S多面体

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」のショート版

室内合唱団日唱の「音で巡る世界旅行」

2021年08月13日 | 展覧会・コンサート

8月6日(金)夜、室内合唱団日唱33回定期演奏会「音で巡る世界旅行豊洲シビックセンターホールで聴いた。
日唱は、1963年に発足した日本合唱協会(通称 室内合唱団日唱)の意思を継承し2014年に設立されたプロの合唱団だ。この日の演奏は指揮・山崎滋、ピアノ・松元博志、出演したのは男声6人、女声9人だった。

2020東京オリの閉会式2日前ということで、プログラムは1964東京オリのファンファーレとオリンピック讃歌から始まった。オリンピック讃歌はわたしも好きな曲だが、日本語で歌われた。「大空と大地に精気あふれて、不滅の栄光に輝く高貴と真実と・・・」という訳詞があることは知らなかった。
またこのコンサートには、4人のトランぺッターが2度登場した。最初がファンファーレだった。紺、銀、黄、赤のコスチュームを装う若い女性たちだった。

コンサートは「世界の名曲から」と「首藤健太郎編曲アルバム」の二部編成だった。
「世界の名曲から」は、オリンピック旗の象徴である5大陸の歌、すなわち南北アメリカの「コンドルは飛んでいく」、アジアの「茉莉花」、オセアニアの「ワルチング・マチルダ」、アフリカの「南アフリカ共和国国歌」、ヨーロッパの「フィンランディア」の5曲だった。茉莉花はジャスミンの花のことで、中国民謡だそうだ。曲名は知らなかったが、メロディは聞き覚えがあった。プッチーニのオペラ「トゥーランドット」やアテネオリンピック閉会式で少女が歌って注目され、いまは日本の小学校の音楽教科書にも出ているそうだ。ソプラノが美しい曲だが、本国ほどキンキンした声でなく、日本向け(?)にマイルドな声質で歌われた。
南アフリカ共和国国歌はまったく知らなかった。アパルトヘイト後の1994年に大統領に就任したネルソン・マンデラが97年に制定した曲だそうで、30年足らずの若い勇壮な曲だった。南アフリカには公用語が11あり、うちコサ語・ズールー語・ソト語・アフリカーンス語・英語の5つの歌詞があるとのこと。この日何語で歌っていたのかはわからなかった。
訳は「神よ、アフリカを祝福してください その栄光を高く掲げて我らの祈りを聞いてください・・・」という意味だそうだ。
フィンランディアは、もちろんシベリウスのオーケストラ曲のほうはよく知っているが、シベリウス自身が合唱用に編曲した曲もあるとは知らなかった。コスケンニエミが「おお、スオミ あなたの夜は明け行く・・・」と歌詞を付けた。最後の和音の響きがきれいだった。

間奏として、トランペット4本による歌劇「アイーダ」の凱旋行進曲が入った。アイーダトランペットはつかわれなかったが、4本のバランスがよく音楽として十分な演奏だった。

第2部との表示はないが、ここで作曲家・首藤(しゅとう)健太郎氏が登場。
首藤氏は1993年生まれ。東京藝術大学作曲科と大学院を修了、作曲家・編曲家。声楽曲では「金子みすゞの詩による歌曲集」「自然への喜びの讃歌」などがある。
プログラムはアンコールを含め首藤氏の作曲、編曲作品だった。10分ほど君が代の歴史紹介のトークがあった。君が代は最初イギリス人軍楽隊長フェントンがエディンバラ公来日に合わせ1869年に急ごしらえでつくった。その後雅楽版、ニ長調の曲、トランペット曲を経て1888年林廣守作曲で落ち着いた。なお歌詞は古今和歌集読み人知らずで、変わっていない。
まず「君が代幻想曲」の初演演奏が行われた。日唱から「オリンピック・イヤーでもありなんとか君が代をモチーフに」という委嘱で作曲したそうで、5つのシーンから成り最後は「悠久」で締められた。「日の丸・君が代」というと、個人的には複雑な思いがあるが、合唱団の名が「日唱」なのだから、まあ仕方がない。
最後の「キラキラ星で世界旅行!」はアジア、南北アメリカ、アフリカから地中海、ドナウ川流域のヨーロッパ(主として東欧・中欧)と4つの地域を1地域4-5か国で回る。それぞれの国を表すために、キラキラ星のメロディをその国(あるいはその音楽)の音階っぽい音やリズムで歌われる。たとえばドナウ川流域のヨーロッパは、ブルガリア(ブルガリアンヴォイス風 女声)、ポーランド(ポロネーズ風 女声)、ハンガリー(ハンガリー舞曲風 女声)、オーストリア(ワルツ風 混声)の4曲だった。
観衆にとっては、音楽世界旅行で、それも女声合唱あり混声あり、主題+18変奏の合計19曲、しかもメンバーによるマラカス、タンバリン、カスタネットなどの伴奏付きで、楽しめた(うち11を合唱ではないが、このサイトで聴くことができる)。
作曲家(編曲家)にとっては楽しい「遊び」のようなものかもしれない。ただ指揮者はどうまとめるか困ったのではないかと思った。たとえばフランス(メヌエット風)、スペインなど混声のヨーロッパの曲はさすがは日唱なのでうまいが、ブルガリアンヴォイス風やアメリカ(ゴスペル風)などは、それらしい曲に仕上がっているとはいえ、もっと専門的にやっている団体の演奏を知っているので、もうひとつという感じがあった。逆に遊びの音楽に徹した演奏にすれば、まさに冗談音楽になってしまう。また、歌手の方々もいろんな言語、いろんな音楽スタイルが出てくるのできっと大変だっただろうと思う。

ホールはこの建物の5階にある
アンコールは「ありがとう」(作詞:鹿目真紀)だった。当初首藤さんと大学同期のソプラノ歌手のアンコール曲として作曲され、その後、混声や女声二部などいろんなバージョンがつくられた。Nコンの課題曲になっても不思議でないようないい曲だった。
合唱団後方の幕が開き、透明ガラスを通して、豊洲の高層ビルの夜景が見えるようになっていた。1時間半ほどのコンサートだったが、なかなか楽しくいい夜だった

会場周辺の高層ビル群
豊洲シビックセンターホールは席数300。合唱団のコンサートでしばしば利用される。わたくしも、コーラス蝶ちょうという混声合唱団(もちろんアマチュア)の定期演奏会を聴いたことがある。
豊洲は、もとは関東大震災の瓦礫などで大正末から昭和初めにかけてつくられた埋立地(五号地)である。1939年IHI(石川島播磨重工業)の造船所がつくられたが、2002年閉鎖し、三井不動産などが再開発した。リバーサイドにあるので、IHI本社ビル、日本ユニシスなどのオフィス街とららぽーと豊洲などの商業施設、タワーマンション、学校、病院などが立ち並ぶ。
豊洲シビックセンター(豊洲文化センター)は、地下鉄豊洲駅のすぐ近くにある12階建ての建物だ。3階に区の出張所、4-8階がホールを含む文化センター、9-11階が図書館、12階は屋上広場(ただし一般公開していない)の複合施設になっている。
高さ70mなのでそこそこ高いが周囲の高層ビルが150-180mあるのでむしろ小さく見える。それでも9階から周囲を見るといい景色だった。
ビルの入り口に白虎のモニュメントがあった。なぜだかわからなかったが、豊洲は江東区の西方に位置するので、四神のひとつ、区の西方の守り神だそうだ。

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東京銭湯フェスティバルで見た二つの銭湯アート

2021年08月07日 | 銭湯・居酒屋

「コロナ禍の銭湯巡り・十思湯」の記事(6月1日)末尾に東京銭湯フェスティバル2020銭湯アートプロジェクトのことを書いた。都内4つの銭湯で実施しているこのイベントには各銭湯に1日だけ観覧開放日がある。銭湯には週1日休業日があるが、その日を利用しているようだ。
8月1日(日)午後、銀座の金春湯に行った。コロナ禍かつ日曜ということもあり、銭湯の周りを歩く人はきわめて少なく、このイベントをみにきた人だけの様子だった。

プロジェクションマッピングの作品そのものについては6/1の記事に書いた。ただ、今回作品解説をみて「日光や風、雲、さざ波、空気などが動いている」と書いたのは勘違いだったことがわかった。作者のグラフィックデザイナー大原大次郎さんは「言葉や文字の知覚を探る」プロジェクトを展開している方で、線や光は、「海、山、風呂、線、わ、ぬ」の「文字」を象形文字のように崩したイメージだったのだそうだ。
プロジェクションマッピングを投影し、それに合わせて銭湯ペンキ絵師・田中みずきさんがこの5月に壁に絵を描きあげたそうだ。女湯は普通の富士だが、男湯は海外の山で、聞くとエベレスト、回りの湖などは作者のイメージで描いたとのこと。
余談だが、NHKの朝ドラ「おかえりモネ」のヒロインは、勤務先に近い築地の銭湯に下宿していることになっている。しかし築地に銭湯はない。2016年5月までは存在したが残念ながら廃業した。いまロケで使われているのは大田区南雪谷の銭湯らしい。

金春湯の観覧開放日の前に、じつは7月9日(金)午後、代々木八幡の八幡湯でヤマザキマリさんの古代バラネイオンの湯を見た。解説によれば、バラネイオンとは運動施設とリラクゼーション施設が一体となった古代ギリシアの風呂施設のことで、この絵柄はオリュンポスの山からギリシアの女神たちが、地上でレスリングや円盤投げの運動をする男たちを眺めている光景だそうだ、ヤマザキさんのカラー原画をもとに、田中さんがモノクロで銭湯画を描き、目だけはヤマザキさんが来場して脚立に上がり、自分で入れたそうだ。男湯の右下隅にサインがある。

左端の男性は田中さんが書き足したもの。右端にヤマザキさんのサインがある
ヤマザキマリさんの「テルマエ・ロマエ」は映画でみたことがあるが、それ以上にラジオ深夜便のゲストで出演したことがあり、「この母にしてこの娘あり」と波乱万丈の人生を送っておられることを知り、興味をもった。本当は観覧開放日にヤマザキさんのライブ・イベントが企画されていたが、コロナのため中止になったそうだ。残念!

じつはこの八幡湯には1999年9月ごろから15年くらい月1で入らせていただいていた。ここに来るときは代々木公園の外周ジョギングとセットだった。
なつかしい店だが、普段見られないものをいろいろみることができた。まず一番は「女湯」である。ピンクのタイル貼りなので暖かく、かつ気のせいだとは思うが、小ぎれいに感じた。金春湯では、女性脱衣場にお釜型ドライヤーが置いてあることを知った。現役で稼働しているが、すでに製造はストップしているそうだ。それはそうだろう。
また牛乳石鹸のポスターはいろんな銭湯でみかけるが、通常、銭湯の室内は撮影禁止なので、はじめて撮ることができた。

金春湯のお釜型ドライヤ(左)と牛乳石鹸のポスター
ちょうどMXテレビの取材が入っていた。そのときは番組名もわからなかったが、「東京インフォメーション」という東京都提供の番組で「東京の大衆文化「銭湯」を世界へ発信」というテーマで7月17日ごろ放映されたようだ。
撮影中、すこしフロントで待つ必要があり、その間浴場組合のスタッフの方と短時間だがお話できた。
銭湯絵は湿気の多い過酷な環境での展示なので、数年に一度描き替える必要があるそうだ。そのせいかペンキ絵でなくタイル絵や陶板画にしているところや、そもそも絵がない銭湯も増えつつある。
銭湯絵は富士山ばかりではない。たしか八幡湯も、富山の県人会に頼まれたとかで、わたくしが通っていたころはトロッコ列車が手前を走る立山の絵だった。軍艦島の絵の銭湯もあるそうだ。いまはタイル絵も結構あり、たとえば銀座湯は和光や不二家など銀座の絵、入船湯は永代橋の浮世絵だと思う。
なお「東京銭湯三国志」の著者、落合の銭湯「松の湯」のご主人・笠原五男さんはもう亡くなられたことを知った。

八幡湯の近辺
☆八幡湯は休業日だったので、店の方にはお目にかかれなかったが、前日お母さんと息子さんに電話だけだがお話することができた。元気な声が聞けてよかった。またこの日の帰りに昔走ったコースを見に、少し歩いた。途中、覚えている店もあればすでに建て替わった建物もありで、時の流れを肌で感じた。

絵師・田中みずきさんは、日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師のうちの1人だそうだ。たまたま7月31日東京新聞夕刊「土曜訪問」で著書「わたしは銭湯ペンキ絵師」のインタビュー記事が出ていた。インタビューの場は神田の稲荷湯、そう皇居1周ジョギングのベース基地として有名な銭湯だ。記事によると父は新聞社の美術担当記者、本人は明治学院大学で美術史を学び「アートには展覧会で見る絵だけでなく、生活の場で楽しまれてきた絵がある」と考え、「近代の富士山のモチーフの銭湯ペンキ絵」という卒論を書いた。「自分も描いてみたい」と中島盛夫さんに弟子入り、修行しつつ大学院を修了、出版社社員やライターを経て8年前に独立とある。現在38歳。会社員時代に仕事帰りの銭湯で「大きな富士山に、怒られたり慰められたりしている気持ちになった」とあった。

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