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6・15はソウル、8・15はピョンヤンで! 出会うことが統一への道!!

2015年05月28日 | 三千里コラム

6・15民族共同行事に向けた「ソウル準備委」の発足記者会見(5.27)



5月27日、6月中旬にソウルで開催予定の「6.15共同宣言発表15周年、民族共同行事」を準備する「ソウル準備委員会」が発足し、記者会見が行われた。

これに先立って5月9日、ソウル市の主要な市民社会団体は「平和統一を求めるソウル市民1,000人円卓会議」を開催している。会議では、祖国の光復(解放)70周年を迎える今年、6月15日と8月15日の記念日に民族共同行事を開催する意志を再確認した。

「ソウル準備委員会」発足の前日である26日、光復(解放)70周年に向けた常任代表会議が開催され、6・15行事をソウルで、8・15行事はピョンヤンで開くことを公表している。ただ、朴槿恵政権の意向を反映し、南側での8・15行事には北側の代表も参加するよう要請することにした。

27日の記者会見で「ソウル準備委員会」は、“すでに南北の民間団体が合意したように、歴史的な6・15民族共同行事をソウルで開催する。一千万ソウル市民が歓迎し、数十万の市民が参加する民族共同行事となるように準備していく”と明らかにした。

また、“6・15民族共同行事だけでなく、ピョンヤンで開かれる8・15民族共同行事も積極的に準備していく。光州(クァンジュ)のユニバーシアード大会でも、南北共同応援の実現に向け積極的に取り組むつもりだ。これからは、ソウル市とピョンヤン市の間で交流を活発に進め、地域の至るところで小規模であっても有意義な「統一行事」を拡げていきたい”と語った。

民族共同行事の開催は、南北海外の統一団体による「民族共同行事準備委員会」の次元で準備されている。実現すれば7年ぶりのことだ。この間、韓国政府は南北海外の民間統一団体による実務接触を許可しなかったが、先月、瀋陽で開かれた会議への参加を許可した。

しかし、朴槿恵政権は複雑な条件を付けて民族共同行事の開催を困難にしている。既存の合意を無視し、①8・15の民族共同行事もソウルで開催しなければならない、②共同行事は純粋に非政治的な交流として開催せよ、と主張しているのだ。これに対し「ソウル準備委員会」は“政府は7年ぶりに合意した民族共同行事に、政治的な意図で介入している”と批判している。

「ソウル準備委員会」の一員であるチョ・ホンジョン牧師(「韓国キリスト教教会協議会」和解統一委員長)は、“分断の痛みが70年間に及んでいる。節目の今年を無為に過ごしてはならないとの切実な思いから、ソウル地域の民主人士らが「何としてでも今回の出会いを成功させ、統一の道を切り開こう」と決意したのだ”と語った。

「ソウル準備委員会」は、“民間主導の民族共同行事を政府の統制下に置こうとする、いかなる試みにも反対する。当局は政治的介入を中断し、民族共同行事の開催を保障して協力するように望む”と、政府の姿勢転換を促した。

このような主張は、「ソウル準備委員会」に限られたものではない。前日の26日、「6・15共同宣言実践南側委員会」を構成する14個の地域本部が政府庁舎前で記者会見を開き、民間統一運動に対する不当な介入の中断と、6・15民族共同行事の開催保障を政府に要求している(JHK、5月27日付『統一ニュース』の記事参照)。

明治の産業施設は世界遺産に値するのか?

2015年05月22日 | 三千里コラム

日本政府が世界遺産への登録申請した23施設のうち、長崎県の端島炭鉱(軍艦島)



1972年11月、第17次ユネスコ総会で『世界遺産条約』が採択された。同条約に日本が加盟するのは、1992年(125番目の締約国)のことだ。現在、約190カ国が加盟している。日本政府は今、ユネスコの世界遺産委員会に「明治日本の産業革命遺産」を推薦している。日本政府の積極的なロビー活動もあって、すでに同委員会の諮問機関「イコモス(ICOMOS:国際記念物遺跡協議会)」が、登録勧告を出している状況だ。順調に行けば7月上旬には、対象の23施設が一括して世界文化遺産に登録されるだろう。

しかし、朝鮮半島の南北両政府が、朝鮮人の強制徴用が行われた炭鉱など7施設について「登録の取り下げ」を主張したことから、互いに譲らぬ外交論争になってしまった。中国政府も、歴史を直視せよと述べ「登録反対」の意思を表明している。こうした抗議に対し安倍内閣は、「対象とする年代も歴史的な位置付け、背景も異なる」と不満を隠さない。日本政府は確かに、施設の建造時期を「幕末から1910(明治43)年まで」に限定している。

言うまでもなく1910年は、大日本帝国が朝鮮半島を植民地に併合した年である。よりによってこの年を下限に設定したことからも、安倍内閣の下心は明白である。「植民地統治期の強制徴用」という歴史的事実を回避するための、姑息というか、稚拙というか、いや、厚顔無恥と言うべき手法であろう。

5月21日付『毎日新聞』朝刊(記者の目:森忠彦記者)によると、第二期安倍政権の2013年、日本政府は「長年順番待ちをしている他の候補を尻目に、今回の産業遺産群をなかば強引に割り込ませた」という。日本政府はなぜ、これら23施設の世界遺産登録に執着するのだろう。政府の推薦文には、次のような意義付けがなされている。

「明治後期、日本が20世紀初頭に非西欧地域で最初の産業国家としての地位を確立したこと、そこに至るまでの幕末から僅か半世紀余での製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業における急速な産業化を達成したことは、世界史的意義を有するできごと」だというのだ。よってその対象には、明治維新の思想的原点とも言える松下村塾から、殖産興業・富国強兵の象徴である官営八幡製鉄所まで含まれる。地域も、九州や山口県を中心に静岡、岩手の計8県に及んでいる(上記『毎日新聞』参照)。

ここ数年、日本の出版状況を見ていると、微妙な変化に気付かされる。かつてのような嫌中・憎韓の「ヘイト本」は後退し、日本が“かつても今もアジアの大国”だと喧伝する「日本礼賛本」が氾濫していることだ。幾つかの書籍名とその宣伝文句を紹介しよう。「世間の経済常識はウソだらけ!発売たちまち大増刷!」と広告されているのは、増田悦佐氏の『やはり、日本経済の未来は世界一明るい!』という本だ。三橋貴明氏の『中国との貿易をやめても、まったく日本は困らない!』という本もある。タイトルがやたら長く絶叫的なのが、最近の特徴のようだ。

注目すべきなのは、経済よりも歴史関係の本だろう。極右論客として著名な渡部昇一氏の『読む年表、よくわかる日本の歴史』が一押しだ。新聞広告では「この一冊で日本史通になる!戦後70年、いよいよ日本の時代!素晴らしい国・日本の歴史を知る!」と紹介されている。これは「売り上げ3万部突破!」らしい。日下公人氏の『いよいよ、日本の時代がやって来た!』の宣伝文句は、「世界のなかで日本を仰ぎ見る国がどんどん増えている!日本のかけがえのない資源は、まさに日本人自身だ!」。そして、これが恐らく一番の本音なのだろうが、『アジアの解放、本当は日本軍のお蔭だった!』という高山正之氏の本である。これも「売り上げ3万部突破!」である!!。

このように見ると、世界遺産登録を推進する背景にあるのは、偏狭で頑ななナショナリズムではないだろうか。日本のそれは、「欧米への極端な卑屈さ」と、その反作用として「アジアへの度し難い傲慢さ」を特徴とする。「脱亜入欧・富国強兵」を掲げアジアの隣国を蹂躙して達成した「明治の栄光」にスポットを当てることで、「平成の大国日本」を誇示したいのだろう。そこには、日米同盟の強化(集団的自衛権の行使)によって軍事大国化への道をひた走る、安倍内閣の強い意志が感じられる。大日本帝国が短期間で「アジア最初の産業革命」を成し遂げたのは事実だが、安倍内閣が強調したいのは、産業革命よりも明治維新なのだろう。だからこそ、「松下村塾」が“明治日本の産業革命遺産”に含まれている。

ところで、『吉田松陰書簡集』(岩波書店)には次のような一節がある。「ロシア、アメリカとは既に和親条約がむすばれており、この関係を破って列強の信用を失ってはならない。…国力を強くして奪いやすい朝鮮、満州、中国を屈服させ、…交易にてロシア、アメリカからの損失を受けた分は、朝鮮と満州から土地を奪い補償しなければならない」。松下村塾は高杉晋作や伊藤博文ら、明治維新(明治政府)の主役たちを養成した。そして吉田松陰は、「征韓論」の権化ともいうべき指導者だった。おそらく、山口県出身の安倍首相が深く尊敬する人士ではあるまいか。

では、日本政府が推進する今回の世界遺産登録に関し、韓国の専門家はどのように評価しているのだろうか。慶星大学のカン・ドンジン教授(都市工学科)は、文化財庁の世界遺産分科委員会専門委員であり、「イコモス・コリア(ICOMOS-Korea)」の委員も務めている。カン教授は、日本の登録申請書や「イコモス」の評価は問題だらけだと批判する。とりわけ、これら産業施設群を日本政府が1850年代~1910年までに限定したことに対し、次のように問題点を指摘した。

「産業遺産型の世界遺産は、誕生期から現状態に至るまでの全過程が評価対象になるべきです。限定された期間だけを対象にする場合には、必ず該当時期の原型を保存していなければなりません。しかし、日本が明治の産業遺産として申請した23ヶ所を見れば、現在も使用中の施設が3~4ヶ所ある上に、その大部分は明治以後の太平洋戦争期に大活躍した軍需産業施設です。このように、都合の悪い歴史はごそっと抜いてしまい、特定の時期だけを切り離して“世界遺産”に登録することはできません。一人の人物を評価する際に、幼児期だけで評価することは好ましくないでしょう。素直で可愛くない幼児など、いないからです。都合のいい日本だけを見せようとするのは、決してフェアーとはいえません。」

カン教授はまた、日本政府の推薦文(登録申請書)が、産業施設群の一面しか説明していないと述べている。

「これら産業施設は造船・製鉄・石炭鉱業などに限定されており、すベて富国強兵を追求した明治日本の軍需産業施設です。実際に、これら施設で生産した武器や軍需品が、日清・日露戦争の勝利に寄与しました。しかし、このような歴史の否定的な側面について、日本の登録申請書のどこにも説明がない。そして、登録候補施設のうち7ヶ所が、太平洋戦争期に強制徴用された朝鮮人を酷使した現場であったのは広く知られています。端島炭鉱と高島炭鉱、長崎造船所に関しては“囚人労働が労働力の重要な部分を担当した”と記述されていますが、労働力の強制徴発を、どこで、どのように、どれだけの規模で行なったのか、全く言及されていません。登録申請書の歴史に関する項目には、日中戦争と日露戦争が登場します。しかし、これらの産業施設が戦争でどのような役割を担ったのか記載されておらず、建造した船舶についても旅客船を挙げるだけで、軍艦には触れていないのです。」

ここで、先に引用した『毎日新聞』の記事に戻りたい。カン教授の主張に合い通じる心情を、日本の記者からも感じるからだ。森忠彦記者は次のような文章で記事を結んでいる。

“世界遺産には「負の遺産」と通称されるものがある。ポーランドの「アウシュビッツ強制収容所」や広島の「原爆ドーム」など、不幸な過去を乗り越えようとする人類への評価と言っていい。原爆ドーム登録の際、米国が反対したことを思い起こしたい。近く行われる日韓政府間協議では、日本政府は負の部分にも配慮し、すべての施設の登録に向けた妥協点を見いだしてほしい。歴史には光も影もある。どんなにきらびやかな遺産にも両面がある。…今回の論争を、世界遺産を人類共有の財産として考え直す転機としたい。”

ユネスコが掲げる世界遺産の絶対条件は、「卓越した普遍的価値(OUV:Outstanding Universal Value)」だという。であるなら、日本政府の申請した産業施設群が名実ともに世界遺産として登録されるためには、上に挙げた「負の部分」も併記することが望ましいと思う。安倍首相も繰り返し語っている。奥歯に物の挟まったような言い方ではあるが…。「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません」と。(JHK)

カン・ギフン氏の24年-大法院で再審無罪が確定

2015年05月14日 | 三千里コラム

最高裁で再審無罪が確定したカン・ギフン氏(左:24年前、右:昨年の高裁無罪)



5月14日午前10時23分、韓国大法院(最高裁)第二部は検察の上告を棄却し、カン・ギフン(姜基勳、51歳)氏の再審無罪を確定した。カン氏の事件は“韓国版ドレフュス事件”と呼ばれる、典型的な冤罪事件だ。

1991年4月26日、明知大学の1回生カン・ギョンデ(姜慶大)君が、学内デモを鎮圧する戦闘警察の暴行を受け死亡した。この事件を機に、当時のノ・テウ(盧泰愚)政権を糾弾するデモが全国各地に拡がっていった。当局の弾圧は容赦なく、その過程で11名の青年学生が抗議の自殺を遂げている。キム・ギソル(金基卨)氏も、その一人だった。

同年5月8日、彼は暴力政権の退陣を求め、西江(ソガン)大学の屋上で焼身後、投身自殺する。『全国民族民主運動連合(全民連)』の社会部長で、26歳だった。彼は遺書を残したのだが、検察はそれが「自筆ではなく代筆だ。背後に抗議自殺を煽動した者がいる」と発表し、『全民連』総務部長だったカン・ギフン氏に白羽の矢を立てた。

容疑を裏付ける証拠は何一つなく、真偽は国立科学捜査研究所の筆跡鑑定に委ねられることになった。検察の意向に忠実な国立機関は、“科学”とは名ばかりの恥知らずな鑑定をし、「カン・ギフン氏が遺書を代筆した」と報告した。カン氏は「自殺幇助(刑法)、利敵団体加入(国家保安法)」などの容疑で起訴され、1992年7月24日、大法院で懲役3年・資格停止1年6ヶ月の有罪が確定した。裁判部が“検察との蜜月”を謳歌していた時代だった。

メディアも真実を報道しなかった。カン氏と運動団体を罵倒する記事一色だった。西江大学の総長はイエズス会に属する司祭だったが、彼は聖書に手を当て「死を煽動する闇の勢力がいる」と糾弾した。挙句には、かつての抵抗詩人キム・ジハ(金芝河)も、「死の祭事を直ちに中断せよ!」と、民主化運動を非難するコラムを保守紙に投稿していた。

大田刑務所の独房で大法院の判決文を受け取ったカン氏は、憤りのあまり、それを扉に投げつけたという。1994年8月17日、彼は満期出所する。キム・ヨンサム(金泳三)政権の時だ。軍事政権ではなく民主化を志向する“文民政権”を掲げたが、ただの一日もカン氏の刑期を減刑しなかった。彼の無念を晴らすには、まだ、気の遠くなるような歳月が必要だったのだろう。

ノ・ムヒョン(盧武鉉)政権末期の2007年11月13日、ようやく機会が訪れた。この日『真実・和解のための過去事件整理委員会』は、国立科学捜査研究所と7人の私設鑑定人による筆跡鑑定を分析した結果、遺書は「キム・ギソル氏本人が作成した可能性が高い」と判定した。そして「事件の真実を究明するために、再審など相応する措置が必要だ」と発表した。

カン氏は2008年、新年が明けるやいなや再審を請求する。ソウル高裁刑事第10部は、1年を超える検討の後、再審請求を受け入れた。だが、検察は裁判所の再審開始決定を不服とし、大法院に抗告した。李明博・保守政権の下で、大法院は極めて“慎重に”検討を重ねる。ようやく3年が過ぎた2012年10月19日、検察の抗告が却下された。ついに、再審の重い扉が開けられたのだ。

2014年2月13日、ソウル高裁は「検察が提示した鑑定書には信憑性がない」とし、“遺書代筆および自殺幇助”に無罪判決を宣告した。そして今日、5月14日。大法院が検察の上告を棄却したことで、晴れてカン氏の無罪が確定したのだ。不当逮捕から24年。「無罪」の声は重く、あまりにも遠かった。

彼の事件を担当した検事・判事の多くが、その後に立身出世し栄華を極めている。捜査を担当した検事9名のうち、カン・シヌクは最高裁の判事にまで登りつめ、2007年の大統領選挙では朴槿恵候補の法律顧問団長を務めた。他の検事たちも殆どが朴槿恵政権で重要なポストに就いている。そして当時の法務部長官は、先日まで現政権の大統領秘書室長だったキム・ギチュン、その人である。

彼らの誰一人として、カン・ギフン氏に謝罪したという話を聞いていない。謝罪はおろか、真摯に反省すらしない連中だろう。息子の無罪を信じたカン氏のオモニ(母)は、ハン(恨)を抱いたまま亡くなった。カン氏もまた、肝臓がんを患い闘病中で、今日の判決にも出席しなかった。

27歳の青年が、51歳の病んだ壮年になるまで、耐えなければならなかった歳月、失われた時間...。カン・ギフン氏の一日も早い快癒を願う。(JHK)

欧米の歴史学者・日本研究者、187人が安部首相に宛てた声明

2015年05月08日 | 三千里コラム

4月29日、アメリカ議会で演説する安倍首相



5月6日(現地時間)、欧米の著名な歴史学者と日本研究者たち187人が、安倍晋三首相宛に声明を発表した。タイトルは『日本の歴史家を支持する声明』で、侵略戦争と植民地支配の歴史に対し「偏見なき清算」を促す内容だ。4月29日、安部首相が行なった米議会演説を踏まえたものだが、決して日本政府を一方的に非難する内容ではない。

戦後70年間の日本と近隣諸国の平和を評価しつつ、独善的な歴史認識が「世界から祝福」を受ける障害になっていると指摘している。だからこそ、日本が犯した歴史の過ちについて「偏見なき清算」を実行すべきだと促しているのだろう。

熟考を重ね、よく練られた文章だと思う。短期間で、多数の専門家が共同声明を出したことに敬意を表したい。恐らく、訪米成果に陶酔している安部首相は一読さえしないだろう。だが、世界を代表する「良心の声」は重い。8月15日に出される『安倍談話』で、首相がどのように宿題を解決するのか注視しよう。

一方、私たちが看過してはならないのは、歴史認識をめぐる米政界の変化である。安倍演説に対し、米政府と議会は概ね肯定的な評価を下している。“かつての戦争(アジア太平洋戦争)に対しきちんと反省し、丁重な対米謝罪があった”というわけだ。

国家安全保障会議(NSC)の大統領特別補佐官を務めたマイケル・グリーンは、米政府の東アジア政策に関わった代表的な政治学者である。その彼が韓国紙の特派員に「安部首相の姿勢を評価する。韓国政府の消極的な姿勢が問題」と述べているのは、そうした変化を示す一例といえよう。歴史清算よりも、北朝鮮や中国に対する安全保障面での共通利害を優先すべきだというのが、米政界の意向のようだ。

そういえば、安倍首相は拙い英語の議会演説で、韓国(Republic of Korea)の国名を2回読み上げている。1回目は、“戦後日本が資本と技術を献身的に提供して発展したアジア国家”の一例として。もう1回は、“日米同盟の核心軸に加えるべき下位パートナー”の一国として...。

今回の安倍演説は、日米両政府の間で周到に準備された内容だった。特に、日本軍「慰安婦」問題を“人身売買”と規定することに双方が了解し納得したことは、後に大きな禍根と課題を残すだろう。安倍首相宛ての声明が持つ意味を吟味するために、その全文を以下に掲載する。翻訳は5月8日付『朝日新聞』電子版を引用した。(JHK)


日本の歴史家を支持する声明

 下記に署名した日本研究者は、日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第2次世界大戦に対する正確で公正な歴史を求めていることに対し、心からの賛意を表明するものであります。私たちの多くにとって、日本は研究の対象であるのみならず、第二の故郷でもあります。この声明は、日本と東アジアの歴史をいかに研究し、いかに記憶していくべきなのかについて、われわれが共有する関心から発せられたものです。

 また、この声明は戦後70年という重要な記念の年にあたり、日本とその隣国のあいだに70年間守られてきた平和を祝うためのものでもあります。戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察権の節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが世界の祝福に値するものです。

 しかし、これらの成果が世界から祝福を受けるにあたっては、障害となるものがあることを認めざるをえません。それは歴史解釈の問題であります。その中でも、争いごとの原因となっている最も深刻な問題のひとつに、いわゆる「慰安婦」制度の問題があります。この問題は、日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました。そのために、政治家やジャーナリストのみならず、多くの研究者もまた、歴史学的な考察の究極の目的であるべき、人間と社会を支える基本的な条件を理解し、その向上にたえず努めるということを見失ってしまっているかのようです。

 元「慰安婦」の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されるとすれば、それは問題の国際的解決をより難しくするのみならず、被害者自身の尊厳をさらに侮辱することにもなります。しかし、同時に、彼女たちの身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりすることも、また受け入れることはできません。20世紀に繰り広げられた数々の戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春のなかでも、「慰安婦」制度はその規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点において、そして日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾取したという点において、特筆すべきものであります。

 「正しい歴史」への簡単な道はありません。日本帝国の軍関係資料のかなりの部分は破棄されましたし、各地から女性を調達した業者の行動はそもそも記録されていなかったかもしれません。しかし、女性の移送と「慰安所」の管理に対する日本軍の関与を明らかにする資料は歴史家によって相当発掘されていますし、被害者の証言にも重要な証拠が含まれています。確かに彼女たちの証言はさまざまで、記憶もそれ自体は一貫性をもっていません。しかしその証言は全体として心に訴えるものであり、また元兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付けられています。

 「慰安婦」の正確な数について、歴史家の意見は分かれていますが、恐らく、永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません。

 歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視することにほかなりません。

 日本の研究者・同僚と同じように、私たちも過去のすべての痕跡を慎重に天秤に掛けて、歴史的文脈の中でそれに評価を下すことのみが、公正な歴史を生むと信じています。この種の作業は、民族やジェンダーによる偏見に染められてはならず、政府による操作や検閲、そして個人的脅迫からも自由でなければなりません。私たちは歴史研究の自由を守ります。そして、すべての国の政府がそれを尊重するよう呼びかけます。

 多くの国にとって、過去の不正義を認めるのは、いまだに難しいことです。第2次世界大戦中に抑留されたアメリカの日系人に対して、アメリカ合衆国政府が賠償を実行するまでに40年以上がかかりました。アフリカ系アメリカ人への平等が奴隷制廃止によって約束されたにもかかわらず、それが実際の法律に反映されるまでには、さらに1世紀を待たねばなりませんでした。人種差別の問題は今もアメリカ社会に深く巣くっています。米国、ヨーロッパ諸国、日本を含めた、19・20世紀の帝国列強の中で、帝国にまつわる人種差別、植民地主義と戦争、そしてそれらが世界中の無数の市民に与えた苦しみに対して、十分に取り組んだといえる国は、まだどこにもありません。

 今日の日本は、最も弱い立場の人を含め、あらゆる個人の命と権利を価値あるものとして認めています。今の日本政府にとって、海外であれ国内であれ、第2次世界大戦中の「慰安所」のように、制度として女性を搾取するようなことは、許容されるはずがないでしょう。その当時においてさえ、政府の役人の中には、倫理的な理由からこれに抗議した人がいたことも事実です。しかし、戦時体制のもとにあって、個人は国のために絶対的な犠牲を捧げることが要求され、他のアジア諸国民のみならず日本人自身も多大な苦しみを被りました。だれも二度とそのような状況を経験するべきではありません。

 今年は、日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会です。4月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ちを賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません。

 過去の過ちを認めるプロセスは民主主義社会を強化し、国と国のあいだの協力関係を養います。「慰安婦」問題の中核には女性の権利と尊厳があり、その解決は日本、東アジア、そして世界における男女同権に向けた歴史的な一歩となることでしょう。

 私たちの教室では、日本、韓国、中国他の国からの学生が、この難しい問題について、互いに敬意を払いながら誠実に話し合っています。彼らの世代は、私たちが残す過去の記録と歩むほかないよう運命づけられています。性暴力と人身売買のない世界を彼らが築き上げるために、そしてアジアにおける平和と友好を進めるために、過去の過ちについて可能な限り全体的で、でき得る限り偏見なき清算を、この時代の成果として共に残そうではありませんか。

阿部首相は誰のために、何を反省するのか?

2015年05月01日 | 三千里コラム

ワシントンの議事堂前で日本政府の謝罪を求める元日本軍「慰安婦」イ・ヨンスさん(4.28)


4月30日(現地時間29日)、阿部首相は米議会で演説した。日本の首相としては初めての上下院合同演説であり、敗戦後70年のメッセージでもあることから、内外で大きな注目と期待を集めていた。内容はしかし、本コラムで予測したように失望と憤りを呼び起こすものだった。

首相は言葉の上では、かつての大戦への深い反省を述べたが、アジアの民衆が期待した心からの謝罪はなく、真摯に負の歴史に向き合おうとする姿勢も見られなかった。日本の侵略戦争や植民地支配によって苦痛を受けたアジア諸国との和解には、ほど遠い内容だったと言わざるを得ない。

ただ、米議会では概ね肯定的な評価を得たようだ。と言うのも、首相は言葉と心を尽くして、日本との戦争で被害を受けた米国市民に痛切な反省と謝罪を述べたからだ。やはり彼にとっては、「米国の政界が自身をどのように評価するのか」が、最大の課題なのだろう。

思い起こせば第1次安部政権の時、米国を訪問(2007年4月)した彼は当時のブッシュ大統領にも謝罪している。他でもない、日本軍「慰安婦」に関してだった。当事者の女性たちではなく、米国大統領に謝罪する阿部氏のメンタリティーは、やはり健在なのだろう。

一体、彼は日本の首相として、誰に、何のために、何を反省し謝罪するのだろうか。 いかに米議会での演説とはいえ、アジアの民衆(良心的な日本国民を含め)が受けた傷跡に塩をすり込むような阿部首相の言動は、必ずや歴史の厳しい審判を受けるだろう。現地で取材した『ハンギョレ新聞』ワシントン特派員のレポート(4月30日付)を紹介する。(JHK)


“戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。”

29日(現地時間)、日本の首相としては初めてアメリカ議会で上・下院合同演説をした安倍晋三氏が、過去の歴史に対して発した発言はここまでだった。過去の侵略と植民地支配に対する明確な反省はなかった。「慰安婦」問題に対する謝罪は言うまでもなく、「慰安婦」という単語さえ口にしなかった。

反面、安倍首相はこの日の演説で、アメリカとの緊密な関係や戦後日本がアジア諸国を助けたという内容を強調した。彼は70年前に廃墟となった日本が、アメリカの支援とアメリカが構築した世界経済体制によって大きな恩恵を受けたこと、そして“1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。”と強調した。

彼はまた、ハワイ真珠湾とフィリピンのバターンなどで日本との戦争で亡くなったアメリカ人に対しては“日本国と、日本国民を代表し、先の戦争にたおれた米国の人々の魂に、深い一礼をささげます。とこしえの、哀悼をささげます。”と述べ、これ以上はない哀悼の言葉ささげた。

そして安倍首相は今回の訪米期間に、日本軍「慰安婦」を‘人身売買の犠牲者’と描写して、日本政府と軍の介入を事実上否認する既存の態度を固守した。オバマ政府は安倍氏のこうした傲慢な対応を黙認しており、今回の訪米が韓日間の歴史認識をめぐる葛藤を緩和させるどころか、かえって増幅させる契機になるのではと憂慮されている。

28日、米日首脳会談の記者会見では、『AFP通信』の記者が“安倍首相は日本帝国主義の軍隊によって奴隷になった約20万人の女性たちを含め、第2次世界大戦中の日本の行動に対しては十分に謝罪を表明しなかった。今日この場で、謝罪する意思はあるのか”と極めて率直に尋ねた。安倍首相は謝罪せず、前日にハーバード大学で行った発言をほとんどそのまま繰り返した。彼は“人身売買の受難者であり筆舌に尽くしがたい苦痛を味わった慰安婦の人たちを思うと、深い苦痛を感じる。河野談話を継承するし、修正する意図はない”と語った。

記者会見では特に、“日本は慰安婦の苦痛を現実的に軽減する方案を提供しようと、多様な努力を重ねてきた”と強調した。これは以前、日本市民の寄付などで作った『アジア女性基金』を通じて、「慰安婦」被害者に慰労金を支給したことを意味すると見られる。しかし日本政府は昨年、河野談話を‘検証’するとして、談話の意義を根本から損傷した。また、『アジア女性基金』も、「日本政府による公式謝罪と賠償」という被害者の要求とは、あまりにもかけ離れたものだ。安倍首相はさらに、“20世紀の歴史で、戦争中に女性の尊厳と人権がたびたび侵害された”と述べ、「日本だけが戦時下に女性の人権を侵害したのではない」との持論を再び展開した。

韓国はもちろん、アメリカの主な報道機関と一部の下院議員の間では、‘真摯な謝罪’を求める声が高かった。それにも拘らず安倍首相が何らの変化も見せなかったのは、こうした要求を無視しても自身の議題を貫徹させるのに支障がないという自信があったからだろう。実際に首相は今回の訪問で、自衛隊の米軍支援範囲を全世界に拡大した『米日防衛協力指針(ガイドライン)』の改正と『環太平洋経済パートナー協定(TPP)』交渉の進展を通じて、オバマ大統領から大きな歓待を受けている。これは阿部首相に対し、安保と経済の両側面で浮上する中国を牽制しようとするオバマ大統領が、‘アジア再均衡’政策を展開する上で決定的な援軍になると評価しているからだ。

オバマ政府は歴史問題で「日本の前向きな態度を引き出すために水面下で説得している」と言われてきたが、今回の首脳会談を契機に日本側への傾斜を本格化させるようだ。オバマ大統領は28日の記者会見で、前日に安倍総理をリンカーン記念館に自ら案内したことを紹介し、“リンカーン大統領は、大規模な衝突の後には和解が必要だとの信念を抱いていた”と述べている。

また、ホワイトハウスでアジア政策を総括するエバン・メデイロス補佐官は27日、安倍総理が行った今年の諸発言に対して“極めて重要で建設的だ。私たちは常に「歴史問題における建設的で未来指向的な接近法」を友好国に促している。私たちが強調したかったのはまさに、阿部首相が述べたことに他ならない”と語っている。これは事実上、アメリカ政府が阿部首相に軍配を挙げたことを意味する。アメリカ政府のこのような対応は今後、中国を牽制するためには日本の支援を必要とする現状況で、「韓日間の歴史認識をめぐる葛藤は、アメリカ政府にとって副次的な問題に過ぎない」という認識を広めることになるだろう。ワシントン/パク・ヒョン特派員