羚英的随想日記

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■横浜・赤レンガ■

2005-04-30 16:57:39 | 風の吹くまま
つづき 

みらとみらいの方を廻り、赤レンガ倉庫の前を通りました。



何しろ車の中から瞬時に写しているので、少々垂直線がずれてしまって…


 

商用施設として利用されている2号倉庫です。
ショップやレストランなど多くの店舗が営業しています。
カップアイスの美味しいお店があったんだけど、いまでもあるかな?





2号倉庫からひとまわり小さい1号倉庫を望みます。
1号倉庫は文化施設として利用されています。
中央の広場では、いろいろと素敵な演出があるそうな。




手前の人の波が丁度途切れたのでシャッターチャンス!
車からの画像なので沿道に植えられた白いツツジが少し見えます。
中央奥の小さく見える青い看板(?)の奥には、港を渡る横浜ベイブリッジがかすかではありますが見えますね。
ワイヤーを吊る白い鉄柱がありますよ。



明治44年(1911年)第2号倉庫が竣工。設計者は旧横浜正金銀行本店(現神奈川県立歴史博物館)を手がけた妻木領黄(つまきよりなか)。大正2年(1913年)第1号倉庫竣工。
関東大震災(1923年)では第1倉庫に甚大な被害があり、震災改修工事が施されました。
昭和20年(1945年)に米国により接収され港湾司令部として使用。
昭和31年(1956年)接収解除後、第1号倉庫は横浜税関管理、第2号は横浜市が管理しましたが、取引量が激減し平成元年(1989年)用途廃止となりました。
平成4年(1992年)国から横浜市が取得、平成6年から14年(1994~2002年)まで補強・改修工事が進められ平成14年4月12日、赤レンガ倉庫としてオープンしました。


横浜市が取得した当時は建物の傷みもひどく、落書きなどで見るも無残な状態でした。立ち入り禁止区域として周囲が囲われ、復活の為の工事の日までしばらくの間その状態のままにされていたのです。

落書きのあった頃の倉庫を今でもよく覚えていますが、よくぞここまでと思うほどに見事に消し落とされ、あの頃は想像もつかないほど素敵に化粧直しされてこうして人々の集う場として新たに生まれ変わった事は、実に感慨深いものがあります


コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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嗚呼、赤レンガ (どんべ)
2005-04-30 17:45:10
いいですねえ・・・

また「あぶ刑事」のロケなど思い出します。

でも行ったことないんです。

横浜と京都は見所が多くて、一日では廻れないなあと、思います。

石川町辺りでまず一日終わってしまいます。



こんなに広々としてるんですねえ、拝見できて嬉しいです。

ありがとうございます。
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あぶ刑事! (羚英)
2005-04-30 18:21:39
いらっしゃいませ

あのグラサン、当時はすっごく流行りましたねぇ

私たちも持ってました。

今でもどこかにありますよ!



高校時代は“西部警察”のロケが近くであって、よくオサボリしてロケの見学に行く生徒もいました。渡哲也さんに優しくたしなめられたってキャーキャー喜んでました。

私?私はまじめだったので(?)そういうことはしません!(実はドンくさくて、チャンスを逸してしまったのですけどね)



横浜は仰るとおり、名所旧跡が多いのでゆっくりと時間をとって見て回られるのが1番だと思います。

MM21だけでも1日かかります。

大型駐車場がありますので、そこで1日駐車するとゆっくり出来ます。

そこから電車で移動も簡単ですし!

お台場とはまた違った趣があって、いいところですよ
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