六本木の国立新美術館で国画会の第96回国展をみた。
コロナ禍のせいで、国展が国立新美術館で一般公開されるのは、2019年以来3年ぶりのことだ。やっと日常が戻りつつある。とはいうものの相手はウィルスなので、ふたたび新規感染者数が増えつつあり、収束を見通せないのだが・・・。
今年は運よく、トークイン「聞こえますかアートの声」のツアーに参加することができた。7年前に一度当たったことがあった。1グループ20人ほどに分かれ、1部門につき作者1人の声を15分ほど聞くツアーで、5部門あるので全部で1時間半ほどになる。
もちろんトークインの目玉は作者の思いを直接聞くことだ。
坂本伸一 「円相」
絵画の坂本伸一さんは、「子どものころから、そっくりに描くのが好きだった。大学生のころ「本質」は何か探ることに熱中し、たとえば椅子の本質は「座る」機能というように、プラトンのイデア論などを参考に、本質を見ることを考え、「そっくり」に描くことをやめ、写実から離れた」と語った。そしていちばん大事なのは宇宙だと悟り、色と光、見えないものを描くようになった。形としては円に辿りついた。丸のなかにCPU,メモリー、育てている花、貝など自分にとって大事なもの、好きなものを描くようになった。絵の形が菱形なのは意味がある。壁との境界を意識させ、壁にかかった見えないものを見せたいという意思がある。真ん中から外に、エネルギーが放射的に出ていく。見ていて楽しいといい。
彫刻は新井浩さん。今回の出展作は、龍角寺の注文で制作した龍の彫り物だ。はじめは自分で龍を彫るつもりはなかった。しかし寺から、前回の作品は400年前の作で、次回は400年後の予定と聞いた。400年もの長い年月残るものとして何がよいか考えた結果「世の中を守る」という言い伝えがある龍、それも羽があり飛ぶ龍を選んだそうだ。応龍という水を司り治世を守る龍である。部屋の内部に貼る面(内陣)には龍、寺を訪れる多くの人が見る外側には、釈迦が牛になり飼い主に恩返しするシーンを彫った。釈迦がインドに生まれる前、ヒトや動物として生を受けていた前世の物語、釈迦本性譚のことでジャータカとも呼ぶ。
柴田吉郎「冬の旅(小谷)」
版画の柴田吉郎さんは、出展歴35年、初期は多色の抽象木版だったが、20年前に白黒の具象、そして10年前から雪山をバックに村の暮らしを描く「冬の旅」シリーズを制作している。人間の逞しさや健気さが感じられる存在感ある風景を表現したいことがコンセプトで、表現としてはみずみずしく、柔らかな、味わいある水性木版画にこだっている。
今回の「小谷」は白馬三山をバックに中世の塩の道にある豪雪地帯の古農家群を描く。家の前の雪掻き人は、作者の分身で、宋の山水画の考え方に倣った。
写真部・乙女敏子さんは、地元大分の風景を撮り続けている。「息吹」は12月雨上がりの朝、木の水分が蒸発しているのが呼吸のように見え、その美しさを撮った。森や林の荒廃に心が痛むという。しかし仮に何もなくなったとしてもそれまでの「変化」を撮り記録として残したいと語った。
工芸部・谷淵洋子さんの「はな」は、花の雰囲気が出るようにと心がけている。何の花かはわからないがイメージで伝えたいとのこと。
わたしたち鑑賞者は、完成作をみてイメージを膨らませ好き嫌いの感想をもったり、見事な点、感心する点の批評をするが、作者はいろいろ考えながら制作していることを知ることができ、今後の観方に深さが増す体験となった。
作品解説のあと、質問タイムがあった。コロナ禍なので口頭でなく、タックシールに質問を書き、スタッフが集め司会者が取捨選択して作家に聞くかたちで進行した。
今回わたしが参加したグループは中高校生など若い人が多かった。おそらく美術部所属の「クリエイター」なのだろう。それで制作手順、技法、素材に関する質問も多く出た。
写真部・乙女敏子さんは、稲わらに上る蒸気、靄(もや)、霧や雲など水蒸気を素材にして白黒で完成させる作家だ。
白黒写真は現像・焼付けに完成度が大きく左右すると思われるので、やり方をお聞きした。まずカラーのデジタルカメラで撮影し、自分のパソコンで白黒に変換し、アドビで多少手直しするが、いじりすぎると汚くなるそうだ。デジタル時代にはそういうやり方をするのか、と了解した。ただし、いまも銀塩フィルムで撮影し、自分のラボで現像、紙焼きをする伝統的なやり方で行う写真家も健在だそうだ。
乙女さんは看護師、42、43歳ころから撮影を始めた。75歳のいまも午前は撮影、午後、老人施設に出勤し看護の仕事を続けているとのこと、ビックリした。
洋画の坂本さんは、ポリエステル樹脂が中心で、顔料で色を付け硬化剤で固める。とくに半透明の色を出すのに苦心されているとの話だった。貝など好きなものをひとつ置くたびに樹脂を流すので手間がかかる。
また作品の重量が、たとえばこの作品は25キロあり、体力づくりも重要だ。週1回ジムに通い鍛えている。
彫刻の新井さんは、必死にならないと世の中を守ることはできないので、「彫刻刀を抑制的に使い、龍のあごを引くようにした。刀は直角に当てるが、数を数えると300万回、すなわち300万刀だった」とのこと。仏師のような話だと思った。また木は、伊勢神宮の式年遷宮に使う予定だった300年ものの檜を使えたそうだ。300年ものといっても古木ではなく、つい最近まで森に生えていたもの。作品の側面をみると7-8センチあり、さらに彫面がそこから飛び出している部分がある。おそらく10-12センチの厚みのある一枚板の両面に「300万回」彫刻用の鑿(のみ)を当て、完成させたのだろう。
版画の柴田さんは、インクより墨のほうがよいが、これはアイボリーブラックを使っている、また黒は2版使っているそうだ。おそらく深みを増すためだろう。また「ぼかし」も重要で、影に深みをつけたかったそうだ。湿度も重要で、谷崎の「陰影礼賛」を参考にしたとのこと。
その後、展覧会場の各部を順番に回った。
写真部以外は自由に作品を撮影できる美術展だが、残念ながら記事の写真点数の制約から8点ほどしか掲載できない。国画会のサイトで、会員・準会員の昨年までの作品はみることはできるので、作風はわかる。下線のリンクをダブルクリックしてご覧いただければ幸いだ。
池田リサ「板締絣着物」、右は山口小枝「春はすぐそこに(水仙)」、左は徳永伊都子「モリノオト」
まずわたくしが一番好きな工芸部から。好きだった作品を列挙するに留める(以下、原則として敬称略)。
織で今年わたしが好きだった系統は2つある。ひとつは緑色系統の作品。石田直「杉の森」、村江菊絵「冬華」、池田リサ「板締絣着物」の両側もたまたま緑の作品だった、杉浦昌子「あめんぼう」、濱本初美「草木染め紬織 アヤソフィア」も緑の系統だった。おそらくちょうど新緑の季節なので、心地よく感じるのだろう。
東嶋眞由美「光燿」
もうひとつは紺やベージュなど上品な感じの作品。たとえば和宇慶むつみ「花織着物 水鏡」、石黒祐子「回雪」、足立紀美子「紫雲」、東嶋眞由美「光燿」など。
小島秀子「crossing time」(中央)
いつも楽しみにしている小島秀子の今年の作は「crossing time」、「+」マークを紺、黄緑、白抜きの3種と白抜きの「-」の4種をひとつおきに組み合わせたパターン柄だった。左右の帯と比較するとわかるが、幅が3倍ほど広い。パッチワークのようにつないでいるようだ。ただ両端の帯はしっかりしている。これは制作意図を聞いてみたい作品だ。
今年3月7日人間国宝・宮平初子さんが99歳で死去した。追悼記念をやらないのか、受付で聞いたが今年は間に合わなかったようだとのこと。宮平さんの作品は、わたくしが国展を見はじめた2008年ごろ首里花織に感動した。作品の出展は2012年ごろまでで、2018年にはお嬢さんのルバース・ミヤヒラ吟子さんも亡くなられた。
染・柚木沙弥郎の4点の記念展示
染で、今年10月柚木沙弥郎さんが100歳を迎えるので過去の作品4点の記念展示をやっていた。柚木さんは1959年24歳で初出展、今回で73年目になる。作品は右から2014年、92年の「萌」と「巴」、70年代の「注染布」だ。わたしが一番好きなのは2014年、すなわち90代のシンプルな作品だ。なお今年は、大澤美樹子「夜間飛行」、三戸和雄「じゅげむじゅげむ」など大柄で力強さのある染の作品に魅かれた。藤岡あゆみ「めぐる」も緑という点で好きだ。
布川穣「色釉扁壺 芽吹」
陶の新人賞・岡本ゆう「飴釉陶箱」の飴の渋い色がなんともいえずよい。瀧田史宇、阿部眞士などの白磁はやはり好きだ。松崎健「窯変灰被花器」は不思議なフォルムと色の器だった。窯変天目という名はよく耳にするが実物をみたことはない。こんな色合いなのかもしれない。また布川穣「色釉扁壺 芽吹」は白地に深緑と藍色、グレーの壺だが、デザインっぽい作品でとても陶器にはみえず、陶はこういう可能性もあるのだということを実物で示してくれた。わたしには実験的な作品にみえた。
伊東啓一「既視感の情景2022―A,B」
絵画部は5部門のなかで社会の動きをいちばん反映しやすいが、2月末に始まったウクライナでの戦争を取り上げた作品は4月22日受付締切りということもあり、時間的にムリなのでなかった。ここ2年続くコロナをテーマにした作品はあった。伊東啓一「既視感の情景2022―A,B」だ。防護具を付けた救急車の職員や医療関係者、わたしが嫌いな「Social Distancing」(Physical Distancingと呼べばいいのに)の看板と大勢の人、バックには墓地がみえる。真ん中に希望に満ちたような4人家族、なぜかハダシだ。長引くコロナ禍での「希望の見えない社会」の皮肉かもしれない。柳裕子「Power of Soul Ⅰ」は助けを求める人のようにみえた。
スーパーリアリスティックな青木勇治「聞こえるB」も強く印象に残った。
坂谷和夫、野々宮常人、東方達志、安原容子、瀬川明甫、推名久夫、上條喜美子らはいつもの作風の作品で、3年ぶりだったが、なんとなく安心しほっとした。
黒沼令「画家Ⅲ」
彫刻部では、大きな作品が目立った。たとえば入口にあった小林駿「生命」はマンモスの頭部にみえる。会場の中心にあった杉崎那朗「大地の化身」は相撲取りの土俵入りのシーンだが、大きく、かつ鉄製なので、重量を感じる。黒沼令「画家Ⅲ」の靴とズボンの質感のリアルさは半端でなかった。坂本雅子「そーっと」は、寝入った幼児を起こさぬよう微笑むお母さんの姿にほのぼのとした。また原敏史「生きる」は狸(あるいはアライグマ)が罠にでもかかったのかゴロンと横になった情景、しかし生きようとあがく。一方、こじまマオ「銃よ・・」はチンパンジーと銃をもつ褌姿の男性が向き合って座るシーン。銃が暴発するとどうなるのかと思う。ウクライナで戦争継続中だけに、人はチンパンジーと同等だと皮肉ったブラックユーモアの作に見えた。
写真部は作品の紹介ができない。石堂孝司「光を感じて」、藪本近己「浴場」のヌードはたしかに美しい、また鈴木里奈「透視眩」は、障子の前で舞う赤い帯の女性を丸いのぞき窓を通して見るシーンだが、構図のいい作品はやはり美しい。
西野通広「明日があるさ」
最後に版画部、3年前同様、自然に西野通広「明日があるさ」に目がいった。JRのガード下の居酒屋「呑み処みさ」コロナだからか、扉が開いていて、客が少なくとも1人いるのがみえている。外を歩いている人は店に注目しているが、入るのだろうか。「明日があるさ」というほど希望にあふれているわけではない。コロナ禍もあり、心のなかはやけっぱちなのかもしれない。
木村哲也「キャンプファイヤを囲んで」は猫のキャンプ場。「受付」があり、竈があり、バンガローがある。釣りをしたりバーベキューを焼いたり。夕日が沈み、真ん中ではキャンファイヤを囲み、大勢の猫が歌を歌っている。懐かしい風景だ。
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