倭人語のすすめ

倭人の言葉が残されていた。古事記の神々の多くは、秘文とされた文書を基にしていた。一音一義の倭人語を解き明かしたいと思う。

弓前文書(委細心得)1/5

2024-12-17 09:43:47 | 弓前文書(委細心得)
 弓前文書(ゆまもんじょ)とは、口伝で伝えられて来た倭人語を漢字を基にした特殊文字を含む弓前漢字仮名を使って表した「神文」と、漢文で書かれた「委細心得」の二つの文書を指す。
 秘聞(門外不出の口誦で伝えられて来た話)とされていたが、明治維新で封印が解かれ、平成になって弓前67代と称する池田秀穂が解読、公開した。




   委細心得


【世々弓和相伝秘聞不誤様記之】
 代々のユマニが口誦で伝え継承してきた秘聞が誤って伝わらないようにするため書き留めておく。


※口誦で伝えられて来た秘聞を書き留めたのは藤原内実。


【神呂美垂神産積大霊、吾子垂力右左珠汝子孫斎祀、宣御祖凝結会根霊事】
 タカミムツ大神は、「我が子であるタチカラ神が持っている自由エネルギーを蓄える左右の珠をあなたの子孫に祀らせる」と、ユマニの祖先であるコヤネにおっしゃった。


※タカミムツ大神は物質も光もないところに物質を造った神、宇宙および世界の創始者であり、倭人の最高神である。古事記では高御産巣日(たかみむすひ)の神、コヤネは天兒屋(あめのこやね)の命として登場している。神文では1102垂威実醸積霊゜
※珠はエネルギーを溜めたり放出したりできる見えない袋と理解するとよい。


【孫中弓詔申】
 コヤネは孫であるナカツとユマを呼んで、次のように言った。


※後にナカツは中津身(ナカツミ)、ユマは弓前和(ユマニ)となり、最高神を主宰する族長(鹿島神宮)、副族長(香取神宮)の意味合いとなった。


【垂力右御雷左布土名。御雷剣布土鞘思。中御雷祀大霊力現。剣不使常在鞘。故弓布土祀常大霊力凝可。】
 タチカラ神の右の珠はピカ、左の珠はプツという名がある。ピカは剣、プツは鞘と思いなさい。ナカツはピカを祀り、タカミムツ大神の力を行使する。
 必要の無い時は剣を常に鞘に納めておきなさい。だから、ユマはプツを祀って常に剣にタカミムツ大神の力を蓄えておきなさい。タカミムツ大神の心に従って誤ることなく、正しく表に立ってその剣を使用するのがナカツであり、その間、せっせとタカミムツ大神の心に従ってその力を蓄えておくのがユマの役目である。


※御雷(ピカ)は「大空より降り注ぐ威大な力の流れ」を意味し、武甕槌(たけみかづち)として鹿島神宮の祭神である。布土(プツ)は「大地から湧き上がる組織的な力の流れ」を意味し、経津主(ふつぬし)として香取神宮の祭神である。2201虚躍日威2202震゜積津延
※古事記では「建御雷之男(たけみかづちのお)の神、またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豐布都(とよふつ)の神【三神(みはしら)】」となっていて、一心同体の神として扱われている。


【即中表順神心意術修、弓内在吾教幾神力識修法。是分限誤神罰心得可。世々弓賢伝。】
 すなわちナカツは常に表に立ちタカミムツ大神の御心に従うテクニックをマスターしなければならない。ユマは内にあって、私(コヤネ)が教えるタカミムツ大神の御心に従って発動される様々なエネルギーの流れを知り尽くし、抜け目なくそのエネルギーをため込んで蓄えて置き、それをレベルアップしてピカのエネルギーを常にチャージしておかねばならない。
 これはピカとプツの珠をそれぞれ祀る掟であって、この掟を破ると神罰があるものと心得なければならない。これらの文言を誤らずに代々のユマニに謹んで伝えて行きなさい。


弓前文書(委細心得)2/5

2024-12-17 09:43:23 | 弓前文書(委細心得)

【素中弓族山人島々在、採木実木肌剝畑耕潜漁、大霊垂力祀。応大君質答業。】
 元々、ナカツ、ユマの一族は山人(ヤマト)の島々で暮らしていた。木の実を採取し、樹皮を剥いで繊維としたり、畑を耕し、海で潜って漁をしながら、タカミムツ大神を祀っていた。大君(オオキミ)の質問に答えること、つまり、大君のブレーンであること家業としていた。


※山人の島々とは五島列島。
※木肌を剥ぐということは樹皮を剥いで繊維をつくり布を造り衣服を造るという事だろう。樹皮が繊維になる木としてオヒョウ・シナノキ・オオバホバイジュ・フジなどがあるようだ。


【美山治国大君巫神懸、日留芽大霊事、宜曰。】
 美山(みま)の地に入り、国を治められていた国の大君の姫が神がかりした。神がかりした姫は天照大神の意思を言葉にして伝えた。


※三輪(みわ)を倭人は美山(みま)と称した。「ワ」を自分たちの仲間であるという象徴的な音「マ」に替えて、ミワをミマと称した。美山は後の大和。
※国の大君とは崇神である。古事記は崇神のことを御眞木入日子印惠(みまきいりひこいにえ)の命、初國知らしめしし御眞木の天皇と書いてある。ハックニシラス=初めて国を統治した、ミマ=美山、キ=際立つ、イリ=鎮座する、ヒコ=御方、イニエ=親しみのある重厚、冷静なるとう意味。まとめると、初めて国を統治した、美山(三輪)という際立った地に鎮座した、親しみあり、丸く治める重厚な御方。後の世に作った崇神を褒め称えた諡だ。
※アマカド(天神戸・天の大君)に命令されて九州を出陣した崇神は三輪と呼ばれた国に攻め入り勝利した。365年頃。そして、三輪の王位を譲られることになり、崇神は国の大君となった。美山(三輪)の大君となった崇神は、三輪の先祖を祀った。
※国の大君の姫神とはモモソ姫。
※ピルメ、日留芽(ひるめ)大霊とは天照大神のこと。


【垂神産積大霊、垂力珠大八洲東果島一無処祀、日々霊垂育凝可。】
 (天照第一のお告げ)
 タカミムツ大神の子タチカラの珠を日本の東の果ての島がひとつもないところに祀って、毎日のピタチというタカミムツ大神の大自然の内から日々出て来る自由エネルギーを蓄えなさい。蓄えたエネルギーを必要に応じ随時分けてやりなさい。


※大八州とは、日本の異称で、淡路、伊予、隠岐、筑紫、壱岐、対馬、佐渡、大倭豊秋津島(本州)のこと。
※千葉から福島に至る太平洋沿岸の一番東の、茨城県鹿島市に鹿島神宮、千葉県香取市に香取神宮が後に建立された。
※ピタチ、霊垂育(ひたち)とは、大自然の自由エネルギー。常陸や日立の語源だろう。


【東山越渡積美入厳斎為地、各地祀生母珠集宮代。更宮代造日々昇海新日凝可。】
(天照第二のお告げ)
 美山の東にある山を越えたところの海が入り込んでいる所をイツサの地とし、日本全国に祀られている天照のウカの珠を集めたものを祀る神殿を造り祀りなさい。その近くに新しい神殿を造り、東の海の彼方から毎朝の昇る朝日からわが光と熱のエネルギーを溜め込むアラタマ(新珠)を祀りなさい。集めたエネルギーは植物生育に必要な量を再分配してあげます。


※ワタツウミとは島と島の聞を満たす水面のこと、つまり海。この場合は伊勢湾。
※イツサとは珠を祀るにふさわしい汚れなきところ、この場合は伊勢。後に伊勢神宮の外宮・内宮が建立された。
※ウカの珠とは天照の分霊である熱と光。これを受けて植物が成育繁茂するに必要なエネルギー溜めて置く見えない袋。各地の田や畑で、どうか作物がよく実りますようにと当時日本各地に天照が祀られていた。これらを集合して一つにまとめて、伊勢に祀りなさいという事。


【吾没御渡日乃泊、厳結生戸其国珠祀、事代主天大成積力与可。】
(天照第三のお告げ)
 太陽が沈む日乃の泊に、聖なる力を生み留める所として神殿を造り日乃の国珠を祀りなさい。そこには国珠を育てる意志を統括するものとして大自然の秩序をコントロールする力を与えます。


※ピノイ、日乃(ひの)とは、日が終わるところ、太陽の沈む所の意味。日乃の泊とは日御碕(ひのみさき)がある出雲の泊のことだろう。
※トマリ(泊)とは、宿泊所、港。古語で船を停泊させる水域のことを。
※御渡(みわた)のミは自然の意志が宿っている所という意味で、ワタは渡って行く、いわば神の意志のある、泊まるべき所という意味。
※イツユムの戸、厳結生戸(いつゆむのと)とは、聖なる力を生むところ。後に出雲大社が建立された。戸は戸締りとか宿の意味。後に出雲となった。
※国珠(くにたま)とは、国々のポテンシャル。
※事代主(ことしろぬし)とは、国珠を育てる意志を統括する力。
※天大成積(あおなつ)とは、大地の自然秩序をコントロールする力。アオナツは古事記では大国主命。1300大成積凝充醸。
※日は終わった。天照の熱と光は、太陽は終わったという意味の日乃の地から西の彼方に沈んで行く。これまでに受けた大八洲の大自然のエネルギーと太陽の熱、光のエネルギーは、全部が使われることはない。その余分のエネルギーを戸、この宿で泊まっていただく。そしてそのエネルギーをユム(結生)、再び必要なエネルギーとして使う、その地にしたい。そのためには、それを溜めておくエネルギー袋として、その地(日乃・出雲)にある国珠のエネルギー袋を使いたい。だから現地の国珠を祀りなさい。


【美山国珠祀。大物力与可。】
(天照第四のお告げ)
 美山に美山の地の国珠を改めて祀りなさい。生命を管理する力を与えます。


※大物主(おおものぬし)とは生命を管理する力。1400大萌延日奇醸。
※後に大神(おおみわ)神社が建立された。現桜井市。


【山人珠美山地移祀。茲垂神産積大霊、垂力珠日毎分与、国大八洲鎮治。】
(天照第五のお告げ)
 山人の珠を美山に移して祀りなさい。これら五つのお告げを実行するならば、タカミムツ大神のタチカラの珠のエネルギーが毎日配分されて、国を良く治めて行けるだろう。


※山人(五島列島)から、美山(大和)に山人の珠を引っ越しさせなさいということ。大八州の真ん中に国を造ったわけだから、それに見合う中心部にエネルギーの袋を持ってきてエネルギを補給しないといけない。
※後に大和(おおやまと)神社が天理市に建立された。
※①第八州(日本)の東の端(常陸)にタチカラの珠、②太陽が昇るイツサ(伊勢)にウカの珠、③太陽が沈むイツユム(出雲)にその地にある国珠、④美山(大和)に美山の国珠、⑤更に加えて美山に山人(五島)の国珠を移転させる。言葉を変えれば、常陸に宇宙の珠を祀り、伊勢には太陽の珠を祀り、出雲には地上の珠を祀り、大和に大和の珠を祀り、更に倭人の珠を五島から大和に移し祀る。この配置によって日本のエネルギーの補給分配を良くして国を発展させるという事だろう。徳川の江戸も様々な寺社を配置して国の安定を図っていることが思い浮かぶ。
※毎年十月、神無月、国々の八百万の神々が集まって、事代主の議長の下、この出雲の地に蓄えられた大地の秩序を保つアオナツ(大国主)の力のエネルギーを、いかに配分するかの会議がこの地で行われる。その出雲神話の起源はここにあった。

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弓前文書(委細心得)3/5

2024-12-17 09:42:56 | 弓前文書(委細心得)

【天大君中身詔。垂神産積大霊神意質。】
 国の大君(崇神)から報告を受けた天照大神のお告げは本物か偽物か、天の大君(景行)は宇宙最高神のタカミムツ大神の本心を確かめよと、ナカツミに命じた。


※九州を本拠とする海上国家は、当時三輪(美山)と呼ばれていた大和の国を武力制圧した。大八洲全体の商圏を確立するためであった。その占領軍総司令官の崇神から天照の五つのお告げが天の大君の元に届いた。
※天(あま)の大君(おおきみ)とは九州王朝。トップはアマカド(天神戸)。ここではアオタ(景行)のこと。
※国(くに)の大君とは近畿王朝。トップはクニカド(国神戸)で地名をとってミマカド(美山神戸)。帝(みかど)の語源。ここではイニエ(崇神)のこと。


【賢御祖霊事祈神意確有】
 ナカツミは大先祖コヤネの定められた秘め事によって委細をコヤネ言上し、タカミムツ大神の御心をコヤネに確かめてもらえるよう祈った。コヤネの答えは明快であった。「確かだ」。確かにタカミムツ大神の御心もそうだ。天照のお告げは本物である、と天の大君へ返答した。


※天照のお告げは、いままでの倭人社会の根底を揺るがす大問題であった。倭人が宇宙の最高神として祀っていたタカミムツ大神(タチカラの珠)と、倭人宗教の総元締であるナカツ、ユマの一族は東の果てに去って行かねばならない。
※倭人の守護神天照は、その本拠として伊勢に去って行かれ、その御子のアオナツ(大国主)も出雲に去って行かれる。倭人の本流が住んでいたこの山人(五島)の珠を美山(大和)の地に移さねばならない。天の大君の心は実に深刻、複雑なものがあったに違いない。
※思うに、天の大君は天照のお告げをすぐには納得できなかった違いない。倭人の最高神はタカミムツ大神であるのに何故天照大神から国の大君へお告げがもたらされたのか疑問に思うはずだ。例えば、社長から指示を受けるのが普通なのに、その子供から指示が来たとしたら、本当かどうかを社長本人に確かめずにはいられないだろう。つまり、倭人の神はタカミムツ大神から天照大神へ代替わりしたということになると思う。


【茲天大君詔、天斎部日留芽生母珠招集、穂司山人珠、中弓族垂力珠封奉、斎重城伴御渡会城泊向。】
 天の大君は天照のお告げを実行することを宣言した。
 天の大君直属の神官サニベは定められた方式によって、倭人社会においても、また農業社会国々においても、各地で祀られている天、国の天照のウカの珠にどうか集合して下さいと願い招き集めた。
 神官ホフリは山人の珠を、ナカツミ、ユマニの一族はタチカラの珠をそれぞれささげ持って、サエキ(軍隊)を伴って、アキの泊へ向かって出発した。


※サニベ(斎和部)は大君直属の神官(官職名)。
※ホフリ(穂司)は、祝(ほうり)と呼ばれる神職の語源。神主。
※サエキ(斎重城)は、祭祀を行うものを守る軍隊。
※アキ(曾城)は安芸。三原から鞆、尾道、いろいろな泊地が考えられる。


【天大君子御渡日乃泊赴、大宮代建国珠、大八洲事代主、天大成積力封。後出雲大社。】
(出雲大社の創建、天照第三のお告げの実行)
 天の大君の御子は日乃の泊へ行き、イツユム(出雲)の国珠を日本の国珠の総師として祀るため巨大な神社を建て、統括者である事代主として大地の神アオナツの力を留め置いた。これがのちの出雲大社である。


※アオナツは大国主命。
※イツユムは出雲。
※天の大君の御子は出雲大社によると天照の二番目の御子、ホヒ(穂日命)であるという。古事記では天菩比(あめのほひ)の神。
※出雲大社の祭神は大国主大神。


【斎部中弓族更玉泊迎泊至、斎部夫々於生母珠招集奉。】
 天のサニベとナカツミの一行は、アキの泊からさらにタマの泊、ムカの泊へと進んでいった。到着すると、天のサニベはそれぞれの泊にて、天、国の天照大神のウカの珠を招き集めて依代に留め置いた。


※タマ(玉)の泊は岡山県玉野の港。
※ムカ(迎)の泊は武庫の浦、現在の神戸港。
※依代(よりしろ)とは神霊が依りつく対象物。おそらく、この場合、持ち運びができる榊(さかき)かそれに近い植物だろう。


【自之斎部厳斎地向、中弓穂司斎重城溯川美山至。穂司山人珠意卜地国斎部為鎮之。後大和宮。】
(大和(おおやまと)神社の創建、天照大五のお告げの実行)
 ウカの珠を集めた天のサニベはイツサ(伊勢)に向かった。ナカツミとユマの人々はホフリとサエキとともに川を遡り、美山に着いた。天のホフリは国の大君に仕えることなり、国のサニベとなって良い土地を占って神社を建て、山人(五島)の珠を祀った。これが後の大和神社である。


※遡った川は最短距離の大和川だろう。
※大和神社の祭神は日本大国魂神。
※天のホフリが国のサニベになったということは、天から国に転職して地位が上がったということだろう。


【国斎部集合、美山国珠鎮大物力封。之後大神宮。】
(大神(おおみわ)神社、天照第四のお告げの実行)
 国のサニベは皆集まって、美山の国珠を改めて祀り直し、オオモノの力を珠に留め置いた。これが後の大神神社である。


※大神(おおみわ)神社は旧来は美和乃御諸宮、大神大物主神社と呼ばれた。中世以降は三輪明神と呼ばれた。明治時代に大神神社と改名された。
※主祭神は大物主大神。三輪氏の祖神である。
※大三輪氏(おおみわうじ)または三輪氏(みわうじ)は大和国磯城地方(奈良県磯部郡・天理市南部・桜井市西北部)を発祥とし、大三輪大友主の氏祖である。


【国斎部達国々祀生母珠招集、代東山越厳斎天斎部渡会、神意順鎮宮代建。更神意順厳斎川畔宮代建、日々昇新珠凝鎮。之後伊勢宮々。】
(伊勢神宮の創建、天照第二のお告げの実行)
 国のサニベは国々に祀れられていた天照のウカの珠を招き集め、東の山を越えイツサ(伊勢)の地へ移動し、天のサニベと落ち合った。そこに天照の御心のままに良い地を占い珠を祀るため神社を建てた。(伊勢外宮)
 さらに天照の御心に従ってイツサの川のほとりに神社を建て、毎朝東から昇ってくる新日のエネルギーを蓄え祀った。(伊勢内宮)
 これが後の世の伊勢神宮の外宮と内宮である。


※渡会(わたら)いとは、出会うとか、落ち合うとか、待ち合わせるなどと解してもよいと思う。三重県に度会郡という地名が残っている。
※外宮は豊受大神宮と呼ばれ祭神は豊受大御神である。内宮は皇大神宮と呼ばれ祭神は天照坐皇大御神(あまてらしますむめおおみかみ)。創建順としてはウカの珠を祀った外宮が先のようだ。
※イツサの川のほとりとは伊勢内宮の西端を流れている五十鈴川のことだろう。
※太陽の熱と光の発生側(新日)を祀るのが内宮で、太陽の光と熱を受け取ってためておく(ウカの珠)のが外宮という、天照の両面を表しているのだと思う。


【大比古事、東従中弓斎重城衆東果海辺至、霊垂育地選、垂神産積大霊、垂力珠御雷布土鎮之。後鹿島香取宮々】
(鹿島神宮・香取神宮の創建、天照第一のお告げの実行)
 国の大君はその一族であるオオヒコが東に進軍する際に、ナカツ・ユマの一族とサエキの人達は同行した。そして、大八州の東の果ての海辺に到達した。ピタチの地を選定し、タカミムツ大神のタチカラの左右の珠であるピカとプツをそれぞれ祀った。これが鹿島神宮と香取神宮である。


※オオヒコとは大比古事(おおひこのみこと)、古事記では大毘古(おおびこ)の命、四道将軍の一人。大比古命は孝元天皇の子とされている。大比古の娘と崇神天皇の間に生まれた子は垂仁天皇。オオヒコが四道将軍として越の国に派遣され、その子は東国の平定に向かったという記事が崇神記に見える。崇神天皇の皇女ヤマトモモソヒメが、宮中にあった天照を笠縫の宮に移し、また大和の国霊も現在の所に祀ったという。どうやら書紀と委細心得は、この崇神記で交差するようだ。
※東の果てはの本州の太平洋の岸辺、常陸国。
※鹿島神宮の祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)、古事記では建御雷神。
※香取神宮の祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)




【因来十三代天神戸詔。中身弓和斎重城伴美山都上発。中身国大君中臣姓賜仕。弓値成帰両宮斎。】
 鹿島香取に移住してから十三代目のとき、天の大君より出頭命令があった。ナカツミとユマニはサエキを連れて美山の都に出発した。
 ナカツミは国の大君から中臣の姓を頂き、国の大君の朝廷に仕えることとなった。弓前値成(ゆまあてな)は都から戻って香取神宮とさらにナカツミのいなくなった鹿島神宮も共に面倒を見ることとなった。


※美山の都とあるのは大和の朝廷のこと。この時分はまだ大和という言葉が一般化されていなかったのでないか。
※何故ナカツミとユマニを大和朝廷に呼び出したか。欽明天皇の時代(在位539~571)になると、物部氏や蘇我氏が台頭してきた。それに対抗しうるには古い倭人の伝統を持つ側近を補強する必要がある。そのためにナカツミをブレーンとするとともにサエキの兵力も必要だったのだろう。
※欽明朝の黒田に始まりその子常盤(ときわ)が中臣連姓をもらったという資料がある。欽明天皇が上京した常磐に中臣の姓を授けたのだろう。ナカツミから連想して中臣。
※天神戸(アマカド)とは九州王朝の天の大君であり、ナカツミ・ユマニの出頭先は美山(大和)である。天の大君から出頭命令が来たということは、この時点では倭の国(九州王朝)と大和(近畿王朝)の国が併存していたということになる。鹿島香取両神宮はこの時点ではまだ天の大君の治世下にあったと考えられる。
※白村江の戦い(663)で敗れて以後、九州王朝の力は急速に衰えた。古事記(712)では、九州王朝は始めから無かったものとされている。三輪征服を命じた景行は崇神の2代目後の天皇とされた。九州王朝は大宰府のこととなった。


【茲御祖賜垂力総珠御名其教、当漢字木板記、更世々相伝祖達名記、次弓和論日。之御祖賜身也御心也。世々諳万世伝可。又秘聞有。不違相伝事。有則付之。】
 ここに大先祖コヤネが頂いたタチカラの珠のすべてのお名前とそのお教えを漢字に当て、木の板に記し、さらに代々伝わるご先祖たちの名も加えて記し、私に続くユマニに教訓を伝えておく。この板文は大先祖コヤネより頂いたお体であり、お心である。代々のユマニは諳(そら)んじていつまでも正しく伝えていかなければならない。
 また秘聞があります。大先祖コヤネから諭されたナカツミとユマニの心得、それ以来のナカツミ、ユマニの歩んで来た道程です。間違えることなく伝えて行きなさい。代々のユマニは、何か重大なことがあればこの秘聞に付け足して行きなさい。


※以上は弓前値成が伝えた話。これ以下は、代々のユマニが付け足した話。

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弓前文書(委細心得)4/5

2024-12-17 09:42:26 | 弓前文書(委細心得)

【不比等御雷珠都招。茲鹿島司分霊奉都上。】
 藤原不比等はピカの珠を都に祀ることにした。この知らせを受けた香取神宮のユマニは鹿島神宮の代理を引き受けている神官にピカの分霊を奉じて都に上るように命令した。


※不比等(659~720)は天智天皇から中臣鎌足(614~669)の子。鎌足は、乙巳の変(645)、大化の改新の中心人物、臨終に際し、藤原姓をもらった。
※黒田―常磐―可多能古―御食子―鎌足―不比等、この系統が代々のナカツミになるのだろう。
※コヤネからナカツミはピカの珠を祀れと言われている。都に上って国の大君に仕え、中臣となり藤原と名は変わってもナカツミであることに違いはない。鹿島神宮を不在にしていたが、ようやくピカの珠を祀る準備が出来たのだろう。
※奈良・平城京に遷都された和銅3年(710年)、藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山(三笠山)に遷して祀り、春日神と称したのとする説があるが、この記事の裏付けとなるだろう。


【弓和今尾比凝時詔。弓和布土珠奉上。尾比凝中身称鹿島宮、人麻呂弓和為分霊奉都上。藤原姓賜今和位春日山麓御雷布土珠共鎮。】
(春日大社の創建)
 ユマニが今尾比凝(イマ オヒコ)のとき、ユマニはプツの珠を持って都に来なさいと、天皇の命令があった。
 香取神宮のユマニの今尾比凝は自分自身で都に行くのを避けるため自らナカツミと称して鹿島神宮に身を移した。自分の代りに今人麻呂をユマニにしてプツの分霊を奉じて都へ行かせた。
 今人麻呂は藤原の姓を授かり、ユマニとして春日山の麓の社にピカの珠とともにプツの珠を祀った。


※「弓前(ゆま)」を「今(いま)」という姓に変えたのは、770年に失脚した日本三悪人の一人とされる弓削道鏡と弓前の名が被るのを嫌っためだろう。
※ナカツミは弓前値成のころから都で仕えている。つまり鹿島にナカツミは不在。値成が香取に加え鹿島も面倒をみた。その後、ナカツミの藤原不比等は鹿島のピカの珠を都に持ってこさせた。今度は、香取のプツの珠を都に持ってきたうえ、ユマニも都でプツの珠を祀れと言うのだ。つまり、ナカツミもユマニも都に居てピカとプツの珠を祀ることになる。結果として、鹿島にナカツミ無く、香取にユマニがいない状態となる。その為、尾比凝は鹿島香取を守るため、ユマニの身分を人麻呂に譲り上京させ、香取のユマニであった自分が香取に居るわけにはゆかないので、自らナカツミであると称して鹿島に移ったのだろう。
※春日大社では、神護景雲2年(768年)に藤原永手(不比等の孫)が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡(ひらおか)神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって春日大社のはじまりとしている。


【自是国表藤原大臣応答質至現。之御祖教順成。】
 都へ来てからは、表に立つナカツミである藤原の大臣のブレーンとなって今に至る。、これは大先祖コヤネの教えに従っている。


※この一文は藤原内実が書き加えたもの。これ以降は内実が書いたもの。大君(天皇)のブレーンでなくても実質トップのブレーンだから、形は変わっても、これは大先祖コヤネの教えに従っていることになるのだと、内実が子孫のために見栄を切ったのだろう。

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弓前文書(委細心得)5/5

2024-12-17 09:42:03 | 弓前文書(委細心得)

【其教記祖名記板文日巡畏多。綴穴摩損。茲紙面書写、又不誤様秘聞書加紙、言正伝為相似区分、後世戒為。】
 神文の教えや、ユマニ代々の先祖の名前を記してある板文を傍らに置いて、毎日直接触って熟読するのは畏れ多い。また、板を綴じている穴も摩耗してきた。
 そこで新たに紙面に書き写し、また今後誤って伝わらないように、秘聞を紙面に書き加え委細心得とタイトルを付けた。さらに神言葉の音声を正しく伝えるために似ている発音を区分して、後の世に正しく伝わるようにした。


※大先祖コヤネが頂いたタカミムツ大神(タチカラの珠)の教え。木の板に書かれた九百八十文字を紙面に移し替え、藤原内実は神文(かみぶみ)と表題をつけた。
※藤原内実は板に書かれていた神文を紙に書き写し、タイトルを「神文(かみふみ)」とつけた。口頭で伝えられて来た値成の秘聞やその後の主要な出来事を紙面に書き出した。更に、神文九百八十文字の正しい発声のテキストとして八十字の漢字・特殊文字を付け加えた。最後に神文を代々語り継いできた弓前値成までの先祖の名を書き写し、更に値成から四十代の内実まで伝えて来た代々の名も書き写した。


【茲今和諭。十八日月例祭於、板文衣包神前供、御祖教値成迄相伝祖名宣奉。今和継今和其分限不正伝神罰家滅。】
 後の世のユマニに注意しておく。十八日の月例の祭りにおいては、板文を衣に包んで神前に供え、大先祖コヤネの教えと神文と値成まで伝わっている代々の神々のなを神前で唱えなさい。ユマニたるもの、次なるユマニの為にそのすべきこをを正しく伝えることができなければ神罰が下って我がユマニ一族は滅びてしまうだろう。


【今和長旅際神文写、社左若常木葉供、麻緒包之帯則、垂力諸々御名身包、魔物恐近不能。帰則無事謝、晦神文灰流失。】
 ユマニが長旅することがあるならば、神文を写して、神社の左にある常盤の若木のはを添えて依り代として、更に麻布と紐で包み懐中すれば、タチカラの珠の様々なお名前はユマニの身体を包み、魔物は恐れて近寄ることができない。
 長旅から帰って来たならその無事を感謝し月末に燃やして灰にして流しなさい。


【世々今和日々神文巡、正音声御祖意自真伝。夫努。】
 代々のユマニ達、日々神文を熟読し、正しい発音で唱えれば先祖の思いは自然と分かってくる。さあ、励みなさい。


【親緒巌移晴゜和穂゜火゜子放゜保充 雷゜育微少座沼゜活覆 渡威狩母因垂舞虚 背積鋭根成躍醸 美浮囲延大崇奇哈゛因゛真増 異食震゜堅凝屠愛重与 天会爽陜岐貴刻結芽現実静 辺日霊゜飯基萌瀬澄 津乃奈唵集゛】


※いろは順に並んでいる。


※次のぺージには上下の区別なく、神文本文と同じ大きさの漢字が一ページ三行に、二ページにわたって書き込まれ、少し間をあけて「弓前値成」の四字がぎりぎりいっぱいでぺージを埋め終わっていた。
※次のぺージ頭書は「以上神代より世々神の言葉を言い伝えし代々の尊名なれば、神文ともにすべて諳んずべきものなり」と書かれであった。続いて二ページにわたり、最初は「弓前値成」、右肩に「初代」と記され、以下十名ずつ四行にわたって名前が記載されてあったが、一行目の最後は、今尾の某、今人の某、二行目の冒頭は藤原の某、以下は名前のみ。四行目は九名、全部で三十九名の名前が記載され、余白には「以上は三十九代までの受継者の尊名、遺漏なく板文より書き換え候也天授○年○月○日今藤原内実」。(天授は南朝の年号(1375~1381)
※次のぺージは、冒頭「内実」と自署し、右肩に小さく「四十代」と記入し、以下一行十名、各々名前を自署したもののごとく、書体はすべて変わっていた。代々のユマニが自署したものだろう。二行目も同様であるが八名のみで余白を残していた。以下空白のぺージは数ページあったようである。


※第67代ユマニの池田秀穂は「弥生の言葉と思想が伝承された家」で次のように語っている。
 私はいま、まず神文を公開し、さらに「ユマニは他言すべからず」の秘聞まで公開してしまった。ユマニの守るべき掟はすべて破ってしまった。当然神罰あるだろう。わが家滅ぶべし。すでに代々伝えて来た品々は先の大戦で地上から消えてしまった。近いうちに私も地上から消えてしまう。すべて覚悟の上。これも御祖コヤネの大御心と理解している。


※池田秀穂の覚悟を受け取りたいと思う。

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