元気になる作品には色々ある。
先日みた「ソウル・サーファー」のように
圧倒的なパワーの持ち主に触れて元気をもらうパタン。
重い気分にさせられるけど、どんな事があっても頑張って生きていかなきゃ、と思わせるパタン。
今作は後者だ。
こんな素晴らしい作品を見逃してしまうところだった。
誰もが胸が苦しくなる作品だけど
これは絶対に見るべきものだ。
パリのアメリカ人ジュリアはジャーナリスト。
夫と10代の娘と共に暮らす。
ある日ジュリアは待望の第二子妊娠に気付く。
喜びの内に夫に知らせるものの、
夫からは「もう遅すぎる。中絶してくれ。」という返事が。
そんなジュリアは戦時中フランス政府が行った「ベルディブ事件」について取材しているのだが
夫の親から譲り受けたアパートが
1942年までスタルジンスキ家というユダヤ人家族のもので、彼らがベルディブ事件で検挙されたと知る。
1942年夏。
スタルジンスキ家ではサラとミシェルという姉弟が仲良く遊んでいた。
するとそこに突然警察が来る。
とっさにサラはミシェルを納戸に隠し鍵をかけた。
「戻ってくるまで隠れているのよ。」
しかし、両親とサラが送られた先はパリのベルディブ(屋内競技場)。
1万人近くのユダヤ人が閉じ込められ、食べ物も飲み物も、トイレすら与えられず、5日間を過ごした。
ミシェルを納戸に隠したことは、その後のサラの人生を大きく変えてしまう。
以下、ネタバレです。
ユダヤ人を虐殺したのはナチス・ドイツだけではない。
ナチスの厳命を受けて、当時のフランス政府もユダヤ人検挙を行ったのだ。
1995年、シラク大統領がその件について正式に声明を出し、国民の支持を受けた。
フランス史上、最悪の汚点かもしれないこの事件を
以外にも知らないフランス国民がいることを劇中でも描かれている。
ジャーナリストである優秀な若者たちも、フランス政府がおこなった非道を知らないのだ。
フランスというお国柄なのか
日本人のシウは違和感を感じる部分も多々ある。
たとえば、ベルトランが頑なに子どもを拒むところ。
2人とも不妊治療をしていた過去もあり、ジュリアがどれほど子どもを望んでいるかを知っているのに
「老いた父は嫌だ。」という一点張りで、ついには離婚してしまうのだ。
そしてそんな理由で妻子から離れた父を恨むでもない上の娘。
父とネットで会話し、父の新しい恋人の存在も普通に受け入れる。
親子であっても、個人をまず大事にする、というのがフランスでは当然なのかもしれない。
サラの過酷すぎる運命には、胸がつぶれる思いだった。
良かれと思って弟を隠したことが
結果的に弟の死を招き、そして自分が生き延びることとなった。
サラが弟を発見するシーンは
まさか!と思ったが、息をのむ瞬間だった。
歴史のいたずらによって交差した
スタルジンスキ家とデュフォール家テザック家。
人を作りだすのは、その人が生きた1秒1秒の積み重ねだと思っていたけど
それだけではなく、
繋がってきた多くの人々の、一つ一つの選択にもよるのだと実感する。
中絶の為の手術台にもう少しで登るところだったジュリアの足を止めたのは
サラの消息を知るかも知れない人からの電話だった。
偶然の積み重ねが、新しいサラをこの世に生み、サラの息子の心を救う存在となったのを見ると
人と人との関係は続いていくものなのだと気付く。
歴史が狂った時代。
現代人は過去の人々を責めるかもしれないが
“歴史”になっているからこそ責めるのも簡単だ。
自分の命が危険にさらされ、正しいか悪かなどと考えることも許されなければ
ただただ人は自分が生き延びることを考えたとしても仕方ない。
そんな中にあっての
一握りの人々の善意が、人間のプライドを守ってきたのだと感じた。
サラの鍵 - goo 映画
先日みた「ソウル・サーファー」のように
圧倒的なパワーの持ち主に触れて元気をもらうパタン。
重い気分にさせられるけど、どんな事があっても頑張って生きていかなきゃ、と思わせるパタン。
今作は後者だ。
こんな素晴らしい作品を見逃してしまうところだった。
誰もが胸が苦しくなる作品だけど
これは絶対に見るべきものだ。
パリのアメリカ人ジュリアはジャーナリスト。
夫と10代の娘と共に暮らす。
ある日ジュリアは待望の第二子妊娠に気付く。
喜びの内に夫に知らせるものの、
夫からは「もう遅すぎる。中絶してくれ。」という返事が。
そんなジュリアは戦時中フランス政府が行った「ベルディブ事件」について取材しているのだが
夫の親から譲り受けたアパートが
1942年までスタルジンスキ家というユダヤ人家族のもので、彼らがベルディブ事件で検挙されたと知る。
1942年夏。
スタルジンスキ家ではサラとミシェルという姉弟が仲良く遊んでいた。
するとそこに突然警察が来る。
とっさにサラはミシェルを納戸に隠し鍵をかけた。
「戻ってくるまで隠れているのよ。」
しかし、両親とサラが送られた先はパリのベルディブ(屋内競技場)。
1万人近くのユダヤ人が閉じ込められ、食べ物も飲み物も、トイレすら与えられず、5日間を過ごした。
ミシェルを納戸に隠したことは、その後のサラの人生を大きく変えてしまう。
以下、ネタバレです。
ユダヤ人を虐殺したのはナチス・ドイツだけではない。
ナチスの厳命を受けて、当時のフランス政府もユダヤ人検挙を行ったのだ。
1995年、シラク大統領がその件について正式に声明を出し、国民の支持を受けた。
フランス史上、最悪の汚点かもしれないこの事件を
以外にも知らないフランス国民がいることを劇中でも描かれている。
ジャーナリストである優秀な若者たちも、フランス政府がおこなった非道を知らないのだ。
フランスというお国柄なのか
日本人のシウは違和感を感じる部分も多々ある。
たとえば、ベルトランが頑なに子どもを拒むところ。
2人とも不妊治療をしていた過去もあり、ジュリアがどれほど子どもを望んでいるかを知っているのに
「老いた父は嫌だ。」という一点張りで、ついには離婚してしまうのだ。
そしてそんな理由で妻子から離れた父を恨むでもない上の娘。
父とネットで会話し、父の新しい恋人の存在も普通に受け入れる。
親子であっても、個人をまず大事にする、というのがフランスでは当然なのかもしれない。
サラの過酷すぎる運命には、胸がつぶれる思いだった。
良かれと思って弟を隠したことが
結果的に弟の死を招き、そして自分が生き延びることとなった。
サラが弟を発見するシーンは
まさか!と思ったが、息をのむ瞬間だった。
歴史のいたずらによって交差した
スタルジンスキ家とデュフォール家テザック家。
人を作りだすのは、その人が生きた1秒1秒の積み重ねだと思っていたけど
それだけではなく、
繋がってきた多くの人々の、一つ一つの選択にもよるのだと実感する。
中絶の為の手術台にもう少しで登るところだったジュリアの足を止めたのは
サラの消息を知るかも知れない人からの電話だった。
偶然の積み重ねが、新しいサラをこの世に生み、サラの息子の心を救う存在となったのを見ると
人と人との関係は続いていくものなのだと気付く。
歴史が狂った時代。
現代人は過去の人々を責めるかもしれないが
“歴史”になっているからこそ責めるのも簡単だ。
自分の命が危険にさらされ、正しいか悪かなどと考えることも許されなければ
ただただ人は自分が生き延びることを考えたとしても仕方ない。
そんな中にあっての
一握りの人々の善意が、人間のプライドを守ってきたのだと感じた。
サラの鍵 - goo 映画
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます