塩野七生 著 「ローマ人の物語 38~40 キリストの勝利[上・中・下]」 新潮文庫
この巻では、紀元337年から397年までの60年間の、古代ローマの事が描かれています。
コンスタンティヌス帝が死ぬと、また権力闘争が始まってしまいます。洋の東西に関わらず、歴史は権力闘争の繰り返しなんですね。コンスタンティヌス帝の実子を除く、親戚の人達が、なぜか殺されてしまいます。実子三人が残り、帝国内を三分割して統治しますが、長兄がその配分に不満で兵を上げ敗死、残った二人で10年ほど無事に統治しますが、三男は部下の将兵たちの不況をかって殺されてしまいます。
在位 | 皇帝 | 在位期間 | 死因 |
337-361年 | コンスタンティウス | 24年 | 病死 |
361-363年 | ユリアヌス | 2年 | 戦死もしくは謀殺 |
364-378年 | ヴァレンス 東方担当 | 14年 | 戦死 |
364-375年 | ヴァレンティニアヌス 西方担当 | 11年 | 病死 |
375-383年 | グラティアヌス 西方担当 | 8年 | 謀殺 |
379-395年 | テオドシウス | 16年 | 病死 |
残ったのは、次男のコンスタンティウス帝。
広くて度々蛮族たちが攻め入ってくる帝国内を、一人では統治できなく、生き残っていたいとこのユリアヌスを副帝とします。
父親の政策を継いで、キリスト教擁護の政治を続けたようです。そして、ローマの神々への信仰は、次第に禁止されていくようになりました。非常に疑り深い小心者だったとこのこと。恐怖政治をしたようですね。ユリアヌスの兄ガルスも、謀反の罪を着せられて殺されています。
ユリアヌスは、魅力的な人ですね!
この人の事は、他の人も色々な小説で書いているようです。『背教者ユリアヌス』とか!
父親はコンスタンティヌス帝の兄弟で、コンスタンティヌス帝が死んだ時に殺されています。幼少の頃は幽閉されていたのですね。副帝にはなっても、コンスタンティウス帝からは利用されるばかりで、信用されてはいなかった?
ガリアの地の統治を任されます。将兵たちの信用を得て、かなりの成果を残します。しかしコンスタンティウス帝からは虐待され、戦いになりそうになりますが、寸前に、コンスタンティウス帝は病死してしまいます。
皇帝になったユリアヌスは、キリスト教への擁護策を止め、『ミラノ勅令』直後の状態に戻そうとします。すべての神々への信仰は自由として、打ち壊されつつあったギリシャ・ローマの神々の神殿などを復活したのです。コンスタンティヌス帝やコンスタンティウス帝がキリスト教徒に与えた既得権を廃止しようとしたのですね。
大きな勢力となりつつあった、キリスト教徒は反発しますよね!
ユリアヌス帝はペルシャとの戦いの時に戦死しますが、見方からの矢を受けて死んだともいわれます!
ローマのキリスト教との戦いは、これで最後だったのでしょうか。
ユリアヌス帝の後の皇帝達は、キリスト教徒だったようです。
グラティアヌス帝とテオドシウス帝が、親キリスト教路線に大きく舵を切ります。
この時期、キリスト教内では、すでに教理の違いで争い事が起こっていたようですね。カトリック以外の教派は、「異端」とされ排撃されました。
紀元388年、ついにキリスト教はローマ帝国の国教とされます。
キリスト教以外のギリシャ・ローマ・エジプトなどの宗教はすべて邪教とされ、神殿や彫像は打ち壊されてしまいました。
キリスト教の司教がローマ皇帝の上に立ち、ローマ皇帝は自由に政治をすることが、出来なくなってしまいました。
ゼウス神に捧げるギリシャの古代オリンピックも、この時期に終わってしまったのですよね。
ローマやギリシャの素晴らしい文化遺産は、ここで途絶えてしまった・・・
テオドシウス帝が死ぬと、ローマ帝国は東西のローマ帝国に、二分されます。
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