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昨日27日午後6時から、京都会館第一ホールにおいて開催された。
前日早めに来てもらえないかとの電話があり、4時回った頃会場に到着したが、5時開演までは入場できませんと言われ、やむなく近くの公園の落ち葉を踏みふみ散策し、ついでに平安神宮にも足を延ばした。
5時定刻に開場、パラパラと入場するだけで、この会場埋まるのかと心配になった。
開演時刻が迫るにつれ観客が急に集まりだした。満席とまでは行かなかったがそれでも主催者発表で1000人は越えたそうだ。
いよいよ開演!
まずチョンヒスン実行委員長の挨拶。チマチョゴリに身を包んだ彼女、挨拶にも気合が入っていた。
…丹波マンガン炭鉱記念館は、先代の館長、そして父の遺志を継いでその息子の現館長が一人で支えて来た。みんなで再開させよう!一人が5人に、5人が50人に、そして1000人、10000人に広がれば、きっと再開されます。今日のコンサートが、その決意をあらたにするきっかけになることを確信します。
と、やや上ずった声で力強く挨拶した。
照明が消え、ほの暗い舞台に出演者が一人、二人と現れた。そして、生のYBが照明に照らされた。
会場から湧きあがる歓声、その歓声すら押しつぶすほどのロックの嵐が2時間続いた。正直、圧倒された。そして、自分の歳を感じさせられた。
殆ど立ちっぱなしの子供やアジュモニ、若者たちに交じって、白髪のご老人たちはジーッと座ったままだ。そんな観客を横眼で見ながら、ぼくは椅子を戻しそこに腰かけ肩を揺すってみたものの、ユンドヒョンの呼びかけに反応し、その場で飛びはね両手を激しく振る仕草は、さすがに出来なかった。
途中五蔵六腑に響く音量に耐えかね、2度ほど会場の外に出た。
その中で、強烈に残った印象がある。あのユンの端正な顔立ちとヤンキー風の仲間たちは今、ベトナム戦争のさ中アメリカの若者がロックで反戦を訴えたように、イムジン川のほとりで生まれ育ったユンドヒョンとその仲間たちは、今世界に向けて叫び続けている、と。
今ぼくの手元にコンサートの曲目の目録がある。最後に唄った「オー必勝コリア」とYB風「アリラン」しか、馴染みがない。曲の合間にユンが話すことばから、多くを知ることができ、また感銘を受けた。
●丹波マンガンの歌
前回記者会見に来た時、在日ハルモニ、ウリ学校の生徒たちと交流、丹波マンガン炭鉱を視察した。そしてユンは、関係者に歌を作る、と語った。
ユンの語り
歌を作るつもりだったが、…出来ていません。(観客ー溜息)いや、出来ていないだけで、作らないのではありません。(観客ー拍手)…うーん、実は作ってきました。(大拍手)ぼくが初めて日本語で作り、日本語で歌う歌です。
♪丹波マンガン
過去の中に明日がある
丹波マンガン
痛みの中に希望がある
万雷の拍手と喚声。舞台と観客が一つになり、何度も何度も繰り返し大合唱した。
●アリランの前後に唄った歌詞
ユンの語り
我々は一つです。YB結成15年、その中で忘れられない公演の一つが平壌での公演です。…そして静かに歌いだし、そして叫び、怒りをぶっつけるように全身を激しく震わした。
♪我らは一つ
同じ歌をうたい
同じ踊りをおどり
同じ空の下で祈祷してきた
誰が我らを二つに分けたのか
●アンコールに応え、再登場。全員オリジナルティーシャツ姿。今回の公演でYBは一銭も頂きません。このシャツ、買って下さい。記念館再興に寄付されます、とアピール。
韓国でぼくの芸能仲間に丹波の話をするんですが、はじめは理解できないようで…。しかし韓国でも支援の輪が広がっています。皆さんと一緒に手を携えて、マンガン炭鉱記念館を再建しましょう!
そして、舞台の中央で深々と一礼。その後舞台の端から観客と触れ合いながら、舞台の袖に消えていった。…恥ずかしながら、ぼくも握手してもらいました。
YB、カムサハムニダ! namsang
前日早めに来てもらえないかとの電話があり、4時回った頃会場に到着したが、5時開演までは入場できませんと言われ、やむなく近くの公園の落ち葉を踏みふみ散策し、ついでに平安神宮にも足を延ばした。
5時定刻に開場、パラパラと入場するだけで、この会場埋まるのかと心配になった。
開演時刻が迫るにつれ観客が急に集まりだした。満席とまでは行かなかったがそれでも主催者発表で1000人は越えたそうだ。
いよいよ開演!
まずチョンヒスン実行委員長の挨拶。チマチョゴリに身を包んだ彼女、挨拶にも気合が入っていた。
…丹波マンガン炭鉱記念館は、先代の館長、そして父の遺志を継いでその息子の現館長が一人で支えて来た。みんなで再開させよう!一人が5人に、5人が50人に、そして1000人、10000人に広がれば、きっと再開されます。今日のコンサートが、その決意をあらたにするきっかけになることを確信します。
と、やや上ずった声で力強く挨拶した。
照明が消え、ほの暗い舞台に出演者が一人、二人と現れた。そして、生のYBが照明に照らされた。
会場から湧きあがる歓声、その歓声すら押しつぶすほどのロックの嵐が2時間続いた。正直、圧倒された。そして、自分の歳を感じさせられた。
殆ど立ちっぱなしの子供やアジュモニ、若者たちに交じって、白髪のご老人たちはジーッと座ったままだ。そんな観客を横眼で見ながら、ぼくは椅子を戻しそこに腰かけ肩を揺すってみたものの、ユンドヒョンの呼びかけに反応し、その場で飛びはね両手を激しく振る仕草は、さすがに出来なかった。
途中五蔵六腑に響く音量に耐えかね、2度ほど会場の外に出た。
その中で、強烈に残った印象がある。あのユンの端正な顔立ちとヤンキー風の仲間たちは今、ベトナム戦争のさ中アメリカの若者がロックで反戦を訴えたように、イムジン川のほとりで生まれ育ったユンドヒョンとその仲間たちは、今世界に向けて叫び続けている、と。
今ぼくの手元にコンサートの曲目の目録がある。最後に唄った「オー必勝コリア」とYB風「アリラン」しか、馴染みがない。曲の合間にユンが話すことばから、多くを知ることができ、また感銘を受けた。
●丹波マンガンの歌
前回記者会見に来た時、在日ハルモニ、ウリ学校の生徒たちと交流、丹波マンガン炭鉱を視察した。そしてユンは、関係者に歌を作る、と語った。
ユンの語り
歌を作るつもりだったが、…出来ていません。(観客ー溜息)いや、出来ていないだけで、作らないのではありません。(観客ー拍手)…うーん、実は作ってきました。(大拍手)ぼくが初めて日本語で作り、日本語で歌う歌です。
♪丹波マンガン
過去の中に明日がある
丹波マンガン
痛みの中に希望がある
万雷の拍手と喚声。舞台と観客が一つになり、何度も何度も繰り返し大合唱した。
●アリランの前後に唄った歌詞
ユンの語り
我々は一つです。YB結成15年、その中で忘れられない公演の一つが平壌での公演です。…そして静かに歌いだし、そして叫び、怒りをぶっつけるように全身を激しく震わした。
♪我らは一つ
同じ歌をうたい
同じ踊りをおどり
同じ空の下で祈祷してきた
誰が我らを二つに分けたのか
●アンコールに応え、再登場。全員オリジナルティーシャツ姿。今回の公演でYBは一銭も頂きません。このシャツ、買って下さい。記念館再興に寄付されます、とアピール。
韓国でぼくの芸能仲間に丹波の話をするんですが、はじめは理解できないようで…。しかし韓国でも支援の輪が広がっています。皆さんと一緒に手を携えて、マンガン炭鉱記念館を再建しましょう!
そして、舞台の中央で深々と一礼。その後舞台の端から観客と触れ合いながら、舞台の袖に消えていった。…恥ずかしながら、ぼくも握手してもらいました。
YB、カムサハムニダ! namsang