き残りで四苦八苦する時代。
地元にある石巻専修大学に適切な学科がある。
地元の漁協などから共同開発で研究を持ち込んだなら、あるいは瓢箪から駒となりそうでは?
どうせなら、ジビエなどの廃棄する部分を飼料化出来ないだろうか?
あるいは柿が膨大に成っているものを協力してもらって試してみるなど、相当のものを対象に考えられるはず。

ふむふむ、アワビに柿を食べさせてみたら、どうなるだろう?
ヒトデの中に食べられる種類があると言う。
ジビエの廃棄物を食べさせたヒトデ。
クマヒトデ、、、(笑)

栗駒山頂の社 36年振りに再建

2023-11-09 18:05:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
令和5年11月9日 15/24

栗原・駒形根神社奥宮の老朽化によって御影石の社を再建した。
東北地方のほとんどは山岳信仰で、駒形根神社も同様ではあるのだけれど、元々の由来を紐解くと、上毛野(かみつけの)、現在の群馬県地方の上野(こうづけ)の古語で、国造りと言われ都から地方の豪族として遣わされた人々の中で、上野の地方を任せられた人の守り神であった駒形大神を勧請、地方の平定のために山頂に祀った。
延喜式と言う平安時代中期に定められた格式の細則。
その中で記録された中に駒形または駒ヶ岳などの名で示された祭神。
当時に残っていた岩手県奥州市水沢の陸中一ノ宮と宮城県栗原市栗駒山の駒形根神社の二社が延喜式にある。

坂上田村麻呂などによって奥州征伐が行われた時代以前から、東北地方に住んでいた蝦夷(エミシ)と奈良京都の都に住んでいた倭人との戦いはあって、それぞれの時代で解釈もある。
浅学の身が軽々しく説明するよりも、お調べいただいたほうが、誤解が無いだろう。
その都から征伐に来て、形の良い山の山頂に、神を祀って平安を祈ったのが、いまに残っていると考えられる。

蝦夷の守り神である、アラハバキ神の痕跡は、栗原市や奥州市に残っていると思われるので、都の神を征服者側が祀ることで、アラハバキ神に対抗させたとも言えるのだろう。

東北の古代史は奥羽軍記なども群雄割拠の様相を活写して面白いが、地方の神社の由来を見ると、特に延喜式に記されている式内社と、古来からあったはずなのに、時の権力に素知らぬように、延喜式には無記載の神社などもあるので、何か他人が知らないちょっとした宝を掘り当てたような嬉しさを感じるような話題がある。

徳川の世になってからも、栗原市や奥州市などでは時々一揆などが起こっていた。
なぜだろう?
江戸時代の伊達藩は強大な権力があったのにと考えれば、これらの地域で起きていた一揆をさらに遡ることで、蝦夷の残党が反抗をしていたと捉えると、頷ける部分はある。
反抗する農民には過酷な税を課しただろうし、どこの時代まで遡るなら納得できるのかは、東北の縄文人と九州や近畿地方の弥生人の戦いが、明治時代直前の戊辰戦争まで続いて、常に東北地方が虐げられた負け戦の連続が、今日まで続いて、国会議員の横暴を考える材料になってしまう。
本来の日本の民であった、北関東から以北、北海道までが縄文人の子孫(当然だが、途中から多く日本に入って来たアイヌまで含めて)と、中国や朝鮮半島を経由して日本に入ってきた弥生人との若干の方々との覇権争いが、無意識に行われていると言えるのかもしれない。
奥州征伐時に捉えられた蝦夷が、九州地方の守りに遣わされたなど、非常にダイナミックに人種混交が行われたので、日本人の由来を深く探るなら、ほぼほぼ単一民族と言えるほどに、沖縄から北海道までの日本人は、同種の民族と言えるのではあるのだけれど。栗駒山頂の社 36年振りに再建

河北新報電子版 朝刊
令和5年11月9日 15/24

栗原・駒形根神社奥宮の老朽化によって御影石の社を再建した。
東北地方のほとんどは山岳信仰で、駒形根神社も同様ではあるのだけれど、元々の由来を紐解くと、上毛野(かみつけの)、現在の群馬県地方の上野(こうづけ)の古語で、国造りと言われ都から地方の豪族として遣わされた人々の中で、上野の地方を任せられた人の守り神であった駒形大神を勧請、地方の平定のために山頂に祀った。
延喜式と言う平安時代中期に定められた格式の細則。
その中で記録された中に駒形または駒ヶ岳などの名で示された祭神。
当時に残っていた岩手県奥州市水沢の陸中一ノ宮と宮城県栗原市栗駒山の駒形根神社の二社が延喜式にある。

坂上田村麻呂などによって奥州征伐が行われた時代以前から、東北地方に住んでいた蝦夷(エミシ)と奈良京都の都に住んでいた倭人との戦いはあって、それぞれの時代で解釈もある。
浅学の身が軽々しく説明するよりも、お調べいただいたほうが、誤解が無いだろう。
その都から征伐に来て、形の良い山の山頂に、神を祀って平安を祈ったのが、いまに残っていると考えられる。

蝦夷の守り神である、アラハバキ神の痕跡は、栗原市や奥州市に残っていると思われるので、都の神を征服者側が祀ることで、アラハバキ神に対抗させたとも言えるのだろう。

東北の古代史は奥羽軍記なども群雄割拠の様相を活写して面白いが、地方の神社の由来を見ると、特に延喜式に記されている式内社と、古来からあったはずなのに、時の権力に素知らぬように、延喜式には無記載の神社などもあるので、何か他人が知らないちょっとした宝を掘り当てたような嬉しさを感じるような話題がある。

徳川の世になってからも、栗原市や奥州市などでは時々一揆などが起こっていた。
なぜだろう?
江戸時代の伊達藩は強大な権力があったのにと考えれば、これらの地域で起きていた一揆をさらに遡ることで、蝦夷の残党が反抗をしていたと捉えると、頷ける部分はある。
反抗する農民には過酷な税を課しただろうし、どこの時代まで遡るなら納得できるのかは、東北の縄文人と九州や近畿地方の弥生人の戦いが、明治時代直前の戊辰戦争まで続いて、常に東北地方が虐げられた負け戦の連続が、今日まで続いて、国会議員の横暴を考える材料になってしまう。
本来の日本の民であった、北関東から以北、北海道までが縄文人の子孫(当然だが、途中から多く日本に入って来たアイヌまで含めて)と、中国や朝鮮半島を経由して日本に入ってきた弥生人との若干の方々との覇権争いが、無意識に行われていると言えるのかもしれない。
奥州征伐時に捉えられた蝦夷が、九州地方の守りに遣わされたなど、非常にダイナミックに人種混交が行われたので、日本人の由来を深く探るなら、ほぼほぼ単一民族と言えるほどに、沖縄から北海道までの日本人は、同種の民族と言えるのではあるのだけれど。