S多面体

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」のショート版

トークインを聞いた第96回国展

2022年05月16日 | 展覧会・コンサート

六本木の国立新美術館国画会第96回国展をみた。
コロナ禍のせいで、国展が国立新美術館で一般公開されるのは、2019年以来3年ぶりのことだ。やっと日常が戻りつつある。とはいうものの相手はウィルスなので、ふたたび新規感染者数が増えつつあり、収束を見通せないのだが・・・。
今年は運よく、トークイン「聞こえますかアートの声」のツアーに参加することができた。7年前に一度当たったことがあった。1グループ20人ほどに分かれ、1部門につき作者1人の声を15分ほど聞くツアーで、5部門あるので全部で1時間半ほどになる。
もちろんトークインの目玉は作者の思いを直接聞くことだ。

坂本伸一 「円相」
絵画坂本伸一さんは、「子どものころから、そっくりに描くのが好きだった。大学生のころ「本質」は何か探ることに熱中し、たとえば椅子の本質は「座る」機能というように、プラトンのイデア論などを参考に、本質を見ることを考え、「そっくり」に描くことをやめ、写実から離れた」と語った。そしていちばん大事なのは宇宙だと悟り、色と光、見えないものを描くようになった。形としては円に辿りついた。丸のなかにCPU,メモリー、育てている花、貝など自分にとって大事なもの、好きなものを描くようになった。絵の形が菱形なのは意味がある。壁との境界を意識させ、壁にかかった見えないものを見せたいという意思がある。真ん中から外に、エネルギーが放射的に出ていく。見ていて楽しいといい。
彫刻新井浩さん。今回の出展作は、龍角寺の注文で制作した龍の彫り物だ。はじめは自分で龍を彫るつもりはなかった。しかし寺から、前回の作品は400年前の作で、次回は400年後の予定と聞いた。400年もの長い年月残るものとして何がよいか考えた結果「世の中を守る」という言い伝えがある龍、それも羽があり飛ぶ龍を選んだそうだ。応龍という水を司り治世を守る龍である。部屋の内部に貼る面(内陣)には龍、寺を訪れる多くの人が見る外側には、釈迦が牛になり飼い主に恩返しするシーンを彫った。釈迦がインドに生まれる前、ヒトや動物として生を受けていた前世の物語、釈迦本性譚のことでジャータカとも呼ぶ。

柴田吉郎「冬の旅(小谷)」
版画柴田吉郎さんは、出展歴35年、初期は多色の抽象木版だったが、20年前に白黒の具象、そして10年前から雪山をバックに村の暮らしを描く「冬の旅」シリーズを制作している。人間の逞しさや健気さが感じられる存在感ある風景を表現したいことがコンセプトで、表現としてはみずみずしく、柔らかな、味わいある水性木版画にこだっている。
今回の「小谷」は白馬三山をバックに中世の塩の道にある豪雪地帯の古農家群を描く。家の前の雪掻き人は、作者の分身で、宋の山水画の考え方に倣った。
写真部・乙女敏子さんは、地元大分の風景を撮り続けている。「息吹」は12月雨上がりの朝、木の水分が蒸発しているのが呼吸のように見え、その美しさを撮った。森や林の荒廃に心が痛むという。しかし仮に何もなくなったとしてもそれまでの「変化」を撮り記録として残したいと語った。
工芸部・谷淵洋子さんの「はな」は、花の雰囲気が出るようにと心がけている。何の花かはわからないがイメージで伝えたいとのこと。
わたしたち鑑賞者は、完成作をみてイメージを膨らませ好き嫌いの感想をもったり、見事な点、感心する点の批評をするが、作者はいろいろ考えながら制作していることを知ることができ、今後の観方に深さが増す体験となった。
作品解説のあと、質問タイムがあった。コロナ禍なので口頭でなく、タックシールに質問を書き、スタッフが集め司会者が取捨選択して作家に聞くかたちで進行した。
今回わたしが参加したグループは中高校生など若い人が多かった。おそらく美術部所属の「クリエイター」なのだろう。それで制作手順、技法、素材に関する質問も多く出た。
写真部・乙女敏子さんは、稲わらに上る蒸気、靄(もや)、霧や雲など水蒸気を素材にして白黒で完成させる作家だ。
白黒写真は現像・焼付けに完成度が大きく左右すると思われるので、やり方をお聞きした。まずカラーのデジタルカメラで撮影し、自分のパソコンで白黒に変換し、アドビで多少手直しするが、いじりすぎると汚くなるそうだ。デジタル時代にはそういうやり方をするのか、と了解した。ただし、いまも銀塩フィルムで撮影し、自分のラボで現像、紙焼きをする伝統的なやり方で行う写真家も健在だそうだ。
乙女さんは看護師、42、43歳ころから撮影を始めた。75歳のいまも午前は撮影、午後、老人施設に出勤し看護の仕事を続けているとのこと、ビックリした。
洋画の坂本さんは、ポリエステル樹脂が中心で、顔料で色を付け硬化剤で固める。とくに半透明の色を出すのに苦心されているとの話だった。貝など好きなものをひとつ置くたびに樹脂を流すので手間がかかる。
また作品の重量が、たとえばこの作品は25キロあり、体力づくりも重要だ。週1回ジムに通い鍛えている。
彫刻の新井さんは、必死にならないと世の中を守ることはできないので、「彫刻刀を抑制的に使い、龍のあごを引くようにした。刀は直角に当てるが、数を数えると300万回、すなわち300万刀だった」とのこと。仏師のような話だと思った。また木は、伊勢神宮の式年遷宮に使う予定だった300年ものの檜を使えたそうだ。300年ものといっても古木ではなく、つい最近まで森に生えていたもの。作品の側面をみると7-8センチあり、さらに彫面がそこから飛び出している部分がある。おそらく10-12センチの厚みのある一枚板の両面に「300万回」彫刻用の鑿(のみ)を当て、完成させたのだろう。
版画の柴田さんは、インクより墨のほうがよいが、これはアイボリーブラックを使っている、また黒は2版使っているそうだ。おそらく深みを増すためだろう。また「ぼかし」も重要で、影に深みをつけたかったそうだ。湿度も重要で、谷崎の「陰影礼賛」を参考にしたとのこと。

その後、展覧会場の各部を順番に回った。
写真部以外は自由に作品を撮影できる美術展だが、残念ながら記事の写真点数の制約から8点ほどしか掲載できない。国画会のサイトで、会員・準会員の昨年までの作品はみることはできるので、作風はわかる。下線のリンクをダブルクリックしてご覧いただければ幸いだ。

池田リサ「板締絣着物」、右は山口小枝「春はすぐそこに(水仙)」、左は徳永伊都子「モリノオト」
まずわたくしが一番好きな工芸部から。好きだった作品を列挙するに留める(以下、原則として敬称略)。
で今年わたしが好きだった系統は2つある。ひとつは緑色系統の作品。石田直「杉の森」、村江菊絵「冬華」、池田リサ「板締絣着物」の両側もたまたま緑の作品だった、杉浦昌子「あめんぼう」、濱本初美「草木染め紬織 アヤソフィア」も緑の系統だった。おそらくちょうど新緑の季節なので、心地よく感じるのだろう。

東嶋眞由美「光燿」
もうひとつは紺やベージュなど上品な感じの作品。たとえば和宇慶むつみ「花織着物 水鏡」、石黒祐子「回雪」、足立紀美子「紫雲」、東嶋眞由美「光燿」など。

小島秀子「crossing time」(中央)
いつも楽しみにしている小島秀子の今年の作は「crossing time」、「+」マークを紺、黄緑、白抜きの3種と白抜きの「-」の4種をひとつおきに組み合わせたパターン柄だった。左右の帯と比較するとわかるが、幅が3倍ほど広い。パッチワークのようにつないでいるようだ。ただ両端の帯はしっかりしている。これは制作意図を聞いてみたい作品だ。
今年3月7日人間国宝・宮平初子さんが99歳で死去した。追悼記念をやらないのか、受付で聞いたが今年は間に合わなかったようだとのこと。宮平さんの作品は、わたくしが国展を見はじめた2008年ごろ首里花織に感動した。作品の出展は2012年ごろまでで、2018年にはお嬢さんのルバース・ミヤヒラ吟子さんも亡くなられた。

染・柚木沙弥郎の4点の記念展示
で、今年10月柚木沙弥郎さんが100歳を迎えるので過去の作品4点の記念展示をやっていた。柚木さんは1959年24歳で初出展、今回で73年目になる。作品は右から2014年、92年の「萌」と「巴」、70年代の「注染布」だ。わたしが一番好きなのは2014年、すなわち90代のシンプルな作品だ。なお今年は、大澤美樹子「夜間飛行」、三戸和雄「じゅげむじゅげむ」など大柄で力強さのある染の作品に魅かれた。藤岡あゆみ「めぐる」も緑という点で好きだ。

布川穣「色釉扁壺 芽吹」
陶の新人賞・岡本ゆう「飴釉陶箱」の飴の渋い色がなんともいえずよい。瀧田史宇阿部眞士などの白磁はやはり好きだ。松崎健「窯変灰被花器」は不思議なフォルムと色の器だった。窯変天目という名はよく耳にするが実物をみたことはない。こんな色合いなのかもしれない。また布川穣「色釉扁壺 芽吹」は白地に深緑と藍色、グレーの壺だが、デザインっぽい作品でとても陶器にはみえず、陶はこういう可能性もあるのだということを実物で示してくれた。わたしには実験的な作品にみえた。
 

伊東啓一「既視感の情景2022―A,B」
絵画は5部門のなかで社会の動きをいちばん反映しやすいが、2月末に始まったウクライナでの戦争を取り上げた作品は4月22日受付締切りということもあり、時間的にムリなのでなかった。ここ2年続くコロナをテーマにした作品はあった。伊東啓一「既視感の情景2022―A,B」だ。防護具を付けた救急車の職員や医療関係者、わたしが嫌いな「Social Distancing」(Physical Distancingと呼べばいいのに)の看板と大勢の人、バックには墓地がみえる。真ん中に希望に満ちたような4人家族、なぜかハダシだ。長引くコロナ禍での「希望の見えない社会」の皮肉かもしれない。柳裕子「Power of Soul Ⅰ」は助けを求める人のようにみえた。
スーパーリアリスティックな青木勇治「聞こえるB」も強く印象に残った。
坂谷和夫野々宮常人東方達志安原容子瀬川明甫推名久夫上條喜美子らはいつもの作風の作品で、3年ぶりだったが、なんとなく安心しほっとした


黒沼令「画家Ⅲ」
彫刻部では、大きな作品が目立った。たとえば入口にあった小林駿「生命」はマンモスの頭部にみえる。会場の中心にあった杉崎那朗「大地の化身」は相撲取りの土俵入りのシーンだが、大きく、かつ鉄製なので、重量を感じる。黒沼令「画家Ⅲ」の靴とズボンの質感のリアルさは半端でなかった。坂本雅子「そーっと」は、寝入った幼児を起こさぬよう微笑むお母さんの姿にほのぼのとした。また原敏史「生きる」は狸(あるいはアライグマ)が罠にでもかかったのかゴロンと横になった情景、しかし生きようとあがく。一方、こじまマオ「銃よ・・」はチンパンジーと銃をもつ褌姿の男性が向き合って座るシーン。銃が暴発するとどうなるのかと思う。ウクライナで戦争継続中だけに、人はチンパンジーと同等だと皮肉ったブラックユーモアの作に見えた。
写真部は作品の紹介ができない。石堂孝司「光を感じて」、藪本近己「浴場」のヌードはたしかに美しい、また鈴木里奈「透視眩」は、障子の前で舞う赤い帯の女性を丸いのぞき窓を通して見るシーンだが、構図のいい作品はやはり美しい。

西野通広「明日があるさ」
最後に版画部3年前同様、自然に西野通広「明日があるさ」に目がいった。JRのガード下の居酒屋「呑み処みさ」コロナだからか、扉が開いていて、客が少なくとも1人いるのがみえている。外を歩いている人は店に注目しているが、入るのだろうか。「明日があるさ」というほど希望にあふれているわけではない。コロナ禍もあり、心のなかはやけっぱちなのかもしれない。
木村哲也「キャンプファイヤを囲んで」は猫のキャンプ場。「受付」があり、竈があり、バンガローがある。釣りをしたりバーベキューを焼いたり。夕日が沈み、真ん中ではキャンファイヤを囲み、大勢の猫が歌を歌っている。懐かしい風景だ。

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首都圏9音大選抜オケの「ブルックナー」コンサート

2022年04月01日 | 展覧会・コンサート

3月26日(土)午後、ミューザ川崎で「音楽大学フェスティバルオーケストラ」のコンサートを聴いた。
  

このオケは、上野学園、国立、昭和、洗足学園、東京音大、藝大、東邦、桐朋、武蔵野首都圏9音大選抜メンバーで構成されている。メンバー表をみるとたとえばヴァイオリンでは1st、2nd各14人で、9大学各2人で17人(東邦のみ1人)、そのほか、桐朋3、武蔵野3、上野、国立、東京、藝大、昭和各1人、コントラバスは8人だが上野学園を除く各1人と、大学間のバランスに配慮しているようだ。在籍者数でみると、東邦や上野学園のように1学年50人台から洗足学園の600人台、国立の300人台と規模がさまざまなので、なかなか大変だと思われる。演奏者だけでなく、実行委員が各大学から4-6人、ライブラリアンや舞台スタッフも各大学から参加している。 
ただ、演奏指導者5人と練習会場提供は今回は東京音大だった。おそらく回り持ちかと考えられる
指揮は下野竜也さん、桐朋学園やイタリアのキジアーナ音楽院で指揮を学び、28歳より大阪フィル・朝比奈隆のもとで研鑚を積み、31歳でブザンソン国際指揮者コンクール優勝、2017年から広島交響楽団音楽総監督、京都市立芸術大学音楽学部教授という経歴の方だ。わたしが生で聴くのは初めてだ。
曲目は三善晃「祝典序曲」、ブルックナーの交響曲4番「ロマンティック」ハース版の2曲。
三善晃「祝典序曲」はまったく知らない曲だった。1970年3月の大阪万博用につくられ、しかももともと野外演奏(万博のお祭り広場)のつもりで作曲された。
4分ほどの短い作品だが、トランペット6本、ホルン6本、打楽器8人と、かなり派手な曲だった。木琴とティンパニーが大活躍、ラチェットも出てきた。曲が終わってから気づいたが、ハープ、ピアノまで入っていた。
演奏後、下野マエストロの指名賞賛奏者のトップはティンパニーの女性だった。

1曲目と2曲目のあいだに、管・打楽器メンバーが全員入れ替わるため5分ほど間があり、その時間を利用して下野マイスターから解説があった。このコンサートは新型コロナパンデミックで2回中止になった。日本の音大なのに、戦後有名になった日本人作曲家の曲があまり演奏されないので、今回は三善晃の曲にすることにした。当初、交響四部作の最後、「焉歌・波摘み」をセレクトしたが、4曲演奏のプログラムで進めていたのにコロナのため2曲に絞り、かつ休憩なしへと変更になった。ある程度大規模編成ということで「祝典序曲」を演奏することにした。
この曲は三善晃先生が37歳のときの曲で、パリ帰りの先生だが、歌舞伎の音楽や相撲の柝の音(きのね)などジャポニズムのエッセンスも織り込まれている。
マーラーやR.シュトラウスのアルプス交響曲は取り上げられたが、ブルックナーは初めてだ。それどころか下野マエストロが学生に「初めてブルックナーを演奏した人」と、手を上げさせると半分以上のメンバーが手を上げた。団員数が大きいアマオケでもマーラーと並び、ときおり演奏されるので意外だった。
マイスターは「ブルックナーというと、朝比奈隆オイゲン・ヨッフムのようなおじいさん指揮者の曲というイメージがある」「わたしは今年53歳になるが、50代は指揮者としてはまだハナ垂れ」と謙遜し「しかし若い指揮者、若い演奏家のブルックナーの『旅』をするのもよいのではないか」と考えたという。指揮者本人直々にコメントを聴けるとは、得した思いがした。

さてブルックナーの1楽章、冒頭ホルンがとても安定したソロを吹いた。トランペットもうまい。チューバの響きもすばらしい。フルートも安定した演奏だった。
2楽章は、コントラバスのピチカートやダイナミックな演奏が印象に残った。木管の掛け合いや、ヴィオラの澄んだ音もよかった。わたしは1階の6列目、舞台に向かってやや左に座っていたので、ヴィオラの音が耳にまっすぐに飛び込んでくる。弦のハーモニーをつくるうえでこんな重要な役割を担っていることをはじめて体感した。
ホルンのソロにクラリネットやヴィオラがかぶさる部分も聴きごたえがあった。
3楽章のホルンとトランペットにもシビれた。
4楽章は弦のトレモロ、ティンパニーの連打、ヴィオラのさわやかな合奏、管のハーモニー、そしてホルンがこの楽章でも、やはりすばらしかった。
1時間以上の大曲だが、あきることなく、音楽に酔いしれた。
プログラムに「次代を担う若い音楽家のドリームチーム」と書かれていた。性格上、この2日間のために編成された「一期一会」の特別なチームだと思う。何度くらい全体合奏できたのかわからないが、管打分奏指導の水野信行さん(東京音楽大学教授)はじめ、分奏指導の5人の先生方の力が大きかったのかもしれない。
下野さんは、立っているとき周囲の弦楽器の女性たちと比べても小柄な方で、上半身がしっかりし下半身が細く小さかった。指揮台での立ち姿がとても「絵」になる方だった。端正な指揮だが、鋭いところはとても鋭く、統率力が優れている。いまでも有名人だが、今後10年、20年、ますます期待したくなる指揮者であると思った。
終演後、拍手が鳴りやまなかった。歓声は上げられないが、2階席で「Bravo」の横断幕を掲げ振っている人がいた。カーテンコールも何度あったかわからない。指名賞賛奏者1番は予想どおりホルンのトップの女性だった。
祝典序曲もブルックナーも女性、ヴァイオリンのトップ、コンサートミストレスも女性、というかどのパートも7-9割は女性メンバーだった。まあ、そういう時代なのだろう。
日本のオーケストラの今後は明るい、と感じるコンサートだった。

ミューザ川崎の通路
このフェスは1999年にスタート、一時中断を経て2009年再開、今回は第11回だった。会場のミューザ川崎は2004年7月オープン、約2000席のホールで、サントリーホールのように舞台を360度取り囲む客席になっている。3階や4階はともかく、下の座席の音響はとてもよかった。パイプオルガンも設置されている。通路の壁の高いところに加工した写真が何枚か展示されている。おそらく、かつての川崎の風景だと思われる。どこかに解説板がありそうなので、次回来たときに探してみよう。

☆帰りに、東口・京急川崎駅から5分ほどの「立飲み 天下」に立ち寄った。ミューザの帰りはこの店へという定番ルートができてしまった。
マスターがたいへん低姿勢 「ごめんなさい」が枕詞のようにつく。こちらも自然に穏やかな気持ちになる。立飲みだが、けんちん汁(310円)、しゅうまい(250円)といった料理もある。酒と白ワインを2杯のみ、いい気持ちになった。
客は男性ばかり5人くらい。テレビでは巨人―中日戦の中継中で、8回ちょうど巨人が大量5点を取り、逆転しているところだった。そのまま試合が終了すると、大相撲14日目に切り換えられた。  
わたしは浜田さんのブログで知ったみせだが、たしかにいい店だ。

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オーケストラコンサートも、社会情勢を反映する

2022年03月18日 | 展覧会・コンサート

人に誘われ、2つのオーケストラコンサートを聴きに行った。
ひとつは、3月11日(金)夕刻池袋西口公園の野外スタジオで行われた「ウクライナ応援コンサート(指揮・小林研一郎 主催:豊島区、コバケンとその仲間たちオーケストラだった。
曲目は、シベリウスの交響詩「フィンランディア」、ラヴェルのボレロ、アイルランド民謡ダニーボーイ(ロンドンデリーの歌)の3曲。

タイトルからもわかるよう、2月24日にロシアがウクライナに侵攻した戦争への抗議とウクライナを支援する趣旨のコンサートである。
主催者あいさつで知ったのだが、豊島区は1982年に23区初の非核都市宣言を採択した区ということもあり、3月2日、高野之夫区長・磯一昭区議会議長の連名で「核兵器の使用を示唆するようなプーチン大統領の一連の行為に対する厳重抗議」をプーチン宛に発出した。その関連のコンサートである。コンサートの話が持ち上がってから1週間で実現とのことで、 そのスピードには驚かされた。 
だから主催が豊島区なのだが、まず高野区長から趣旨説明を兼ねたあいさつがあり、続いてオクサーナ・ステパニュックさんの「ウクライナ国歌」独唱が披露された。この方は藤原歌劇団所属のソプラノで、かつウクライナの民族楽器「バンドゥーラ」の名演奏家だそうだ。

わたしは、基本的には「君が代」をはじめ国歌は好きではないが、ステパニュックさんの「ウクライナ国歌」(このサイトの10:53)は時機が時機だけに迫力を感じた。また開会に先立ち、会場で配布されたウクライナ国旗が青と黄の2色ということはたいていの人が知っているが、青は空、黄は麦を表す、だから「青を上、黄を下」に掲げるようとのアドバイスが、司会の朝岡聡さんからあった。これは聞いてよかった豆知識だった。
いよいよシベリウスの「フィンランディア」の演奏が始まる。金管(トランペット、ホルン(あっ、ホルンは木管だが)各4人、トロンボーン6人、計14人)はステージ上の2階席ひな壇のようなところに1列で座っている。コロナで密を避けるためと考えられるが、朝岡さんから「マエストロ小林じきじきに、いっそう輝かしいサウンドになることを説明するようにいわれた」とのコメントがあった。
2階席に金管、舞台下には男声合唱団が並ぶ
舞台下に30人くらいの衣装はバラバラの男性が並んでいる。警備スタッフではないフィンランディア賛歌を歌う合唱団で、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団早稲田大学グリークラブのOB合同合唱団だった。急な話だったので、こういうことになったのだろう。
屋外の演奏で全員立ち見、マイクを通しスピーカーで大音量で流すので、重低音の迫力は感じるものの、演奏内容のほうは判断をつけがたかった。わたしは前から6列目くらいのステージに向かってやや右手で立っていたが、立ち位置や前に背の高い人がどのくらいいるかでも音環境はかなり変わると思われる。
小林さんの姿は、人と人の間から、小さくみえるだけなので、もっぱら舞台上部の大型モニターを見ることになった。
コバケンさんの指揮はたしかに見ものだった。7年ほど前のラ・フォル・ジュルネで小林研一郎指揮、日本フィルハーモニー、合唱・東京音大のベートーベンの「第9」の4K映像を見たことがあるが、「炎の指揮者」と呼ばれるだけあり、たしかに熱い演奏だった。
残念ながら、わたくしがコンサートを聴けたのはここまでで、あとはユーチューブで視聴このサイトで全体を視聴できる)しただけだったが、やはりプロの指揮者は違うと思った。
なおこの日集まった寄付金は、4月に小林氏がハンガリーを訪問するときに、ウクライナからハンガリーに避難した人たちに直接手渡すとのことだった。
また、目の前の東京芸術劇場1階で「キッズゲルニカ ウクライナ」という絵を掲示していた。ウクライナの子どもたちが描いた絵で、ピカソのゲルニカと同じ3.5m×7.8mのサイズの大作だ。

プログラム(右)は、予定された出演者のままで配布された
もうひとつ3月5日(土)午後、こちらも人に誘われて目黒パーシモンホールフレッシュ名曲コンサートを聞いた。曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と交響曲7番、指揮・太田弦、オケ・東京交響楽団、ヴァイオリン独奏・高木凛々子というメンバーだった。じつは指揮・鈴木優人、独奏・戸澤菜紀で予定されていたのが、「公演関係者がPCR検査の結果陽性であることが判明したため、濃厚接触の可能性がある出演者を変更」した結果、ピンチヒッターで出演者が差し替えになったものだった。外国人アーティストが入国できず交代ということはよくあるが、主演の2人とも急な変更というのは、いかにもコロナ禍のできごとだった。
それでも無事に開催できたのは、お二人のおかげだろう。もしかすると、オケのメンバーでも感染者なり濃厚接触者で出演不能ということもありうることだ。
フレッシュ名曲コンサートは、東京都歴史文化財団が区市町村の団体と共催して行うコンサートで、2021-22年のシーズンではくにたち市民芸術小ホール、なかのZERO、ルネこだいら、練馬文化センターなど22の会場で22回開催している。東京都歴史文化財団は東京文化会館、東京都現代美術館、東京都江戸東京博物館など12の都の文化施設の指定管理者で芸術文化を振興する財団である。この日は目黒パーシモンホールの指定管理者・目黒区芸術文化振興財団の主催というかたちになっていた。
わたくしがプロオケを聴くのは、何年ぶりだろう。オペラの伴奏なら昨年の藤原歌劇団「ラ・ボエーム」の東京フィルハーモニー、新国立劇場オペラ研修所「悩める劇場支配人」の新国立アカデミーアンサンブルなどがあるが、まともなコンサートを聞いたのは相当昔のように思う。11年前のベルリンフィルまで遡るかもしれない。
予想通りといえばそのとおりだが弦の厚み、充実したハーモニーがアマオケとかなり違う。はアマもかなり高いレベルだと思っていたが、ホルンやフルートの重奏部分を聴くとここまでピッタリ合わせるのはアマには難しい。さすがだった。そして管弦打全体のバランスがよい。やぱりプロの楽団だと改めて発見することが多かった。
アマは人数の関係で、3管編成になることが多いが、この日は2管、それも金管はトランペットのみ、ヴァイオリン協奏曲はフルートも1本だけ、ティンパニも2台という簡素な編成だった。おそらくスコアどおりなのだろうと思うが。
太田弦さんの指揮は、交響曲7番でとりわけ光っていた。東京交響楽団とも過去演奏した経験ありとプロフィールにあったが、息がぴったり合って、終盤に近付くほど生き生きした演奏を聴くことができた。いつ緊急出演が決まったのかわからないが見事だった。高木さんのヴァイオリンは、落ち着いた演奏で、カデンツァも派手なところがなかった。ハーモニクスがとても美しい音色だった。ドラマティックさはないが、そういう奏者なのだろう。貸与のストラディヴァリはさすがで、よく鳴っていた。これだけでも聞きにいった価値があった。
アンコールでバッハの無伴奏パルティータが演奏されたが、これは名演だった。こういう曲が得意なソリストなのだろう。
開演30分前から15分ほどウェルカムコンサートが開かれた。プログラムはベートーヴェンの弦楽四重奏曲1番op18-1の1・4楽章、メンバーはオケから1stヴァイオリン田尻順、2ndヴァイオリン水谷有里、ヴィオラ小西応興、チェロ伊藤文嗣だった。
本番前のロビーコンサートや本番30分前の「解説」は聞いたことがあったが、舞台上の演奏は初めて聴く。これもコロナ対策で、ロビーでは聴衆が「密」になるからかもしれない。
演奏も4人の息が合ったよい演奏だった。なぜか2ndの水谷さんの音が目立って聞こえた。プロフィールをみると、まだ芸大の院生のようだが、大物なのかもしれない。
生の弦楽四重奏を聴くのも、数十年前の東京カルテットや巌本真理カルテット以来のはずなので、満足した。
めぐろパーシモンの大ホールには、15年ほど前の冬、高田馬場管弦楽団の定演を一度聴きにきたことがあった。1200人規模の大きさで、なかなかいい響きのホールだった。
前半に書いた「ウクライナ応援コンサート」がを反映していることはいうまでもない。フレッシュ名曲コンサートも、新型コロナ流行の影響を大きく受けている。そういう点で考えると、案外オーケストラのコンサートも社会情勢に影響され、社会情勢を反映したものだといえそうだ。
1945年敗戦のアジア太平洋戦争時の軍楽隊やオーケストラと同じ道を進まないことを祈りたいのだが・・・。

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刺激的なアーティゾン美術館「はじまりから、いま。」

2022年03月05日 | 展覧会・コンサート

京橋のアーティゾン美術館を訪れた。この美術館は、1952年開館のブリヂストン美術館が2015年に建物改築することに伴い一度休館し、2020年1月アーティゾンに改称してリニューアルオープンした。アーティゾンとはアートとホリゾンを組み合わせた造語で「新たなアートの地平をのぞむ美術館」への意志を込めたものだそうだ。。
ブリヂストン美術館は有名だし、よく通っていたフィルム・センター(現・国立映画アーカイブ)から近い場所なのに、なぜかあまり行った記憶がない。印象派中心のイメージが強く、それなら西洋美術館に行けば足りると思っていたのかもしれない。しかし石橋正二郎の長男・幹一郎の死後、現代美術や日本・東洋美術の幹一郎のコレクションが1998年に加わり、ずいぶん性格が変わったようだ。

さらに新ビルへの建替えで、また新たな変貌を遂げつつあるようだ。オープンから2年たつが「はじまりから、いま。」というこの美術館の総覧のような企画展を開催していたので行ってみた。平日の朝一番だったので、閑散としていて、作品鑑賞にはとてもいい環境だった。また動画作品以外は、原則として撮影可能になっていて気持ちのよい美術館だった。
4-6階の3フロアが展示室になっていて、6階から見始める。展覧会は3部構成で、1部が「アーティゾン美術館の誕生」(6階)、2部「新地平への旅」(5階)、3部「ブリヂストン美術館のあゆみ」(4階)で、サブタイトル「アーティゾン美術館の軌跡――古代美術、印象は、そして現代へ」のとおり、コレクションによる美術館70年史のような作品展だった。
まず1部の部屋に入ると、通路の右に藤島武二「東洋振り」(1924)、中村彜「静物」(1919ころ)、松本竣介「運河風景」(1943)、荻須高徳、岡鹿之助など日本人作家の作品、左にラトゥール「静物」(1865)、ブラックモン「セーヴルのテラスにて」(1880)、モリゾ「バルコニーの女と子ども」(1872)、ゴンザレス、カサット、など海外作家の作品が並ぶ。
鴻池朋子 襖絵「地球断面図、流れ、竜巻、石」

森村泰昌「M式 海の幸」から3作
その先の大きな部屋に鴻池朋子の12面16mもある大きな襖絵「地球断面図、流れ、竜巻、石」(2020)があり、その先に森村泰昌のM式「海の幸」から1番「假象の創造」、5番「復活の日」、9番「たそがれに還る」の3点(2021)が並ぶ。これも1点が2.8mもある。森村の作品なので、群像の一人ひとりのモデルは森村自身で、「假象の創造」は青木繁の「海の幸」(1904)をモチーフにしたもので、登場人物は全員男性、「復活の日」は日の丸の小旗を持つオリンピック選手団のような誇らしげな男女(ただし最後尾の女性だけが小旗を捨て赤のジャケットを脱ぎ腕にかけ斜め下をみつめている。これも元ネタがあるのかもしれない。誇らしげな男性はちょっとアベ首相を連想させた。
「たそがれに還る」は浜辺で白衣・白髪の女性(または男女)が1組はマスク姿、もう1組は防毒マスクをつけて立ち尽くす。新型コロナと放射線のさなかで立ち尽くす人類のようだ。
解説によると、アーティストとキュレーターが協同して石橋財団コレクションとの「ジャム・セッション」による展覧会開催に取り組みつつある。これが新美術館アーティゾンのコンセプトに基づく企画だそうだ。ジャム・セッション第1回(2020年)は鴻池朋子、第2回(2021年)は森村泰昌、今年の第3回は鈴木理策柴田敏雄で、4月29日から「写真と絵画――セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」展が予定されている。

田中敦子「1985B」
その後の6階作品展示は、日本作家では元永定正、白髪一雄、田中敦子らGUTAIの作家、海外作家はカンディンスキー、ブランクーシ、ミロなどの作品が並んでいる。たいへんレベルが高く、田中敦子「1985B」はわたしが見た田中の作品のなかで最高だったし、カンディンスキーやミロもレベルが高かった。見あきない作品が次から次へと並んでいた。

ザオ・ウーキー「07.06.85」
2部「新地平への旅」の第1室はザオ・ウーキー(1920-2013)の作品11点で構成されていた。ウーキーは北京生まれ、杭州の美術学校を卒業し28歳でパリに渡り、本の挿画で有名になった。作家・アンドレ・マルローや詩人・アンリ・マショーに気に入られフランス国籍を取得する。石橋幹一郎もウーキーと親しくなり、コレクションを集めた。「07.06.85」(1985)は深い紺色に引き込まれそうになり、「風景2004」(2004)は緑色の高山と雲海もなかに、オレンジ色の夕暮れ時の薄明のような明かりが浮かび上がる。感動的な作品だ。ザオ・ウーキーという名は知っていたが、こんなに深い絵を描く画家とは知らなかった。このサイトで作品が見られる
最後のほうにピカソの「腕を組んですわるサルタンバンク」(1923)があった。サルタンバンクは大道芸人のことで、ピカソが戦間期にキュビズムから新古典主義に転換した時代の代表作だ。解説でピアニストのウラジミール・ホロヴィッツが旧蔵し居間に掛けていたことと1980年に石橋財団がサザビーズで購入したことを知った。
その他、唐の壺や皿、平治物語絵巻や鳥獣戯画断簡も展示されていた。また猪熊弦一郎の作品が2点展示されていたが、こんなに鋭い作風だといままで思わなかった。

ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」
3部はこの美術館の歴史で、石橋正二郎が1950-62年に4回欧米の美術館を歴訪したときの写真や記録の展示があった。とくに53年は100日で50カ所の美術館を巡った。イタリアでは画家の長谷川路可、パリでは荻須高徳が案内役を務めた。古代美術の収集も始めた。
館内掲示から正二郎のプロフィールを紹介する。1889年福岡県久留米市生まれ、17歳で家業の仕立屋を継ぎ、地下足袋やゴム靴製造で全国的企業に拡大、自動車タイヤに着目し、1930年国産化に成功しブリッジストンタイヤ(現・ブリヂストン)を創業。また偶然、正二郎の高等小学校時代の図画教師が洋画家・坂本繁二郎で、坂本が久留米出身で夭折した青木繁の作品散逸を惜しんでいたことを知り、青木をはじめ坂本、藤島武二など日本近代洋画の収集を始めた。
そして創立20周年記念事業として、京橋の本社ビル2階をブリヂストン美術館として1952年に開館した。
70年史という点では、4階以外も含めてだが、たとえば70年間の企画展のポスター一覧やオープン以来70年続く土曜講座の講師とタイトル一覧も掲示されていた。1950年代の講師は、美術評論家や画家は当然だが、武者小路実篤、青野季吉、小林秀雄らの名もあった。いわゆる文化人講演会だったのだろう。また美術家訪問など美術映画シリーズというものをつくっていた時代もあった。
作品展示は、エジプト、ギリシアの彫像やレリーフのほか、アッティカの壺や皿が10点近く並んでいた。またユトリロ、ルソー、ヴラマンク、マティス、シニャック、ピサロなどの作品が並ぶ一角があり、学生時代に使った美術教科書をみているようで大変なつかしかった。ブールデルの彫刻も久しぶりに見た。そのなかに藤田嗣二「猫のいる静物」(1939-40) や佐伯祐三「テラスの広告」(1929)があったが、まったく違和感がなかった。もちろんルノワール、マネ、セザンヌの作品もあった。
ブールデルで思い出したが、5階ロビーにはマイヨールのブロンズ像もあり、これもなつかしかった。

森村泰昌「M式「海の幸」第7番 復活の日2」
☆森村の作品はあまりに刺激的だったが、ミュージカルショップで全部で10点のシリーズであることがわかった。
鹿鳴館風の絵、藤田嗣治の「アッツ島玉砕」のような戦闘シーンの絵、真ん中に薬師丸ひろ子風の機関銃をもつ女子高生がいる「モードの迷宮」、ゲバ棒・ヘルメット・マスクの新左翼風の集団の「われらの時代」など、100年の風俗画のような刺激のあるシリーズに仕上がっていた。
M式「海の幸」の第7番「復活の日2」の絵葉書を1点購入した。大阪万博の時代、ミニスカート全盛時代の女性たち、ヘアスタイルはたしかにこんなだったような気がする。

アーティゾン美術館
住所:東京都中央区京橋1-7-2
電話:050-5541-8600
開館日:火~日曜日
開館時間:10:00 ? 18:00(金曜は20:00まで)
入館料:ウェブ予約(料金は展覧会により異なる)

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。


オミクロン禍のさなか馬場管99回定期を聴く

2022年02月04日 | 展覧会・コンサート

1月30日(日)オミクロン禍で、連日感染者数全国7万人を超えるさなか、埼玉会館高田馬場管弦楽団第99回定期演奏会を聴きにいった。昨年夏、同じ会場で98回定期が行われたときは、大宮の手前だから京浜東北に乗ればよいと思ったら意外に遠く、1曲目を聞き逃したので、今回は開場時間より10分ほど早めにいった。わたしより早い方もいたが、10-20席あるロビーのイスに座って待っておられ、並んだのはわたくしが1番だった。前回はコロナで指定席だったが、今回は自由席ということもあり、通常なら早い人は1時間くらい前に並び始めるからだ。さすがに時期が時期なので、いつもは満席の会場が1階の前のほうはガラガラ、全体を見渡すと5割くらいの入りかと思われる。ということはコロナ禍ではちょうどよいくらいの混み具合だ。
曲目は、ドヴォルザークの序曲「謝肉祭」プーランクの「シンフォニエッタ」、メインがチャイコフスキーの交響曲第5番の3つだった。
指揮は石橋真弥奈さん。プログラムによれば1986年生まれで今年36歳、東京音大出身、2017年ニーノ・ロータ国際指揮者コンクールでニーノ・ロータ賞受賞(優勝)、これまでに読響、新日本フィル、東響、日本フィル、ぱんだウインドオーケストラなどと共演という、プロフィールの方だ。わたくしが聴くのはもちろん初めてだった。

序曲「謝肉祭」は10分くらいのボヘミア風の彩を帯びた軽快な小曲で、きびきびした明快な指揮だった。コール・アングレとヴァイオリン・ソロが美しかった。最終部ではピッコロがよく鳴っていた。久しぶりにクラシック生演奏を聴いたので、曲のタイトルどおりお祭り気分で、心が浮き浮きしていい気分だった。
2曲目シンフォニエッタは、4楽章形式で25分ほどの曲、小編成で金管はトランペット2本のみだった。わたしは初めて聴く曲、ただ4楽章のフィナーレはFMで聴いたような気もした。ウィットに富むいわゆるフランス調の曲だった
2楽章ではオーボエとフルートが活躍した。この曲は1947年の作品だが、4楽章フィナーレは、いかにも20世紀の現代都市で生き、活動する人間を表現するような曲だった。
プーランクはミヨー、オネゲルらフランス6人組の1人で、高校生のころ好きな作曲家だった。ただ管楽器を含む室内楽曲ばかり聞いておりオケの曲は初めてだった。2015年のラ・フォルジュルネで1人だけのちょっと不思議なオペラ「人間の声(演奏会形式 ソプラノ中村まゆ美、ピアノ大島義影)を聴いたことを思い出した。
最後は、有名なチャイコフスキーの5番だった。
1楽章アンダンテは軽快に進みいい感じだった。2楽章アンダンテカンタービレは明快だが詠嘆調ではない指揮だった。3楽章ワルツ アレグロモデラートは、あまりメリハリや効果を付けない演奏だった。さて期待した4楽章フィナーレだ。トロンボーンなど金管楽器はよく鳴っていたが、盛り上がりがない。したがって演奏後の感動がなかった。
指揮者にもいろんなタイプがある。聴衆も、端正な指揮が好きな人もいると思う。人それぞれであることは、よくわかっている。
ただ馬場管のひとつの魅力は、フィナーレに向かう盛り上げ方の緻密な計算と、終演後の感動だとわたしは思っていた。そういう観衆の一人としては、今回は肩透かしだった。
浦和のことは何も知らないので、帰りに少し歩いてみた。浦和は、江戸時代に中山道の日本橋から3つめの宿場町となり、明治以降、さいたま市誕生まで長く県庁所在地だった。
埼玉会館は浦和駅西口から県庁通りを歩いて500mくらい、会館の先250mくらいに県庁がある。だからここが浦和のメインストリートかと思った ところが近辺は5-6階建ての低層ビルが多い。金融機関やスターバックス、ワシントンホテルなど全国ブランドの店があるのはどの町も同じだが、ときどき染物屋や邦楽器店がありちょっと不思議な感覚がする。駅前に伊勢丹、イトーヨーカドー、コルソといった商業施設があるが、あまり賑やかな感じはなかった。もしかすると東口がメインかと駅の裏側にも回ってみたが、パルコがあるもののその気配はなかった。よく言えば落ち着きのある街だ。西口には県庁の向かいにさいたま地裁があるので弁護士事務所の袖看板が多いのと、街灯に「サッカーのまち浦和」の赤いフラッグがなびいているのが、特徴といえば特徴だ。
東京都はじめ全国でコロナ感染者数が爆発的に増えていくなか、いつ中止のお知らせがアップされるかと、毎日のように馬場管のHPを冷や冷やしながら見にいっていたので、なにはともあれコンサートが無事に開催され、聴くことができたのが幸運だった。
次回は7月18日練馬文化センターで、記念すべき100回定期演奏会だ。森山さんの指揮でドヴォルザーク・交響曲8番、エルガー・エニグマ変奏曲などの予定なので、心が騒ぐ。そのころには新型コロナの流行が収束(または下火)になっていることを祈る

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