少年は当時、旧制中学3年生。
原爆投下が1945年8月6日。
大やけどを負った少年を、広島赤十字病院の産婦人科の医長が治療している写真(8月10日)
そして、終戦が、8月15日。
この写真が朝日新聞に掲載されたのが、9月8日の朝刊だったという。
そのあと、当時のGHQからのお達しで、原爆関連の新聞記事、写真などは掲載を遠慮せねばならなくなったらしい。
その問題の写真と記事。
被災少年は、頭部、顔面、両手足をやけどして、赤十字病院の先生に顔の治療を受けている、生々しい写真を見ました。
永らく、その被害を負った少年の身元は、解らなかった。
だが、少年は、その後、回復して、青年になり、無事、結婚して、子、そして孫を持つにいたった。
その方、健全に70歳まで活き、健康な人生の生涯をおえたとのことである。
そして、その大怪我を治療されている写真については、「オレだよ」と話していたという。
全身の焼け焦げを治療している、その写真の生々しさに、胸を打たれた。
あれが、すっかり治療、回復して、いい一生を終えられた。
そのことが、私の胸を強く打ったのでした。
最新の画像もっと見る
最近の「とある話題」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事