「人生山あり、谷あり」という言葉を、〇十年前の結婚式の際の来賓の祝辞、親戚からの祝辞、そして仲人様からの「結婚生活への心構え」という意味で、たくさんの方からうかがっていたし、書物からも、飽きるほど、この目にしていた。
当初、ぼんやりとながらも、何となくイメージが出来た。
しかし、現実はまさにこの通りであったし、今でも薄氷を踏むような家庭生活がある。
それは、社会、家庭、職場、などなど、いろいろなところで実証されてきた。。。
最初は、夫婦二人、子どもが一人増え、二人増え、、、、、まだまだいろいろである。
その原因、発端はいろいろであるが・・・忘れてならないのは病にもそのような原因があるのも明らかであった。
しかし、そのたびに、最終的には自分がリードしながらも、パートナーの考え、意見を重く感じながら、自分の考えとどこに相違などがあるのか、などを考えながら対応してきた。
何よりも相手に寄り添う、という気持ちが大事であり、自分もその危機に対して対応してきながら今がある。。。
しかしながらも、男性と女性では脳がそのように出来ているのか・・・一つの事に対して、経験とか感情的に物を考えるなどいろいろなファクターがあるのも事実である。。。
一つの問題、懸案事項に対しても、お互いの考え方は様々である。。。
「相手に寄り添う」・・・これが一番の必要な事なのではないだろうか??
そこには、プライドも意地もあるであろう、お互いにね。。。
でも、自尊心を傷つけられた、の一言で片づけてしまってはならないのだと思う。。。
そして、人が生きてゆくためには、プライドや意地などはもしかしたら、何か動くことに対して、とても厄介な物になるのかも知れない。
時間がいろいろなことを解決してゆくこともある。
私に足りないもの、また、厄介な物は、もしかしたら、傲慢なプライドや「思いやる、寄り添う気持ち」なのかも知れない。。。
いいや、きっとそうなのだ。。。
妻君から今まで聴いたことばで、一番うれしかったのは「女は感情の生き物だかっら、私も悪かったのかも・・・」の言葉だろうか。。。
確かに〇十年、妻君はいろんな場面に於いて、私を助けてくれた。。。
感謝している。。。心から・・・。ありがとう‼♡
これからも、何事が起ってもその言葉を大切にしてほしいな、その心をね。。。
欠陥だらけの私だけれども、もしかしたら二人の時間は短いかもしれないし、長いのかも知れない。それは神仏のみぞ知ることである。
これからも、お互いの欠陥を補いあって、大喧嘩もあるけれども、助けてくださいね。
当初、ぼんやりとながらも、何となくイメージが出来た。
しかし、現実はまさにこの通りであったし、今でも薄氷を踏むような家庭生活がある。
それは、社会、家庭、職場、などなど、いろいろなところで実証されてきた。。。
最初は、夫婦二人、子どもが一人増え、二人増え、、、、、まだまだいろいろである。
その原因、発端はいろいろであるが・・・忘れてならないのは病にもそのような原因があるのも明らかであった。
しかし、そのたびに、最終的には自分がリードしながらも、パートナーの考え、意見を重く感じながら、自分の考えとどこに相違などがあるのか、などを考えながら対応してきた。
何よりも相手に寄り添う、という気持ちが大事であり、自分もその危機に対して対応してきながら今がある。。。
しかしながらも、男性と女性では脳がそのように出来ているのか・・・一つの事に対して、経験とか感情的に物を考えるなどいろいろなファクターがあるのも事実である。。。
一つの問題、懸案事項に対しても、お互いの考え方は様々である。。。
「相手に寄り添う」・・・これが一番の必要な事なのではないだろうか??
そこには、プライドも意地もあるであろう、お互いにね。。。
でも、自尊心を傷つけられた、の一言で片づけてしまってはならないのだと思う。。。
そして、人が生きてゆくためには、プライドや意地などはもしかしたら、何か動くことに対して、とても厄介な物になるのかも知れない。
時間がいろいろなことを解決してゆくこともある。
私に足りないもの、また、厄介な物は、もしかしたら、傲慢なプライドや「思いやる、寄り添う気持ち」なのかも知れない。。。
いいや、きっとそうなのだ。。。
妻君から今まで聴いたことばで、一番うれしかったのは「女は感情の生き物だかっら、私も悪かったのかも・・・」の言葉だろうか。。。
確かに〇十年、妻君はいろんな場面に於いて、私を助けてくれた。。。
感謝している。。。心から・・・。ありがとう‼♡
これからも、何事が起ってもその言葉を大切にしてほしいな、その心をね。。。
欠陥だらけの私だけれども、もしかしたら二人の時間は短いかもしれないし、長いのかも知れない。それは神仏のみぞ知ることである。
これからも、お互いの欠陥を補いあって、大喧嘩もあるけれども、助けてくださいね。