以前にも書きましたがMOVIX本牧は穴場中の穴場で、『スター・ウォーズ シスの復讐』 の時でも封切翌日にもかかわらず、比較的苦労もなくチケットを取れて観ることが出来ましたので、今回の 『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』 も大丈夫かなぁ?と思ってはいたんです。
でももしものことを考えて、とりあえず車はまだ駐車場には入れず、私と娘がチケットを購入しに向かったところ…、もうすでに長蛇の列!
これじゃあ初回どころか2回目の上映ももしかしたら無理かな、と頭を過ぎりましたが、やっとのことで2回目の端のほうの席でしたがチケットが取れました。
車を駐車場に入れないでおいてよかった…
上映までのあいだ、どこかで3時間以上時間をつぶさねばならず、まずは朝食を求めてコンビニへ。車内でいただきながら横浜の中心部までもどります。
まだお店も開かない時間でしたので、人も車も少なく、朝陽が差し込む横浜の街はとても静かです。
山下公園通りへ
通りの銀杏並木も色付き、朝陽に照らされ目にも鮮やかです
公園通りを抜けてみなとみらいの方面に向かいます。
いままで通ったことのない赤レンガ倉庫の向こうにある海寄りの道を行ってみると、そこにはあの 『海猿』 で有名になった 『海上保安庁・横浜海上防災基地』 がありました。
こんな目と鼻の先にあったなんて、今まで全然知りませんでした~。
ここはもちろん 『海猿』 のロケが行われ、プールの中での潜水訓練のシーンなどが撮影されたそうです。
正面ゲート前から横浜海上防災基地を望む
タグボートが行儀よく停泊しています
先頭から GINGA、AZUSA、KAMAKURA と名前が書いてあります
手前には 『ララ物資』 を後世に伝える記念碑が建てられています
『ララ物資』 という言葉のみを聞いたことがあるだけでしたので、勉強になりましたし、また感慨深いものもありました。
寄せては返す波のように幾度も繰り返し、善意の船が遠い海の向こうからこの港の埠頭に着岸したのですね。
ハリーの待ち時間のお陰で、本当に思いがけない発見がありました。
この横浜の空や空気や朝陽のように、気分もなんだかキュッと引き締まった感じがしたひとときでした
でももしものことを考えて、とりあえず車はまだ駐車場には入れず、私と娘がチケットを購入しに向かったところ…、もうすでに長蛇の列!
これじゃあ初回どころか2回目の上映ももしかしたら無理かな、と頭を過ぎりましたが、やっとのことで2回目の端のほうの席でしたがチケットが取れました。
車を駐車場に入れないでおいてよかった…
上映までのあいだ、どこかで3時間以上時間をつぶさねばならず、まずは朝食を求めてコンビニへ。車内でいただきながら横浜の中心部までもどります。
まだお店も開かない時間でしたので、人も車も少なく、朝陽が差し込む横浜の街はとても静かです。
山下公園通りへ
通りの銀杏並木も色付き、朝陽に照らされ目にも鮮やかです
公園通りを抜けてみなとみらいの方面に向かいます。
いままで通ったことのない赤レンガ倉庫の向こうにある海寄りの道を行ってみると、そこにはあの 『海猿』 で有名になった 『海上保安庁・横浜海上防災基地』 がありました。
こんな目と鼻の先にあったなんて、今まで全然知りませんでした~。
ここはもちろん 『海猿』 のロケが行われ、プールの中での潜水訓練のシーンなどが撮影されたそうです。
正面ゲート前から横浜海上防災基地を望む
タグボートが行儀よく停泊しています
先頭から GINGA、AZUSA、KAMAKURA と名前が書いてあります
手前には 『ララ物資』 を後世に伝える記念碑が建てられています
香淳皇后 御 歌 ララの品つまれたる見て とつ国のあつき心に 涙こぼしつ あたゝかきとつ国人の 心つくし ゆめなわすれそ時は へぬとも |
第2次世界大戦後の多くの日本人を救った 「ララ」 物資 第2次世界大戦終戦直後の混乱期、日本は衣食住すべてに不自由していた。こうした中、全米の各宗教団体を中心とする海外事業運営篤志団アメリカ協議会は、特に日本を始めアジア諸国の救済事業を行うために 『アジア救済公認団体』 を設置し、ミルク類、穀物、缶詰類、油類等の食料をはじめ、衣類、衣料品、靴、石鹸、裁縫材料などの消費物質のほか、乳牛や山羊などを送り、多くの日本人を救った。 この物資の送り出しにあたっては、当時の在米邦人組織の方々の多大なご尽力もあったと伝えられる。 この救済物資は、『アジア救済公認団体』 の英語名 “Licensed Agencies for Relief in Asia” の頭文字から 「ララ」 物資と呼ばれ、昭和21年11月30日に 「ララ」 物資を積んだ第1船ハワード・スタンズベリー号が、ここ横浜新港埠頭に着岸し、以後昭和27年6月までの6年間送られ続けた。 記念碑の香淳皇后御歌は、昭和24年10月19日に昭和天皇と香淳皇后が横浜の 「ララ」 倉庫に行幸啓になられた時に詠まれたものである。 「ララ」 物資を送って頂いた方々への深い感謝と、当時ご尽力された方々のご功績を構成に永く残すため、多くの方々からの募金によりこの記念碑を建立する。 平成13年4月5日 「ララ」 の功績を後世に残す会 |
『ララ物資』 という言葉のみを聞いたことがあるだけでしたので、勉強になりましたし、また感慨深いものもありました。
寄せては返す波のように幾度も繰り返し、善意の船が遠い海の向こうからこの港の埠頭に着岸したのですね。
ハリーの待ち時間のお陰で、本当に思いがけない発見がありました。
この横浜の空や空気や朝陽のように、気分もなんだかキュッと引き締まった感じがしたひとときでした
こんばんは(^^)
今日の夕方のニュースで仙台市の山間の映像が流れました。
いつ撮った映像なのかは分かりませんが、うっすらと雪が積もっていたのを見ただけで、ブルブルっと首をすくめたくなっちゃいましたよ(笑)
紅葉の便りが過ぎてまだ間もないのに、深々と冷え込む北の冬がもう到来したのですね。
KOKO様にとられましては、さしずめ“読書の冬”ですね(^^)v
どうぞ睡眠の方もお忘れなく(←またもやお節介でありましたね(笑)、お風邪など召されませんように
ララ物資の1つとして寄付された脱脂粉乳をもとに日本の学校給食が始まり、多くの欠食児童が救われたのだといいますね。
調べてみましたら、あくまでも民間の援助で、当時のお金に換算して400億円にものぼる物資が日本に送られたそうです。
その救済活動の中心的人物は、盛岡出身の在米邦人の浅野七之助さんという方で、サンフランシスコの日系人を中心に浄財が集まり、再来日した宣教師たちによる終戦直後の悲惨な実情の報告もあってその運動が全米に紹介され大きなうねりとなり、全米の全教会が一丸となって「ゴール1千万ドル難民救済の催し」を実施し、全アメリカ人に呼びかける大募金キャンペーンに発展したと言います。
学生さんたちも週に一回の昼食を抜いて、そのお金を募金してくれたりもしたそうです。
そのような大いなる善意が、日本人を飢えと疲弊から救ってくれたんですね
ちなみに4つ年上の姉は小学校低学年の時にはまだ脱脂粉乳を給食で飲まされていました。
私は辛うじて、でした(笑)
しかし家では母がコーンフレークの箱のようなものに入った脱脂粉乳を、栄養価が高いと私たちによく飲ませていました。
正直、大の苦手でしたけど^^;
今ではダイエットの味方、健康食品として、すっかり市民権を得て名誉挽回(?)していますね
「ララ物資」以前に本で読んだような記憶がありますが、あらためて知らされた重いですよ。この物資の中には、あの脱脂粉乳も入っていたのでしょうかね。小学校で給食のときに、毎日飲まされて、臭くて閉口した思い出があります。
それにしても、この事実が本当の「善意」なんですね。感謝です。
ところで当地はこのところ、木枯らしが吹き荒れ、いよいよ冬到来です。もう雪が舞うのも間近だとおもいます。もう県北では降雪がありました。
でも冬は嫌いではありません。なんていったって、外に出られないので、積読していたものを片っ端からよまれますからねぇ(笑)
お体をご自愛くださいませ。
横浜の港は開港されて以来沢山の物資も人も入港し続けていますが、このようなあまり知られていない歴史的な事実や逸話もたくさんあるのでしょうね。
記念碑に刻まれた文字を読んで、今の日本は恵まれているなと、普段忘れてしまっているそのありがたさを思い出させてもらい、衿を正す思いでした。
スーパーやコンビにがお正月から開いている昨今に、便利の裏に失われた沢山の大切なものがあるように感じます。
文章力がないので、いつも下手な写真で誤魔化してます^^;
いつも励まして下さいましてありがとうございます
>トリエンナーレ
観に行かれたんですか
芸術の方面にも造詣が深くいらっしゃるんですね!
すばらしい(^^)v
山下埠頭からだとベイブリッジが夕日で綺麗だったことでしょう
神奈川県庁のある通りが日本大通りというんですね。県庁の新旧を隔てる通りも並木がとてもきれいですよね
これから横浜の街もクリスマスのイルミネーションでさらに煌びやかになることでしょう(^^)
綺麗に色づいたヨコハマの様子、拝見できて嬉しいデス。
いいなあ、気まぐれ風見鶏の私は藤沢の時みたいにひとりで行くしかないのかなあ・・・。
ララ物資って知りませんでした。
またそこに香淳皇后さまの歌碑もあるんですね。
りょうさまの記事は写真がいくつもアップされていて
一度にお徳な気分です。
今は恵まれているなあ、と毎日思います。
いっそ今度のお正月は日本中全部のお店は休んじゃえばいいのに、と旦那に言ったら
そうすればみんなおせち作るよなんて言ってました。
理由は違うけど慌しくて混乱してる毎日なら、
そうやって一端お休みすればいいのだ、
そしたらもっとゆっくりいろんなモノや人にありがたみを感じて過ごせるのに、と。
・・・ああ、11月が行ってしまううう、とひとりでお休みしている私です。
りょうさまの記事を見ると安心します。
ありがとうございます。
小生も週末に、横浜界隈を歩いていました。
横浜公演を抜けて、日本大通に差し掛かると、黄金色に染まったイチョウ並木が、目に入ります。
まだ、緑で頑張っている元気の良い木もありましたが、とてもきれいに染まっていましたよ。
この時期は、オープンカフェも並んでいて、とてもステキな雰囲気でしたよ。
トリエンナーレを見に行ったのですが、会場からみるMM21や山下公園に沈む夕日もとてもきれいでしたよ。
会場になっている倉庫群には、一般に立ち入ることはできませんから、トリエンナーレ開催中だけの夕焼けですよぉ。