![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/83/5fffb28be15e26b330816b5bd16f701c.jpg)
野村胡堂の小説で名高い「銭形平次」は、ここ明神下に住んでいたというので石塔が立っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/98/4008cc5fe9e4da671f1eaa68695fe4e2.jpg)
私の母は、同じく明神下に実家があって、私は小学校低学年の頃、1年ほどこの下あたりにいました。
祭りが賑やかというが、どうだったと質問されます。遠い昔のこと、ちっとも記憶がありません。
この日は、アルキングのお友達6人づれで、明神さまに詣で、大鳥居の脇の天野屋で熱い甘酒をすすりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/69/12d5d7fecf4062e59628721b165aa4ad.jpg)
明神さまの祭神は、だいこく様とえびす様。それと平将門が祀られています。
将門は、平安中期、下総、上総、常陸、武蔵、上野、下野など坂東一円を制圧し、朝廷に叛旗を翻した。
結局は戦に敗れて落命したが、そのあと、徳川等武家政権では、その武勇を讃えて、崇拝されてきた。
でも、天皇家が明神を参拝するときは、将門は憚りありというので、場内の摂社に身をよけていたともいわれるのです。