羚英的随想日記

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■舞川鹿子躍・靖国奉納■

2016-10-17 23:50:53 | 風の吹くまま




ダラダラと花巻まつりの記事を書いてしまったせいで、その翌週に行われた舞川さんの靖国奉納の記事のアップがこんな遅くになってしまいました^^;

9月17日(土)、岩手県一関市に伝承される 行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅう まいかわししおどり) さんの奉納演舞を観に、東京・九段の靖国神社に羊子と訪れました。
この日、前の週に花巻でお会いした、スペイン在住で花巻にルーツを持っておられるAさんにも再会出来ました!

時間がギリギリになってしまい駅に着いてから急いで靖国に向かいましたが、思っていた時間よりが開始が30分遅かったのでまずは一安心



今回の奉納は、『靖国神社 秋の夜長参拝 みらいとてらす』 という行事の中で行われたもので、他の奉納団体には熊本の団体もありましたので、地震で被災した県内の芸能も選ばれてのものだったのかも知れません。
聞くところによると、神社の関係者の方が舞川さんの演舞を都内で観たことがきっかけで、是非にと招聘を受けたのだそうです。








踊り手さんやここに集まった皆さんと談笑しながら奉納までの時間を過ごしました。






舞川鹿子躍さんの中立氏。
Aさんが画像を撮っている側で、横からあやかり撮り
中立と女鹿子(めじし)の装束の幕の喉印と太鼓の調べ隠しの紋様は、輪違紋です。






支度が整い、あとは時間を待つばかり。
この日の踊り手構成は舞川鹿子躍・東京鹿踊の合同で、新人さんたちも参加されていました。
女性の踊り手が半数越え!






午後5時半少し前、第一鳥居の前にて鳥居誉めが始まりました。






夕刻の境内に響く太鼓の音に、人々が集まってきました。
靖国に、東北の鹿踊りの太鼓の音が唄が響きます。








誉め唄が終わり、渡り拍子を叩きながら第一鳥居をくぐり第二鳥居へ。







第二鳥居の前で太鼓の調べを。
『太鼓の調べ きりりと締めて ササラを揃え』







渡り拍子でさらに神門前へと進みます。








神門前で、社・禰宜(ねぎ)誉めを。




このあと、神門前での演舞・三人狂いの時間までしばし小休止。

手水舎の前には踊り手さんたちのために飲み物が用意されていて、その場で幕を上げてしばし休憩を取るシシたちに、国籍も様々な多くの参拝客・観覧者が集まってきます。
色鮮やかな装束を身にまとい鹿の角を冠したその異質な“いきもの”から演じる中の人間の姿が現れて、どこか安心したように。
そして、人々のリクエストや矢継ぎ早な質問にも快く応じる舞川鹿子躍のみなさん。

『インスタに投稿してもいいですか?』 と後姿を画像に収めたご婦人からも声を掛けられました。
『どうぞどうぞ! どんどん皆さんに紹介して下さい!』 と関係者の顔をして(笑)答える私たち。



ここ靖国神社は、建立当初は別の名前がありました。

『東京招魂社』

明治新政府が、戊辰戦争時の官軍等戦死者を祀るために創建したものでした。
会津藩をはじめとした奥羽越列藩同盟側(ほぼ今の東北と新潟)や新撰組、彰義隊などの旧幕府側の戦没者は祭祀対象外で、それは靖国神社となった今でも同様です。

一方、本殿の回廊の外・参道から外れた一角に、訪れる人もほとんどなくひっそりした鎮霊社というごく小さな祠があります。
そこは、他の対象外の霊や万邦諸国(諸外国)の戦没者など「明治維新以来の戦争・事変に起因して死没し、靖国神社に合祀(ごうし)されぬ人々の霊を慰めるため」 に 「昭和四十年七月に建立」 されました。 


そこには、私が思うほど深い意味はなかったのかも知れません。
が、そのような靖国で東北の伝統の郷土芸能が奉納されているのを観て、私は感慨無量でした。
鎮霊社に祀られている先人たちは、後の世の平安と陸奥国の舞川鹿子躍の奉納をきっと喜ばしく思ってくれたことだろうと。

舞川さんの靖国奉納を聞いた息子の獅子丸も、同じような感想を言葉にしていました。






6時から神門前で三人狂いの奉納が始まりました。











ツケと呼ばれる牡鹿子。
女鹿子(めじし)をめぐって他の鹿たちに闘いを挑む勇ましい役ですが、踊り手は女性です(笑)






若い牡鹿子のところ行って煽ります。






別のもう一頭のところにも行って、煽ります。










跳躍したり、威嚇するように体を捻ったり、ササラを突き合わしたり。
鹿子たちの激しい闘いの様子が表現されます。
二対一で入れ違うところは、行山流の独特な場面のひとつ。
踊り組によって様々なバリエーションがあるので、それを観るのも楽しみの一つです。






辛そうな体勢でササラを突き合わしてガンを飛ばし合っているような(?)場面。
『角はずしはしなかからね~』 と踊り手さんが休憩の時に言ってましたが、確かにしていませんでした(笑)
ササラを外すように角に引っ掛ける所作を言いますが、これが出来る踊り手は少ないそうです。






闘いに負けた鹿子たちが退いていきます。






ツケは勝利を誇示するように庭を廻り踊ります。






『白鷺は 立つと思えば 立ちかねて あとを濁さず 立てや白鷺 立てや白鷺』
白鷺の唄で、中立が立ち上がります。







鹿の子の場面では鹿子たちが勇壮闊達に踊り廻ります。
乱舞という言葉がピッタリなほど!






引端の場面。踊りのクライマックス。




踊りが終わり、一礼を。
満場の拍手に包まれ、行山流舞川鹿子躍さんの靖国神社奉納演舞は、無事に終了しました。

奉納時は 『正面におられる神さまに踊りが見えるように』 と広く人払いがされました。
境内に響く太鼓の音が唄が踊りが、ここに祀られるすべてに届いたことでしょう!



YouTubeにこの最後の演舞の動画をアップロードしています。
宜しかったらご覧下さいね。



2016 靖国神社奉納 舞川鹿子躍 1



2016 靖国神社奉納 舞川鹿子躍 2


#鹿踊り #ししおどり
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■花巻へ 其の十 祭りのあと■

2016-10-14 14:23:21 | 風の吹くまま



花巻まつりの鹿踊りパレードが無事に終了しました。
傾きかけた初秋の陽を浴びて、意匠をこらした装束のシシ達が白いササラをゆらゆらと揺らしながら、会場を後にします。

興奮冷めやらぬ心持ちながらも、入場してきたときの高揚感とは相対する何とも言えない寂寥感が心に去来してきます。
まるでこれが現実ではなく夢の中の出来事だったような、そんな感覚でもありました。





準備会場だった体育館に戻り、踊り手たちはシシから人間に戻り、帰り準備を整えています。
踊り終えて戻ってきたその顔はみな、踊りつかれた心地よい気だるさと共に安堵と充実感とに満たされているように見えました。
この一連の場面の数々は、同じ空間にいるのにも関わらずどこか美しい映像を観ているような、そんな感覚でした。

それは多分、自分が外の人間だからだろうと。
暮らす土地に連綿と伝わる鹿踊りが当たり前にあるこの岩手に住まう人々と、これが非日常である私との間にある隔たり。
何故だろう、近くに行けば行くほど、知れば知るほど遠くに感じてしまうのは。

そんな気持ちを心のどこかに置きながら、鹿踊りを通して繋がった友人たちとのつかの間の時間を惜しんでいました。
ひとつまたひとつと、支度を終えた踊り組が帰路を急いでこの準備会場を離れていきます。
だんだんと人の少なくなった空間に、ますます寂しさが増してきます。


そんな中、地元石鳥谷のお祭りでの演舞を終えてから、春日流八幡鹿踊の中立氏が半纏姿で駆けつけて来られました。
この日行事が重なってしまったために、八幡さんは花巻まつりの鹿踊りパレードには参加出来なかったのですが、前日の言葉通りに顔を出して下さったのです。
八幡さん、舞川さんの踊り手のMさん、この日踊りデビューだった成島さんの踊り手のMさん、スペインからこの時期のために帰国されていた岩手ゆかりのAさん、この日再びお世話になった柿内沢さんの中立氏と、みなで最後にしばしの会話を楽しみました。

しかし、無情にももう時間は残り少なくなりました。
ひとり、またひとりとお別れの挨拶を交わし、最後に残った4人がそれぞれ分かれていよいよこれでしばしのお別れです。
まつりのあとの寂しさに心をここに残しながら、岩手を離れなければなりません。



ご厚意で駅まで送って頂く途中の車窓から見える街の景色も、もう頭には入る余地もなく。
お忙しい中でしたので挨拶もお礼もそこそこに、新花巻駅には早く到着出来たことで乗車時間までまだ1時間以上ありました。
寂しさばかりの気持ちを持て余しながら何するともなく時間を潰し、まだまだ乗車まで時間がありましたが、改札を通り誰もいないホームに上がっていきました。

乗車位置より離れたところにあったベンチに独り座り、スマートフォンで書き込みをしていると、いよいよこれで岩手を離れるのだとの思いに名残惜しさがこみ上げてきました。

困ったな、今回はハンカチを忘れてきちゃったのにな。
ポケットティッシュならいっぱいあるからいいんだけどね。


新幹線に乗り、思い出になったひとつひとつの出来事に思いを馳せ、ふと気がつくともう仙台駅。
ごめんね、また素通りです(笑)
東京駅に着くと、名残惜しさと諦めと安堵の交じり合った、東北から帰るといつも感じる感覚が襲ってきます。
家族が待つ川崎への帰路も、もう迷わずお手のもの。
信用ならないJR横須賀線もスムーズに流れ、予定の時間に帰宅出来ました。





さて、この記事で行山流山口派柿内沢鹿踊の紹介は2度めになります。
細々としたブログではございますが、関連記事を読んで下さり、住田町世田米の柿内沢の里に伝承されるこの鹿踊りに少しでも興味を持って頂けた方がいらしたら幸いです。
心から嬉しく思います。

このまだあまり世に知らせていなかった稀有な踊り組を詳しく知りたいと思い、出向いたり聞き取りで取材をさせて頂きましたが、関係者の方々には何かとお忙しい中ご迷惑をお掛けしたここと思います。
この場をお借りして、お詫びとお礼を申し上げます。

式年祭・(急な話でしたが)花巻まつりと、2度にも渡りお世話になりました。
本当にありがとうございました。
230年の歴史を刻む伝統のともしびが永劫に灯り続けますよう、ますますのご活躍を心からお祈り申し上げます。

ということで、招かれざる客はしばしお暇いたします(笑)
保存会のみなさま、お世話になりましてありがとうございました。


また、この滞在でお会い出来ましたすべての皆さまに、心からお礼申し上げます。
素晴らしい時間を頂戴しました、本当にありがとうございました。
またいつか機会がありましたら、是非お会いしましょう!
まずはその時まで…!


『日が暮れる 西の根笹に 露が入る おいとま申す いざや我が連れ いざや我が連れ』


#鹿踊り #ししおどり
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■花巻へ 其の九 花巻まつり・柿内沢鹿踊 3■

2016-10-13 17:00:36 | 風の吹くまま


演舞直前の様子。



9月10日(土)、岩手県花巻市で開催された花巻まつり・鹿踊りパレードの、最後の演舞が始まります。
そのままの場所で反対側に移動し、2回目とは逆方向を向いて演舞を披露します。





2回目の演舞同様、抜きばちから始まり 『心静かに』 の唄を。


午後4時15分、最後の演舞が始まりました。

最後の演舞構成は…
心静かに→入羽(キッザゴ)→庭廻り(+唄切り/回れや車)→松島狂い(三人狂い)→追い狂い(一人狂い)→鹿の子(向い小山)→寄せ→引羽(今夜ばかりは)→納め

この演舞はその三人狂いの名から 『松島狂い』 と便宜上呼ばれるようです。


また、今回の演舞では、長らく踊られていなかった場面を復活させた場面が2ヶ所あります。
唄切りの“回れや車”と引羽の“今夜ばかりは”で、私も観るのは初めてです。





入羽(キッザゴ)の場面。
私の一番好きな入羽です。






この入羽は横から観たほうが(5月の式年祭の動画)その特徴がよく分ります。
柿内沢鹿踊の踊りは所作のバリエーションがとても豊富に感じます。






バチと太鼓を交互に打ちながらくるくると三度回って。
この場面で、中立の左手・左口輪の踊り手のササラが時々ことのほか美しく弧を描いて流れます。
まだ踊り始めて1年と8ヶ月ほどだそうですが、次期中立として着々と技を磨いていますね。






庭廻りの場面。
手前の中立のササラのしなりが基本だと。






庭廻りの後に続く唄切り。
久しく踊られていなかったもので、若手の踊り手が新たに習い覚えた場面です。
『回れや車や 水車 お先回れ 回り合わせろ 回り合わせろ』

唄のあとに続く踊りの中にもまた、山口派ではない他の行山流にも見当たる所作があり、源流を同じくしているのだなと感慨深くなります。






松島狂い(三人狂い)の場面。
今回の狂い頭は、前回三番手を踊った左口輪の踊り手のようです。






長身の踊り手で、時として若さ溢れるダイナミックな踊りを見せてくれます。






二番手・三番手が走り寄り、三人狂いが始まります。














行山流の特徴を見せる三人狂いの場面。
バチを切り、三人が入れ替わり2対1になり交差する場面はまさに気仙の鹿踊り。






三番手・二番手が引き下がり、狂い頭が追い狂い(一人狂い)を引き出します。
今回三番手の踊り手はベテランの方で、花巻で踊られるというので彼の追い狂いを観られるかと思っていましたが、三人狂いの役だったんですね。






追い狂いの場面。
前回とは違う踊り手です。






ササラで弧を描き。






鹿の子(向い小山)の場面。









緩急が交差する静と動の踊り。






『向い小山の小百合の花は つぼんで開く 今も開いた 今も開いた』






寄せの場面。






引羽(今夜ばかりは)の場面。
これも復活させて若手が新たに習い覚えた場面。
『今夜ばかりは この池に 明日は立つ候 直れおしどり 直れおしどり』










水鳥が歩を進めるような所作は、唄にあるおしどりの動きを彷彿とさせます。






『太鼓の胴をきりりと締めて ササラを揃え これで納めろ これで納めろ』







演舞が終了し、一礼を。






渡り拍子の太鼓を叩いて。
この日の演舞が全て終了しました。




抜けるような蒼い蒼い空のもと、200を超えるシシたちの真っ白な穂波が花巻の街に揺れました。




YouTubeにこの最後の演舞の動画をアップロードしています。
宜しかったらご覧下さいね。



2016.09.10 花巻まつり 行山流山口派柿内沢鹿踊 3



■花巻へ 其の十 祭りのあと■につづく

#鹿踊り #ししおどり
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■花巻へ 其の八 花巻まつり・柿内沢鹿踊 2■

2016-10-12 01:06:00 | 風の吹くまま


『心静かに 遊べ我が連れ 遊べ我が連れ』



渡り拍子を叩きながら全団体が次の場所へと移動し、午後3時40分、2回目の演舞が始まりました。


柿内沢鹿踊の演舞は最初の渡り拍子の部分は省略し、場面と場面を繋げる役目の“抜きばち・打っ切り(ぶっきり)”と呼ばれる太鼓から始まり、 『心静かに』 の唄が続きます。

2回目の演舞の構成は…
心静かに→入羽(ザンザン)→庭廻り(+唄切り/京で九貫の)→唐金狂い(三人狂い)→追い狂い(一人狂い)→鹿の子(壁ごし)→寄せ→引羽(かしわの番場)→納め

三人狂いが入る演舞では、演目名の代わりにその三人狂いの名前で呼ばれるようですので、この演舞は 『唐金狂い』。





入羽(ザンザン)の場面。
後ろ向きの体勢から勢いよく前に向き返る瞬間、一瞬、宙に浮く踊り手。






右足でトントントントンとリズムを刻みます。
ザンザンザンザン ザゴイゴザン…






足で弧を描くような足捌き。






庭廻りの場面。






足を踏ん張り腰を屈めた体勢で頭を振り、見得を切ります。






庭廻りの後に続く唄切りの場面。
『京で九貫の唐絵の屏風 一重にさらり 廻り合わせろ 廻り合わせろ』






円陣の状態から縦2列になり膝をつき、唐金狂い(三人狂い)の場面に入ります。






狂い頭(くるいがしら/三人狂いのリーダー)がササラをしならせながら庭を廻り、二番・三番を庭に引き出します。















三番・二番と引き下がったあと、狂い頭は追い狂いを引き出します。






追い狂い(ぼいぐるい/一人狂い)の場面。
やじろべえのように手足を伸ばして片足でトントンと左に右に。






ササラで三度、大きく弧を描きます。






追い狂いが右手で太鼓をポンと叩きます。
白鷺の唄を始める合図。

『白鷺は立つと思えば立ちかねて 後を濁さず 立てや白鷺 立てや白鷺』






白鷺を讃する唄が続きます。
『さてもや 見事に』






『立った姿よ』 と歌いながら踊り手は立ち上がります。






鹿の子の場面。






中立が隠れて見えなくならないよう、鹿の子を踊りながら側鹿は正面を開けます。
画面右の側鹿が正面を通るときには…






くるりと回りながら急ぎスペースを開けます。






鹿の子 『壁ごし』
『壁ごしに 立つより聞けば面白や つづみと太鼓 いつも絶やさず いつも絶やさず』






寄せの場面。
この演舞では横一列になり引羽を踊ります。






引羽の場面。
『かしわの番場に群々雀が 羽先を揃え 池の恋しさ 池の恋しさ』












演舞が終了、一礼。






渡り拍子を叩いて踊りを納めます。
最後に頭を垂れたまま後ろに切り返し、退場していきます。




そして全団体の演舞が終了した後、今度はその場の反対側に移動し、最後の演舞が披露されました。




YouTubeにこの2度目の演舞の動画をアップロードしています。
宜しかったらご覧下さいね。



2016.09.10 花巻まつり 行山流山口派柿内沢鹿踊 2



■花巻へ 其の九 花巻まつり・柿内沢鹿踊り 3■につづく

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■花巻へ 其の七 花巻まつり・柿内沢鹿踊 1■

2016-10-09 21:45:35 | 風の吹くまま




9月10日(土)、晴天・気温やや高し。
しかしすでに夏のそれではなく、陽射しは強くとも初秋のさわやかな空気が混じる、まさに鹿踊り日和でした。

各団体が所定に位置につき、演舞が始まるのを待ちます。
そして午後3時20分、花巻まつり・鹿踊りパレードの1回目の演舞が始まりました。

一斉に鳴り響く太鼓の音。
それぞれの踊り組の太鼓のリズムが時に重なり時に相対し、おまつり広場の空間に複雑に反響し、轟きます。
その中でも一際リズムのゆっくりな行山流山口派柿内沢鹿踊の太鼓の音。





渡り拍子の場面。


1回目の演舞の構成は…
渡り拍子→遠入羽→入羽(ザッザコザ)→庭廻り(+唄切り/京で九貫の)→長唄(南から白き雀)→鹿の子3(此の庭、海の波中(うみのどなか)、奥の御山)→寄せ→引羽(かしわの番場)→納め





遠入羽の場面。隊列のまま前方に倒れこむように勢いよく進み出ます。






豊かなザイが美しくなびいています。






入羽(ザッザコザ)の場面。
柿内沢鹿踊には4種類の入羽があります。

行山流のこういうバチを切る場面は、陵王などの舞楽の桴の所作を彷彿とさせます。
鹿踊りはそういった日本古来の芸能の影響も多く受けているからなのでしょう。






今年の5月の世田米・天照御祖神社式年祭で復活させた 長唄の場面。






側鹿がくるりと自転しながら庭を右に左にと廻ります。






鹿の子の場面。中立の見せ場。






群れの中心で、くるりと身をひるがえし。
ひらりと装束をひるがえし。






最初の鹿の子 『此の庭』
『此の庭は 広く平になるならば 小花を散らし 遊べ我が連れ 遊べ我が連れ』






次の鹿の子に入ります。






柿内沢鹿踊は、鹿の子にもまた緩急が交互に置かれる、抑揚溢れる踊り。






時にゆるやかに、時に激しく。






鹿の子 『海の波中(うみのどなか)』
『海の波中のはまつどうは 波に揺られ づんと立ちそろう づんと立ちそろう』

片足を軸に跳びながらその場で一回り、二回り。






最後の鹿の子です。

鹿の子の庭廻りで、太鼓がリズムが早くなる勇壮な場面。
側鹿はササラをしならせながら廻るのが本来だとか。






鹿の子 『奥の御山』
『奥の御山の細筋竹 よれてからまる ばらりはなれろ ばらりはなれろ』

左手のバチを掲げて、右手でバチと太鼓を交互に鳴らして。






中立の背のながしには、山口派の象徴の和歌が。

陸奥能信夫牡鹿濃女鹿廼郷殸遠曽侶邊天遊婦志嘉可裳
(みちのくの しのぶおじかのめがのさと こえをそろえてあそぶしかかも)
 





この全ての鹿が一斉に腰を落とす所作が、それぞれの鹿の子の締め括り。






寄せの場面。
円陣だったものがもとの隊列に戻っていきます。






引羽の場面。
『かしわの番場に 群々雀が 羽先を揃え 池の恋しさ 池の恋しさ』






バチで真っ直ぐに伸ばし行く手を差しながら。
柿内沢鹿踊りは、踊りの所作が実に多種多様です。






ふわりと身を翻し、鹿頭を雄々しく振り見得を切る場面。






納めの場面。
『太鼓の胴をきりりとしめて…』







『…ササラを揃え これで納めろ これで納めろ』






演舞終了、そして一礼。





最後に踊りを納める渡り拍子の太鼓を叩き、退場します。




そして全部の団体の演舞が終了した後、一斉に場所を移動し、2回目の演舞が披露されました。




YouTubeにこの演舞の動画をアップロードしています。
宜しかったらご覧下さいね。



2016.09.10 花巻まつり 行山流山口派柿内沢鹿踊 1



■花巻へ 其の八 花巻まつり・柿内沢鹿踊り 2■につづく

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■花巻へ 其の六 花巻まつり・パレード移動■

2016-10-07 15:07:35 | 風の吹くまま
9月10日(土)、花巻まつりの鹿踊りパレードの準備も整い、いよいよ移動が始まります。
各団体が続々と順番の列に並び始め、これから順次会場へと向かいます。
お天気が心配でしたが、幸い午前にあった雨雲も去り、青空には真っ白な雲が!

今回も私は行山流山口派柿内沢鹿踊さんにお世話になり、踊り組の半纏をお借りしてパレードに同行させて頂きました 





今や遅しと出発を待つ、柿内沢鹿踊のみなさん。
4年振りの参加だそうです。


その前年度(平成23年)に参加したときの様子がYouTubeにありますが、その時は中立の角鹿さんは左口輪(中立の左隣り/観客から見て右手)として踊られていました。





この日はベテランも復帰し8名の踊り手で参加。
各団体それぞれの渡り拍子(道行の太鼓)の音が鳴り響きます。


柿内沢さんに同行していると、他団体の太鼓の音が重なり響き、自分たちの太鼓の音が聞こえ辛いという現象が起こっているのが私にも分かりました。
特に、この日の柿内沢さんの渡り拍子の太鼓のリズムは今まで以上にゆっくりだったので、余計にリズム合わせが難しかったのではと思います。

鹿踊りをいろいろ観ていると感じますが、緩急は穏やかで比較的早めの太鼓のリズムとそれに合わせた軽快な踊りの団体が多い中で、柿内沢鹿踊のような太鼓のリズムと踊りの随所に緩急と唄が織り交ぜられている踊りは、独舞ではなく群舞である故に調和がとても難しい踊りだと思います。
その端麗なシシ姿とともにそういったところにも目を向けると、この踊り組の特徴や魅力といったものを捉えることが出来るのではと感じます。

で、なぜこの日はこんなにゆっくりだったのか不思議に思ったので後で中立の角鹿氏にお聞きしたところ、『柿内沢の太鼓のリズムは本来はこのぐらいゆっくりだから、直した』 そうなのです。
角鹿氏は中立として、また柿内沢鹿踊が昭和59年に活動再開を果たした当初の頃からの踊り手として、先輩方から伝授された“正統な”踊りを、後進の踊り手さんたちに何とか正しく伝えていこうと孤軍奮闘の日々。
ご自身は第12代中立、第8代中立にお祖父様が、第10代中立に(世話役としてこの日も同行されている)母方のいとこ叔父がおられ、踊りの長を輩出した一族としても、その責務を全うせんと尽力されているように感じます。
今後はどちらの太鼓の速さで活動されるのでしょうね。





吹張町まで移動して、一時休憩。
読みはフッパリ、ではなく、フツパリチョウなんですね!






鹿踊りの一行が一直線に。
画像では表せませんが、立ち並ぶ白いササラが圧巻!

看板建築風の建物が並ぶアーケード、昭和の人間の私にはどこか懐かしい風景です。






柿内沢鹿踊さんの後ろには同じ住田町の下有住に伝承される
行山流外舘鹿踊(ぎょうざんりゅう とだてししおどり)さん。

気仙鹿踊りの幕は外舘さんのような色合いが多い中、柿内沢さんは濃いめの色合い。






こちらは一関舞川の行山流舞川鹿子躍さん。

装束は踊り内容に合った工夫がなされていて動きやすそうに思います。
初めてこの装束を見たときに、ニシキエビかいっ!と思ったほどの伊達な色合い!

 




金津流石関獅子躍さん。

午前中の鳥谷崎神社の奉納演舞、お疲れ様でした。
何年振りかで中立の鹿踊マニアさんが参加されたとか!
おなじみの金津流の装束姿を見ると何となくホッとします。






ふたたび、舞川鹿子躍さん。

この日、親子ほど歳の離れた友人が 『海の門中(うみのとなか)』 を歌い踊りました。
観ることは出来ませんでしたが、きっと彼女にとって満足のいく躍りだったことでしょう!






柿内沢鹿踊さんの中立と、左口輪(中立の左側)で踊る次期中立の踊り手さん。

この日ご家族がその晴れ姿を観にいらしていました。
この若鹿さんがどんな中立になるのか、とても楽しみです!






休憩時間が終了し、渡り拍子を叩きながら会場へと向かいます。
タンタン タグヂグ タンタンコ…






鹿踊りの道行きを楽しそうに眺めている母子の姿が。
この太鼓の音と勇壮な姿は、きっと幼い心に刻み込まれたことでしょう。






長い鹿の列は、鹿踊りパレードの会場となる上町のおまつり広場へ。
広場といっても両側に商店が並ぶまっすぐな大きな通りです。


前日の夜のかがり火鹿踊りが踊られた場所と同じなのに、雰囲気がまったく違い、大きく感じます。
幽玄な夜の灯りに浮かぶ鹿踊りに対し、晴れ渡った空のもと傾きかけた眩しい初秋の陽射しに照らし出される鹿踊り。

白いササラを揺らし、意匠を凝らした装束に身を固め、おのおのの太鼓を轟かせ、圧倒的な数のシシたちがこの日この会場に集結しました。

夕べのあの太鼓の音の何倍もの音が、重なり、街中に響き渡っています。





最初に踊る所定の場所にスタンバイ。
抜けるような青い青い空、そして柿内沢鹿踊の深い青!



これからこのおまつり広場において、鹿踊りパレードの最初の演舞が一斉に披露されます。


■花巻へ 其の七 花巻まつり・柿内沢鹿踊り 1■につづく

#鹿踊り #ししおどり
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■花巻へ 其の伍 花巻まつり・パレード準備 つづき■

2016-10-04 11:15:04 | 風の吹くまま



体育館下のピロティーが準備会場です。


柿内沢鹿踊さんの向うに、午前の鳥谷崎神社奉納を終えて到着した金津流石関獅子躍のみなさんが。
その向う、壁にササラを立て掛けているのが行山流都鳥鹿踊のみなさんです。





11:56頃の画像、まだまばらな準備会場。
お疲れのご様子で仮眠をとる方も写り込んでいました






行山流都鳥鹿踊さんの唄が踊り組さんのユニフォームTシャツに書かれています。

『寿福には 地神皇神 御立会い 拝み申せや 我等連れづれ 我等連れづれ』



まだまだ時間があったので、あちらこちらとフラフラしながら、また都鳥さんのところでお話していたときに中立さんが見せて下さいました。
前の記事の内容と前後しますが、この時に中立のnontan氏に声を掛けて頂いたと記憶してます。
何だか嬉しくて頭がぼーっとしていて、時間の感覚の記憶があいまいです(笑)

住田町にある鹿踊り団体のこともご存知で、私の記事を読んでいて下さっていたこともあり、ご挨拶したいとの嬉しいお言葉に、柿内沢さんの中立の角鹿氏を僭越ながらご紹介させて頂きました。

さまざまな踊り組が一堂に会して踊るというせっかくの機会なのに、ただ集まって準備して踊り終わって帰るだけ…なんて勿体無いことです!
何かのきっかけがあれば、交流などと大げさのことではなくても、こうして鹿踊りを担う人同士が友好的に挨拶や言葉を交わすことが出来るんですものね。
私はこういう場面に出会えることがとても嬉しいんです


他の踊り組さんたちも続々と集まり始めました。
素顔が写ってしまうので画像は撮れませんでしたが、こんなに沢山の鹿踊りの団体さんが集まる場所に自分がいることが何だか信じられなくて、何をどうしたら良いのかもう半分訳わからなくなりました(笑)

前日に会った踊り手の友人たち(と言わせて下さい)も到着し、シシオドリ話しをしたり踊り方をレクチャー頂いたり、知り合いの踊り手さんたちとお話したりと、まつりの前の高揚した気持ちと再会出来た嬉しさと、もういろんなものが相まった至福の時間がそこにありました。
それにしても行山流舞川鹿子躍さん、一関からと遠いのに到着が遅くてハラハラしましたが(ブルーシートも忘れてきちゃった!)、ちゃっちゃと準備を進めてちゃんと出来上がるところが凄いなと





柿内沢さんも支度を始めました。
(顔出しOKは前回頂いたということで…)






画像左上の壁側の団体さんは、確か金津流野手崎獅子躍さんだったと。
右上は花巻農業高校の鹿踊部のみなさん。男子がいっぱいいました。






一番手前の頭は中立の頭。
いつの頃から伝わるものなのか定かではないという、大変希少な四つ叉の立派な鹿の角。



SNSでお知り合いになったスペイン在住の東和町にゆかりのある素敵な女性と、この日初めてお会いすることも叶いました
想像したとおりの聡明な方で、初めての対面とは思えないほど打ち解けてお話することが出来ました(*^_^*)


ちょろちょろしている間に、あちらこちらで装束の着付けが始まり、ふと見渡したところ都鳥さんも付け始めていたので、またまたお邪魔しました!





中立のnontan氏。
お顔は都鳥鹿踊の字のスタンプで失礼します。


nontan氏が 『袴の文様は何を表しているか分りますか?』
…五色の市松模様…うーん、分りません。
『稲穂を表現しているのだそうです』

なるほど~
この意匠、確かに秋の陽に光る稲穂が脳裏に浮かんでくるようです。
まるで印象派の絵画の手法を見るよう!

後でググってみましたが、行山流都鳥(とどり)鹿踊が伝わる地域は、広い扇状地にイグネ(屋敷林)が点在し田畑が広がる、秋には黄金に輝く稲穂がさぞや美しいだろうなと想像出来る地域でした。
鹿踊りの装束にそれが伝わる地域の原風景が表現されている…、素敵ですね

nontanさん、教えて下さってありがとうございます。





都鳥さんのササラ(腰差し)に対する私の疑問点が、解決しました!


この位置に来るんですね~。なるほど。
都鳥鹿踊さんは、斜め後ろの角度でササラを着ける踊りなんですね!
私が今まで観たことのある踊り組では、宮城県栗原市の一迫(いちはざま)の清水目(すずのめ)鹿踊さんがそうでした。

それぞれ装束の構造や着付け方など、よくよく見ると違いや工夫沢山あります。
時間がいっぱいあったら、ひとつひとつ検証と比較をしてみたいところです。






こちらは胆沢郡金ヶ崎町の…
皆白行山流三ヶ尻鹿踊(みなしろぎょうざんりゅう みかじりししおどり)さん、かな?
幕を後ろで結ばない踊り組さんなんですね。
今まで金津流鶴羽衣さんのしか見たことがありませんでした。
(ササラの角度に注意!)






こちらは拙ブログではお馴染みの、一関市舞川の行山流舞川鹿子躍のみなさん。
(ササラの角度に注意!)






行山流山口派柿内沢鹿踊さん(中立)。こちらは行山流でも山口派の踊り組。


ササラは後ろ斜め気味ですが、角の邪魔にならないようにわざとしていると以前聞いたような…。
踊り出すと、腰を下ろして猫背気味の姿勢をとり、頭を下げ気味(顔を少し下に向けて)で踊るので、ササラは垂直近くに、時にはそれ以上になります。





気仙地域の山口派ですのでササラが長いのが特徴かと。
後ろには花農の鹿踊部(春日流)の踊り手さんたちが。
(ササラの角度の注意!)






一際目立つ、天井に付くほど長いササラです。


花農の生徒さんたちがその姿をまじまじと見て、長~いと話している声が聞こえてきました。
先刻、その長いササラをどこぞのベテランと思しき踊り手さんがわざわざ来て冷やかしていったようですが、まぁどこにもいるんですねこういう人が





はい、また行山流都鳥鹿踊さんの中立さんの装束です。


ササラには五色布。
五色は詳しい意味合いは異なるようですが、神道にも仏教にも共通するもので、この五色を着けるのは他の踊り組にも散見されます(舞川さんなども)。
幕は先ほどの三ヶ尻さんと同じく、後ろで結ばずにそのままの状態です。

ながしには 「冨士麓(ぶじふもと)行山躍」 と 「五穀成就」 の文字が。
団体名にはありませんが、都鳥さんは冨士麓系なんですね。
しかしながら、奥野流とか冨士麓行山流と呼ばれる由来は何なんでしょう。
踊りや太鼓のリズムが特徴的な宮城の清水目さんなどは、早川流と謳いながらもながしに行参の文字があるし。

うーん、奥深い。





こちらは中立の正面の姿。
側鹿の袴の紋様は源氏車。
(ササラの角度に注意!)


源氏車は私の実家の家紋だと言うと、じゃあ○○さんですね、この家紋は○○さんだから(笑)と若鹿さんが
しかし、うっかりしてました!
大口袴に描かれているものを見せて頂くのを忘れてしまいました~

動画で確認したら女鹿(この表記でいいのかな?)のながしには 「豊年躍」 の文字が、側鹿のながしや大口袴には武将が描かれていました。
豊臣秀吉と加藤清正(らしい)と踊り手さんがSNSで教えて下さいましたが、これなんですね!


ササラの角度はそれぞれ特徴がありますね。
金津流さんのササラは垂直に近い角度で、踊り方も、上半身は前かがみにならないで背筋を伸ばして踊るのだそうです。
角の角度、ササラの形状と角度などその踊り組独特の装束のしつらえ、装飾や利便を考慮した工夫、意匠とその意味…踊りや太鼓や歌の他にも、見るべき点は沢山あります。
こんな貴重な機会はめったに無いのに、時間と体が足りないっ



さてさて、あっちこっちとフラフラしてお世話になる柿内沢さんのことがおざなりになりましたが、これ以降はまた密着させて頂いてパレードの様子を記録させて頂くことになりました。


■花巻へ 其の六 花巻まつり・パレード移動■につづく

#鹿踊り #ししおどり
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■花巻へ 其の四 花巻まつり・パレード準備■

2016-09-29 12:55:13 | 風の吹くまま
9月10日(土)、午前中に鳥谷崎神社で奉納された金津流獅子躍の合同演舞を堪能したその足で、次なる目的地・鹿踊りパレードに参加する踊り組さんたちが準備のために集結するまなび学園の体育館に移動しました。

まだまだ時間が早いため、もちろんだーれも居ません(笑)
駐車場の入場整理をしていた係員の方にお聞きして、間違いなくここが準備会場だと確認し、時間がまだまだたっぷりあるので別棟の階段のところに腰掛けて、お昼のおにぎりをのんびり食べて時間をつぶしました。

独りでこうして知らない土地の知らない場所でのんびりおにぎりを食べている自分がちょっと楽しくて嬉しくて、このような時間は今まで持ったことがなかったので、もの凄く新鮮な感覚を覚えながらペットのお茶をお供にパクパク
もちろん、このあとに待ち遠しい嬉しい再会や出会いが待っているから、なおのことこの時間が楽しく思えたのです。


そうこうしていると、一番乗りのどこかの踊り組さんがご到着。
三々五々、踊り組さんたちが集まってくるんだなぁ~と思うとワクワクします!
なんてったって、20団体超・200名以上のシシがパレードに参加するのですから!うほほ~



 

待ち遠しい気持ちで過ごしていたところ、あっ、到着したようです。
この日(再び)お世話になる、住田町世田米の行山流山口派柿内沢鹿踊さんご一行です。 
今年5月の3年毎に行われる世田米・天照御祖神社式年祭で密着取材(?笑)をさせて頂いた柿内沢さんに、今回も無理言ってお世話になることに。
何しろまったく勝手の分からない初めての鹿踊りパレード、詳しいことも分らず、何処でどうやったらベストな観覧が出来そうなのかとしつこくお聞きしたところ、だったら一緒について来ればいいと仰って頂いて…^^;
その言葉、待っていました!

…ということで、この日は半纏もお借り出来ることに!
(半ば強引に、いえ、ほぼ強引に…笑)
ウルトラマンのなりきりスーツを着てその気になっていた幼少の頃の獅子丸のごとく、踊り組の半纏を羽織って保存会の一員にでもなった気分でいる私でございました…

中立の角鹿氏は私のスマホのバッテリーの心配もして、ご自分の予備の充電器も貸して下さいました。
はい、そうなんです、私はここぞ!と言うときにヘマやらかすんです。
ましてこの日はもうすでに気持ちが舞い上がっていて、平常心ではございませんでした~。
お心遣い、ありがとうございましたm(__)m

しかしまだまだ準備を始めるには時間に余裕があり、柿内沢さんも小休止の状態です。
到着している踊り組さんも未だまばらな状況。
で、ふと見ると、壁にササラを立てかけている踊り組さんを発見。
好奇心のアンテナがピピッと作動し、どこの団体さんか教えて頂きたくて、半纏姿のままそちらへいそいそと向かいました。





私が今まで見てきたササラと、ちょっと構造が違う感じがします。
あくまでも素人の見解ですが…^^;






5分割にした竹を安定させている木枠を立てると…こんな風に!
体に対して平行にササラの面を立てるのかと思ったら
垂直に立てるタイプでした。


で、こちらの踊り組さんはどちらの団体かと言うと、行山流都鳥鹿踊(ぎょうざんりゅう とどりししおどり)さん。
ミヤコドリではなくトドリと読む、岩手県奥州市胆沢区南都田の踊り組さんです。

お名前は以前から知っていましたが、キャパが無く鹿踊りを手広く知ることも出来ずにいて、名前のみぞ知るという団体さんでした。
6年前、鹿馬鹿氏から情報を頂き浅草で初めて金津流鶴羽衣鹿踊さんを観たときに、我々と時間差でニアミスした鹿馬鹿氏と同行されていた方が在京の都鳥さんの踊り手さんだったとのことで、その時に初めて知るに至りました。
■鶴羽衣鹿踊@浅草■

午前中に金津流丹内獅子躍さんのササラの準備を覗き見していたこともあり、ササラの根元に腰への当たりを和らげる緩衝の役目をする晒などを巻いていないのでその疑問を投げかけたところ、根元は腰の横の部分にくるのだということでした。
へ~なるほど、そうなんだぁ、ふむふむと何となく納得したつもりの私。

他団体の半纏を着てふらっといきなり現れて根掘り葉掘りと聞いてきくる変なおばさんにも、決して嫌な顔をせず丁寧に優しく説明して下さる若鹿さん。
ありがたいなぁと思いながら、自分の踊り組を知って欲しいという踊り手さん気持ちが伝わってきて、おばさんちょっと感動しました

後に、ベテランの踊り手さんと思しき方も声を掛けて下さり、いろいろとお話していたところ…。
『もしかして、川崎の?』 と。
『え?(確かに私は川崎在住ですが、でもなぜそれを?)』

この方は都鳥鹿踊さんの中立の方で、何と、私のブログを読んで下さっていたそうです!
私が羚英だと認識されたあと、すぐに掛けて下さった言葉がありました。

『指は大丈夫ですか?』

指摘頂いて気がつきましたが、すっかり痛みのことを忘れていたんです。
花巻入りが嬉しくて、βエンドルフィンが痛みを抑えてくれていたのかも知れません。
それにしても、初めてお会いする方にこんな優しい言葉を掛けて頂くなんて…結構この症状は辛いものがあるので、そのお心遣いが嬉しくて涙が出てきそうになりました。

私のブログにコメント入れようかどうしようかといつも悩んでおられたとのこと、確かにここのところコメントを頂くことはほぼありませんが(笑)、別のところで繋がっていることもありこのような状況かとも。
どうぞ遠慮せずお気軽にコメントを残して下さいね、お待ちしております!

また、都鳥さんの踊り手さんとは最近SNSでご縁があったのでその事をお話すると、複数の若手の方々がSNSやブログを通して踊り組の広報をされているとの事でした。
今の時代、こういったアイテムをPR活動に利用出来るので本当に便利ですね
後ほどわざわざSNSの“中の人”である踊り手さんを連れてご紹介に来て下さいました。
ありがとうございました。


あっちこっちと行ったり来たりフラフラしながら、この独特な雰囲気に高揚しつつも身の置き場に戸惑いながら、待ち人を待ちつつ、この極めて貴重な時間を過ごしました。

■花巻へ 其の伍 花巻まつり・パレード準備 つづき■につづく

#鹿踊り #ししおどり
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■花巻へ 其の参 花巻まつり・鳥谷崎神社■

2016-09-27 12:12:19 | 風の吹くまま
岩手入りの日の夜、花巻でかがり火鹿踊りを観て、その翌日の9月10日(土)の朝。

ほとんど睡眠がとれなかった状態で眠くて頭がぼーっとしていましたが、とりあえず天気も大丈夫そうだし、気分は上々
早めに出発しなければならないので改めて東北本線の時刻表を確認、身支度を整えて、夜中に足が攣った元凶の靴は(横着しないで)紐をしっかりと調節をして、まずはホテルの1階ロビー横にあるスペースで朝食を摂りました。

無料提供の朝食はおにぎりとお味噌汁が頂けるという情報だったのが、白いご飯か炊き込みご飯、煮込みのおかずにサラダなどなど、私には十分なラインナップ。
でも普段はあまり朝食は摂らないので、ご飯にお味噌汁とサラダを頂きました。
(夜の夜中にあんなに食べたしね…^^;)

スマホをいじりながら食後にジュースも頂いて、早々に部屋の戻って出発の最終チェック。
手荷物を軽くしたいなどと横着をして(横着ばっか!)前日のようなヘマをやらかさないように、指差し点検~
そして、『白鷺は立つと思えば 立ちかねて あとを濁さず』 ならぬ 『立つ鳥 跡を濁さず』 で部屋の中をチェック、忘れ物もないかチェック、よし!

大きい荷物を自宅に送ってもらうために受付で手続きをして、いざ出発!

さようなら、北上。
ホテルの東側には口内、北東方面には江刺の稲瀬が位置しているのね。
時間があったらまた行ってみたかったな。


朝の東北本線は学生さんたちで賑わっていました。
前日も思ったのですが、この電車は欧州などの電車のように乗降する人がドアの開閉を操作するんですね!
エレベーターボタンの前にいる気の利いた人のように、自分はまだ降りないのに下車する人のために操作している人もいました。
考えてみればここは北の地、寒い季節になれば乗降する人のいないドアを駅ごとに開閉し開きっぱなしにしては、乗客の人々がその度に寒い思いをしますもんね。
その土地に合った在り方なんだなぁとしみじみ思いました。





おなじみの、花巻駅・鹿踊りの人形!


観光客の人たちがこぞって画像を写していました。
私もそれにならって、カシャっ
カメラじゃなくてスマホで縦の撮影だから、またFBにリンクすると互換性がなくて変に表示されてしまうかもです^^;

前日の夕方は、正直ここにあったことをまったく認識していませんでした。
周りが見えてなかったんですね~(笑)←いつもの事です。

そして再び花巻駅に到着。
駅舎を出て、さあ!最初の目的地は鳥谷崎神社(とやがさきじんじゃ)です。

いや待てよ、朝食べたのにもうお腹が空いている…???
何が起こったのだ、私の胃袋は?

昨夕iPhoneのケーブルを買ったコンビニでお昼用のおにぎりや飲み物を買って、小腹減り用のお菓子なども買って(笑)、よしっこれで安心


目的地の神社は徒歩でも行ける距離とはありますが…初めての土地ですし、昨夜車で連れて行ってもらったときにはそれなりに距離があったような…。
時間は余裕たっぷりでしたが、やっぱりここでヘマしちゃまずいので素直にタクシーで行くことにしました。

ドライバーさんはかつて御神輿の担ぎ手さんだったそうで、退いた後はお祭りの時期が稼ぎ時でもあるし、自分が担いでいないのに観るだけなんて面白くないからと(笑)もう滅多に観に行かないそうです。
私の住まう地域と異なりいつでもそこにあって観に行けるという土地だし、それもまた羨ましいことだなと思いつつ…。

お祭りの話に花が咲いたところで、鳥谷崎神社に到着しました。





稗貫・和賀二郡(ほぼ今の花巻市)の総鎮守。
宮沢賢治もこよなく愛したお社だそうです。






明治の末頃に鳥谷崎神社の名に改称。
ますます祭典が盛んになり、その風習が今日に至る花巻まつりなのだそうな。
参照→鳥谷崎神社 ・ 円城寺門 (岩手県花巻市)






昨夜のかがり火鹿踊りで演舞を拝見させていただいた金津流丹内獅子躍さん。
準備を粛々と進めていました。



画像はありませんが、駐車場の奥では金津流野手崎獅子躍さんも準備されていました。
お師匠の菊池氏からはお声掛け頂いて、大変恐縮でした汗。
少し遅れて奥州市江刺区稲瀬の金津流石関獅子躍さんも到着。

奥州市江刺区の梁川からは野手崎さんが、稲瀬からは石関さんが、花巻市(10年前までは和賀郡)東和町谷内から丹内さんがこの日ここ鳥谷崎神社に集結し、金津流3団体による花巻まつりのために奉納される合同演舞がこのあと行なわれました。





獅子が集合し始めます。






空模様が心配です。
中立は野手崎さんの踊り手さんが務めていました。
石関さんの幟を持つ方は第14代の小脇の方。


この日、石関さんは第14代が、中立・大脇・女鹿・後狂が2名踊られました(確かそうだったと…^^;)。
丹内さん、石関さんのお話を伺わせていただいた皆さま、ありがとうございました。


さあ、演舞が始まる前に私も動画のスタンバイ。
どこから撮ったらいいのか場所探しです。

どのぐらいの列の長さになるのか分らないので、探り探りで撮るしかありません。
ツイッターを確認すると石鳥谷の方では雨が降り始めていると!
遅れてこちらでも、懸念していた雨が傘が必要になるほどボツボツと降ってきてしまいました。
どうか演舞が無事奉納出来るように大降りにならないようにと強く願いながら…!
(おまけに、スマホは防水ではないiPhoneだし…傘は無いし…'▽';)





入場が終わり、『三光の儀』 が始まりました。
その後続いて誉め歌?が奉納。






『礼庭』 が始まりましたが、どうやら雨のために演舞内容が短縮される模様です。
野手崎・石関・丹内の各団体の踊り手2名ずつが出ての三人狂い。






跳躍っ!






女鹿の場面が省略されたようです。
三人狂いの後で白鷺の唄が歌われました。

『…立てや白鷺、立てや白鷺』






圧巻のザンチキ!
『差し傘の心棒の轆轤…』






礼庭が終了、奉納が無事終わりました。






演舞の始まりでは雨が降り、終わると空が晴れくるという…^^;


奉納が終わり鳥居のところまで移動する鹿踊りのあとを、お行儀よく演舞を観ていた地元の少年たちがゾロゾロとついて行きます。
興味津々わくわくしながら鹿踊りを観ていたんだろうなと、その様子を微笑ましく見ていました。


演舞を終えた踊り手さんたちに取り急ぎのご挨拶をして、時間は早いですが、次の目的地・まなび学園の体育館まで徒歩で移動です。
親切な地元の方に道を教えていただいて、すぐに到着できました。



YouTubeに動画をアップロードしています。
演舞の様子をどうぞご覧下さいね。
(※演舞の動画はiPhoneでの撮影、記事内で使用した画像は動画からで取り出した静止画像も含まれます)



2016 花巻まつり 鳥谷崎神社奉納演舞
 


■花巻へ 其の四 花巻まつり・パレード準備■につづく

#鹿踊り #ししおどり
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■花巻へ 其の弐 花巻まつり・かがり火鹿踊り■

2016-09-20 13:06:13 | 風の吹くまま
にお断りしておりましたが、この記事には画像がありません。
大変申し訳ありません

で、何故かというと…

素で楽しんでしまって、頭の中からすっぽ抜けていたからですっ!

…(;▽;) ワーハハハー…
  




て、スマホの充電器のケーブルをホテルに置いてきてしまい意気消沈の私でしたが、花巻駅に到着しました。
待ち合わせをしていたので1度外に出て見渡してみましたが、まだお出でになっていないようです。
で、駅構内のコンビニに入って一か八かで探してみたところ…あった!iPhone用のケーブル!
予定外の出費になりましたが、これで一安心

あーよかった…

そして待ち人と最終連絡を取り合い、しばらくしてから駅で再会!
お嬢さんは去年の10月に恵比寿で会った時よりも、まぁ随分と背が伸びてちょっぴり大人びていました

実は今回の急きょ決まった花巻入りを、幾度となく花巻まつりに誘って下さっていたある鹿踊りの踊り組の仲立氏にご連絡したところ、その方から情報が入ったとのことで、そのMさん(行山流舞川鹿子躍さんの女性の踊り手さん)が私と会う手はずを整えて下さっていたのです。
もともと別の方(長らく中断して昨年度復活された南部流成島鹿踊さんの女性の踊り手さん)と会う約束をされていたそうですが、そこに私も加えて下さいました。
その方とはSNSを通じてお知り合いになっていましたが、お会いするのはこれが初めてです。

しばらくするとその方が車で颯爽とご登場!
初めましてのご挨拶もそこそこ、私たちを乗せて食事処に連れて行って下さいました

そこで夕食を頂き(私にとってはその日初めてのまともな食事)、鹿踊り談義にしばし花を咲かせ、早速花巻まつりの会場近くの鹿踊りの待機所へ連れていってくれました。





はもう真っ暗。
大通りから少し外れた場所で、ライトの明かりを頼りに今夜のかがり火に出演する踊り組さんたちが準備を整えていました。

そして先述の何度もお祭りに誘って下さっていた 春日流八幡鹿踊 の仲立のイーハトーヴ氏と再会
変わらぬ笑顔と優しい声で迎えてくれました。
八幡鹿踊さんの踊り手さんたちも賑やかに準備をしていました。
みんな若いなぁ~!
私の子どもたちよりも若いんだもんなぁ、頑張ってるなぁと近所のおばちゃん目線の私(笑)

実は今回初めてお会いした成島鹿踊さんの踊り手さんから、丹内さんもかがり火に出られるということを教えて頂いていました。
いつも東京でしか観ることのなかった丹内さんを、地元花巻の地で見ることが出来るなんて!

金津流丹内獅子躍さん は八幡さんのすぐ隣で支度をされていました。
暗がりでニヤニヤしながら近づいてくる変なオバサンに、初め怪訝そうな顔をされていた元踊り手の世話役のO氏も、私だと認識されると驚かれていて(笑)
そりゃそうだ、川崎(東京)に居るはずの人間が、今何で目の前にいるんだと誰でも思いますって。

事の次第をお話しして、もうひと方・去年の11月に渋谷で演舞されたのを最後に踊り手を退かれた世話役のK氏にはザンチキを少しレクチャーして頂いたりと、しばし嬉しい再会を楽しみました

そして、11月にある金津流獅子躍の公演に誘って頂きました。
行きたい、行きたいよ~、ずっと前から行きたかったんだもん
でももう今年は2回も岩手入りしてるから、予算がもうない~

いいなぁ…岩手…、何で私は川崎住まいなんだろうと恨めしく思います…。。。





んなこんなしているうちに、いよいよ鹿踊り3団体がガソリンスタンド横の脇まで移動してスタンバイ。
初めての場所ですので、ああここで踊るんだぁ~と思いながら待ち時間の間皆さんと話し込んでいたところ…。

そのまま八幡さんの後を付いていけば大丈夫と思っていたのに…太鼓の音が鳴り始め踊り組が通りに登場するや否や、四散していた観衆が怒涛のように押し寄せてきてあれよあれよという間に私たちは置いてけぼりを食ってしまいましたっ( ノД`)シクシク…

あな恐ろしや、かがり火鹿踊り…!

八幡鹿踊さんと丹内獅子躍さんはお隣同士で踊るということで、真ん中あたりで双方が見られる場所にどうにか移動。
でも一番後ろで前の人たちの頭越しにやっと踊りが観られるという状況でした~(^-^;
MさんRちゃん、ごめんね、私がモタモタしていたから…

一方で、初めての土地に加えこの群衆の中、私の突然の花巻入りをツイッターで知りご連絡下さったはる屋さんとなかなか落ち合うことが出来ずにいましたが、気が利かない私がやっと移動をし、何とかお待ちいただいたご家族とともに晴れて初対面を果たすことも叶いました

お子さんを寝かしつける時間にも関わらずご家族とお待ち頂いた上に、なんとっ!あの!ししおどりのお人形を携えて来て下さっていたんですっ
初めて実物を見て…おおっ、想像以上に小さい!
このサイズであの文様を書き込むなんて…普通の人にはそうそう出来ることではありません。
ルーペなどの拡大鏡を使って書き込んでいるのかとお尋ねすると、そうではないということでした。

手に取って触らせて下さいましたが、小さく華奢で可愛らしくて…!
後日あるイベントで展示・販売をするそうです。
今からとっても楽しみっ

お会い出来て嬉しかった!
また機会がありましたら、今度はもっとゆっくりとお話ししたいですネ。
お心遣いを本当にありがとうございました。





段は夜のしじまの中にある通りが、この夜人々の熱気と喧噪に包まれ、かがり火が焚かれる中、鹿踊りの幽玄かつ艶やかな姿が浮かび上がり、勇壮な踊りに意匠を凝らした装束がササラがひるがえり、雄々しい太鼓の音が街に反響する。
心地よい興奮が押し寄せます。

ああ…かがり火を観に来て、本当によかった。

演舞が終わり、シシから人に戻り、幕を上げて先ほどの待機場所まで歩いて戻る汗びっしょりの八幡さんの踊り手さんたちの紅潮したお顔は、皆清々しいステキな表情をしていました。
楽しくてたまらない!の感情がこちらまでひしひしと伝わります。
息子の獅子丸と同い年の仲立(春日流八幡鹿踊ではこれが正式な字だそうです)をしたS君、演舞後にすっごい美人の外国人の女性から飲み物を、お子さんからパン?を頂いたとか(笑)
この青年の周りにはいつも子どもたちが集まってくることで有名で、こんな風に人を引き寄せる生まれ持っての魅力を持ち合わせているんでしょうネ。

かがり火に出演された踊り組さんたちが帰り支度をする中、あっという間に過ぎてしまった夢のような時間を惜しみつつ、まつりの後の何とも言えない寂しさを感じつつ残りの時間を皆さんとよもやま話で盛り上がり、この日初めてお会いした成島鹿踊りのMさんも一足先にお帰りになり、最後に残ったMさん母娘と私をイーハトーヴさんがお疲れの中駅まで送って下さいました。

舞川鹿子躍さんのMさん母娘、成島鹿踊さんのMさん、丹内獅子躍さん達には次の日もお会い出来ますが、八幡鹿踊さんは地元のお祭りに出られるので鹿踊りパレードには参加されないためもうお会い出来ません。
間に合えば顔を出すよと仲立のイーハトーヴさん。

覚めやらぬ興奮と寂しさをない交ぜにして、東北本線に乗って宿泊先の北上に戻りました。





局、この日駅を出てからたったの一枚も画像を撮っていませんでした。
そんなこともすっかり忘れてしまうほどの、そんな時間だったのです。
ブロガーの端くれとしては…これでは本来駄目なんですが、そのことにあと後になって気づいた時にはさすがにあちゃーっと思いましたが、かつて掛けて頂いた言葉をふと思い出しました。

2013年の3月、鹿馬鹿さんや私が初めてイーハトーヴさんに実際にお会いしたあのとき、彼が私に言ってくれ言葉です。

『今度は画像とかはいいから、次に観るときは八幡鹿踊を心から楽しんでね!』

そんなことを言ってくれた人は彼が初めてだったので、嬉しかったんです。
はい、お蔭様でまっさらな気持ちで楽しむことが出来ました!
ありがとうございました。


駅からすぐの宿に戻り、明日のために電話連絡等をすませ、日付が替わったころに少しばかり小腹が空いたのでホテルのすぐ近くにあるコンビニまですっぴんで行きました。
人が居ない静まり返った街、ひんやりした心地よい空気、そして川崎とは違う緑の匂い。
去年から、私は独りでこの遠い岩手の地に来るようになりました。
それまで私の人生の中で、独りでこうして行動出来る機会はまったくなかったのに。

コンビニの袋をぶらぶらと下げながら、ほんの少しの真夜中の散歩。

部屋の椅子に座ってテレビを観ながら買ってきたパンをぱくり。
もうひとつ、ぱくり。
それだれでは飽き足らず、海苔せんべいをポリポリ。

どんだけ食べるんじゃーっ!とひとり突っ込み(笑)

夜中にこんなに止まらなく食べるのは初めてだったので、自分でも可笑しくて可笑しくて
(宵っ張りでまだまだ序の口の)娘の羊子に思わず電話を入れてしまいました!
こんなに食べてる自分が可笑しくて、電話しながらもポリポリ食べてるのがまた可笑しくて。

『お母さん、酔っぱらってる~?笑』

いえいえシラフだってば。
でもあなたに電話したくなるほど、お母さんは楽しかったのよきっと。
本当にね。





が落ち着かず(遠足前の子どものように)前日も寝付かれなかったのに、この日も興奮冷めやらずなかなか寝られません。
やっとウトウトしてきたかなぁと思った夜中の3時頃…。
寝返りを打ったらいきなり、両足のスネの筋肉(前脛骨筋)が攣ってしまいましたーっ

痛い!イテテテテ

原因は判ってます、靴のせいです。
サイズの少し大きいのを履いていたので、歩いているときから靴の中で足を踏ん張っていたから。
指が攣ったならやり方はあるけど、ここの部位、痛みを抑える裏技は知りません。

もう一度お風呂に湯を張って、下肢が冷えていることもあったので温めながらマッサージを。
イテ、イテテ…。。。
何が悲しゅうて、こっこんな夜の夜中に…( ;∀;)

痛みがまだ取れない状態でしたが、ベッドに入りなんとか寝ようと試みます。
しかし、寝たのか寝てないのか分からない状況の中、空は白々と明けて行くのでした…。


わーははは、朝になっちゃったぜ

…で結局、スマホのケーブルって?…(;・▽・)アハアハ…


■花巻へ 其の参 花巻まつり・鳥谷崎神社■につづく

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