いこのべ堂 営業記

ネット売買の記録簿として復活しました!

被災地脇を行く

2004年11月19日 23時55分29秒 | 雑記
東京は朝から雨。
週末に弟1号の披露宴があるので帰省した。
いつもなら新幹線で気楽に帰れるのだが中越地震の影響でとても面倒くさい道のりだ。
まずは開通している越後湯沢駅までの上越新幹線「たにがわ」に乗車。
新幹線の車内で車掌が湯沢からの乗り継ぎバスの乗客を挙手させてカウントしていた。

東京から1時間半ほどで越後湯沢到着。
駅員に誘導されると駅前駐車場に頚城バスや越後交通のバスが混在して集結している。
JRの切符を見せて車内に詰め込まれる。
バスはなかなか発車しない。新幹線着から30分くらい待ってやっと発車。
5台くらいで車列を組んで発車する。まるで修学旅行のようだ。

湯沢インターから関越自動車道にのって長岡方面へ向かう。
最初は順調だったが越後川口のあたりからちらほらと路肩工事が散見されるように。
ふと窓から見た外の景色がひどかった。
ほとんどの家の屋根に青いビニールシートが。
地震で屋根瓦が崩れ、雨漏り防止の為に被せているようだ。
ときどきパースが崩れたように傾いている家や、上から押しつぶされたように1階が崩れ散った家がある。
TVで見る「被災地」の光景そのものだ。

壊れた家を生で見るとかなり衝撃的。
あの家で暮らしていた人たちはさぞかしせつなかろう。
まだ家に帰ることのできない人たち、帰る家さえ失った人たちが大勢いる。
人生狂ってしまった人々のことを思うとやるせない。
高速脇の山道はひびわれてアスファルトの路面が砕け散っていた。
こうして高速道路だけでも復旧しているのは驚異的だ。

工事渋滞の徐行区間はあったが道中は順調で時刻表より早く、しかし1時間40分もかけて長岡駅前へ到着。
バスの中にすし詰めでかなり疲れてしまった。
この先に接続の新幹線もあるのだが、もう一駅だけなので在来線ホームへ。
ちょうど良い時間の電車が入線していたのでそれに乗り、中学生達の通学に交じって故郷の三条へ。

駅には母が迎えに来てくれていた。
東京を10時に出て到着したのは17時頃。
下手な海外旅行より時間がかかっている計算だ。
つくづく上越新幹線のありがたみを感じた。
田中角栄万歳!

夜のニュースで12月28日の新幹線復旧をめざすとのこと。
今日の様子ではかなり難航しそうだが、頑張れJR東日本。