【天大君中身詔。垂神産積大霊神意質。】
国の大君(崇神)から報告を受けた天照大神のお告げは本物か偽物か、天の大君(景行)は宇宙最高神のタカミムツ大神の本心を確かめよと、ナカツミに命じた。
※九州を本拠とする海上国家は、当時三輪(美山)と呼ばれていた大和の国を武力制圧した。大八洲全体の商圏を確立するためであった。その占領軍総司令官の崇神から天照の五つのお告げが天の大君の元に届いた。
※天(あま)の大君(おおきみ)とは九州王朝。トップはアマカド(天神戸)。ここではアオタ(景行)のこと。
※国(くに)の大君とは近畿王朝。トップはクニカド(国神戸)で地名をとってミマカド(美山神戸)。帝(みかど)の語源。ここではイニエ(崇神)のこと。
【賢御祖霊事祈神意確有】
ナカツミは大先祖コヤネの定められた秘め事によって委細をコヤネ言上し、タカミムツ大神の御心をコヤネに確かめてもらえるよう祈った。コヤネの答えは明快であった。「確かだ」。確かにタカミムツ大神の御心もそうだ。天照のお告げは本物である、と天の大君へ返答した。
※天照のお告げは、いままでの倭人社会の根底を揺るがす大問題であった。倭人が宇宙の最高神として祀っていたタカミムツ大神(タチカラの珠)と、倭人宗教の総元締であるナカツ、ユマの一族は東の果てに去って行かねばならない。
※倭人の守護神天照は、その本拠として伊勢に去って行かれ、その御子のアオナツ(大国主)も出雲に去って行かれる。倭人の本流が住んでいたこの山人(五島)の珠を美山(大和)の地に移さねばならない。天の大君の心は実に深刻、複雑なものがあったに違いない。
※思うに、天の大君は天照のお告げをすぐには納得できなかった違いない。倭人の最高神はタカミムツ大神であるのに何故天照大神から国の大君へお告げがもたらされたのか疑問に思うはずだ。例えば、社長から指示を受けるのが普通なのに、その子供から指示が来たとしたら、本当かどうかを社長本人に確かめずにはいられないだろう。つまり、倭人の神はタカミムツ大神から天照大神へ代替わりしたということになると思う。
【茲天大君詔、天斎部日留芽生母珠招集、穂司山人珠、中弓族垂力珠封奉、斎重城伴御渡会城泊向。】
天の大君は天照のお告げを実行することを宣言した。
天の大君直属の神官サニベは定められた方式によって、倭人社会においても、また農業社会国々においても、各地で祀られている天、国の天照のウカの珠にどうか集合して下さいと願い招き集めた。
神官ホフリは山人の珠を、ナカツミ、ユマニの一族はタチカラの珠をそれぞれささげ持って、サエキ(軍隊)を伴って、アキの泊へ向かって出発した。
※サニベ(斎和部)は大君直属の神官(官職名)。
※ホフリ(穂司)は、祝(ほうり)と呼ばれる神職の語源。神主。
※サエキ(斎重城)は、祭祀を行うものを守る軍隊。
※アキ(曾城)は安芸。三原から鞆、尾道、いろいろな泊地が考えられる。
【天大君子御渡日乃泊赴、大宮代建国珠、大八洲事代主、天大成積力封。後出雲大社。】
(出雲大社の創建、天照第三のお告げの実行)
天の大君の御子は日乃の泊へ行き、イツユム(出雲)の国珠を日本の国珠の総師として祀るため巨大な神社を建て、統括者である事代主として大地の神アオナツの力を留め置いた。これがのちの出雲大社である。
※アオナツは大国主命。
※イツユムは出雲。
※天の大君の御子は出雲大社によると天照の二番目の御子、ホヒ(穂日命)であるという。古事記では天菩比(あめのほひ)の神。
※出雲大社の祭神は大国主大神。
【斎部中弓族更玉泊迎泊至、斎部夫々於生母珠招集奉。】
天のサニベとナカツミの一行は、アキの泊からさらにタマの泊、ムカの泊へと進んでいった。到着すると、天のサニベはそれぞれの泊にて、天、国の天照大神のウカの珠を招き集めて依代に留め置いた。
※タマ(玉)の泊は岡山県玉野の港。
※ムカ(迎)の泊は武庫の浦、現在の神戸港。
※依代(よりしろ)とは神霊が依りつく対象物。おそらく、この場合、持ち運びができる榊(さかき)かそれに近い植物だろう。
【自之斎部厳斎地向、中弓穂司斎重城溯川美山至。穂司山人珠意卜地国斎部為鎮之。後大和宮。】
(大和(おおやまと)神社の創建、天照大五のお告げの実行)
ウカの珠を集めた天のサニベはイツサ(伊勢)に向かった。ナカツミとユマの人々はホフリとサエキとともに川を遡り、美山に着いた。天のホフリは国の大君に仕えることなり、国のサニベとなって良い土地を占って神社を建て、山人(五島)の珠を祀った。これが後の大和神社である。
※遡った川は最短距離の大和川だろう。
※大和神社の祭神は日本大国魂神。
※天のホフリが国のサニベになったということは、天から国に転職して地位が上がったということだろう。
【国斎部集合、美山国珠鎮大物力封。之後大神宮。】
(大神(おおみわ)神社、天照第四のお告げの実行)
国のサニベは皆集まって、美山の国珠を改めて祀り直し、オオモノの力を珠に留め置いた。これが後の大神神社である。
※大神(おおみわ)神社は旧来は美和乃御諸宮、大神大物主神社と呼ばれた。中世以降は三輪明神と呼ばれた。明治時代に大神神社と改名された。
※主祭神は大物主大神。三輪氏の祖神である。
※大三輪氏(おおみわうじ)または三輪氏(みわうじ)は大和国磯城地方(奈良県磯部郡・天理市南部・桜井市西北部)を発祥とし、大三輪大友主の氏祖である。
【国斎部達国々祀生母珠招集、代東山越厳斎天斎部渡会、神意順鎮宮代建。更神意順厳斎川畔宮代建、日々昇新珠凝鎮。之後伊勢宮々。】
(伊勢神宮の創建、天照第二のお告げの実行)
国のサニベは国々に祀れられていた天照のウカの珠を招き集め、東の山を越えイツサ(伊勢)の地へ移動し、天のサニベと落ち合った。そこに天照の御心のままに良い地を占い珠を祀るため神社を建てた。(伊勢外宮)
さらに天照の御心に従ってイツサの川のほとりに神社を建て、毎朝東から昇ってくる新日のエネルギーを蓄え祀った。(伊勢内宮)
これが後の世の伊勢神宮の外宮と内宮である。
※渡会(わたら)いとは、出会うとか、落ち合うとか、待ち合わせるなどと解してもよいと思う。三重県に度会郡という地名が残っている。
※外宮は豊受大神宮と呼ばれ祭神は豊受大御神である。内宮は皇大神宮と呼ばれ祭神は天照坐皇大御神(あまてらしますむめおおみかみ)。創建順としてはウカの珠を祀った外宮が先のようだ。
※イツサの川のほとりとは伊勢内宮の西端を流れている五十鈴川のことだろう。
※太陽の熱と光の発生側(新日)を祀るのが内宮で、太陽の光と熱を受け取ってためておく(ウカの珠)のが外宮という、天照の両面を表しているのだと思う。
【大比古事、東従中弓斎重城衆東果海辺至、霊垂育地選、垂神産積大霊、垂力珠御雷布土鎮之。後鹿島香取宮々】
(鹿島神宮・香取神宮の創建、天照第一のお告げの実行)
国の大君はその一族であるオオヒコが東に進軍する際に、ナカツ・ユマの一族とサエキの人達は同行した。そして、大八州の東の果ての海辺に到達した。ピタチの地を選定し、タカミムツ大神のタチカラの左右の珠であるピカとプツをそれぞれ祀った。これが鹿島神宮と香取神宮である。
※オオヒコとは大比古事(おおひこのみこと)、古事記では大毘古(おおびこ)の命、四道将軍の一人。大比古命は孝元天皇の子とされている。大比古の娘と崇神天皇の間に生まれた子は垂仁天皇。オオヒコが四道将軍として越の国に派遣され、その子は東国の平定に向かったという記事が崇神記に見える。崇神天皇の皇女ヤマトモモソヒメが、宮中にあった天照を笠縫の宮に移し、また大和の国霊も現在の所に祀ったという。どうやら書紀と委細心得は、この崇神記で交差するようだ。
※東の果てはの本州の太平洋の岸辺、常陸国。
※鹿島神宮の祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)、古事記では建御雷神。
※香取神宮の祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
【因来十三代天神戸詔。中身弓和斎重城伴美山都上発。中身国大君中臣姓賜仕。弓値成帰両宮斎。】
鹿島香取に移住してから十三代目のとき、天の大君より出頭命令があった。ナカツミとユマニはサエキを連れて美山の都に出発した。
ナカツミは国の大君から中臣の姓を頂き、国の大君の朝廷に仕えることとなった。弓前値成(ゆまあてな)は都から戻って香取神宮とさらにナカツミのいなくなった鹿島神宮も共に面倒を見ることとなった。
※美山の都とあるのは大和の朝廷のこと。この時分はまだ大和という言葉が一般化されていなかったのでないか。
※何故ナカツミとユマニを大和朝廷に呼び出したか。欽明天皇の時代(在位539~571)になると、物部氏や蘇我氏が台頭してきた。それに対抗しうるには古い倭人の伝統を持つ側近を補強する必要がある。そのためにナカツミをブレーンとするとともにサエキの兵力も必要だったのだろう。
※欽明朝の黒田に始まりその子常盤(ときわ)が中臣連姓をもらったという資料がある。欽明天皇が上京した常磐に中臣の姓を授けたのだろう。ナカツミから連想して中臣。
※天神戸(アマカド)とは九州王朝の天の大君であり、ナカツミ・ユマニの出頭先は美山(大和)である。天の大君から出頭命令が来たということは、この時点では倭の国(九州王朝)と大和(近畿王朝)の国が併存していたということになる。鹿島香取両神宮はこの時点ではまだ天の大君の治世下にあったと考えられる。
※白村江の戦い(663)で敗れて以後、九州王朝の力は急速に衰えた。古事記(712)では、九州王朝は始めから無かったものとされている。三輪征服を命じた景行は崇神の2代目後の天皇とされた。九州王朝は大宰府のこととなった。
【茲御祖賜垂力総珠御名其教、当漢字木板記、更世々相伝祖達名記、次弓和論日。之御祖賜身也御心也。世々諳万世伝可。又秘聞有。不違相伝事。有則付之。】
ここに大先祖コヤネが頂いたタチカラの珠のすべてのお名前とそのお教えを漢字に当て、木の板に記し、さらに代々伝わるご先祖たちの名も加えて記し、私に続くユマニに教訓を伝えておく。この板文は大先祖コヤネより頂いたお体であり、お心である。代々のユマニは諳(そら)んじていつまでも正しく伝えていかなければならない。
また秘聞があります。大先祖コヤネから諭されたナカツミとユマニの心得、それ以来のナカツミ、ユマニの歩んで来た道程です。間違えることなく伝えて行きなさい。代々のユマニは、何か重大なことがあればこの秘聞に付け足して行きなさい。
※以上は弓前値成が伝えた話。これ以下は、代々のユマニが付け足した話。
次へ