鶴岡八幡宮・舞殿。
本宮の大石段を降りた正面、段葛の終わりの三の鳥居と本宮との間に位置する下拝殿です。
婚礼のお式を終えたご一行が、巫女さんに先導されて石畳を練り歩いているところを拝見しました。
その方たちのお式が執り行われたのでしょう。舞殿から用具一式を片付ける作業をするところでした。少し前まで、まだそこにいた伶人の方々が奏でていた笙や篳篥の音とウグイスの声がそこはかとなく聞こえて、この上ない雰囲気でした。
朱色の飾り房の付いた“釣太鼓”が見えます。
入りにし人の 跡ぞ恋しき
しづやしづ しづのをだまき 繰り返し
昔を今に なすよしもがな
吉野の山で義経と生き別れになった静御前が、鎌倉に連れてこられ、身重の体で源氏の氏神の宮で舞いを奉納させられた時に詠んだ歌だと伝えられています。
敵である頼朝の眼前で、義経を思い偲ぶ歌を詠った静。
その静御前が舞ったといわれるのが、ここ舞殿。
残念なことにもう当時の建物ではありませんが、義経への愛を貫いた静の、その凛とした姿に思い馳せるに充分な、壮麗で厳かな拝殿です。
現在では毎年4月に行われる鎌倉まつりの時に、この舞殿において 『静の舞』 が奉納されています。
『吾妻鏡第六巻』 で語られたこの哀しい物語を少し書こうと思いましたが、補足するために検索していたところ、とても分かりやすく深い解釈でつづっておられるサイトを見つけました。
是非にもお読みいただけたらと思います。
ちょっと歴史 その壱 賤の小田巻
付け加えますと、この静の歌にはもう1つ基になる歌があったそうです。
入りにし人の訪れもせぬ
(古今集)
娘と同じ年ごろに平泉を訪れた事があるんです。
仙台の家から家族と従兄と車で行きましたが、とても遠いイメージがありましたね。
義経と弁慶のお話は当時も少しは知っていたので、夏の夕暮れのせみ時雨の中、思いを馳せました。
かの松尾芭蕉がやはり夏の季節ここを訪れ、杜甫の“春望”の詩を思い出し、はらはらと涙を流しあの有名な句を詠んだと教えられ、感慨深かったのを思い出します。
静御前は後に許され義経を追い平泉まで行こうとしたというお話もあるそうですね。
でも鎌倉後の消息は不明なようで、日本のあちらこちらに静の墓といわれるものがあるといいますね。
義経のその後の伝説といい、静のその後の云われといい、人々は悲運の二人を惜しむゆえにその魂を鎮め供養しようと思ったのでしょう。
いつの日か、もしも機会がありましたら、岩手に語り継がれている言い伝えを教えて頂けたらと思います
『花よりも花の如く』で知りました。
(お能の漫画でおもしろいですよ、娘さん知っているかな。)
漫画にも描かれていたんですけど、
『昔を今になすよしもがな』
のセリフに静御前の想いがこもっているようで切ないです。
ってこの時代のことほとんど知らないんですけどね~。;;
大河ドラマ「義経」も話についていくのが精一杯です。;;
成田美奈子さん!以前「CIPHER」や「エイリアン通り」など読んでましたよ。
子どもが生まれてからは漫画を読むのも忘れてました。
成田さんの画は動作の描写がぎこちなくて(失礼!)印象的でしたが、そうですかぁ、今でも頑張って活躍されているのですね。
子供たちは「ナルト」や「ブリーチ」などのおどろおどろしいものばかり読んでいて、少女漫画はつまらないそうです。
中にはいいのが結構あるのにねぇ
でも家にある木原敏江さんの大昔の「天まであがれ!」や「パタリロ」や、清水玲子さんの漫画などはよく読んでますよ。
漫画から教わる事はいっぱいありますよね!
>大河ドラマ「義経」も話についていくのが精一杯
私もそうですよ~
大河は(も…?)いつもいっぱいいっぱいです。
ましてや史実とは異なる事も多いので、それにすっかり騙されたりします。
八幡様にお宮参りはしたけれど、個人的には頼朝や政子はカリスマ過ぎて…。
私も御多分にもれず“判官贔屓”でありまする。
私は彼女の漫画で留学を決意?参考?にしましたから~。
最近の漫画は・・・青年漫画なら読みます(笑)
もしかしてご主人と一緒に読んでます?
私の今の愛読書(?)は…読売新聞のコボちゃんぐらい?