奇跡の一本松の駐車場近くには八木澤商店という小さなお店があります。
地元の醤油製造の企業が作ったお店で、醤油はもちろん陸前高田関連グッズも売っています。
その日はちょっと暑かったのでしょうゆソフトクリームを
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/bf/b12d8b0f7e4afd898099bdec9703f44c.jpg)
余計なものが入ってない味でおいしかったです!
一本松に訪れた際は是非。
あと、気仙沼の商店街でも売っていて気になっていたマスカットサイダー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/bf/78a46ed94e02849eb900d0f5aa333329.jpg)
陸前高田の神田葡萄園の商品です。
暑い夏にはたまらないですね。
おいしいマスカット味ですが、無果汁です。
その後、陸前高田の追悼施設があるという、道の駅高田松原跡へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/d8/3fce7744827772cd34794a20f3da0ac2.jpg)
道の駅だったというこの建物、コンクリートが残るのみ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/a7/687d4c2e05a4a86d3f398df9f81bbba6.jpg)
配線はむき出しのまま。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/09/ab46a1f118f4f1e214ae27d96a1710f1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/af/ac6516620c488fae93f5e6c3b7a7c75c.jpg)
こちらが追悼施設。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/7e/a631e9e7f2fbcad22dabc15fe94e3985.jpg)
ここでも黙祷しました。
安らかにお眠りください、この災害を語り継いでいきますと。
その隣には石川啄木の石碑が「仮」設置されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/e8/7c76a09b68497dcf76b95444521e0cbf.jpg)
追悼施設には、高田高校水泳部の亡くなられた生徒さん、先生へのメッセージがありました。
この高田高校水泳部について調べてみると、このメッセージは定期的に変えられているようでした。
海岸近くのプールで練習していた部員のほとんどと、その生徒達を迎えに行った顧問の先生が亡くなったそうです。
今年の成人式シーズンに、未だに行方不明だった娘さんに振袖を着せた合成写真を持って成人式に参加したお父さんのニュースが流れていましたが、その娘さんも高田高校水泳部だったとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/ba/bb731b7aedd25c07059e5a9a9fb41d62.jpg)
今回お邪魔した被災地の中で一番心に衝撃を与えたのは陸前高田だと思います。
街並みがまるごと津波に流されてしまったその光景は衝撃的です。
市街地だった場所を車で走ってもどこに駅があったのか、どこにメインストリートがあったのか、全然わからないのです。
住宅があったであろう場所にはたくさんの花束。
きれいな彩から、定期的にお花を供えに来ている人がたくさんいるのだということがわかります。
小さな商店街から街を元気にしていこうという希望が見えた南三陸、地元企業がどんどん戻ってきている気仙沼と比べてしまうと、陸前高田の時間はあの日からあまり進んでいない。
このあと、陸前高田の物産センターで日本酒を購入しました。
陸前高田の地酒、酔仙。
先日家で飲みましたがおいしかったです。
自分にできることはこれぐらいです。
被災地を訪れてからこのブログを書こうとするまで約1か月の時間がありました。
あの日自分が見たものをより深めていくためにインターネットでいろんな記録を探したり、津波の映像を見て、あのあたりはこんな被害に遭っていたのだと確かめたりしていました。
津波の映像は久しぶりに見ましたがやはり精神的にきついです。3年前1日に何回もよく見れていたなと思うぐらい。
3年前の3月11日、これだけ悲惨な災害が日本で起きたのだということを記録しなければと思い、こんなちっぽけな個人ブログですが編集して載せようと思い至りました。
もしかしたらこのブログを見る人が国外にもいるかもしれない、などと考えました。
自分も忘れないために、だれもが忘れないために、こうして記録していくことが未来のためになると信じて。
地元の醤油製造の企業が作ったお店で、醤油はもちろん陸前高田関連グッズも売っています。
その日はちょっと暑かったのでしょうゆソフトクリームを
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/bf/b12d8b0f7e4afd898099bdec9703f44c.jpg)
余計なものが入ってない味でおいしかったです!
一本松に訪れた際は是非。
あと、気仙沼の商店街でも売っていて気になっていたマスカットサイダー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/bf/78a46ed94e02849eb900d0f5aa333329.jpg)
陸前高田の神田葡萄園の商品です。
暑い夏にはたまらないですね。
おいしいマスカット味ですが、無果汁です。
その後、陸前高田の追悼施設があるという、道の駅高田松原跡へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/d8/3fce7744827772cd34794a20f3da0ac2.jpg)
道の駅だったというこの建物、コンクリートが残るのみ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/a7/687d4c2e05a4a86d3f398df9f81bbba6.jpg)
配線はむき出しのまま。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/09/ab46a1f118f4f1e214ae27d96a1710f1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/af/ac6516620c488fae93f5e6c3b7a7c75c.jpg)
こちらが追悼施設。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/7e/a631e9e7f2fbcad22dabc15fe94e3985.jpg)
ここでも黙祷しました。
安らかにお眠りください、この災害を語り継いでいきますと。
その隣には石川啄木の石碑が「仮」設置されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/e8/7c76a09b68497dcf76b95444521e0cbf.jpg)
追悼施設には、高田高校水泳部の亡くなられた生徒さん、先生へのメッセージがありました。
この高田高校水泳部について調べてみると、このメッセージは定期的に変えられているようでした。
海岸近くのプールで練習していた部員のほとんどと、その生徒達を迎えに行った顧問の先生が亡くなったそうです。
今年の成人式シーズンに、未だに行方不明だった娘さんに振袖を着せた合成写真を持って成人式に参加したお父さんのニュースが流れていましたが、その娘さんも高田高校水泳部だったとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/ba/bb731b7aedd25c07059e5a9a9fb41d62.jpg)
今回お邪魔した被災地の中で一番心に衝撃を与えたのは陸前高田だと思います。
街並みがまるごと津波に流されてしまったその光景は衝撃的です。
市街地だった場所を車で走ってもどこに駅があったのか、どこにメインストリートがあったのか、全然わからないのです。
住宅があったであろう場所にはたくさんの花束。
きれいな彩から、定期的にお花を供えに来ている人がたくさんいるのだということがわかります。
小さな商店街から街を元気にしていこうという希望が見えた南三陸、地元企業がどんどん戻ってきている気仙沼と比べてしまうと、陸前高田の時間はあの日からあまり進んでいない。
このあと、陸前高田の物産センターで日本酒を購入しました。
陸前高田の地酒、酔仙。
先日家で飲みましたがおいしかったです。
自分にできることはこれぐらいです。
被災地を訪れてからこのブログを書こうとするまで約1か月の時間がありました。
あの日自分が見たものをより深めていくためにインターネットでいろんな記録を探したり、津波の映像を見て、あのあたりはこんな被害に遭っていたのだと確かめたりしていました。
津波の映像は久しぶりに見ましたがやはり精神的にきついです。3年前1日に何回もよく見れていたなと思うぐらい。
3年前の3月11日、これだけ悲惨な災害が日本で起きたのだということを記録しなければと思い、こんなちっぽけな個人ブログですが編集して載せようと思い至りました。
もしかしたらこのブログを見る人が国外にもいるかもしれない、などと考えました。
自分も忘れないために、だれもが忘れないために、こうして記録していくことが未来のためになると信じて。