大相撲初場所は関脇・御嶽海が優勝し、足を痛めたこともあり照ノ富士の3連続優勝は成らなかった。
大相撲は年6場所、2週間の取組み、ということは2カ月に1度半月間やっているのだからいつでも観られると思っていた。しかし原則として3場所は地方なので、両国国技館は年3回、コロナ禍で無観客開催ということまであるので、観られるうちに一度観に行こうと、両国に行ってみた。
相撲というと、わたしにとっては柏鵬時代だ。その前は栃若時代があった。若乃花が栃錦に3年遅れて横綱に就いたのが1958年春、そのころは小学校低学年で、大鵬・柏戸がともに横綱に昇進したのが61年秋だったのでそのころが一番テレビ観戦していた。野球は王・長嶋の巨人に川上監督が就任したのが61年、まさに「巨人・大鵬・卵焼き」の時代、テレビの黄金時代だった。
その後、若貴時代もあったがあまり興味はなかった。ビッグコミックの「のたり松太郎」(ちばてつや 73.8―98.5)はコミックを読むときは見ていたが、オリジナルの「浮浪雲」(ジョージ秋山)ほど気に入っていたわけではなかった。なぜか田中(田中清 駒田中)という小柄な弟弟子が気になった。
国技館に出向いたのは9日目の1月17日(月)だった。「初心者向け・相撲観戦の楽しみ方!」というサイトをみて12時ごろ入館した。入口で「本日の取組表」と「観戦ガイドブック」を受け取る。まず相撲博物館やみやげもの売場を見学し、ちゃんこを食べたがその話はあとに回す。
わたしは13時半ごろ、三段目の最後のほうから見始めた。
まず呼出しが力士の名を呼びあげ力士が土俵に上がり、四股を踏む間に行司が名を呼びあげ、最後に場内アナウンスで名前のほか出身地や所属部屋が紹介される。終わったところで、制限時間一杯。行司が「待ったなし」「手をついて」と声をかける。十両以上は四股の間に力水をつけ、土俵に塩を撒き、中入り後は、呼出しが懸賞旗を持ち土俵を一回りする。負けた力士は一礼しそのまま退出し、次の力士がのっしのっしと入場する。ちょうど場内アナウンスをしているころだ。行司も交代する場合はそのあとをスタスタ入場する。客の出入りはその後だ。
また関取は専用の分厚い座布団があるようで、呼出しはいちいち取り替える。また勝負が決まった後、行司に懸賞の束を渡したり、物言いのあと審判に解説のためのマイクを渡すのも、土俵の上下の掃き掃除、触れ太鼓・はね太鼓の太鼓叩き、拍子柝打ちも呼出し、だ。テレビの解説で呼出しの仕事は多いと言っていたが、たしかに呼出しの仕事は数多い。
場内アナウンスは行司が担当するそうだ。アナウンスで担当呼び出しや決まり手も教えてくれる。行司や呼出しは独特の「なまり」のせいで聞き取れないこともあるので初心者にとっては大変助かる。テレビではあまりわからないが、現場でみると行司、呼出し、場内アナウンスそれぞれが客にとっては対等に重要だ。
「観戦ガイドブック」(左)と「本日の取組表」
力士により座布団に座る前に準備運動をする人もいればそのまま座る人もいる。塩も照強のように雪玉くらいたくさん豪快に撒く人もいればちょろっと土俵に振るだけの人もいる。四股も佐田の海のようにずいぶん高くまで足が上がる人もいる。
テレビでみていると制限時間一杯までの時間が長く感じるが、現地でみると、いろいろ見るべきところがあり、長くは感じなかった。
勝負そのものは10秒くらい、長くて30秒のことが多い。1分を超えると「大相撲」という感じになる。とくに幕下など下位の取組みは勝負が早い傾向が強かった。バチンと一発ぶつかりそのまま一気に押し出し、土俵際で粘ったりうっちゃったりの攻防はあまりない。行司の「残った、残った」という掛け声も「がんばってもっと残れ!」という励ましかと感じた。客はいまは原則掛け声禁止だ。
日本人なので小兵力士が図体の大きい力士相手に熱戦を展開すると判官びいきというのか、拍手がわく。牛若丸対弁慶のようなものだ。たとえば宇良(176㎝ 147kg)と逸ノ城(190cm 206kg)の取組がそうだった。この日は逸ノ城が勝ったが、客席から「アーッ」というため息が広がった。
5人の審判は序の口から幕下までは1組30番ほどで4組、幕下上位5番から十枚目(十両)17番が1組、中入り後は10番ずつ2組でローテーションがあるようで、多くの審判は2回役を務めるようだった。
行司は序二段までは1人7番、三段目から4番、幕下から2番のみで交代している。呼出しの名は幕下からしか書かれていないがやはり1人2番だけで交代している。
よく相撲を現地で見ると、力士の表情や仕草、肌の血色がみえて感動するという話を聞くが、わたしは2階の後方席だったので、とてもそんなものは拝めなかった。また押し出しや投げ技はわかるが、足をかけたりすくったりの技は上から見下ろしているのでまったくわからず、突然片方の力士がコロンと転ぶようにしかみえなかった。
わたしは2階のイスB(平日)5000円にしたが、感想としてはせめてイスA8000円かできればS9000円、あるいは1階マスC席8500円にしたいところだった。なお正面席がまだ空いていたので正面で取ったが、これはテレビと同じに見えるので初心者には正解だったと思う。
横綱・照ノ富士の土俵入り
それで、主としてショーやパフォーマンスとしての相撲の楽しさを書こうと思う。
十両土俵入り、幕内土俵入り、横綱土俵入りといったショー、弓取りや表彰式、加えて柝の音(きのね)や櫓(やぐら)太鼓による音の効果もお祭り気分を盛り上げる。
懸賞の場内アナウンスはスポンサーと商品名だけでよさそうだが、「相続のことなら辻本本郷税理士法人、事業承継も辻本本郷税理士法人」「税のことなら辻本本郷税理士法人」などとコマーシャル文句が入る。それも繰り返しがたびたびあったが、これは金額比例なのだろう。なかには「どくづきポケモン、グレッグル」とか「携帯パンといえばスナックサンド」「バイトするならエントリー」など、固有名詞が独特で笑いそうになるものもある。
売店にはありとあらゆるオリジナルグッズが売られている。人気の国技館焼鳥、ちゃんこスープをはじめ力士ボトル焼酎、クッキー、チョコ、もなかなど酒・食品・菓子、湯飲み・茶碗・椀など食器、タオル・手ぬぐい・ブランケットなどタオルハンカチ類、力士名入りTシャツ、力士フィギュア、色紙、力士のぼり、軍配、扇子、ストラップ、キーホルダーなど、まるで日本のみやげ物の博物館のようなアイテムの多さだ。売店上部には、決まり手87手の図解があり文化的雰囲気を醸し出す。
入口で配布する取組表にも紀文、永谷園、なとりなどの商品広告がカラー印刷されている。そういえば、呼び出しの着物の背の大きな文字も同じメーカー名だ。
協会では、電子トレカ、LINEスタンプ、ユーチューブの大相撲アーカイブ場所などデジタルの「今風」のものも開発販売している。
弓取りのあと、コロナ禍で観客を時間差退場させようという意図だと思うが、お楽しみ抽選会があった。合計20人直筆手形などのプレゼントが当たる。ただ終了と同時に帰る人もやはりいるので、当選してもいない人が半分くらいいて、そのたびに引き直すのでわりに時間がかかった。
1階の飲食スペースには、ちょうちん、造花、屋上バルコニーに、いっしょに記念写真を撮れる人気力士の等身大パネルがあり、入口正面には賜杯と優勝旗の展示ケース、相撲博物館もあるので、テーマパークの要素もあった。
相撲は興行だが、歌舞伎やプロレス、歌謡ショー、映画も興行だ。同じように華やかさがある。一方、八百長相撲、野球賭博という黒い一面もあった。だから「暴力団や関係者の入場はお断り」と貼り紙や場内アナウンスがあったのかもしれない。
吊り屋根の上には巨大な日の丸が。
伝統的な格闘技なので、さすがにしきたりや神式の作法がいろいろあるようだった。力水や塩撒きには「清め」の意味がある。力士は入場、退場その他で礼をする。「礼に始まり礼で終わる」という意味なのだろう。よく見ると、土俵の上の吊り屋根も伊勢神宮などと同じ千木と鰹木のある神明造りになっていた。さらに吊り屋根の上には巨大な日の丸が掲げられていた。表彰式のときの「君が代」斉唱により、君が代はお相撲の歌と子どもに呼ばれることは知っていたが、日の丸も大相撲では特別な意味をもつのだ。
極めつけは正面入り口左側の庭に豊国稲荷神社・出世稲荷神社の2つの神社が並んで建てられていることだ。「神の国・日本」の国技の殿堂なのだろう。ただ星取表の出身地でみるとモンゴルだけでなく、ブラジル、ジョージア、ロシアなど海外出身が幕内42人中9人、十両28人中3人、幕下30人中5人と17%いる。ラグビーの日本代表チームと意味は違うが、相撲も国際化してきているということだろう。
行司や呼び出しの直垂、烏帽子、たっつけ袴の装束や柝の音、櫓太鼓にも何か神式と関係があるかもしれない。
別の話だが、行司は「待ったなし」「手をついて」とはいうが、スタートの合図たとえば「始め!」「よーい、ドン」「レディ、ゴー」という言葉は掛けない。あくまでも力士同士が気合を合わせてスタートする。これは神式とは関係ないかもしれないが、「空気を読む」日本文化と通底するかもしれない。ただし「待て」などストップは掛ける。
館内の相撲博物館で特別展「白鵬翔」を開催していた。白鵬は、大鵬の32回優勝を大幅に上回る45回、通算1187勝の横綱で昨年9月引退、現在間垣親方だ。1985年3月生まれの36歳、15歳で6人のモンゴル人と共に来日した。翌年の2001年3月初土俵、06年大関に昇進し初優勝、07年69代横綱、以降10年9月63連勝(歴代2位)を達成するなど数々の記録を更新した。
会場には、初来日時のパスポート、入門時01年3月場所の前相撲の写真、片岡鶴太郎デザインの不動明王と白い鳳の化粧廻し、漢字の「夢」をかなの「は、く、ほ、う」4字で組み合わせた化粧廻し、土俵入りで使った太刀、21年10月引退会見の時の家族(妻と一男三女)と宮城野親方との集合写真、7枚のギネス認定証、43個の優勝賜杯(模杯)のタワー、父母との記念写真、2020東京オリンピックの聖火ランナーとして着るはずだったユニフォームなど珍しいものが並んでいた。
わたしは白鵬のファンではないし、現役末期の横綱らしくないいくつもの行動も知っている。しかし偉大な横綱であったことは間違いないので、たまたま足跡を「もの」でみられたことは幸運だった。
昼食は地下大広間とあるが、コロナのせいか地下ではなく1階の飲食スペースと屋外で食べる。12時半くらいだったが10人くらいしか並んでいなかった。屋外のイス席で食べる人も多くいた。500円のちゃんこには、鶏肉に大根、太めの糸コン、ニンジン、白菜、しめじ、ニラなど野菜がたっぷり。これだけ入っているのだからいいスープが出るはずだ。しかも温かいので寒空のなかの食事にぴったり。ただし汁もののみのメニューで米は入っていないので、別途お稲荷さん(180)を買うか、何か持参したほうがよさそうだ。コロナ禍なのでここにも「黙食」のポスターがあった。
コロナ禍なので、いろいろ普通と違う点があった。バルコニー入口には「安心・安全な大相撲観戦」という大きな看板、場内では、声援なしで拍手のみ、飲食禁止かつ「マスク着用」のプラカードをもつスタッフが場内チェックの巡回をしていた。その他、場内アナウンスには、コロナではないが「物を投げるな、座布団を投げるな」というものもあった。
この日の取組で、照ノ富士、御嶽海、阿炎はすべて勝った。貴景勝は4日目から休場だったが、新入幕の王鵬の勝ち相撲をみられた。21歳、191㎝、181kgと大きい力士だ。大鵬の孫とのことで観客の拍手も大きかった。今後期待したい。
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。