先代 ◆ SANPO な ブ・ロ・グ

村田 青朔 が 一所懸命 書き綴る
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【SANPO】 DANCE事情/手塚夏子 「道場破り」

2008-05-27 |  「SANPO」 あれこれ
5月8日、梅若ゼミメーリングリスト宛

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手塚さんの「道場破り」に、5/5・6と泊りがけで行ってきました。
手塚さん、お疲れ様でした・・・面白かったです。ありがとうございました。

藤野(相模湖のそば)の元小学校を改装した宿泊施設で、ダンスを見て、ワークショップに参加して、3食きちんと食べて、ビールも飲んで、しっかり寝て、手塚さんのハナタレ息子と遊ぶ。楽しかった。

20~30年前にお世話になった方々が数人、観に来ていたりしてビックリ。

で、「道場破り」ショーイングですが、5人のダンサーそれぞれの、ダンスの方法論を手塚さんなりに取材し解釈して観客に明かしたうえ、5人が他のダンサーの方法論で踊るのです。

盗みあうというか、真似しあうというか、競い合うというか・・・、パスする人もいたり、4人一緒に踊る場面もあるので、5×5通り全部ではないけど20通りぐらいのダンスが楽しめるわけで、贅沢な企画でした。

それぞれ、動き作りの方法としては新しいものではないけれど、それらをダンサー達が身体を通してダンサーの言葉で整理して身体に乗せるので、新鮮な刺激を受けました。

手塚さんは他の4人と比べ、意識と身体の関係を結ぶ言葉(モチベーションかも)の方向が逆向きだと感じました。向きが違うので現れるものが違う。

手塚さんは「身体を見詰める」作業の結果、身体が反応する。その動きを踊りと呼ぶ。変化する「身体の表情」を、踊りとして見せてる。

他の4人は「踊る」という前提があって、動きを作る。その「動き」を見せ、その動きを動く「人」を見せる。・・・当然4人も「身体を見詰める」んだけれど、その事だけにこだわるわけでない。

手塚さんも「道場破り」のような事を重ねているので、すでに往復の回路を持っているはずですが、根っこの意識の違いが手塚ダンスの独自性を支えていると思います。

去年の夏の舞台で感じた違和感(分からなさ)が、解消されました。言葉で分かったというより、ダンスに身体に、透明な説得力が出てきている感じ。

WSでやった、「身体の地図作り」も楽しかったで~す。
あれはあれで、時空の歪みを感じますね。


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2008-05-27 11:44:46 up