今日はOさんのお誕生日。
でも、Oさんはいません。
東京では桜が満開だった
この3月末に
Oさんは永眠されました。
まだ55歳でした。
Oさんは一流のCMプロデューサーでした。
あれもこれも、うわーカッコイイCMやなぁと思うものはOさんがプロデューサーでした。
本来なら私みたいなペーペーは、口をきくこともできない方ですが、
私の夫とOさんは同郷の親友で、
(正しくは『五分の兄弟分』だそうです)
東京で再会してからよく一緒に呑んでいて、その席に私も加えてもらうようになりました。
私が女優であり、ダンスや歌もやっていることを知ると、私の芝居もダンスも一度も見たことがないのに、いきなりCMの振付に抜擢してくれました。
Oさんが昔手がけたCM(一世を風靡した、あの踊る金融機関のCM)の振付を、私のジャズダンスの師匠がしていたので
「あの先生んとこの子やったらいけるやろ」って。
私の師匠への信頼もすごいけど、それで普通、いきなり知らん振付師、抜擢する勇気あるかぁ???
その後も度々、CMの振付や出演、ナレーション、沢山Oさんの現場でお仕事させて頂きました。
今、私が芸能の仕事ができている、その大きなきっかけはOさんがくれたのです。
ひとつの仕事が信頼を産んで、また次を依頼して頂けるこの業界。
Oさんが下さったその最初のきっかけが
どれほどありがたかったことか。
そしてまた、Oさんとお仕事されたことのある方は皆様ご存知でしょうが、
Oさんのいらっしゃる現場がいかに心地良かったか。
現場の空気が濁りかけたら、もしくは濁る前に「O節」をスッ、と投じてウルサイのを黙らせます(笑)その小気味良いことったらもう。他の現場ではちょっと見たことない気持ち良さでした。
Oさんは、いつもしっかり責任を持っていらっしゃったのです。
(当たり前と思われるかもしれませんが、ちゃんと責任持ってくれる人がいない現場は沢山あります)
黒澤組はじめ、スタッフからの信頼も絶大でした。
私が目撃したOさん節をいくつか記しておきます。
●「もうほぼほぼ撮れてるやろ」
(押さえのカットをいつまでも撮ろうとする雰囲気になったときに)
●「帰ってエエですよ」
(自分の仕事が終わってもズルズル残ろうとする人に。私が呑み屋で眠そうな目をしてる時もいつも言われました。笑。)
●「もっかい言ってもらえます?」
(ホントは聞こえてます。あとちょっとで蹴りが出るとこです。)
●「あ、お昼、丼ものなんで。」
(長時間の撮影、昼休憩まで押して撮ろうとしたときに。せっかく取った丼もの冷ます気か?的な。)
●「誰が誰にじゃ」「殺すぞ」
(えーっと、慣用句です。笑。)
もちろん真剣に取り組んでるけれど、いつも客観的で、変なとこ見つけては茶化す。
(ものすごい毒を小声で吐いて茶化したあと、必ず八重歯を見せてニヤリと笑う)
優しいし怖いし大きいし繊細だし思いやりがあるし殺されそうだし。
本当に一言で言い表すことのできない
魅力的な方でした。
まだまだお会いできるような気がしてなりません。本当にもうこの世にいらっしゃらないのでしょうか。
とにかくお礼が言いたかったのと、
Oさんという方がどんなに素敵な方だったのか、書き残しておきたくてブログにしました。
私なりのOさん像なので、違うよ!という方いらっしゃいましたらごめんなさい。
Oさん、本当にありがとうございました。
どうぞ安らかにお眠りください。
そしてできましたら、どうか皆を見守っていてください。
龍ともこ
でも、Oさんはいません。
東京では桜が満開だった
この3月末に
Oさんは永眠されました。
まだ55歳でした。
Oさんは一流のCMプロデューサーでした。
あれもこれも、うわーカッコイイCMやなぁと思うものはOさんがプロデューサーでした。
本来なら私みたいなペーペーは、口をきくこともできない方ですが、
私の夫とOさんは同郷の親友で、
(正しくは『五分の兄弟分』だそうです)
東京で再会してからよく一緒に呑んでいて、その席に私も加えてもらうようになりました。
私が女優であり、ダンスや歌もやっていることを知ると、私の芝居もダンスも一度も見たことがないのに、いきなりCMの振付に抜擢してくれました。
Oさんが昔手がけたCM(一世を風靡した、あの踊る金融機関のCM)の振付を、私のジャズダンスの師匠がしていたので
「あの先生んとこの子やったらいけるやろ」って。
私の師匠への信頼もすごいけど、それで普通、いきなり知らん振付師、抜擢する勇気あるかぁ???
その後も度々、CMの振付や出演、ナレーション、沢山Oさんの現場でお仕事させて頂きました。
今、私が芸能の仕事ができている、その大きなきっかけはOさんがくれたのです。
ひとつの仕事が信頼を産んで、また次を依頼して頂けるこの業界。
Oさんが下さったその最初のきっかけが
どれほどありがたかったことか。
そしてまた、Oさんとお仕事されたことのある方は皆様ご存知でしょうが、
Oさんのいらっしゃる現場がいかに心地良かったか。
現場の空気が濁りかけたら、もしくは濁る前に「O節」をスッ、と投じてウルサイのを黙らせます(笑)その小気味良いことったらもう。他の現場ではちょっと見たことない気持ち良さでした。
Oさんは、いつもしっかり責任を持っていらっしゃったのです。
(当たり前と思われるかもしれませんが、ちゃんと責任持ってくれる人がいない現場は沢山あります)
黒澤組はじめ、スタッフからの信頼も絶大でした。
私が目撃したOさん節をいくつか記しておきます。
●「もうほぼほぼ撮れてるやろ」
(押さえのカットをいつまでも撮ろうとする雰囲気になったときに)
●「帰ってエエですよ」
(自分の仕事が終わってもズルズル残ろうとする人に。私が呑み屋で眠そうな目をしてる時もいつも言われました。笑。)
●「もっかい言ってもらえます?」
(ホントは聞こえてます。あとちょっとで蹴りが出るとこです。)
●「あ、お昼、丼ものなんで。」
(長時間の撮影、昼休憩まで押して撮ろうとしたときに。せっかく取った丼もの冷ます気か?的な。)
●「誰が誰にじゃ」「殺すぞ」
(えーっと、慣用句です。笑。)
もちろん真剣に取り組んでるけれど、いつも客観的で、変なとこ見つけては茶化す。
(ものすごい毒を小声で吐いて茶化したあと、必ず八重歯を見せてニヤリと笑う)
優しいし怖いし大きいし繊細だし思いやりがあるし殺されそうだし。
本当に一言で言い表すことのできない
魅力的な方でした。
まだまだお会いできるような気がしてなりません。本当にもうこの世にいらっしゃらないのでしょうか。
とにかくお礼が言いたかったのと、
Oさんという方がどんなに素敵な方だったのか、書き残しておきたくてブログにしました。
私なりのOさん像なので、違うよ!という方いらっしゃいましたらごめんなさい。
Oさん、本当にありがとうございました。
どうぞ安らかにお眠りください。
そしてできましたら、どうか皆を見守っていてください。
龍ともこ