終戦後のことだった。
小学高学年のころだったか、新制中学だったのか、函館に居りました。
普通の路上で、野球まがいの三角ベースに熱中したことがありました。
ホームベースは、白墨で書いたりする。
1塁と2塁だけ。それも、あっちとこっちの電柱がベースのかわり。
ボールは、ボロ布を紐で固く、丸く巻くのです。
バットは棒きれ。
あのころは、運動具を買いにゆくなどという発想はなかった。
4人でも出来るし、6人になっても楽しめる。
女の子だって、その遊びに参加したりしていた。
路上が球場だから、車も、自転車も、通行人も行き来する。
だから、しばしば、休憩が入るのです。
2~3年先輩の大沢さんというのが、プレーヤー、兼、審判で、アウト・セーフといい加減に判定したのだ。
あのころ、物がなかった。
でも、楽しかったのだ。
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