羚英的随想日記

好奇心と言う名のアンテナは常に作動中
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■Lennon■

2005-12-09 12:00:00 | Weblog
25年前の今日の夕方、高校生だった私は、自営業で忙しい家族がそのままに残したお昼の洗い物を台所で洗っていました。
テレビでは夕方のニュースが流れていて、ガチャガチャと食器の音を立てながら、背中でそれをなんとなく聞いていました。
それはいつもと変らない、夕方の光景の中の1日のことでした。

25年前の今日の夕方、テレビからジョン・レノンが殺害されたというニュースに思わず私は振り向きました。蛇口のお湯を止め、満足に手を拭いもせず、気がつくとテレビの前まで行ってキャスターの言葉をひとつひとつ無心に拾おうとしていたのです。

それまで別段気に留めることもなかった人物の死に驚愕し、何故か言いようのない深い悲しみを感じる自分に不思議な感覚を覚えました。

キャスターは今分かり得る限りの殺害の情況を伝え、彼を偲びその生涯の足跡を静かに語っていました。
戦争やその犠牲になっている人々を伝える映像がコラージュのよう目に焼きつく中、
IMAGINE が、HAPPY CHRISTMAS が静かに流れます。
対訳が画面下に流れ、それを懸命に目で追っているうちに、ポロポロとポロポロと、止めどなく涙が溢れてきたのでした。

それまでそれらの歌詞の意味も知らずにいました。
でもそれを知った日が、彼の命が消えた日であったなんて!
どうしてもっと早くにこのメッセージを知ることが出来なかったのか。
もうこの人は既にこの世からいなくなってしまったのに!

悔しさと悲しさにやり場のない思いの私が確かにいたのです。
25年前の今日に。

今日の節目に、あの頃の私が、その思いが、鮮明に甦ってきました。
奇しくも39年前に真珠湾攻撃が起こった日でもあった、その日のことが。


世界のすべての人々が、平和の下で暮らしているのを想像してごらん
世界のすべての人々が、世界を分かち合っていると想像してごらん
人は空想家と言うかもしれないけど、僕1人だけではないはず
いつの日か僕たちみんなが手をとりあえば
この世界はきっとひとつになれる




そう、クリスマスだから
みんなが楽しく過ごせるといいな
近くにいてくれる人も、大切に思う人も
年を重ねた人も、若者も

弱い人も、強い人も
金持ちも、貧しい人も

肌の色が黒い人も、白い人も
黄色い人も、すべての人種が、世界中の人々が

道のりはまだまだ遠いかもしれないけど
せめてこの楽しいクリスマスの時には
すべての戦いをやめて一緒に祝おう

   
         

恐れも悲しみもないすばらしいクリスマスになるように
みんなで一緒に心から願おう



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6 コメント

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昨日夫と (どんべ)
2005-12-09 17:09:32
こんばんわ。

昨日「ああ、今日はジョンレノンの命日なんだね」ってラジオ聞きながら話しました。

私たちは中学生でした。

当時私の友人たちは「モンキーズ」にハマッテイテ、もっと大人のビートルズを理解する、感じるには至りませんでした。





昨日は九段会館でも集会があったとか。

時間が経つにつれて、自分は変わってきましたが

いろんな人たちが理解でき感じることができるようになりますように、と思います。

いろんなメッセージが溢れていますものね。
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もう四半世紀… (羚英)
2005-12-09 18:03:04
どんべ様



経っちゃったんですね~。

ずいぶんと年をとりましたが、今でもその時のことは鮮明に覚えているんですね。

ニューヨークの現地時間の8日深夜の出来事でした。

日本は13時間進んでいますから、それは日本時間の9日お昼ぐらいのことだったんですね。



真珠湾攻撃の日と重なると、ジョンの平和活動と重ねてその奇遇が指摘されますが、厳密には真珠湾攻撃は日本時間でのことなので、実はズレが確かにあります。

でもやっぱりそのことが頭をよぎってしまうんですね。



当局からは要注意人物と見られていたなどとまことしやかに囁かれたこともありましたが、彼の残したメッセージは、時を超えて国を超えて今も人々の心に響き続けていますね



>「モンキーズ」



中学の時はベイ・シティ・ローラーズなどが女子の間で流行っていたので、ビートルズフリークの男友達などに「やーい、時代遅れだ~」などとふざけて遊んでいました^^;

高校時代はご存知KISSなどに夢中でしたので、ジョン・レノンと接点がほとんどなかったんです。



彼の死を知ったその時から、イマジン、ハッピー・クリスマスは私の大好きな歌になりました…(^^)
返信する
Unknown (KOKO)
2005-12-09 22:07:31
おばんです。



イマジンは小生のまさしく青春でありました。



レノンが射殺された夜、友人と明け方まで酒を、それはもう浴びるように痛飲しました。



それから25年。いささか歳を重ねましたが、あの時の衝撃と、三島由紀夫の自決はいまでも生涯のトラウマとなっています。



あと数年で会社人生も終了の予定ですが、母に頂いた命は会社での仕事だけで終えるのもしゃくですから、何ができるか、思案の毎日です。(これマジに考えているんですよ!)
返信する
こんにちは(^^) (羚英)
2005-12-10 16:26:12
KOKO様



70年代は私にとっても青春の時代でした。

特に後半はグループの全盛期で、それぞれが独自のサウンドを追及して互いに影響を与え合っていた、あの年代の音楽を超えるものは今でもないと思っています。



イマジンは71年にリリースされてた曲だったのですね。その年には確かカーペンターズの雨の日と月曜日は、スーパースターなどがリリースされた年です。

その3年後ぐらいに、友達と一緒に彼らの曲を口ずさむようになりました。



親しんだ曲はいつも過ぎ去った懐かしい“時”に私たちを誘ってくれますね。



それと同じ心境を歌ったイェスタディ・ワンス・モアを、今はその歌詞通りの思いで聴いています。

そしてイマジンを聴くときは、あの日のことを思い出さずにはいられません…。



第二の人生が始まろうとしておられるんですね(^^)

まだまだ時間はおありでしょうから、いっぱいお悩み下さいませ =*^-^*=

そして、心と身体の赴くままに邁進されることをお祈りします
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おはようございます (どんべ)
2005-12-12 08:47:36
息子が学校でこの曲を歌ってるよーと昨日言っておりました。

自分は何となくだけどさ、とのことです。

ちなみにカーペンターズのトップオブザワールドが好きなんだそうで、あたしと同じでした。
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私も♪ (羚英)
2005-12-12 21:11:35
どんべ様



好きです

でもこの曲を聴くと「学校へ行こう」を最近は思い出してしまいます^^;

この曲のように“有頂天なほどの幸せ!”って経験したことあったかな~?

忘れちゃったな~。

これからでもいいから来て欲しいな~
返信する

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