彼には、ほかにも大阪の物語が多く、大阪に勤めていたことのある私にとっては、当時の自分の行動や記憶とすり合わせ、懐かしさを覚えるのだった。
「真夏の犬」という小説を読んだ。中学生が、場末の廃車置場の番人をやらされ、暑い夏、野犬に脅かされ、事件に遭遇するという話。
主人公が浄正橋とか、福島西通りを移動するというのだが、この地名は、市電の停留所なのだ。
梅新から桜橋、出入橋、浄正橋、福島西通と国道2号線を西向いてゆく電停だったはずなのだ。
私の頭の中では、大阪の市電というのは、もうすっかり記憶が薄らいでいる。
でも、この電停の順番ははっきりと覚えていて、浄正橋を北へゆくと150メートルぐらいで国鉄の踏み切りを渡るのだ。
今では、踏み切りではなく、JR大阪環状線の高架になっている。
市電の停留所というのがあやふやな記憶だったので、ネットで探してみると、懐かしい写真があったので、コピーしてみた。
梅新交差点の北西角に富士銀行があった。左奥が桜橋交差点、サンケイビルがあって更に奥方向へ進むと出入橋、浄正橋、福島西通と続くのだ。
富士銀行の並び、向こう側に私の会社があった。
確かに電車が通っていたのだ。
国鉄大阪駅の前を電車が行く。そうだ、これは阪神百貨店側から見た駅だ。
当時、新幹線はまだなかったからこれが大阪の表玄関だったのだ。
駅舎の右のほうには、線路のプラットホームが見えている。
この写真は、昭和38年ぐらいのものらしい。私は、昭和32年からここらに勤め始めたのだ。
こんな写真を見ていると、ここらに書店があったとか、梅田の繊維街がごちゃごちゃしていたとか、線路の脇によく行った飲み屋があったとか、あのころの誰彼とのやりとりなど、いくらでも心のひだの内側からにじみ出てくる、哀愁があるのだった。
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Margarida Y.F
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