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東電株主代表訴訟で証人尋問・被告本人尋問を聞く

2021年07月29日 | 裁判

わたくしは、東電の株主ではないが、ときどき東電株主代表訴訟(以下、株代訴訟と略す)の傍聴に出向いている。
この訴訟の原告団は広報のレベルが高く、たいてい議員会館で報告集会を行い充実した資料を配布するので、この訴訟のことがあまりわかっていないわたくしなどでも、問題点がわかりやすくなっている。

東電株主代表訴訟事務局が作成した各種資料

ひとつは、事前に巨大津波を予測できたかどうか(具体的予測可能性)である。福島第一原発メルトダウンしたのは全電源喪失しポンプが止まり、冷却水を送れなくなったからだ。それは(東電にとっては想定外の)15.7mの巨大津波が敷地に押し寄せ、海岸側の低い位置に設置された非常用ディーゼル発電機やポンプが浸水したからだった。しかし15mクラスの津波が襲来する可能性は政府の地震調査研究推進本部(推本)で2002年に指摘され、原子力安全・保安院が2006年9月、電気事業者に耐震バックチェック実施を指示した。2008年3月ごろ関係会社の東電設計が最大15.7mの津波が襲来する試算をまとめていたし、東電内部の土木調査グループのスタッフも対策を進言していた。対策とは、根本的にはポンプなどの設備を高所に移設したり高い防潮堤を建設することだが、大がかりな工事が時間的に難しければ建屋に防潮壁を付けたり、扉を水密扉にして浸水を防ぐようなことも含む。
もうひとつは事故発生までのあいだに有効な対策をとることが可能だったかどうかだ。じつは対策を実施することが決まっていた。しかし勝俣会長、武黒副社長など今回被告とされている経営者たちも出席した2008年7月の「御前会議」で、「ちゃぶ台」をひっくり返すがごとく、上層部が対策をご破算にし土木学会に検討を依頼する方針を指示したのであった。
株代訴訟は2012年3月42人の反原発株主が提訴し、6月に第1回口頭弁論、先週7月20日(火)は第61回口頭弁論だったので、すでに9年が過ぎている。この間刑事訴訟も勝俣恒久、武藤栄、武黒一郎の3人の元・経営者を被告とし2016年2月に始まったが、19年9月の一審判決では驚くべきことに3人とも無罪だった。ただ刑事裁判での陳述や書証はすべて民事訴訟の証拠となった(今年11月から控訴審が始まる)
裁判は傍聴しても、準備書面や提出書類をみられるわけでもないので、次回期日の取り決めの光景だけ傍聴し、15分前後で終了することが多い。「この裁判を注視している人は多い」という裁判所へのアピールの意味合いが大きい。ただ裁判の後半に行われる証人尋問・本人尋問は聞いていてわかるので、「裁判を傍聴した」という実感がわくことが多い。たとえば昨年の警視庁機動隊沖縄派遣違法住民訴訟もそうだった(1審は敗訴。現在控訴審中、8月に結審)
株代訴訟の証人尋問・被告本人尋問は2月末から始まり7月20日は5回目だった。
刑事訴訟のときは、東京電力の社員もたくさん動員されていたので競争率が高く、わたくしは全部はずれだったが、株代訴訟はクジ運がよく競争率1.5-3倍くらいなのにすべて当たった。夕方までやっていることが多いが、わたくしは所要があり、残念ながら5回とも午前中だけしか聞いていない。
2月26日の第1回目の証人尋問(57回口頭弁論)は原告側証人で、産総研のO氏(公開の裁判なのでどうするか考えたが、現時点ではイニシャルにとどめる)だった。産総研という名は聞いたことがあったが、旧・通産省工業技術院の後継組織であることを知った。
証人は地質学会や活断層学会の会員で、昔の津波が内陸部のどこまで浸水したかを調査している。手法は大型ジオスライサーという器具を使って地層のなかの津波堆積物の有無を調べるとのことだった。河川堆積物とは成分が異なるので区別できるし、プランクトンなど有機物で年代測定もできるそうだ。とくに869年の貞観地震の津波到達地点を調べている。石巻から福島との県境に近い山元町まで調査し、海岸から3-5キロ奥まで津波が押し寄せたことがわかった。その後、南相馬・小高や浪江の請戸地区の調査も行った。請戸は第一原発からわずか5キロくらいの位置にある。
津波は繰り返し起きる。貞観クラスのものは1000年に1度発生した。原発は10万年に1度の地震に備えないといけないのだから、1000年に1度の地震や津波の対策をするのは当然だ。2009年に東電のスタッフが相談に訪れ、「これから調査をする」ということだったので「悠長なことは言っていられない。調査より、対策をすべき」だと伝えた。

裁判所前で開廷前にアピール(4月16日)

4月16日(58回口頭弁論)には気象庁の元地震火山部長・Hさんの尋問を聞いた。気象庁に32年在籍し、2002年に推本が海溝型地震の長期評価をとりまとめた際、13人の委員の1人だった方だ。長期評価について、評価がおかしいという委員はいなかった。ところが発表直前に内閣府から「公表見送り」の連絡が入った。
また2004年にM9のスマトラ島沖地震が起こり死者20万人の被害が出た。太平洋だけでなく、インド洋でもM9地震が起きることに地震学者たちは驚いた。日本でもM9クラスの地震は起こりうるし、それ以降、過去の記録にもとづいただけの地震対策では足りないと考えられるようになった。

5月27日はO証人への被告代理人の反対尋問だった。Oさんの執筆したものでない文書について再三質問を繰り返したので、原告代理人(弁護士)は当然、異議を申し立てたが、とうとう朝倉佳秀裁判長まで、被告代理人をたしなめる的外れの尋問だった。そんなこともあり、12時までの反対尋問は11時3分に終了した。

警備法廷の注意事項

7月6日は武藤栄・元副社長への原告側の反対尋問だった。
この日は「警備法廷」で裁判所入り口での金属探知機検査だけでなく、103号法廷前で、財布・メモ帳・筆記具・訴訟資料以外の荷物はすべて法廷前の手荷物預かりに預け、ふたたびかなり厳密なボディチェックを受ける。てっきり水のボトルくらいはよいかと思ったら、それもダメ、いつも着用している万歩計もダメ(しかし腕時計はOK)とのことで、再び手荷物預かり行くハメになった。反社会勢力の裁判などで「警備法廷」というものがあるという話は聞いたことがあったが、体験するのは初めてだった。途中でトイレに行ったあとも再びボディチェックがあるし、室内が意外に寒かったので途中でバッグに入れた上っ張りを取りに行くと、それも再度ボディチェック付きだった。
武藤氏が出席し、部下が会議で説明した際の社内資料という証拠があっても、「そこまでは説明しなかったはずだ」「見ていない」「見たと思うが、知らないこともある」「報告を受けていない」「知らなかった」の連発だった。あげくに福島第一の故・吉田所長の裁判記録に対しても「吉田の記憶違いだろう」と、まるで死人に口なしのような証言をするので、驚いた。肝心の問題では、部下の土木調査グループのSグループマネジャーやT課長は「どう扱ってよいのかわからないので相談に来た」と答え「推本の指摘に根拠はない」「15mの津波は、最新の知見ではなく『ご意見』だと思った」と証言した。傍聴者はあきれたが、世間的には「一流企業」と思われていた東電の経営者が、これほど無責任な仕事を日常的にやっていたのかと思った。

開廷前の原告アピール(7月20日)

7月20日は武黒一郎・元副社長への反対尋問で、やはり警備法廷だった。武藤氏に比べ口調はもう少し低姿勢だったが、やはり「覚えていない」「記憶していない」「見た記憶がない」の連発だった。
津波対策は「十分な余裕があるので必要ないと思った」、全電源喪失やメルトダウンは「非現実的な仮定に基づく」などと答え、原子力発電企業の経営者たちは過酷事故のリスク管理にきわめて鈍感だったことが明らかになった。なおこの期日では、わたしは裁判官の表情もときどきみるようにしていた。「証人は本当のことを言っているのか」とでもいうようにながめている様子がかいまみえた。
原告側証人2人は、役所出身と聞いていたので当たり障りのない官僚答弁かと思っていたら、職業は学者の方で、まったく違っていた。とくにO証人の証言は、法廷映画で真実を追うプロセスをみているようで、傍聴者としては興味深かった。ただ代理人、裁判官、証言者には共通の「書証(資料)」が提示されるが、傍聴者および報道関係者には配布されず推測するしかない。詳細がわからず、自信をもって証言を紹介できないのが残念だ。被告に対する尋問も同じことが言える。

次回口頭弁論は10月5日(火)14時同じ103号法廷で尋問が続く予定だ。わたしは午後いなかったのでわからないが、病気のため2回とも尋問が延期になった被告の小森明生・元常務への尋問ではないかと思われる。いつものように30分前の抽選も実施されるだろう。
証人尋問の段階まできているので、結審も間近と考えられる。10月には裁判官の福島現地視察も予定されている。今年3月18日の東海第二原発・水戸地裁運転差止め判決と同じように、今後よい方向に進むことを祈りたい。

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