百花繚乱な世界

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大分行

2016年02月03日 20時54分51秒 | その他雑記
1月に鹿児島へ行って
2月は大分行です。

仕事のため
月曜日の夕方に大分県中津市に移動。

仕事は、
耶馬渓沿いで測量をします。

今回はGNSSの2時間観測。

5時間でないので気が楽です。

火曜日
朝から作業。
1点目は
中津から国道212号を日田に向かった途中の下郷という場所です。




1月の雪が降った時は、車止めの高さまで降ったそうです。

昼には、1点目の作業は終了し、
海側の作業場所へ移動。

1971年まで
大分交通耶馬渓線が
中津と守実温泉を結んでいました。

作業をしていた下郷には、
駅跡があったようです。(後で知りました。見に行けばよかった)

廃線跡は、サイクリングロードとして再利用されています。

山国川を下ってくる途中、対岸に見えたサイクリングロード



廃線跡のようです。

気になった川沿いの道。

中津市役所耶馬渓支所裏には柿坂駅がありました。

時間に追われているので
ゆっくりと観察する時間がありません。


この鉄橋も
車から降りてしっかり撮影したかったのですが、
仕事優先。

時間が無いとしても
ここだけは外せません。
青の洞門。







行ったり来たりと
往復して通ってきました。

しかし、耶馬渓線の車両を保存しているところには
行くことができませんでした。
残念です。

山国川の支流中津川の河口付近で
2点目の観測。
途中で小雨が降り
風も吹いて
寒かったですね。

4時過ぎ
今回の観測も終了。

まだ明るいので
急いで、



福沢諭吉旧居と

中津城へ




黒田氏が秀吉に命ぜられて入部
後細川氏
小笠原氏
奥平氏
で明治維新を向かえました。

城の石垣に黒田氏当時のものが残り
また、その上側に細川氏時代のものも残っています。




奥平氏と言えば
武田を離れ、徳川氏につき
長篠城で頑張って
長篠の合戦の勝利の一助となりました。


17時前ギリギリ
無料の資料館をのぞくことができました。
黒田官兵衛について資料がまとめられていました。
撮影は禁止なので
写真はありません。
ここは何にもなかったので1枚 パチリ


この本丸下段の石垣も
黒田時代が下側
細川時代が上側だそうです。


中津川の石垣は



30分ちょっとで見学終了。
あっという間のことでした。

レンタカーを返して
中津の作業は終わり。
水曜日は、
中津から浜田へ移動です。

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