義姉とののんびり山行2件目はご主人の話をたくさん聞かされながら、訪れられなかった谷川岳へ。
10月14日、早朝春日井発、中央道から和田峠を越え上信越道を走って11時土合着、ロープウエイで天神平に上がり、11時半に登山開始。熊穴沢避難小屋までは滑りやすい木道、小屋を過ぎると岩場が現れ、鎖場を慎重に登りますが、好天に恵まれた3連休最終日とあって続々と下山の登山者が。皆さん登り優先も知らないのか、どんどん下ってくるのでこちらは待ちぼうけの連続。大声で下り始めようとする登山者に声をかけてやっと登り始められる状況でした。14時半に肩の小屋着、荷物を置いてトマの耳、オキの耳を往復。山頂稜線はきれいに紅葉しており、オキの耳からは一ノ倉沢を覗き込みました。
肩の小屋は食事付きで泊まれます。定員は25名、寝具は寝袋ですが、男女・グループを考慮しての部屋割りなど気持ちの良い小屋でした。
15日は7時過ぎに下山開始、岩場を慎重に下っていくと、連休明けでもけっこう登山者が登ってきました。さすがに人気の山ですね。10時20分天神平に着き、ロープウエイで土合に戻りました。そこから一ノ倉沢へ、ちょっと待てばガイド付き電気バスが出るところ、空いていたので片道500円で乗り込みました。林道(といっても国道)を歩くと1時間ほど。稜線はガスっていましたが、一ノ倉の岩壁は眺めることができました。帰りも電気バス。
その夜は川古温泉というちょっと古い一軒家の旅館泊。16日は吾妻線沿いに走って岩櫃(いわびつ)城へ。入口が判らず苦労しましたが、まずは南面の古谷駐車場へ。ここからは潜龍院跡へ。密岩ルートで山頂に登れますが、厳しい岩場コースなのでパス。続いて車で平沢登山口駐車場に移動、15分程登ると岩櫃城本丸跡。このあたりは戦国時代末期、真田昌幸(幸村こと信繁の父)が支配し、その拠点として築かれた山城。本丸の周囲には竪堀や切り岸など堅固な防御施設が巡らされています。その背後には岩櫃山の岩峰が聳え、敵を寄せ付けません。先ほどの潜龍院は昌幸が織田信長に攻め滅ぼされそうな武田勝頼を迎え入れようとした御殿の跡。しかし、武田勝頼は小山田氏を頼って岩殿城(ここも岩山の城として有名)に向かい、その小山田氏に裏切られて滅んでしまいました。勝頼が岩櫃城に逃れていたら、歴史は変わったかもしれないと言われています。本丸跡からも山頂に登れますが、今回はパス。岩櫃山は山と渓谷の11月号にも紹介されています。今度山頂に登りませんか?
by なべさん