goo

生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子 パスキン展 内覧会

先月、東京、汐留にありますパナソニック汐留ミュージアムにて開催されました、

生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子 パスキン展 の内覧会に伺いました。
★本記事に掲載の写真は、美術館より特別に撮影の許可を頂いております。

最初に会場内の展示をさっと見たあと、

青い日記帳主宰のTakさん、パナソニック汐留ミュージアム学芸員の宮内真理子さんのトークを伺うと、なるほど、、、と思うこと多々。

以下、トークでお伺いしたメモより抜粋。(聞き間違いなどあるかもしれません。お許しください

◯ピンカスは、ブルガリア生まれ、ユダヤ系のイケメンだった。

◯ウィーンで基礎を学び、ミュンヘンへ。ウィットに飛んだ風刺画を描き、切り取り方が斬新であった。

◯下積み時代がないという画家としての天性を持ち合わせた。そのため、お金がすふに入り、友人も多かった。

◯20歳でパリに。マティスの影響などを受けた。

◯1914年の第一次世界戦の頃、ロンドンからニューヨークへ渡り、寒いのが苦手であったのもあり、中米に滞在した。絵の仲間に囲まれず、のびのびと描き、純粋に絵を描いて楽しんでいた時期でもある。

◯45歳で自殺。不倫相手のリュシーとの仲が成就しなかったこと、1929年に大きな画廊と専属契約をするも、自由を好み規定されるのが嫌だった、などが要因か。
◯パスキン Pascin という名前は、ペンネーム。本名は、ピンカス Pincas。本名のアナグラムをペンネームにした。(←このくだりは、ネーミングのクリエイターとしてかなりツボでした) 

トークのあと、再度会場をまわると、
第一部 ミュンヘンからパリへ

第二部 パリ、モンパルナスとモンマルトル

第三部 アメリカ

第四分 狂騒の時代

と分かれているおり、なるほど、どおりで欧州だけでなく、アメリカやキューバ、そしてパスポートやリュシーに宛てた手紙などがあり、最後が狂騒となるわけで、と納得。
また、ピンカスという画家については全く知りませんでしたが、欧州、北米、中米と暮らす場所ごとに描くものの変遷がわかる展示。
個人的には、どこか斜に構えたというか、世の中を独自の目線で第三者的に見ているのかな、という印象を受けました。規定されず、自由に描きたい、ピンカスの気持ちがわかるような気がするだけに、女性関係や画廊との契約が違ったものであれば、もっと違う絵が見られたのかしら、とも思うと、人生というものを考えさせられたりもしました。 


向かって左「キューバでの集い」1915/17年
中米の雰囲気が伝わります。個人的に好きな作品。

手紙など自筆のものも。


向かって右「モデル」1912年

★展覧会概要(パナソニック汐留ミュージアム ホームページより)

2015年1月17日(土)~3月29日(日) パンフレット» パンフレットPDF

午前10時より午後6時まで(ご入館は午後5時30分まで)

休館日毎週水曜日(但し2月11日は開館)

入館料一般:1,000円、65歳以上:900円、大学生:700円、中・高校生:500円、小学生以下:無料

http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/15/150117/index.html

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )