ポール・ヤングの出世作、Every Time You Go Away。もとは、ホール&オーツの曲で、80年のアルバムVoices(邦題「モダンヴォイス」)収録曲として発表されたものを、ポールが85年にカバーし、シングル・ヒットさせました。ホール&オーツのVoicesと言うアルバム、大好きなんですが、彼らの曲はソウルフルなノリと、ロックテイストが混ざった曲に良い曲が多いですね。この曲も往年のソウルバラード、と言う感じで、印象に残っていました。Blue Eyed Soulの名曲でしょう。そしたらポールヤングがカバーし、さらにうまいアレンジを施しましたね。特にイントロが秀逸です。キーのメロディに導かれて続く(フレットレス)ベースラインがたまりません。
歌詞は、失恋した男目線で女性に気持ちを伝える内容。何度も別離、再会を繰り返した2人なんでしょうね。サビの、
Every time you go away, you take a piece of me with you
(君がいなくなるたび、君は僕の一部を持っていってしまう)
君がa piece of meを持っていってしまう、つまり、君は去っていくけど、僕への思いは引きずっていくんだよ、また戻ってきてくれるだろ、というわけなんでしょうね。でも、最後にI don't care(心配してないさ)といいつつ、Don't leave me alone(一人にしないで)と叫ぶあたり、サビの歌詞は男の強がり、じゃないかな。失恋ソングって、なんで男はこんなのばっかりなんでしょうね。もちろん、思い当たる節はいっーーーーばいありますけどね(苦笑)。
共にイギリス・マンチェスター出身の4人は当時流行し始めたビートバンド・ブームの中、それぞれが演奏活動を始める。エリック・スチュワートはいくつかのバンドを経て、1963年6月にウェイン・フォンタナ&ザ・マインドベンダーズのギタリストとしてレコードデビュー。1964年6月、グレアム・グールドマンは自身のバンドThe Whirlwindsのレコード・デビューに際して、B面曲としてライバル・バンドThe Sabresにいた友人のロル・クレームの曲を採用するが、ヒットせずにバンドは解散。グレアムはThe Sabresからドラマーのケヴィン・ゴドレイを引き抜いて新バンドThe Mockingbirdsを結成、1965年2月に改めてレコードデビュー。デビュー曲としてグレアムは「フォー・ユア・ラブ」を作曲するがレコード会社に拒否され、代わりに“That's How (It's Gonna Stay)”をレコーディングする。「フォー・ユア・ラブ」はその後ヤードバーズがレコード化、全英3位の大ヒットとなる。一方The Mockingbirdsのレコードは不発に終わり、その後レコード会社を移籍しつつ4枚のシングルを発表したもののヒットを生み出せずに解散。
その後グレアム自身はソングライターとして次々にヒット曲を生み出し、またピーター・カワップやジョン・ポール・ジョーンズたちとのバンド活動を経て、1968年7月には自作曲のセルフカバーアルバム『ザ・グレアム・グールドマン・シング』を発表している。The Mockingbirds解散後ケヴィンは再びロルとコンビを結成、組み立て絵本などのデザイナーで生計を立てる一方、グレアムのマネージメントで1967年Yellow Bellow Room Boom名義でシングル“Seeing Things Green”を発表している。ウェイン・フォンタナ&ザ・マインドベンダーズは1965年1月の6thシングル「ゲーム・オブ・ラブ」が全英2位/全米1位の大ヒットを記録するが、その後低迷しリーダーでヴォーカルのウェインがソロ・アーティストとして独立する。残ったバンドメンバーはエリックをヴォーカルに据えザ・マインドベンダーズとして再出発を図る。1965年12月に発売された1stシングル「恋はごきげん」は全英2位全米2位の大ヒット、その後“Ashes To Ashes”もヒットするなど順調な活動が続く。1967年にはシドニー・ポワチエ主演の映画『いつも心に太陽を』に曲を提供、バンド自身もゲスト出演している。1967年11月のシングル“Schoolgirl”はグレアムの作曲・プロデュース。このレコーディングでエリックと意気投合したグレアムは、後に脱退したベースの代わりにバンドに正式参加しシングル“Uncle Joe The Ice Cream Man”ではリードヴォーカルをとっている。バンドはこのシングルを最後に解散、エリックはグレアムを誘い、レコーディング・スタジオ"ストロベリースタジオ"の共同出資者となる。グレアムはロルとケヴィンをスタジオミュージシャンとして誘い、やがてエリック、グレアム、ロル、ケヴィンの4人でバンド活動を開始する。
10cc解散後、エリックは旧友のポール・マッカートニーのレコーディングに参加。1986年の『プレス・トゥ・プレイ』ではアルバムの半数以上の曲で共同作曲も手がけている。1984年、グレアムはアンドリュー・ゴールドとWorld In Actionという名のユニットを結成。すぐにCommon Knowledgeと改名し計2枚のシングルをリリースする。その後1985年にレコード会社を移籍した際にワックスと改名、翌1986年6月には1stアルバム『マグネチック・ヘブン』をリリースする。同年3月にリリースされた先行シングル「ライト・ビトウィーン・ジ・アイズ」は全英60位全米43位のヒットを記録。ワックスは続けて1987年9月に2ndアルバム『アメリカン・イングリッシュ』を、1989年9月には3rdアルバム『100,000フレッシュ・ノーツ』をリリースしている。その後も断続的に活動を続け1990年代後半にも新曲を含んだベスト盤『ザ・ワックス・ファイル』(1997年)やCommon Knowledge.com(1998年)などをリリースしている。
2000年10月にグレアムの2ndソロアルバム『And Another Thing』がリリースされた。2002年、グレアムは10cc結成30周年を記念して元10ccのリック・フェンとポール・バージェス、それにマイク・スティーヴンスとミック・ウィルソンを加えたメンバーでツアーを行った。2003年4月にはエリックの3rdソロアルバム『Do Not Bend』がリリースされた。2004年には英国アイヴァー・ノヴェロ賞を受賞。公の場で久々にエリック、ロル、グレアムが一緒に姿を見せた。2005年7月にはグレアムが"10cc - Graham Gouldman and friends"名義で日本公演を行った。また2006年7月からは30年ぶりにケヴィンと共作した6曲をネット上でダウンロード販売している。エリックは2009年1月に4thアルバム『Viva La Difference』を発表した。
以後も、リンゴ・スターやエリック・クラプトン、マディ・ウォーターズのアルバム制作に参加、1975年アルバム『南十字星』発表する。だが、バンド内ではツアー活動よりアルバム制作を重視すべきとの意見をもつロバートソンと、ツアー活動にこだわるメンバーとの対立が激しくなったり、マニュエルが疲労とストレスから酒とドラッグに溺れ体調を崩すなどの問題を抱える。こうして音楽活動が行き詰まる中、ロバートソンは1976年にライヴ活動の停止を発表する。ロバートソンは解散して新たなステップを目指していたが、ヘルムは解散・ライブ活動停止には反対であった。またロバートソン以外のメンバーも解散を望んでいなかった。そのような中、11月24日にサンフランシスコのウインターランドでラスト・コンサートを行なう。(実質的に解散コンサートとなる。)コンサートには多数の大物ミュージシャンが参加した。ホーキンス、ディラン、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、マディ・ウォーターズ、ドクター・ジョン、ヴァン・モリソン、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、ロン・ウッド、ポール・バターフィールド、ニール・ダイヤモンドら、そうそうたる顔ぶれである。この模様はマーティン・スコセッシの手により撮影され、映画「ラスト・ワルツ (The Last Waltz)」として公開、3枚組サントラ盤もリリースされた。
1976年、キャピトルとの契約が残っていた関係上(「ラスト・ワルツ (The Last Waltz)」のサントラをワーナーブラザーズから発表するため)アルバム『アイランド』をリリースするが、最早往年の出来映えは見られず不評に終わる。結局これを最後にザ・バンドとしての活動に終止符が打たれる。