家のななめ向かいに、同級生、鈴木くんがいて、毎日のように一緒に遊んでいました。
その彼が、国鉄の函館駅で、動く車両と、プラットフォームの間に落ちて、大怪我して、亡くなりました。
お葬式。
担任の先生が、君、お葬式で友人代表として弔辞を述べるのがいい。と指名してくれました。
私は、まだすっかり子供。そんなことの経験もないから、弔辞なんてできないです。と尻込みする。
じゃあ、先生が弔辞の文章を書いてあげるから、順番がきたら読むといい。
と言ってくださいます。
なにぶん、親友のことだし、何かしてあげなくちゃと、思っていたので、弔辞を読むのを承りました。
そして、葬式の当日、先生と一緒に葬儀に出席しました。
儀式が進んで、友人代表が弔辞を述べる順番が来ました。
私は立ち上がって、先生が書いてくれた弔辞の文章を読み始めました。
その文章を読んでいると、急に、とても悲しくなって、恥ずかしいけれど弔辞を読むことができなくなり、立ち往生して泣いてしまったのです。
そうなったら、横に居た先生が、弔辞の文章を引き取って、続きを、最後まで読んで、多分、私の頭をなぜてくださいました。
若くて、俳優みたいな、スマートな男の先生でした。
葬儀が済んで、私は、どうも不首尾だった後悔を持って、家へ帰りました。
あんまり葬式の話はしたくなくて、家につきました。
母は、玄関口に私を立たせて、塩をひとふり、振ってくださいました。
これって、厄落としのおまじないだったの。
思えば、あれは終戦直後ぐらい。
弔辞の文章が、素晴らしいものだったと思います。
担任の先生が、素晴らしい先生でした。
何もわからない子供の私だったけど、多分、先生を見て、男の理想形と心に刻み込んだのでした。

函館の市電