S多面体

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」のショート版

刺激的なアーティゾン美術館「はじまりから、いま。」

2022年03月05日 | 展覧会・コンサート

京橋のアーティゾン美術館を訪れた。この美術館は、1952年開館のブリヂストン美術館が2015年に建物改築することに伴い一度休館し、2020年1月アーティゾンに改称してリニューアルオープンした。アーティゾンとはアートとホリゾンを組み合わせた造語で「新たなアートの地平をのぞむ美術館」への意志を込めたものだそうだ。。
ブリヂストン美術館は有名だし、よく通っていたフィルム・センター(現・国立映画アーカイブ)から近い場所なのに、なぜかあまり行った記憶がない。印象派中心のイメージが強く、それなら西洋美術館に行けば足りると思っていたのかもしれない。しかし石橋正二郎の長男・幹一郎の死後、現代美術や日本・東洋美術の幹一郎のコレクションが1998年に加わり、ずいぶん性格が変わったようだ。

さらに新ビルへの建替えで、また新たな変貌を遂げつつあるようだ。オープンから2年たつが「はじまりから、いま。」というこの美術館の総覧のような企画展を開催していたので行ってみた。平日の朝一番だったので、閑散としていて、作品鑑賞にはとてもいい環境だった。また動画作品以外は、原則として撮影可能になっていて気持ちのよい美術館だった。
4-6階の3フロアが展示室になっていて、6階から見始める。展覧会は3部構成で、1部が「アーティゾン美術館の誕生」(6階)、2部「新地平への旅」(5階)、3部「ブリヂストン美術館のあゆみ」(4階)で、サブタイトル「アーティゾン美術館の軌跡――古代美術、印象は、そして現代へ」のとおり、コレクションによる美術館70年史のような作品展だった。
まず1部の部屋に入ると、通路の右に藤島武二「東洋振り」(1924)、中村彜「静物」(1919ころ)、松本竣介「運河風景」(1943)、荻須高徳、岡鹿之助など日本人作家の作品、左にラトゥール「静物」(1865)、ブラックモン「セーヴルのテラスにて」(1880)、モリゾ「バルコニーの女と子ども」(1872)、ゴンザレス、カサット、など海外作家の作品が並ぶ。
鴻池朋子 襖絵「地球断面図、流れ、竜巻、石」

森村泰昌「M式 海の幸」から3作
その先の大きな部屋に鴻池朋子の12面16mもある大きな襖絵「地球断面図、流れ、竜巻、石」(2020)があり、その先に森村泰昌のM式「海の幸」から1番「假象の創造」、5番「復活の日」、9番「たそがれに還る」の3点(2021)が並ぶ。これも1点が2.8mもある。森村の作品なので、群像の一人ひとりのモデルは森村自身で、「假象の創造」は青木繁の「海の幸」(1904)をモチーフにしたもので、登場人物は全員男性、「復活の日」は日の丸の小旗を持つオリンピック選手団のような誇らしげな男女(ただし最後尾の女性だけが小旗を捨て赤のジャケットを脱ぎ腕にかけ斜め下をみつめている。これも元ネタがあるのかもしれない。誇らしげな男性はちょっとアベ首相を連想させた。
「たそがれに還る」は浜辺で白衣・白髪の女性(または男女)が1組はマスク姿、もう1組は防毒マスクをつけて立ち尽くす。新型コロナと放射線のさなかで立ち尽くす人類のようだ。
解説によると、アーティストとキュレーターが協同して石橋財団コレクションとの「ジャム・セッション」による展覧会開催に取り組みつつある。これが新美術館アーティゾンのコンセプトに基づく企画だそうだ。ジャム・セッション第1回(2020年)は鴻池朋子、第2回(2021年)は森村泰昌、今年の第3回は鈴木理策柴田敏雄で、4月29日から「写真と絵画――セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」展が予定されている。

田中敦子「1985B」
その後の6階作品展示は、日本作家では元永定正、白髪一雄、田中敦子らGUTAIの作家、海外作家はカンディンスキー、ブランクーシ、ミロなどの作品が並んでいる。たいへんレベルが高く、田中敦子「1985B」はわたしが見た田中の作品のなかで最高だったし、カンディンスキーやミロもレベルが高かった。見あきない作品が次から次へと並んでいた。

ザオ・ウーキー「07.06.85」
2部「新地平への旅」の第1室はザオ・ウーキー(1920-2013)の作品11点で構成されていた。ウーキーは北京生まれ、杭州の美術学校を卒業し28歳でパリに渡り、本の挿画で有名になった。作家・アンドレ・マルローや詩人・アンリ・マショーに気に入られフランス国籍を取得する。石橋幹一郎もウーキーと親しくなり、コレクションを集めた。「07.06.85」(1985)は深い紺色に引き込まれそうになり、「風景2004」(2004)は緑色の高山と雲海もなかに、オレンジ色の夕暮れ時の薄明のような明かりが浮かび上がる。感動的な作品だ。ザオ・ウーキーという名は知っていたが、こんなに深い絵を描く画家とは知らなかった。このサイトで作品が見られる
最後のほうにピカソの「腕を組んですわるサルタンバンク」(1923)があった。サルタンバンクは大道芸人のことで、ピカソが戦間期にキュビズムから新古典主義に転換した時代の代表作だ。解説でピアニストのウラジミール・ホロヴィッツが旧蔵し居間に掛けていたことと1980年に石橋財団がサザビーズで購入したことを知った。
その他、唐の壺や皿、平治物語絵巻や鳥獣戯画断簡も展示されていた。また猪熊弦一郎の作品が2点展示されていたが、こんなに鋭い作風だといままで思わなかった。

ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」
3部はこの美術館の歴史で、石橋正二郎が1950-62年に4回欧米の美術館を歴訪したときの写真や記録の展示があった。とくに53年は100日で50カ所の美術館を巡った。イタリアでは画家の長谷川路可、パリでは荻須高徳が案内役を務めた。古代美術の収集も始めた。
館内掲示から正二郎のプロフィールを紹介する。1889年福岡県久留米市生まれ、17歳で家業の仕立屋を継ぎ、地下足袋やゴム靴製造で全国的企業に拡大、自動車タイヤに着目し、1930年国産化に成功しブリッジストンタイヤ(現・ブリヂストン)を創業。また偶然、正二郎の高等小学校時代の図画教師が洋画家・坂本繁二郎で、坂本が久留米出身で夭折した青木繁の作品散逸を惜しんでいたことを知り、青木をはじめ坂本、藤島武二など日本近代洋画の収集を始めた。
そして創立20周年記念事業として、京橋の本社ビル2階をブリヂストン美術館として1952年に開館した。
70年史という点では、4階以外も含めてだが、たとえば70年間の企画展のポスター一覧やオープン以来70年続く土曜講座の講師とタイトル一覧も掲示されていた。1950年代の講師は、美術評論家や画家は当然だが、武者小路実篤、青野季吉、小林秀雄らの名もあった。いわゆる文化人講演会だったのだろう。また美術家訪問など美術映画シリーズというものをつくっていた時代もあった。
作品展示は、エジプト、ギリシアの彫像やレリーフのほか、アッティカの壺や皿が10点近く並んでいた。またユトリロ、ルソー、ヴラマンク、マティス、シニャック、ピサロなどの作品が並ぶ一角があり、学生時代に使った美術教科書をみているようで大変なつかしかった。ブールデルの彫刻も久しぶりに見た。そのなかに藤田嗣二「猫のいる静物」(1939-40) や佐伯祐三「テラスの広告」(1929)があったが、まったく違和感がなかった。もちろんルノワール、マネ、セザンヌの作品もあった。
ブールデルで思い出したが、5階ロビーにはマイヨールのブロンズ像もあり、これもなつかしかった。

森村泰昌「M式「海の幸」第7番 復活の日2」
☆森村の作品はあまりに刺激的だったが、ミュージカルショップで全部で10点のシリーズであることがわかった。
鹿鳴館風の絵、藤田嗣治の「アッツ島玉砕」のような戦闘シーンの絵、真ん中に薬師丸ひろ子風の機関銃をもつ女子高生がいる「モードの迷宮」、ゲバ棒・ヘルメット・マスクの新左翼風の集団の「われらの時代」など、100年の風俗画のような刺激のあるシリーズに仕上がっていた。
M式「海の幸」の第7番「復活の日2」の絵葉書を1点購入した。大阪万博の時代、ミニスカート全盛時代の女性たち、ヘアスタイルはたしかにこんなだったような気がする。

アーティゾン美術館
住所:東京都中央区京橋1-7-2
電話:050-5541-8600
開館日:火~日曜日
開館時間:10:00 ? 18:00(金曜は20:00まで)
入館料:ウェブ予約(料金は展覧会により異なる)

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暖かさを感じさせる築地のやまだや

2022年02月23日 | 銭湯・居酒屋

築地駅の南東600mほどにある、やまだやを訪れた。8階建てマンションの1階にあり、外観はやや高級な喫茶店のような感じだ。
この店を知ったのはずいぶん前のことで浜田信郎さんのブログだったが、太田和彦さんも「ひとりで、居酒屋の旅へ」で推薦しているそうだ。店に問い合わせると、5000円のコースのみだが追加注文はできる、しかも予約が多いようで1か月前から受け付けているとのことで、敷居が高そうに感じ、それでなかなか足を向けられなかった。

たまたま行けそうなチャンスがあり、1か月ほど前、再度問い合わせると、いまは6000円(税別)とのことだったが、今後もなかなか伺えそうにないので、思い切って予約し行ってみた。カウンターが6席ほどと4人掛けテーブル4つの店で、間隔を広く取りゆったりしていた。わたしは1人なので、カウンターのはずれに通された。
まず飲み物のオーダーからで、やはり日本酒にした。メニューの銘柄は、陸奥八仙田酒、風の森、「本日の日本酒」だった。風の森は知らない酒だったので頼もうかと思うと「シュワシュワと発泡系なので、料理の初めからはよくないだろう」とのこと。すっきりした感じなら宮城の日高見がお勧め、とのことだったのでアドバイスに従った。普通は冷だが燗もできるとのことだったが、どんな料理かわからないので、まず冷にした。あとでHPで見ると石巻の酒、店の方のお言葉どおりすっきりした味だった。
コースは前菜に始まり、デザートまで6種類、以下料理の説明である。
まず前菜は蓮根餅と車海老、胡麻豆腐の桜味風、白魚と天豆合えものの3種、いずれも薄味だった。寒い日だったので、蓮根餅が温かく、救われた気がした。桜味風の桜の葉は、早く春が来てくれるとよいのだが、と思わせる香りがした。

刺身は宮城の活〆星カレイ、福岡のわら炙りブリ、茨城のヒゲソリ鯛漬けの3種。ヒゲソリ鯛はスズキの仲間で漁獲量が少ない。もちろんわさび醤油も付いているが、店の方の説明でわら炙りブリは塩で食べるとよく、ヒゲソリ鯛は辛子が合うといわれた。たしかにその通りだった。刺身に辛子は変な気もしたが、漬けなので味が濃いので、いい組み合わせで、わたしにはひとつの発見だった。

旬と定番は、タカマッシュ、ギバサ、ホタテ貝のクリームコロッケ、野菜の炊き合わせ、酒のつまみ、大きなカキフライ、ブリ大根、鮟鱇の彦三、濃厚イワシのつみれの9種から2種を選ぶ。何なのかわからないものもあった。たとえば「ギバサとは何か」と問うと、藻の料理だそうだ。わたしはホタテ貝と野菜の炊き合わせにした。野菜の炊き合わせは何か、と思ったが、サツマイモ、小松菜、かぼちゃ、シメジ、にんじんなど素朴な野菜で、赤く丸いのは何かと思い聞くと、プチトマトとのことだった。かぼちゃは一見、ブリか鮭にみえた。普通の野菜ばかりだが、出汁が特殊なようでうまかった。もしかすると、産地が特別な所という可能性もあるが。基本的に薄味だが、関西の薄味とはちょっと違う気がした。

主菜は、目鯛のうに焼きか石焼・和牛モモ肉で、わたしは牛モモにした。いい色に焼けていた。付け合わせの野菜はパプリカだった。ソースはタマネギベースの醤油のようだったが、うまいソースだった。好みで、ゆずコショウをともいわれた。ここで酒を焼酎お湯割りに切り換えた。銘柄は千亀女の芋、これもわたしは知らない銘柄だった。ネット検索すると鹿児島・志布志の若潮酒造の商品で、クセのないすっきりした飲み口だった。
焼酎は千亀女以外に黒ぢょかがメニューに書かれていたが、そのほかに「本日の本格焼酎」があり、いろいろセレクトして出しているようだ。

最後に、わら炙りサバごはんが出てくる(メニューには「カキごはんもあります」と書かれていた)これがうまかった。サバだけでなくごぼう、にんじん、などが入っている。おそらくこれも炊き込みに使った出汁がうまいのだろうと思う。サバごはんは器の底のほうに、少し入っているだけだったので「エッ、これだけ」と思ったら、写真右奥に少し写っている黒い土鍋があり、一杯目の2.5倍くらいの量が入っていて、わたくしは完食した。たしかに何品もおかずが出たのでそれで十分とか、酒をたくさん飲みごはんは入らないという客もいるのだろう。
そしてあら汁が付いているが、わたしは今日のコースのなかでいちばん満足した逸品だった。島根の干したノリを入れてあるとの解説があった。薄く切った大根とにんじんの浅漬けが香の物として付いている。これも上品な味だった。
デザートはガトーショコラ、黒糖ラムレーズンアイス、クリームチーズのみそ漬けから1品選ぶ。まだ焼酎が少し残っていたので、わたしはクリームチーズにした。濃厚な味なので、酒のつまみによかった。ここで温かいお茶を出してくれる。これも落ち着けてよかった。
飲み物はビール、ワイン、日本酒、焼酎、ウィスキー、ソフトドリンクのほか、梅酒とハイボールまであった。

価格からすると接待用かとも思ったが、この日の客はわたし以外に、アベック1組、3-4人連れのグループ3組だった。女性客が半分くらいでアルコール付きの店としては比率が高かったが、これは料理がうまい証拠だと思う。
また、上記の飲み物の選び方や香辛料に見られるよう、客への心遣いがすばらしい。文字だけ読むと押し付けがましいと解釈されるかもしれないが、実際の印象はまったく違う。気遣い、心配りが肌で伝わる。「親切」なのだ。そういえば酒を頼んだとき、出したあとしばらくして「お水も置いておきます」とコップを出しててくれた。チェイサーという意味だろう。水が1/3くらいに減ると、何も言わないのにつぎ足してくれた。
じつはこの店は6品の品が出てくる間隔が平均25分とかなり長い。その間にときどき水を含むと酔いが冷めるが、その繰り返しが結構心地よい。店によっては待たされるとイライラすることもあるが、この店はいろいろ見るところがあって飽きなかった。座った場所がカウンター席で、2人の料理人の立ち居がよく見える。けして悠々とした動きでなく、キビキビ働いておられる。それでいてぶつかったりすることはない。分担がしっかりしているからだろう。客席はカウンター内部より20cmほど低いようで、手元までは見えないのでどんな作業をされているのかはわからない。
正面の壁に料理道具の棚がある。フライパン各種、鍋各種の右に竹筒のようなものがたくさん置かれている。いったいどんな調理道具なのか、しばらく考えてもわからないので、思いきって聞いてみた。これは10月末から2月ころまで鮟鱇の包み揚げのメニューがあることもあり、そのときこの竹筒を2つ割りにしたものではさむための道具とのことだった。これは聞いてみないとわからないし、じつのところ食べてみないとどんな料理なのかわからない。四季折々出てくるメニューも変わるのだろう。

客への応対に加え、器やインテリアも素朴で暖かい 。焼き物の知識などまったくないので産地の見当がつかないが、備前焼や美濃焼のようにざらざらした質感で、彩度低めというのかくすんだ温かみがある色だ。また屋内の壁や机、カウンターも白黒が基調なのだが、同じように白でも真っ白でなく少しベージュがかり、黒も真っ黒でなくくすんだ黒でやはり温かさを感じさせる。店主の人柄が出ているのかとも思われる。
料理にも、客にも、心遣いが細やかで暖かいのがこの店の一番の特色なのかもしれない。
最後にこの店の創業をお聞きすると、今年で23年、ずっとこの場所で続いているそうだ。調べると、マンションの新築当時というわけではなく15-16年たったころからのようだった。かつて故・山岡久乃さんがこのマンションの上のほうの階に住んでおられたそうだ。
なかなか来られない店と思ったが、「いまはアラカルトも出しているので、ちょっと飲みにいらっしゃって」と言われた。酒と料理一品とあのサバごはんもいいかもしれない、と思った。珍しいものをいろいろ食し、心が温まった夜だった。

やまだや
電話:03-3544-4789
住所:東京都中央区築地7-16-3 クラウン築地
営業:18:00~23:00(コロナ禍の間は17時から21時ころと、時間が変わる)
   日曜・祝日休み

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オミクロン禍のさなか馬場管99回定期を聴く

2022年02月04日 | 展覧会・コンサート

1月30日(日)オミクロン禍で、連日感染者数全国7万人を超えるさなか、埼玉会館高田馬場管弦楽団第99回定期演奏会を聴きにいった。昨年夏、同じ会場で98回定期が行われたときは、大宮の手前だから京浜東北に乗ればよいと思ったら意外に遠く、1曲目を聞き逃したので、今回は開場時間より10分ほど早めにいった。わたしより早い方もいたが、10-20席あるロビーのイスに座って待っておられ、並んだのはわたくしが1番だった。前回はコロナで指定席だったが、今回は自由席ということもあり、通常なら早い人は1時間くらい前に並び始めるからだ。さすがに時期が時期なので、いつもは満席の会場が1階の前のほうはガラガラ、全体を見渡すと5割くらいの入りかと思われる。ということはコロナ禍ではちょうどよいくらいの混み具合だ。
曲目は、ドヴォルザークの序曲「謝肉祭」プーランクの「シンフォニエッタ」、メインがチャイコフスキーの交響曲第5番の3つだった。
指揮は石橋真弥奈さん。プログラムによれば1986年生まれで今年36歳、東京音大出身、2017年ニーノ・ロータ国際指揮者コンクールでニーノ・ロータ賞受賞(優勝)、これまでに読響、新日本フィル、東響、日本フィル、ぱんだウインドオーケストラなどと共演という、プロフィールの方だ。わたくしが聴くのはもちろん初めてだった。

序曲「謝肉祭」は10分くらいのボヘミア風の彩を帯びた軽快な小曲で、きびきびした明快な指揮だった。コール・アングレとヴァイオリン・ソロが美しかった。最終部ではピッコロがよく鳴っていた。久しぶりにクラシック生演奏を聴いたので、曲のタイトルどおりお祭り気分で、心が浮き浮きしていい気分だった。
2曲目シンフォニエッタは、4楽章形式で25分ほどの曲、小編成で金管はトランペット2本のみだった。わたしは初めて聴く曲、ただ4楽章のフィナーレはFMで聴いたような気もした。ウィットに富むいわゆるフランス調の曲だった
2楽章ではオーボエとフルートが活躍した。この曲は1947年の作品だが、4楽章フィナーレは、いかにも20世紀の現代都市で生き、活動する人間を表現するような曲だった。
プーランクはミヨー、オネゲルらフランス6人組の1人で、高校生のころ好きな作曲家だった。ただ管楽器を含む室内楽曲ばかり聞いておりオケの曲は初めてだった。2015年のラ・フォルジュルネで1人だけのちょっと不思議なオペラ「人間の声(演奏会形式 ソプラノ中村まゆ美、ピアノ大島義影)を聴いたことを思い出した。
最後は、有名なチャイコフスキーの5番だった。
1楽章アンダンテは軽快に進みいい感じだった。2楽章アンダンテカンタービレは明快だが詠嘆調ではない指揮だった。3楽章ワルツ アレグロモデラートは、あまりメリハリや効果を付けない演奏だった。さて期待した4楽章フィナーレだ。トロンボーンなど金管楽器はよく鳴っていたが、盛り上がりがない。したがって演奏後の感動がなかった。
指揮者にもいろんなタイプがある。聴衆も、端正な指揮が好きな人もいると思う。人それぞれであることは、よくわかっている。
ただ馬場管のひとつの魅力は、フィナーレに向かう盛り上げ方の緻密な計算と、終演後の感動だとわたしは思っていた。そういう観衆の一人としては、今回は肩透かしだった。
浦和のことは何も知らないので、帰りに少し歩いてみた。浦和は、江戸時代に中山道の日本橋から3つめの宿場町となり、明治以降、さいたま市誕生まで長く県庁所在地だった。
埼玉会館は浦和駅西口から県庁通りを歩いて500mくらい、会館の先250mくらいに県庁がある。だからここが浦和のメインストリートかと思った ところが近辺は5-6階建ての低層ビルが多い。金融機関やスターバックス、ワシントンホテルなど全国ブランドの店があるのはどの町も同じだが、ときどき染物屋や邦楽器店がありちょっと不思議な感覚がする。駅前に伊勢丹、イトーヨーカドー、コルソといった商業施設があるが、あまり賑やかな感じはなかった。もしかすると東口がメインかと駅の裏側にも回ってみたが、パルコがあるもののその気配はなかった。よく言えば落ち着きのある街だ。西口には県庁の向かいにさいたま地裁があるので弁護士事務所の袖看板が多いのと、街灯に「サッカーのまち浦和」の赤いフラッグがなびいているのが、特徴といえば特徴だ。
東京都はじめ全国でコロナ感染者数が爆発的に増えていくなか、いつ中止のお知らせがアップされるかと、毎日のように馬場管のHPを冷や冷やしながら見にいっていたので、なにはともあれコンサートが無事に開催され、聴くことができたのが幸運だった。
次回は7月18日練馬文化センターで、記念すべき100回定期演奏会だ。森山さんの指揮でドヴォルザーク・交響曲8番、エルガー・エニグマ変奏曲などの予定なので、心が騒ぐ。そのころには新型コロナの流行が収束(または下火)になっていることを祈る

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初めての大相撲観戦

2022年01月23日 | 都内散策

大相撲初場所は関脇・御嶽海が優勝し、足を痛めたこともあり照ノ富士の3連続優勝は成らなかった。
大相撲は年6場所、2週間の取組み、ということは2カ月に1度半月間やっているのだからいつでも観られると思っていた。しかし原則として3場所は地方なので、両国国技館は年3回、コロナ禍で無観客開催ということまであるので、観られるうちに一度観に行こうと、両国に行ってみた。
相撲というと、わたしにとっては柏鵬時代だ。その前は栃若時代があった。若乃花栃錦に3年遅れて横綱に就いたのが1958年春、そのころは小学校低学年で、大鵬柏戸がともに横綱に昇進したのが61年秋だったのでそのころが一番テレビ観戦していた。野球は王・長嶋の巨人に川上監督が就任したのが61年、まさに「巨人・大鵬・卵焼き」の時代、テレビの黄金時代だった。
その後、若貴時代もあったがあまり興味はなかった。ビッグコミックの「のたり松太郎(ちばてつや 73.8―98.5)はコミックを読むときは見ていたが、オリジナルの「浮浪雲(ジョージ秋山)ほど気に入っていたわけではなかった。なぜか田中(田中清 駒田中)という小柄な弟弟子が気になった。

 国技館に出向いたのは9日目の1月17日(月)だった。「初心者向け・相撲観戦の楽しみ方!」というサイトをみて12時ごろ入館した。入口で「本日の取組表」と「観戦ガイドブック」を受け取る。まず相撲博物館やみやげもの売場を見学し、ちゃんこを食べたがその話はあとに回す。
わたしは13時半ごろ、三段目の最後のほうから見始めた。
まず呼出しが力士の名を呼びあげ力士が土俵に上がり、四股を踏む間に行司が名を呼びあげ、最後に場内アナウンスで名前のほか出身地や所属部屋が紹介される。終わったところで、制限時間一杯。行司が「待ったなし」「手をついて」と声をかける。十両以上は四股の間に力水をつけ、土俵にを撒き、中入り後は、呼出しが懸賞旗を持ち土俵を一回りする。負けた力士は一礼しそのまま退出し、次の力士がのっしのっしと入場する。ちょうど場内アナウンスをしているころだ。行司も交代する場合はそのあとをスタスタ入場する。客の出入りはその後だ。
また関取は専用の分厚い座布団があるようで、呼出しはいちいち取り替える。また勝負が決まった後、行司に懸賞の束を渡したり、物言いのあと審判に解説のためのマイクを渡すのも、土俵の上下の掃き掃除、触れ太鼓・はね太鼓の太鼓叩き、拍子柝打ちも呼出し、だ。テレビの解説で呼出しの仕事は多いと言っていたが、たしかに呼出しの仕事は数多い。
場内アナウンスは行司が担当するそうだ。アナウンスで担当呼び出しや決まり手も教えてくれる。行司や呼出しは独特の「なまり」のせいで聞き取れないこともあるので初心者にとっては大変助かる。テレビではあまりわからないが、現場でみると行司、呼出し、場内アナウンスそれぞれが客にとっては対等に重要だ。

「観戦ガイドブック」(左)と「本日の取組表」 
力士により座布団に座る前に準備運動をする人もいればそのまま座る人もいる。塩も照強のように雪玉くらいたくさん豪快に撒く人もいればちょろっと土俵に振るだけの人もいる。四股も佐田の海のようにずいぶん高くまで足が上がる人もいる。
テレビでみていると制限時間一杯までの時間が長く感じるが、現地でみると、いろいろ見るべきところがあり、長くは感じなかった
勝負そのものは10秒くらい、長くて30秒のことが多い。1分を超えると「大相撲」という感じになる。とくに幕下など下位の取組みは勝負が早い傾向が強かった。バチンと一発ぶつかりそのまま一気に押し出し、土俵際で粘ったりうっちゃったりの攻防はあまりない。行司の「残った、残った」という掛け声も「がんばってもっと残れ!」という励ましかと感じた。客はいまは原則掛け声禁止だ。
日本人なので小兵力士が図体の大きい力士相手に熱戦を展開すると判官びいきというのか、拍手がわく。牛若丸対弁慶のようなものだ。たとえば宇良(176㎝ 147kg)と逸ノ城(190cm 206kg)の取組がそうだった。この日は逸ノ城が勝ったが、客席から「アーッ」というため息が広がった。
5人の審判は序の口から幕下までは1組30番ほどで4組、幕下上位5番から十枚目(十両)17番が1組、中入り後は10番ずつ2組でローテーションがあるようで、多くの審判は2回役を務めるようだった。
行司は序二段までは1人7番、三段目から4番、幕下から2番のみで交代している。呼出しの名は幕下からしか書かれていないがやはり1人2番だけで交代している。
よく相撲を現地で見ると、力士の表情や仕草、肌の血色がみえて感動するという話を聞くが、わたしは2階の後方席だったので、とてもそんなものは拝めなかった。また押し出しや投げ技はわかるが、足をかけたりすくったりの技は上から見下ろしているのでまったくわからず、突然片方の力士がコロンと転ぶようにしかみえなかった。
わたしは2階のイスB(平日)5000円にしたが、感想としてはせめてイスA8000円かできればS9000円、あるいは1階マスC席8500円にしたいところだった。なお正面席がまだ空いていたので正面で取ったが、これはテレビと同じに見えるので初心者には正解だったと思う。

横綱・照ノ富士の土俵入り
それで、主としてショーやパフォーマンスとしての相撲の楽しさを書こうと思う。
十両土俵入り、幕内土俵入り、横綱土俵入りといったショー、弓取りや表彰式、加えて柝の音(きのね)や櫓(やぐら)太鼓による音の効果もお祭り気分を盛り上げる。
懸賞の場内アナウンスはスポンサーと商品名だけでよさそうだが、「相続のことなら辻本本郷税理士法人、事業承継も辻本本郷税理士法人」「税のことなら辻本本郷税理士法人」などとコマーシャル文句が入る。それも繰り返しがたびたびあったが、これは金額比例なのだろう。なかには「どくづきポケモン、グレッグル」とか「携帯パンといえばスナックサンド」「バイトするならエントリー」など、固有名詞が独特で笑いそうになるものもある。
売店にはありとあらゆるオリジナルグッズが売られている。人気の国技館焼鳥ちゃんこスープをはじめ力士ボトル焼酎、クッキー、チョコ、もなかなど酒・食品・菓子、湯飲み・茶碗・椀など食器、タオル・手ぬぐい・ブランケットなどタオルハンカチ類、力士名入りTシャツ、力士フィギュア、色紙、力士のぼり、軍配、扇子、ストラップ、キーホルダーなど、まるで日本のみやげ物の博物館のようなアイテムの多さだ。売店上部には、決まり手87手の図解があり文化的雰囲気を醸し出す。
入口で配布する取組表にも紀文、永谷園、なとりなどの商品広告がカラー印刷されている。そういえば、呼び出しの着物の背の大きな文字も同じメーカー名だ。
協会では、電子トレカ、LINEスタンプ、ユーチューブの大相撲アーカイブ場所などデジタルの「今風」のものも開発販売している。
弓取りのあと、コロナ禍で観客を時間差退場させようという意図だと思うが、お楽しみ抽選会があった。合計20人直筆手形などのプレゼントが当たる。ただ終了と同時に帰る人もやはりいるので、当選してもいない人が半分くらいいて、そのたびに引き直すのでわりに時間がかかった。
1階の飲食スペースには、ちょうちん、造花、屋上バルコニーに、いっしょに記念写真を撮れる人気力士の等身大パネルがあり、入口正面には賜杯と優勝旗の展示ケース、相撲博物館もあるので、テーマパークの要素もあった。
相撲は興行だが、歌舞伎やプロレス、歌謡ショー、映画も興行だ。同じように華やかさがある。一方、八百長相撲、野球賭博という黒い一面もあった。だから「暴力団や関係者の入場はお断り」と貼り紙や場内アナウンスがあったのかもしれない。

吊り屋根の上には巨大な日の丸が。
伝統的な格闘技なので、さすがにしきたりや神式の作法がいろいろあるようだった。力水や塩撒きには「清め」の意味がある。力士は入場、退場その他で礼をする。「礼に始まり礼で終わる」という意味なのだろう。よく見ると、土俵の上の吊り屋根も伊勢神宮などと同じ千木と鰹木のある神明造りになっていた。さらに吊り屋根の上には巨大な日の丸が掲げられていた。表彰式のときの「君が代」斉唱により、君が代はお相撲の歌と子どもに呼ばれることは知っていたが、日の丸も大相撲では特別な意味をもつのだ。
極めつけは正面入り口左側の庭に豊国稲荷神社・出世稲荷神社の2つの神社が並んで建てられていることだ。「神の国・日本」の国技の殿堂なのだろう。ただ星取表の出身地でみるとモンゴルだけでなく、ブラジル、ジョージア、ロシアなど海外出身が幕内42人中9人、十両28人中3人、幕下30人中5人と17%いる。ラグビーの日本代表チームと意味は違うが、相撲も国際化してきているということだろう。 
行司や呼び出しの直垂、烏帽子、たっつけ袴の装束や柝の音、櫓太鼓にも何か神式と関係があるかもしれない。
別の話だが、行司は「待ったなし」「手をついて」とはいうが、スタートの合図たとえば「始め!」「よーい、ドン」「レディ、ゴー」という言葉は掛けない。あくまでも力士同士が気合を合わせてスタートする。これは神式とは関係ないかもしれないが、「空気を読む」日本文化と通底するかもしれない。ただし「待て」などストップは掛ける。

館内の相撲博物館特別展「白鵬翔」を開催していた。白鵬は、大鵬の32回優勝を大幅に上回る45回、通算1187勝の横綱で昨年9月引退、現在間垣親方だ。1985年3月生まれの36歳、15歳で6人のモンゴル人と共に来日した。翌年の2001年3月初土俵、06年大関に昇進し初優勝、07年69代横綱、以降10年9月63連勝(歴代2位)を達成するなど数々の記録を更新した。
会場には、初来日時のパスポート、入門時01年3月場所の前相撲の写真、片岡鶴太郎デザインの不動明王と白い鳳の化粧廻し、漢字の「夢」をかなの「は、く、ほ、う」4字で組み合わせた化粧廻し、土俵入りで使った太刀、21年10月引退会見の時の家族(妻と一男三女)と宮城野親方との集合写真、7枚のギネス認定証、43個の優勝賜杯(模杯)のタワー、父母との記念写真、2020東京オリンピックの聖火ランナーとして着るはずだったユニフォームなど珍しいものが並んでいた。
わたしは白鵬のファンではないし、現役末期の横綱らしくないいくつもの行動も知っている。しかし偉大な横綱であったことは間違いないので、たまたま足跡を「もの」でみられたことは幸運だった。

昼食は地下大広間とあるが、コロナのせいか地下ではなく1階の飲食スペースと屋外で食べる。12時半くらいだったが10人くらいしか並んでいなかった。屋外のイス席で食べる人も多くいた。500円のちゃんこには、鶏肉に大根、太めの糸コン、ニンジン、白菜、しめじ、ニラなど野菜がたっぷり。これだけ入っているのだからいいスープが出るはずだ。しかも温かいので寒空のなかの食事にぴったり。ただし汁もののみのメニューで米は入っていないので、別途お稲荷さん(180)を買うか、何か持参したほうがよさそうだ。コロナ禍なのでここにも「黙食」のポスターがあった。
コロナ禍なので、いろいろ普通と違う点があった。バルコニー入口には「安心・安全な大相撲観戦」という大きな看板、場内では、声援なしで拍手のみ、飲食禁止かつ「マスク着用」のプラカードをもつスタッフが場内チェックの巡回をしていた。その他、場内アナウンスには、コロナではないが「物を投げるな、座布団を投げるな」というものもあった。
この日の取組で、照ノ富士、御嶽海、阿炎はすべて勝った。貴景勝は4日目から休場だったが、新入幕の王鵬の勝ち相撲をみられた。21歳、191㎝、181kgと大きい力士だ。大鵬の孫とのことで観客の拍手も大きかった。今後期待したい。

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2022年01月07日 | 総目次を作成

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