【おじいちゃんは証券会社社長】
僕のおじいちゃんは、ハンティング帽を被りコートを粋に着こなしステッキを持って街を闊歩する素敵な青年だったと聞いております。
白黒の写真を見ると「カッコいい」人でした。
おじいちゃんは南満洲鉄道の株で当時裕福にしていた証券会社の社長だったと聞いています。という事は、戦争が終わると南満洲鉄道はポツダム宣言により1945年閉鎖。僕のお父さんが6歳の時の出来事、僕の手元にないが立派なお屋敷の前で写真に写る小さな子がお父さんだと聞きました。
細かくは聞いておりませんが、証券会社も大変な状況に陥ったと想像ができます。
その後証券会社は存続して愛知県西尾市で黒野証券という屋号でしていたと聞きました。ちょうど西尾駅前の現在岡地証券のあった場所だそうです。
数年後、お父さんが小学生4年ごろだったと思いますが、おじいちゃんが亡くなっています。病気でした。黒野家の男性は短命であると子供の頃聞いた記憶もあります。
お父さんが中学になるとおばあちゃん(元舞妓さん その1参照)がなくなってしまいます。
空転直下、裕福な生活をしていたお父さんと姉妹は、親戚などに預けられ育てられる、親がいない子たちとして成長していきました。
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | 大日本帝国 (租借地) 満州国 新京特別市(1931年以降) |
本店所在地 | 関東州大連市東公園町30 |
設立 | 1906年11月26日 |
事業内容 | 旅客鉄道事業、貨物鉄道事業他 |
代表者 | 当項目を参照 |
資本金 | 当項目を参照 |
主要株主 | 大日本帝国政府(50%) |
主要子会社 | 華北交通、大連都市交通、満州航空、昭和製鋼所 |
関係する人物 | 後藤新平(初代総裁) |
特記事項:1945年9月閉鎖、1957年清算結了。 |
南満洲鉄道(Wikipediaより)
南満洲鉄道株式会社(みなみまんしゅうてつどうかぶしきがいしゃ、旧字体:南滿洲鐵道株式會社[1]、英語: The South Manchuria Railway Co., Ltd.)は、1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)にポツダム宣言の受諾に伴って閉鎖された大日本帝国の特殊会社。南満州において鉄道運輸業を営んでいた。略称は満鉄(まんてつ、滿鐵)。
鉄道事業を中心として広範囲にわたる事業を展開し、日本軍による満洲経営の中核となった。本社は関東州大連市であるが、のちに満州国が成立すると満州国首都の新京特別市に本部が置かれ、事実上の本社となった。また、東京市麻布区麻布狸穴町[2]に東京支社が置かれた。最盛期には80余りの関連企業を持った。
息子のひいおじいちゃんの話でした。
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