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金大中大統領墓所参拝

2010年08月31日 | NPO三千里鐵道ニュース
金大中大統領墓所参拝

昨年僕らは二人の大統領を失った。5月の衝撃的なニュースでノムヒョン大統領の死を知り、8月には6.15時代を拓いた金大中大統領を逝かせた。
当ブログでは朝鮮半島の平和と統一への希望を、7000万の半島南北と海外同胞に抱かせてくれた二人の大統領を悼み、追悼リレーを企画、連載した。

ぼくは昨年8月、ポンハのノムヒョン大統領墓所を参拝した。李鳳朝先生のはからいでKノムヒョン秘書官の出迎えを受け、みみずく岩と浄土院への道を故人を偲びながら歩いた。日本に帰りしばらくすると金大中大統領の危篤?がささやかれ、そして訃報を知らされた。

今回光州、独島を訪問したが、韓国滞在中にどうしても行きたいと思っていたことが、最後に実現した。国立顕忠苑にある金大中大統領の墓所の参拝である。一周忌を迎え様々な行事がマスコミにも紹介され、近くの書店で買いいれた「金大中自叙伝」を読み出した時でもあり、参拝の機会をうかがっていたのだが、さる8月24日に実現することになった。

僕の希望を耳にしたソウル市モットン区に住む二女が、それなら今から行きましょうと、車を走らせた。ほんの30分ほどで、顕忠苑正門横に乗りつけた。車を降りカメラを肩に見上げた正門の看板と、門構えは荘厳そのものであった。傍には、国のために命を捧げた英霊たちを祀ると書かれた案内版が目にとまった。

白の制服に身を包んだ両脇の衛兵に微かに目礼し門をくぐると、目の前に顕忠搭が聳えていた。その搭の真下が壺のように窪んでいた。階段を下りて中に入ると、大理石の壁一面に英霊たちの名が刻まれていた。厳粛な面持ちでその場を通り抜けると、山肌をせりあがるように整然と墓標が広がっていた。
しばし苑内を歩きながら、目的の墓所を探した。どうも見つかりそうにないので、いったん外に出て先ほどの荘厳な正門とモニュメントなどをカメラに収めながら歩いていると、「大統領墓所」と書かれた標識が目に入った。
通りかかったご老人に尋ねると、この道をまっすぐ走り左折すると朴チョンヒ大統領の墓所が出る、その隣にあると教えてくれた。再び車に乗り松林の中を走ると、朴大統領の墓所が現われ、やがて金大中大統領墓所の標識が現われた。
 
墓所の入り口横に参拝者記帳簿があった。ぼくは「日本、○○○、三千里鉄道」とハングルで書き、前に進んだ。この日は、ぼくの他にも黒の背広姿の参拝者が、順に焼香していた。小雨のぱらつく墓前で香を焚く者には次の方が傘をかざし、順に参拝していた。ぼくも前の方に傘をかざしながら、墓所全体を見渡した。
鮮やかな緑の芝生に覆われた墓は、大統領の眠る場所だけがこんもりと盛り上がり、柔らかな曲線を描いていた。焼香台には金色の小さな十字架が供えられ、敬虔なカトリック信者であった故人を偲ばせていた。
ぼくは2度ゆっくりと香を焚き、少し長めに故人の冥福を祈り手を合せた。
参拝を終え帰ろうとした時である。 李姫稿女史が、黒の背広姿の青年に支えられるようにして墓所に入られた。僕らと出くわすような格好になってしまった。
このような状況で僕は全くだらしないのに、妻は小走りに近づき女史と握手、日本からきたことを告げた。ついでに妻は、ぼくを紹介(?)、その勢いでぼくも女史と握手する栄誉に浴した。
喪服の李姫稿女史の手は綿のように柔らかく、お顔は白く神々しさを漂わせていた。この瞬間ぼくには、女史が聖母のように目前に迫ってくるようであった。恐らく焼香台に置かれていた十字架と、現在読書中の金大中自叙伝に出る大統領と李姫稿女史の強い信仰に何度も接した所為かも知れない。

恐らく今日は一周忌行事と自叙伝出版の報告を兼ね、関係者の方々がお見えになったのであろう。
生前、反独裁民主回復、祖国統一、人権と世界平和のために一生を捧げた大統領の見果てぬ夢は、李姫稿女史と大統領の家族、そして我ら残された者たちに引き継がれた。

帰りの車中、興奮冷めやらぬ妻は、握手した手を当分洗わないのだとはしゃいでいた。ぼくの手のひらにも、李姫稿女史の温もりが蘇った。
namsang




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1 コメント

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いい経験ですね。 (通りすがりの在日)
2010-09-02 00:51:50
すごく良い経験をしたと思います。
南大門だとか、イーテオンだとか
そこいらの安っぽくて、通俗的な
韓国旅行よりも100倍ぐらい
価値のある経験だと思います。

忙しくて韓国に行けないけど、私は
金大中図書館に一回いってみたいですね。
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