生家のブログ記事
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左千夫は、乳牛飼育により、牛乳を生産して生活の糧とし、正岡子規の「歌よみに与ふるの書」に心酔して、子規の短歌の後継者となり、馬酔木、阿羅々木などを発行して多くの歌人を育てた。
そのかたわら、小説も執筆し、明治39年、43歳のとき、俳誌ほととぎすに「野菊の墓」を発表してこれが彼の小説の代表作となった。
ちなみに、ほととぎすは、高浜虚子が子規から受け継いでやっていたが、子規の親友だった夏目漱石が「我輩は猫である」をここで発表して爆発的な人気となったという。
漱石は、左千夫の野菊の墓を高く評価していたといい、そうした縁もあって、ほととぎすに掲載されたものらしい。
野菊の墓は千葉県松戸市、矢切が舞台で、政夫と民子という若い男女の清純な恋が、農村の封建的な風土のなかで引き裂かれてゆく悲恋の物語である。
矢切の渡しが、ふたりの永遠の別れになったのである。
矢切の西蓮寺にその文学碑があるので、写してきた。
非常に素朴で、感動する小説なので、是非、一読されるとよい。
碑文は、左千夫の門人、土屋文明が記している。
碑の傍らには、もう時期の遅れた野菊が寒そうに咲き残っていた。
野菊の墓、あるいは野菊の如き君なりき、でなんども映画やTVドラマになったが、昭和56年には、松田聖子主演で映画化。
左千夫の生家には、これを記念した松田聖子のアララギの植樹があったが、アララギとはどんな木だったのか、良く見なかったのが残念におもっている。
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